第27話 母の想い出と苦しい独り相撲
お前は今までずっとそうやってきたか。人に弱みを見せず、全てを己一人で抱え込んできたか。人に頼る術をもいつしか忘れおって……業というやつか……。お前の姉さんもここに来たことがある。あの女も業の強い女ではあったが、お前はそれ以上よ。よくぞ壊れなかったものよ……なにがお前をそこまで頑なにする。……そうか…血か……お前は血を恥じてるのか……よせ…もう止めろ。お前はお前だ。己を恥じるのはよせ………心の臓の音……聞こえるか……その音に意識を合わせろ。音は少しずつ少しずつゆっくりと時を刻み始める。そうだ、ゆだねろ、心の臓の動きに全てをゆだねろ。お前はなんでも飲み込んでしまう。もういい、もういい……周りを見ろ。お前を助けようとしてる人がいることを知るがいい。楽になれ。お前は独りではない。今も、これからも、そして今までも。母が死んだか……心に穴が開いたか……それはしかたのないこと。受け入れろ。母はお前の中で生きる。心を閉ざすな。見えるか? 見えるはずだ……なにが見える?
ボンヤリと何かが見える。
どこだ? 薄暗くてよく見えない。
俺は歩いているようだ。よく見えていない何かに近づいている。
靴? 何足もの白い靴……下駄箱だ。ここはどこだ?
幼稚園? そうだ、幼稚園だ 俺が1年間だけ通った幼稚園、そこの玄関にあった園児用の下駄箱。そうだ、紐の無い白い室内靴だった。あれ? ぼやけてきた。なんだろう? 視界の全部が滲んだようにぼやけ始めた。
俺か? 俺の目? もしかしたら涙で滲んで見えているのか?
そうか、思い出した。母さんはずっと家にいた。どこにも働きに出ることなく、いつでも、ずっと俺の傍にいた。
幼稚園に行く事になって初めて母さんから離れた。俺はそれでも泣かなかった。泣くの我慢して堪えてた。でも離れるのが怖くて、寂しくて、涙が溢れそうになって……あの時に見た幼稚園の下駄箱。涙で滲んで見えた下駄箱。忘れていた。
あれ……場面が変わった。ここは? 真っ白な煙でよく見えない。でも歩いている。妙に暑い。なんでだろう? それに凄い臭いだ。でもこの臭い……俺は嫌いじゃない。
煙が少し晴れて来た。え……ええええ!? 崖? なんだここわ? 随分と狭いところを歩いている。足元からずーーっと下が見え始めた。黄色?
思い出した。登別の地獄谷だ。いつだろう……俺がまだ小さい頃に家族旅行で行った。
硫黄の臭いだ。俺は妙に好きだった、この硫黄の臭いが。でも姉ちゃんは硫黄の臭いがダメで気分が悪くなって入口で待っていた。
痛い、手が痺れるくらい痛い。なんで? どうしてこんなに手が痛い? 誰かが俺の手を握ってるのか? そうだ、母さんだ。落ちたら助からない地獄谷。痺れるくらいギッチリと俺の手を握りしめていた。俺は……俺は…母さんに守られてると安心していた。
忘れるな、母はお前の中にいる。
ああああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……
俺はそのまま何かを抱きしめながら意識が闇に吸い込まれていった。
彩音……目覚めるまで抱きしめてやれ……
薄れる意識の中でそんな声を聞いたような気がする。
「ふ~~ん、目が覚める時って、閉じた瞼の中で黒目が動くんだ……」
「……え………ん?」
凄い至近距離に権藤彩音の顔があった。息がかかる距離で俺の顔を覗き込んでいる。
「え? アヤ……え……えええええ?」
権藤彩音が立ち上がった。何も身に着けていない。裸だ。それでも頬を染めて俺を見下ろしている。俺は目を逸らそうとしたが、見惚れた。まるで白粉を塗ったように真っ白な肌。胸やお尻は小さいが、それがかえって性別の無い妖精のようで、凄く綺麗だ。
「恥ずかしいからそんなに見るな」
「え……あ…ああ」
そして素肌に着物を羽織り帯を締めていく。どうやら家では和服らしい。
「一緒に寝てくれたのか?」
「……抱き枕にされた」
「そっ……そっか……あはははは……ところで俺どれくらい眠ってた?」
「ここに来たのが昨日の朝3時頃。今が昼の2時頃」
なに? 上手く計算できないけど24時間以上は眠ってたってことか? いや30時間以上だ。
そう聞いたら急にオシッコがしたくなった。立ち上がると、
「あ……」
「え?」
アヤがどこを見てるのか目線で分かった。
「げっ……ちっ……違う……こっ……これは…あれだ……なんていうのか……男の生理現象……って何で俺も裸なんだ?」
「寝る時は全部脱ぐの当たり前」
そう言えば通夜の時、篠原さんの部屋でも裸で寝てたのを思い出した。けど、あれって夢だよな。
「ウニみたいに女の方から覆い被さってやろうって考えたけど……我慢した」
夢じゃなかったみたい。でもなんで知ってんだ。こいつらって筒抜け? でも我慢ってなによ? なんか意味でもあるのか?
