第35話 盆踊りと未来は変えられるのか
「静香、新しい浴衣買ったの?!」
「うん、背ぇ伸びちゃって……新しいの買ってもらったの。ちょっと地味かな……」
静香が着ている浴衣は藍色の生地に白色の大きな花模様がドン、ドン、ドンと付いた、白と藍色だけの色を使った浴衣で、赤色とか水色など中高生の定番みたいなのは一切使われていない。帯は鮮やかな濃い赤色で唐紅というらしい。シックで凄く大人っぽくて俺は好きだ。
「う~うん、全然いい! 静香背ぇ高いから凄く似合うし、めっちゃ可愛い! でも静香って好み変わったよね。前の静香じゃ選ばない柄だと思うな、ソレ。でも、いい、凄くいい!」
「きっとね、京華ねえちゃんの影響だと思うんだ」
静香はちょくちょく姉ちゃんと電話で喋っているらしく、いつの間にか、京華ねえちゃんと呼ぶようになっていた。
「あのプリクラ、春山君のお姉さんと静香の……なんかメッチャ楽しそうでいいな~~……でもさ~、この街にプリクラないのがアッタマくるよね! ほんとクソ田舎過ぎてマジハラたつ。どっかに置けっての、プリクラ」
今日は8月16日。事件が相次ぐ佐舞久留町でも例年通り夏祭りが行われ、それの最終日だ。大通りの数丁は夏祭りの三日間は通行止めとなり、大勢の町民が盆踊りに興ずる。踊る人は、個人だったり、友人同士だったり、町内単位だったり、職場単位であったり、揃いの浴衣や仮装をして夜7時から9時まで3日間に渡って踊り続ける。
俺は静香を迎えに行き、そして大通りに近い田川真奈美のところに行ったのだ。俺も今日は白い浴衣を着ていた。静香が一緒に浴衣で行こうって言うから父さんが若い時に着ていたのを借りてきたのだが、白いせいか妙にヤクザっぽく、静香の浴衣も大人びているせいもあって、とても中学生カップルには見えないけど、まぁいい。
時間はもう7時を少し過ぎていて、太鼓の音や北海盆唄が聞こえる。
「エンヤーコッラヨット ドッコイジャンジャンコーラヨット……なんかこのおはやしって頭にこびり付くよね」
静香を真ん中に3人で歩いていると、静香と田川さんが楽しそうに踊りながら喋っていた。
大通につくと、歩道は出店がズラーっと並んでいて、車道では、みこしを中心に時計回りに大勢が踊りながら進み、それを見物している人たちが椅子やゴザを持ち込み、座りながら見物している。今まであまり深くは考えたことなどなかったのだが、このイベントって凄いな。農協と商工会が主催しているらしいけど、いつから続いているんだろう。町民の大半が集まってるような気がする。これほど集客率の高いイベントって他に無いんじゃなかな。
それにしても人が多すぎて、知り合いや同級生もきっと大勢来てるのだろうが全然分からない。すれ違う人であっても、十数センチ目の前を互いに斜めになりながらすれ違うから、距離が近すぎて知ってる人だなんてまるで気が付かない。
大橋リカという雑誌記者のおばさんは帰ったのだろうか。いや、自分でなんとかするって言ってたし、自信家みたいな感じがするから、この街にきっとまだ居ると思う。俺が見た夢のことを本当に信じたのかは分からない。でも俺だって、アレが今日本当に起きるのか半信半疑だ。いや……起きる。きっと起きる。根拠などないし、俺が今まで見た夢の中で実際に起きたものは、まだ無い。全部がこれからで、その中で最初のが今日だ。どうしても気になる。実際に起きるのかを確かめたい。それにその未来ーー大橋リカというオバサンが犯された後、まだ下半身が露わになっている姿を俺が見るという未来。それが起きると知っている俺は事前に防げるのか。防げないはずがない。絶対に防げるはずだ。そうでなければ、アヤだって……
「キャッ!」
田川さんだ。
あまりにも人が多くて、俺を先頭に次は静香、そして田川さんという順番で縦に並んで歩いていたのだが、最後尾の田川さんがちょっとした悲鳴を上げた。
「……お尻……誰かに触られた」
「えええ?! それって痴漢ってこと? 嫌だ~~メッチャ気持ち悪ぅい~~」
「偶然当たったのと違うか? さっき俺も誰かにケツ触られたぞ」
「う~~ん……そうかも……でも……一番後ろ歩くの嫌かも……前に行く」
田川さんを先頭に、その次を静香、そして俺が最後を歩くことに。
しかし歩くといっても前を歩く人は殆ど進まず、その前を歩く人も同じで、いわゆる大渋滞が延々と繋がっているため、静香は田川さんに抱き着いていて、俺は静香にピッタリとくっ付いている。
「ねぇ義仁、私の事ちゃんと守ってよ」
静香が首を捩じって俺を睨みながらそう言ってる。
「ん……こうか?」
「あっ………ダっ……ダメ~~……」
後ろから腕を回し静香の股間を押さえてやった。
「こっ……こんなとこで触ったら……ダメなんだからね」
「ふ~~ん」
「ぁっ……掴んでもダメーー!」
「二人で何やってんの? ……あ……あああああああ! エッチだーーーー! ちょっと~~もう…そんなの二人の時にやってよね………静香もなんだか凄くエッチになってる……」
「ちっ、違うって……私そんなんじゃないから……義仁がエッチなんだって」
前に全然進まないし、ただ人の混雑に巻き込まれに来たみたいで、あまりにもやることが無かったから静香に悪戯をしたのだが、田川さんに見られたのはマズかったかもしれないけど、当の静香は顔を赤らめながらも怒ってはいない。上目遣いに俺を見ていて嬉しそうにも見える。あれからの静香は結構エッチだと思う。それを言うと、
「………うん……そうかも………でも義仁のせいなんだからね! 私なんて全然エッチじゃなかったのに……あの夢見てから自分でも変わったって思うし………夢と同じことしちゃって……忘れられない」
やっぱり夢のせいなのか。そう言えば、静香がデジャブのようなものを感じるようになったのって、あの夢を見る前からのはずだ。いつからだろう……
「義仁と付き合う前から」
「え? どういうこと? そのデジャブみたいなものって、俺に関係することだけじゃないの?」
「え………どうだったろう……ハッキリとは思い出せないけど、義仁のことばっかだったと思う。あのね、ヘヘヘヘヘ……グランドで義仁に告られたじゃん。スキだって。あの時も、あれ、これって前にあったような気がするって………義仁が私の手を引っ張って走った時にそう感じて、私ね……ひっひっひ…義仁にこれから告られるんだってワクワクしてた。それに2年生の3学期の時はね……1年生の神取君に付き纏われて……義仁には、なんでもっと早く俺に助けてって言わなかったんだって怒られたけど、……上手く言えないんだけどね……義仁に言おうって何度も思ったんだよ。ウミちゃんも義仁に助けてもらいなさいって言ってたけど、なんだかね、どうしてなのか分かんないんだけど、義仁に言うのは今じゃない、って感じてた。でも……義仁としてからはね……もうデジャブみたいなの無くなった。なんだろう……心と頭が一つになったって言うのかな…………ねぇ義仁、私と別れられる?」
いきなり静香がそう言ったが、実は俺もそれを静香に聞きたいと思っていた。
「………静香と一緒じゃないのって……想像できない。あり得ないような気がする」
「うん、私も同じ。これってなんなんだろう。付き合ってる人ってみんなそうなのかな~?」
そうだ、静香に聞きたいことがあったんだ。前に近藤先生の車で送ってもらった時のこと、静香はどう記憶してるんだろう。