どうやら俺とアヤが見た夢に関係しているらしい。
アヤに言わせると、キセキの指導者ーー白岩万次郎という男らしいが、そこそこの力を持っているという。そして処女を生贄にナニかを呼び出すつもりがあの夢だと言う。そのナニかというのは神なんかではなく魍魎の類で、それくらいなら出来る奴はいるらしい。そして自分やテルやウミも処女を見分けることができ、白岩万次郎もきっと出来る。だから俺とするのを我慢したと。
「アイツはきっとアタシを選ぶ。でもアタシが処女でないと知れば、別の女を探す」
「アヤ……お前……」
「大丈夫、アタシの傍には春山君がいる……ふっふっふ」
どうやらあの時に俺が電話で言ったことをちゃかしているらしいが、全然笑えない。あえて狙われ役を引き受けるつもりなのか?
「あっ……やめろ! タオル引っ張んな! あーーーーーーー返せタオル」
「あはははははははははは……」
俺達はテルとウミを呼んだ。そしてアヤが殺される夢についてを説明した。
「それがこの世界から繋がる未来なのか! ふざけんな! そんなもん…変える! アタシらで変える! できるよな! この前、金山要が言ってたよな! 確定された未来なんかないって」
そう言った大国照子の目は真っ赤だった。
そこにいた誰もが強く頷いた。
「あれは使われていない学校だ。この街で使われていない学校と言えば、4つの旧中学校だと思う。俺が実際に見に行けば絶対に分かる」
「春山君やアヤちゃんが事前に見に行くのは止めた方がいい。キセキの連中が今もそこに居る可能性がある。場所を変えられたら面倒なことになると思う。アヤちゃんのとこの人の中に、旧中学校の近所に住んでる人いない?」
「うん、いると思う。聞いてみる」
「それと……夢を見た二人、それがいつなのか手掛かりとかないの? よ~く思い出して。きっと年月日に関係するなにかがあると思うの。後は、どういう訳か春山君が最初に駆けつけるのよね。でも間に合わない。それをどうにかしなくちゃ……」
「ハル、バイク乗れるか?」
「ああ乗れる。うちに125のバイクあるし、たまに隠れて乗ってた」
「ならアタシのバイク学校に置いておく。用務員のオッサンに頼めば何とかなる。でも、もしハルが家にいる時なら……その125のバイク使えるのか?」
「ああ、絶対になんとかする」
大まかな打ち合わせが終わり、俺達は権藤彩音の家を出た。テルはバイクで来ていた。ウミはアヤの家の人に迎えに来てもらっていたらしく、俺と二人で迎えに来てもらった人の車で送ってもらった。そこで後部座席に並んで座っていたウミが、
「申し訳ありませんが、ゆっくり走ってくれますか。ちょっと入り組んだ話を彼にしたいので」
「わかりました。遠回りしましょう。私のことなら気にせず話してください。聞こえたことは全て忘れます」
「あなたに色々と話さなければならないことがあります。最初に言いますが、私はあなたとセックスをしました。もし夢だと思ってたのなら違います。現実です。ただ、それは私の同情心からのものではありません。あなたが好きだからで、あなたに抱かれたいと心底思ったからです。中学生のクせにと大人は言うでしょう。近藤先生はオナニーで我慢なさい、セックスはまだ早いと言ったそうですね。私……オナニーしてます。……そっ、そんなビックリしないで……もう……言ったこっちが恥ずかしいでしょ……してるの! 悪い? でもね……オナニーなんかじゃあなたへの思い胡麻化せない。タイミングだと思う。あなたと出会ったのって小学生の時よね。でも男として見るようになったのは中2の時かな。大人がいうようにそれが早すぎるなら、いつ出会えばよかったの? どうしてこんなに早くに出会っちゃったの? 私の身体もあなたの身体も、それに耐えられえる身体になってるのに…なぜ? それとね、これは私だけの特殊な事情だけど、私…自分がバイセクシャルだと思う。恋愛の対象が男の人だけに限らないの。女の人でも性的な魅力を感じるし、恋もするの。あなた口固いし、おかしな偏見もないみたいだから言うけど、茶道部に入った3年F組の北川凛ちゃん。覚えてる? あの子から何度も付き合って欲しいって言われてる。うん、あの子はビアンなんだと思う。私ね……今から女の子と付き合っちゃったら、これからもずっとそうなるような気がする。だからって場当たり的にあなたを選んだわけじゃないの。あの夜、あなたとセックスした世界としなかった世界に別れたとするよね。ここにいる私は絶対に後悔しない。でもしなかった世界の私はずっと後悔する。それくらいあなたが好きなの。あなたに抱かれて……っていうより、あなたを抱いて、私……変われた。今の私が本当の私なの。それに……あの夜は嬉しかった。あなたが何度も私を……この話はこれでおしまい! 中体連も修学旅行もあなたが休んでる間に終わっちゃった。修学旅行は私は行ったけど、アヤちゃんも照子も行かなかったの。アヤちゃんは小学校の時も行かなかったみたいだけど、照子はね……私やアヤちゃんとは違う形であなたを愛してる。照子にとっての春山君は、異性という括りじゃないと思う。人間春山義仁なんだと思うな。お通夜の時、アヤちゃんも照子もあなたの傍には行かなかった。というか行けなかったんだと思う。ただ遠くからじっとあなたのこと見てた。照子が涙を流したのなんて私初めて見た。遠くからあなたを見ながらボロボロ涙流してた。今のあなたは少しは立ち直ったみたいだけど、あの時はとても独りになんて出来なかった。だからアヤちゃんのとこと照子のとこで、ずっとあなたのこと見張ってたの。二人とも修学旅行なんかよりあなただった。私はそんな二人に任せたの。でもね、修学旅行より、金山君も入れてウチに泊まった時の方が楽しかったな~。私たち3人は朝までずっとお喋りしてた。あなたと金山君は?……そっかやっぱり同じだったんだね。あれがアヤちゃんと照子、それと春山君の修学旅行だね。ふふふ……あの時からかな……あなたの裸すごく綺麗で…私見惚れちゃって……あれから私、自分を胡麻化すの止めたの。好きなものは好きなの。どうして自分の気持ちから目を背けなきゃならないのって思ってしまって……でも私ってズルいよね。あなたと佐藤静香さんが変わらない関係だったら…………中体連はね……特に男子バスケが……私も応援に行ったんだけど……私も泣いちゃって……最初っから照子、アタシを出せ、って頑張ったんだけど認めてもらえなくて、だけどマネージャーってことでベンチに入って、円陣にも加わって、見てる私たちにも照子の声聞こえた。ハルがいないから相手はガンガン来るぞ、お前ら練習でアタシとやってんの忘れるな、お前らはハル抜きでも強い、アタシが保証する、だからビビルな! って激飛ばしてた。午前中の2回は勝ったんだけど、午後から当たったところが私が見てもアレは汚いな~ってプレイどんどん仕掛けてきて、背が一番高い榎本君が徹底的に狙われたの。何度も何度も吹っ飛ばされて、鼻血出しても立ち上がって、最後まで走ってた。でも負けちゃって、榎本君…悔しかったんだろうね、泣いてた。それと佐藤静香さんの件は……私にはよく解らない。アヤちゃんが彼女を呼び出したみたいだけど……。でもね、あなたが佐藤静香さんと別れようとも、それとも続けたとしても、うん……私があなたを好きだってことには変わりはないの。さっきも言ったけど自分を胡麻化すの止めたの私。ねぇ……私って…ブス?」
「え………篠原さんは……ウミは美人だ。中学になってすごく綺麗になって俺……びっくりしたの覚えてる」
「そっか……良かった~。最後にもう一つ言うね。あなた……地元の高校に行かない方がいい。私ね、人を見る目はあるの。あなたはこんな街で埋もれたらダメ。もっと大きな街に出て自分がどこまでやれるのかを試さなきゃ。それだけ大きななにかを持ってる。あなたはどこに行っても、そこに居るだけで目立つよ。もっと自信を持ちなさい。ああ、そうだ照子も似たようなこと言ってた。ハルは目立ちたくないって思ってるって。あなたはどんなに縮こまったって目立つの。それがあなたなの。それにね、今のこの世界はあなたを中心に幾つかに別れようとしてる。不思議とそれが分かるの。佐藤静香さんとの世界、私との世界、アヤちゃんとの世界、それに河西早苗との世界。照子はどの世界でもあなたの傍にいるんじゃないかな。あのね~今だから言うけどね……あなたが佐藤静香さんと付き合った時に一番驚いてたのって照子なの。照子はね、あなたが私かアヤちゃんのどっちかとそうなるって当たり前に思ってたみたい。あ…着いたね私の家……分かってると思うけど、今は夏休みだからね。バイバイ……またね~」