「うん、高橋君の家に行く途中で道に迷った………でっ、でも………義仁が私の身体いっぱい触ってきて……なんどもキスされた……そして……私挟まって動けなくなっちゃって……そしたら義仁が覆い被さってきて……大事なとこ触られた。ちょっとじゃないもん。指が一番マズイとこ探して、そこばっか触ってたの覚えてるんだからね。義仁ってあのときから凄くエッチだった」
「いや……ちょっ、ちょっと……それはね……挟まった静香を助けようと………ええ?? わざとじゃないって……一番マズイとこって何処?」
「何処って……またとぼけて! ……この前だってそこ狙ってしてた! あの時からなんだからね、私がエッチになっちゃったのって」
「イテテテテ……ちょっと噛みつかないで……痛い……痛いって」
ダメだ。静香にあの時のことを訊ねたら、こうなるような気がしてたけど、やっぱりだった。
「なにやってんのさ……もう……じゃらけ合うのも二人の時にやってよね」
「え………ヘヘヘヘヘヘ……」
大通の歩道は相変わらずの大渋滞で遅々として進まない。
そう言えば赤い服を着た奴らーー赤の会と思われる奴らを見かけない。神取一族と大国家、権藤家、篠原家が手を組んだとテルが言っていた。そしてもう一つの勢力である栄前田家も同調すると言っていた。そうすると自警団は勿論だが地元の警察もってことだろうな。全部が赤の会排除に動いている。町に繋がる全部の道路に検問が敷かれたと聞いた。
テルが言っていた「敵の敵はなんとやら」だが、共通の敵がいなくなれば味方でいる理由がなくなる。ましてや神取一族は嫌われ過ぎだ。その一族の中でも次期組合長候補の神取剛は彩音に言わせると街の癌だ。
赤の会がいなくなって町は平穏に見えるが、一歩間違えば更に酷い事態になりかねない。なんせ共通の敵がいたせいで反吐が出るほど嫌っていた相手が極端に近い所に居るのだから。
その神取剛と神取彰だ。例のおばさんを犯すのって。どこにいる、今この盆踊りの中にいるのだろうか。
「あれ? 見て見て! あれって近藤先生じゃない? ほら…あそこで踊ってる4~5人の女の人のグループ……一番前が先生だって!」
「え……どれ? ……どこ?」
「ほら、あれ! バラバラの浴衣だから逆に目立ってるでしょ! ああああ、あれってウチの中学校の女の先生達だ!」
「まじ? ………ああああ、ほんとだ! 近藤先生踊ってる!」
その姿は俺にも見えた。近藤先生に続いて何人かの女の人も踊っていて、名前は知らないが確かに見たことのある先生の顔があった。へ~~、近藤先生ってこういうの好きなんだ。
先生たちの一行が俺達に近づいて来た。
「センセーーーー! コンドーエツヨセンセーーー!! ……ダメだ、聞こえてない。ほら、静香も一緒に。せーーーのっ」
「コンドーセンセーーーーー!!」
二人で合わせた声が聞こえたらしく、先生がキョロキョロし始め、そして直ぐに俺達を見つけた。
「え……手招きしてる。一緒に踊れってこと?」
「うん、そうみたい………どうする?」
「どしよう……静香って踊ったことある?」
「ないけど……義仁は?」
「俺? ……幼稚園の頃なら……」
近藤先生の手招きはどんどん大きくなって、もう手招きというより腕招きで、カモーーン! って言ってる外人のようなジェスチャーで、俺達の周りにいる人まで、呼ばれている俺達を見ている。
「もう、これは行くしかないだろ……」
「そう……だね……」
「うん……」
2人の女子は俺を先頭に押し出して、その後を顔を下げてチョコチョコと付いてきた。お前ら2人が呼んだんだからな。俺はどう考えても巻き添えだ。これって絶対に恥ずかしいぞ。
「春山義仁、佐藤静香、田川真奈美……担任命令ね。私に付き合いなさい。ふふふ……大丈夫、簡単だから。私の後ろについて真似ていれば直ぐに覚えちゃうから」