家に着くと誰もいなかった。父さんも姉ちゃんも仕事に行ったのだろう。アヤの祖母ちゃんが姉ちゃんに「春山義仁はウチに泊まるから心配いらん」って連絡したらしいから、まぁ大丈夫なんだと思う。
自分の部屋で改めて携帯を開くと、物凄い量の着信とメールだった。
メール読むの面倒だし、ちょっと読みたくないな。でもこれからも電話掛かってくるだろうし、どうしよう? そんなことを考えながら携帯を見ていると、いきなり掛かってきて、思わず通話ボタンを押してしまった。
「もしもし、春山君だよね? 私……わかる? へっへっへ……竜ちゃんの幼馴染の岬桜子だよ~~ん。びっくりした? あの時、携帯やってあげたでしょ、番号暗記して速攻で登録しちゃった。うん、特に用事はないの。ただね、この電話番号登録しておいて、ミサキサクラコって入れて。ね~ね~高校決めた? 絶対ウチにおいでよ。青葉第一付属高校。いっしょに高校生活エンジョイしようって……できればさ~~私の彼氏として。ヒッヒッヒ。あっ、そうだ竜ちゃんの電話番号言うから、それも登録して。竜ちゃんさ~けっこう春山君のこと気に入ってるよ。それに困ったことあって連絡したらきっと力になってくれるから……うん、じゃね~また掛けるから、仲良くしよーーねーーー!」
切って登録していると、また電話がきた。今度は新井さんだ。
「あ~~よかった。やっと繋がった。もう……なにやってたのさ! 心配させないで! あんた私と9年間も付き合ってんだよ。そこらへんの奴と一緒にしないでよね! わかった?…………うむ、わかったんならよろしい。あのさ~~私もあんたと喋りたいこといっぱいあるんだけどさ~~、それは今度ってことにするから。ただね、このままはダメだわ。佐藤静香の件。あんただって分かってんでしょ? どうするにしても直接会って話さなきゃ……そこんところは逃げられないよ。だから悪いけど今日の3時に会って。佐藤静香と田川真奈美の二人が3時にあんたの家に行くから。まだ1時間あるから、ちょっと教えておくね。あんたが教室に入って来て、私に佐藤さんは? って聞いたの覚えてる? 権藤彩音に呼ばれて出て行ったって教えたよね。あんとき図書室に行ったらしいんだよね。…………え? あんたも図書室から帰ったきたばかりだったって? へ~そうなんだ。なら入れ違いだったんだね。まぁいいや。それで図書室での権藤彩音と佐藤静香のやり取り、本棚の後ろで聞いてた子がいて、その子から聞いたんだけど、泣いてたらしいよ……権藤彩音。………うんそう、権藤彩音が泣いてたんだって。泣きながら佐藤静香に、見損なった、お前がそんな女だと知ってたら、お前なんか認めなかった。アタシがバカだった。従兄妹と好きながだけヤりまくれ、ってゴム投げつけたみたい。……え? ゴムったらアレさ……男の人がつける避妊具。それで、あんたが下屋敷って刑事について行った後、大変だったんだから。佐藤静香が佐藤拓磨の所に行って、強烈なビンタ食らわせて、あんた何しに転校してきたんだ、なんで私を誘った、私があんたなんかと付き合うと思ってたのか、二度と話しかけてくるな顔も見たくないって泣きながら食って掛かっちゃって……もう酷い修羅場で近藤先生が必死に止めて、保健室に連れて行ったの。その後は、そうだ……春山……大丈夫? お母さんのこと……私もお通夜もお葬式も行ったんだけど、とてもじゃないけど春山に話し掛けられなかった。今更だけど……私に出来る事あったら言って。遠慮は無しだよ。うん……なんだか話し難くなっちゃった……でも言っとくね。お通夜の時もお葬式の時も佐藤静香…あんたが座ってる前に膝ついて、必死に話し掛けてたの覚えてる? ………そっか、やっぱり覚えてないんだ。見えてないようだった、あんたに佐藤静香の姿。他にも近藤先生や榎本君なんかもあんたに話し掛けてたけど、気が付いてないみたいだった。佐藤静香はそんなあんたの身体触ろうとしてたんだけど、躊躇って触れないようで、そんな様子見るに見かねたんだろうね、あんたのお姉さんが佐藤静香の肩を抱いて連れて行ったんだよ」