「あら、凄く大人っぽい浴衣。その2人も3年A組の子?」
「ええ、3人ともウチの子」
「いいわね~近藤先生、ウチのクラスの子もどっかにいるはずよね。どこかしら? 見つけたら絶対に踊らせてやる」
踊りは確かに簡単で、10分もしない内に憶えてしまった。そして楽しかった。「踊るアホウに見るアホウ。同じアホなら踊らな損、損」という意味が分かった。これは見物するくらいなら踊った方が絶対に楽しい。見ると、静香も田川さんも満面の笑顔で踊っていて、凄く楽しそうだ。
「近藤先生、生徒と一緒のとこ写真撮ってあげる」
一緒に踊っていた名前を知らない先生がデジカメを構えそう言った。
「うん、撮って、撮って!」
そういった近藤先生は俺の隣にくっついて腕を絡めてきた。
「ああああ、先生ダメーーー!」
「いいじゃない、腕組んだくらい。ちょっと彼氏を貸しなさいって、ふふふふ……」
「もう……」
「私も入るーーー!」
これを両手に花っていうのかな。左には静香がベッタリくっついて腕を組み、右にはやっぱりべったり腕を組んだ近藤先生。そしてその3人に前には田川さんがしゃがんでいる。それにしても近藤先生のオッパイが腕に当たって………柔らかかった。
踊り始めて1時間が過ぎたぐらいだ。急に動悸が激しくなった。
ーーなんだこれ?
ーー急にドキドキしてきた。どういうこと?
俺は焦っているらし。理由は分からないが時間が迫っている。
「義仁………どうしたの? ………なに? なにか起きた?」
静香が俺の目を覗き込んでいた。何も言わないのに、どういう訳か俺の異変に気が付いたらしい。俺は静香の耳元で告げた。
「昨日の夜だ。静香を送り届けた後に女の雑誌記者が来た。そこで俺は夢を見た。その人が男2人に犯された後の姿だった。盆踊りの太鼓が聞こえたからきっと今日だ。その人にはこの街から離れろって言ったけど、きっとまだ居る。そしてその時が迫ってるんだと思う。今、俺の心臓が急にドキドキ始めた。俺………行くわ。静香、絶対に近藤先生の傍に居ろ、いいな」
「わかった………でも……無理しないで」
そう言った静香が背伸びをして唇を突き出してきた。近藤先生と田川さんがそんな静香を見て慌てて隠してくれた。俺と静香を。
「早く離れなさいって……いつまで吸い合ってんの……もう……私クビになちゃうでしょ」
「先生……ああ、エっちゃんだった。エっちゃんって空手の黒帯だったよね。俺が戻ってくるまで、この2人の傍に居て欲しい。いい?」
「………携帯持ってる? 私の番号知ってるよね? ………うん、分かったけど……なにかあれば躊躇わずに私を呼びなさい」
俺は走り出した。歩道は相変わらずごった返していて、走るどころから歩く事もままならない。だから車道ーー踊っている人の傍を走った。テルが言っていた事が思い出された。
ーー前から思ってたけど、あの先生ちょっと不思議だ……
近藤悦代。3年A組の担任で数学教師。29歳の独身で美人の部類に入ると思う。どういう訳だか茶道部の顧問。ウミに言わせると俺のことを気に入ってるらしいが、俺が静香のお宝写真をオカズにしていることを知ってて、それをネタに茶道部に入れと脅してきたスケベ先生。3人娘はバージンだと言い切っているが、あんなスケベなバージンっている? 女も30近くになればみんなスケベになるものなのか。
そんなどうでもいいことを考えながら走っていたが、浴衣ってやっぱ走り難い。雪駄という履物がとにかくダメで、めっちゃ走り難いっていうか鼻緒が痛い。
ドキドキ感が収まらない。それに俺はどこに向かって走っているのか? だが俺は走っていた。
ある出店の横に木刀が立て掛けられているのが見えた。きっと自警団の誰かの木刀だろう。車道に座っている見物人をかき分けて、その木刀を拝借し、そして走り続けた。
あれ? あの赤いアロハシャツ着てるのって2年の神取浩だ。相変わらずチッコイ奴2~3人連れて、でかい態度で踊りを見物してやがる。
見物客の一番前でウンコ座りをしていた神取浩。走っていた俺が目の前で立ち止まると、そんな俺が邪魔なんだろう。顎を上げて睨んできた。
「ぁあああ! なに………あっ!」
俺は急に解った。コイツが神取彰の息子だと。そしてコイツが仲間に喋っているのを偶然聞いた事も。
ーー女記者をオヤジが連れて行ったから今頃はヤってる頃だ。その後に行けば……ひっひっひ……お前らもヤりてぇだろ。
夢の中の俺はそれを聞いて、女を連れ込む空き家がある場所を聞き出したのだ。全部思い出した。
「お前もあの女記者がいるとこに行くつもりなんだろ。そこで初体験済ませようってか。ふ~~ん、ホーケーのグランピーの分際でチャンチャラ可笑しいわ。医者に行って余分な皮切ってもらって来い、クソガキが!」
俺はあの夢の中の俺が何を考えていたのかも思い出した。
ーー廃墟だと言ってもこんな中心街に……
今の俺はその場所をここに居る神取浩に聞かなくても解った。以前は個人経営の病院だったが現在では建物だけが残っている廃墟だ。それは大通りに面していて、今俺がいる場所の道路向かいだ。
無性にハラが立った。女を連れ込むにしたって大通に面した建物に、それも大勢の人が盆踊りに集まっている目と鼻の先で嫌がる女を裸にして。クズだ。どうしようもないクズだ。そんな奴と同じ街に住んで、同じ空気を吸っていると思うだけで頭がクラクラした。アイツらが赤の会排除の先頭になっていようがどうだっていい。母さんを殺したのが赤の会だってこともだ。
俺は真っすぐに向かった。踊りの輪をグルっと回り込むのではなく、踊っている人達を割って走った。口の中で変な味がした。鉄の味。口元を手で拭うとベッタリと血がついた。口の中のどこかを自分で噛んだのだろう。
踊りの輪を抜けると、こっちの歩道にも出店が並び、身動きがとれないほどの大勢の人。
「どけ、どいてくれ………邪魔だ、どけえええええええええええええ!」
血が混じった唾を飛ばしながら怒鳴った。驚いた顔、怯えた顔、そんな顔が一斉に俺を見た。そしてスッポリと空いた人混み。見えた、昔は病院だった建物が割れた人混みの奥に見えた。昔と同じガラス扉の入口。廃墟となった今でも合板なんかで塞いではいない。そこに木刀を持った男が1人立っていた。
ーーコイツ見張りだ
どうでもいい。そいつが何処の誰で、何歳くらいで、どれくらい喧嘩慣れして、木刀を操る術を持っているのかなんて、どうだっていい。ソイツが俺に気づいた時には、俺は走り込んでいて飛ぶ態勢に入っていた。
「て………」
てめぇ何見てんだ、って言おうとしてたのかもしれないが、飛び蹴りを食らわした俺の右足がソイツの口元に入り、ソイツは後のガラス扉を突き破っていった。そんな危ない物を背にしていたお前がバカだ。
病院跡の廃墟に足を踏み入れたが、暗い、暗すぎる。それに俺に蹴られて倒れている奴が身体のどこかに割れたガラスが刺さっているのだろう、痛がっていて他には何も聞こえない。
小学生の時に風邪をひいてこの病院に来たのを思い出した。入口から奥に向かって細長い待合室。そこには明かりが無く暗いが、外からの明かりが僅かに届き、それと目が慣れてきて、昔のまんまの長椅子が両脇に伸びているのが分かった。
向って左側に看護婦さんが患者に注射や点滴を打っていた部屋がある。そこのベットに手足を縛られた裸のオバサンがきっといる。
どうなんだ? 俺は間に合ったのか? 未来は変えられるのか?
待合室と左側の部屋には仕切る扉がない。ここからでも中が見えるはずが、真っ暗な闇しか見えない。
「んんんんんんんんんんん……」
くぐもった声が僅かに聞こえた。やっぱりここに居る。夢と同じく猿轡をかまされてる。
夢の通りなら、犯そうとしているのは2人だ。どうする?
俺が見たあの夢ーー俺は既に目の前にあるこの部屋に入っていた。何も考えずに飛び込んだのか? 縛られてるのが静香ならそうする。相手が何人いたって飛び込んで、俺自身が半殺しにされたって全員を始末する。
そんなことを考えている内に、だんだんと冷静になってきた自分に気が付いた。
待ってやる。オバサンがもう既にヤられてるなら飛び込んでも仕方がない。ヤられていないのなら、今こうしてる間にヤられるなんてことはないはずだ。奴らだって誰かが入って来たことを知ってる。あれだけ派手にガラス扉を破ったのだから。知ってて息を潜めるように黙ってる。こっちの出方を窺ってるのだろう。あながちバカじゃないらしい。
俺は自分の懐に何かが入っているのに気が付いた。浴衣なんて着たのは何年振りだろう。とにかく困ったのはポケットがないことだ。財布や携帯を入れる場所がないのだ。そこで小銭入れに数枚の千円札と小銭を入れ、それと携帯を懐に入れていたのだが、そんな所に何かを入れた事などないせいなのか意外と気になる。重いのだ。
懐から小銭入れを取り出し、硬貨を1つ手に取った。100円玉だ。もったいない、10円ってなかったかな……お、あった。
10円玉1枚をその部屋に投げ込んだ。
静まった部屋に、カーーン、カンカンカン……という音が響き渡ったと同時に、バタバタバタという足音と懐中電灯の光が床を彷徨うのが見えた。いた、出入り口の両側から懐中電灯の光が走っていた。
左足を大きく一歩踏み込んだ俺は、木刀を右に水平に振った。ここら辺だろ。
「ぎゃっ……」
手ごたえもあり、暗い中でも人が蹲ったのが分った。狙い通り顔面に入ったらしい。
そして俺は直ぐにしゃがんだ。すると頭の上の壁を何かで叩く音と衝撃。この音って木刀じゃない。鉄製のなにかだ。野郎、女連れ込んで犯すだけじゃなく、誰かも分らん人を叩き殺すつもりか。ふざけやがって……
壁を叩いたせいで手に衝撃があったのだろう。カランカランとそいつ持っていた何かが床に落ちて、俺の傍に転がってきた。やっぱり鉄パイプだ。
見えた、どういう加減か、暗い部屋でしゃがんでいた俺にソイツの足が見えた。ズボンを履いていない、素足だ。段持ちが振るう木刀を舐めんじゃねぇぞ。
ソイツの膝めがけて水平に振った。空気を切り裂く小気味いい音がした。
「あ……グ………ぎゃああああああああああああああああああああああああああ」
格闘時に棒立ちはバカだ。膝が伸びきっていたから割ってやった。こいつは完全に戦闘不能だ。
振り返ると蹲った奴がまだ呻いていた。どうやら動けるらしい。ソイツの頭か肩か、もしかしたら背中に俺は少しジャンプして膝を落とし、そして腕を掴んで肩を外した。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
懐中電灯が転がっていた。拾って点けると、ソイツらが下半身まる出しだと初めて分かった。うわ……おぞましいの見ちゃったよ。そして縮こまったブツから小便を漏らしていた。
え……間に合わなかったのか? 裸ってことは俺が着た時にはすでにヤった後なのか? いや、俺はこの場所を誰にも聞かずに来た。夢よりもずっと早く着いたはずだ。変わったはず……未来は変わってないのか。変えられないのか。
「んーーーーんーーーーーー、んーーーーーー」
くぐもった声の方に懐中電灯を向けると女の人がベットに縛られていた。夢と同じだ。手足をそれぞれベットの足に縛り付けられ大の字にされている。顔を照らすと眩しそうにしたが大橋リカってオバサンに間違いない。ウソだよ、俺は急いで来たんだ、絶対に間に合ってるはずだ。裸だけど……チクショウ……そもそもどうしてこの街にまだ居るんだ。俺は言ったはずだ、この街から逃げろって。なのにどうして……あんたが俺の言う事をちゃんと信じてさえいれば未来は変わった。なのに………チクショウ……でもどうなんだ……まだ突っ込まれてないのかもしれない。調べたら分るんじゃないか。
俺は懐中電灯をオバサンのソコに向け、そして顔を近づけると奥まで見えた。
「んーーーー! んーーーー! んーーーー!」
「うるさい! 黙れ!」
無性に腹が立つ。こっちの気も知らないで、勝手に残って……
目を凝らして見ようとしても、オバサンが腰を動かしてハッキリしない。なんだよコレ……どうなってたら無事だってことなんだ? 全然分からない。ダメだ。本人に聞くしかない。
猿轡を外すと、
「バカ! バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ………んーーーーーんーーーー」
もう一度猿轡をした。
「このままで俺帰ったっていいんだよ。俺さ、女の人を叩いたりはしないけど、フェミニストでも親切でもないから。それに自業自得だろ。俺、言ったよね。この街から直ぐに逃げろって。だけどオバサンは逃げなかった。自分で何とかするって言って。それがこれなのか? 悪いけど自分でそれを選んだとしか思えないんだよな。気の毒だとも思えない。そんなことより俺は知りたいんだ。俺が夢で見た未来は変わったのか、それとも……変えられなかったのか。オバサンのソレ見ても全然わかんない。もう突っ込まれた?」
そう言って再び猿轡を外した。
「ヤられてない!」
「……オバサン嘘つきだからな……」
「はぁああああああ! なっ、なら、どうすれば信じるの! そっ、そうだ! 夢の私はどうだったのさ? 覚えてんでしょ! それと比べたら……解んない?」
「白いのが流れ出てた」
「ぇ………マジ……それ? ………だっ、だったら分かるでしょ! よく見なさい! そんなの出てないでしょ!」
「俺が来たから途中で止めたのかもしれない。だから解んないって言ってんの!」
「あっ……あのねーーー乱暴にされたら凄く痛くて……切れちゃって血ぃ出るものなの! よく見てよ! 血も出てないし切れてもいないでしょ! だから早く隠してって……ソコ」
確かにオバサンが言う通り、血など一滴も出てはいない。
「なら……未来は変わったんだな! そうなんだよな? 変えることが出来たってことだよな?」
「そう! もう………いいよ…丸出しのままで。今更隠したって………いいだけ見られた! 奥までジックリ見られた! 私まだ33なんだからね……なんだと思ってんのさ……とっとと手足の縄ほどいて!」
オバサンが縛られていた縄をほどいていると声が聞こえた。
「おーーーーーい! 誰かいるのかーーーーーー! 誰かいるなら返事をしてくれーーー! 警察呼ぼうか?」
まずいな。警察官を呼ばれるくらいなら、下屋敷刑事を自分で呼んだ方がいい。
「オバサン、知り合いの刑事呼ぼうかと思うけど……どうする?」
「呼んでちょうだい。泣き寝入りなんか絶対にしない」
そう言えば、入口にいた見張り役の男、俺に蹴り飛ばされて呻いていたが、逃げたのか。
「下屋敷刑事、俺……春山義仁だけど、大通りの病院跡の廃墟にすぐ来れる? …………ああ、女の人が無理やり連れ込まれて乱暴されそうになってたの助けた。………え? 犯人? ああ、格闘になってここに倒れてる。男が2人。ちなみに神取一族だから、そいつら。だから下屋敷刑事に来て欲しい……ああ、待ってる」
未来は変えれるんだ。アヤだって……