佐藤さんとはもう戻れない。本人になんて言ったらいいんだろう。傷つけたくない。会わないで済ませられないのか。俺はこのまま転校した方がいいのかもしれないと考えてもいた。だがそれは出来ない。アヤを放ってはおけなくなった。色んなことが多過ぎる。篠原朱海の顔が浮かんだ。ウミには関係ない。俺自身の問題だ。あの時、栄前田さんに言われ、新井さんにも、そして榎本君にまで言われ、俺はもう無理になった。
「ペットボトルのお茶しかないや、悪いけどこれで我慢してくれ」
3時ピッタリに来た2人を居間に案内してコップについだ冷たい茶を出した。居間は長椅子2つがL字型にあり、2人の正面に座らずに済んだ。テレビをつけようかとも思ったが、俺もそんな気分ではなかった。
「ああ、随分遅くなっちゃったけど………通夜や葬式に来てくれたみたいで………ありがとう。俺………ゴメンな……なんだか全然覚えてないんだ。新井さんに聞いて初めて知ったんだけど………色んな人……心配して………俺に話しかけてくれてたみたいなんだけど………俺…………ゴメン」
「私…………」
佐藤さんがそこまで言って両手で顔を覆ったのが目の端に見えた。俺は佐藤さんをやっぱり見れない。
「春山君……なんて言ったら良いのか………大変だったね…………」
そう言った田川さんがそのまま続けた。
「これを春山君に聞くのって何だか凄くズルい気がするんだけど………あの時、榎本君に怒鳴ったの……静香だけじゃなくて私も聞いた。私……男兄弟いないし、男の人と付き合ったことないから……男の人の気持ちって良く分からなくて………聞いたんだよね? 静香とアイツの事……カラオケ…………春山君どう思ったの?」
田川さんらしい。俺はそれを聞かれてドキっとした。ウソはつきなくない。正直に言おう。
「胸が……凄く苦しくなって………俺………自分がそういう奴だって初めて知った…………でもそれって……認めたくない自分で……だから………強がって………怒鳴って」
「……………そっ、そんな…………ごめんなさい私…………聞いちゃダメなこと聞いた…………春山君がそんなこと言うなんて………思ってなくて…………」
佐藤さんが声を上げて泣き始めた。子供のように。
「いいよ気にしなくて。俺さ………どれくらい学校休んだのか分かんないんだけど、結構長い間ひとりだったから、無意識に考えてたんだと思う……自分のこと。俺ってこんな奴だったんだって知ったこといっぱいあってさ…………ハッキリ分かった。俺は自分が嫌いだ。佐藤さん、俺じゃダメだわ。もう戻ろう。付き合う前に」
「えっ………ちょっと待ってよ。付き合う前に戻るって………別れるってこと?」
「俺………女の子と付き合ったの初めてで………変なこと言ったのか?」
そっか、付き合う前に戻るって、別れるってことか。でもなんだかピンとこない。
「待って! 春山君ずっと誰とも連絡取ってなかったでしょ! 1ヶ月以上も。それなのに勝手に結論出さないで! ちゃんと静香の話し聞いてよ。………静香、泣いてないで説明しなさいって! 静香にだって責任あんだよ! あんなヤツ……従兄弟かもしれないけどバッカじゃないの! ハッキリ言うけど…私…今でも春山君好きだから! なのに静香……すっごくムカつく……ちゃんと言いなさい!」
佐藤さんが喋るのか、あんまり聞きたくない。
「………拓磨……私の従兄弟………転校してきたばかりでこっちに知り合いいなくて…………心細いから私が面倒見なさいって……親に言われてて…………電話きたの…………クラスの何人かでカラオケにいるって…………女子もいるから私にも来て欲しいって………それウチのお父さんに言ってきて………お父さん私に行ってあげなさいって……… 次の日も…………拓磨がデユエット歌おうって………断れなくて歌ったら………腕組んできて……嫌だって言おうとしたら………俺に恥かかせるな、ここでそんなことされたらハブられるって言われて……私…………」
「やめろおおおおおおおおおおおおお!!」
自分が怒鳴ってしまったのを知った。
女を叩くのと変わらない。大声で怒鳴って怯えさせて。そんなつもりじゃなかった。でも本当に聞きたくないんだ。
「やめろ…………やめてくれ…………そんなの……俺に言うな………」
「なにそれ!……言い訳するなってこと?」
「違う! そんなの聞かされて俺…………ダメなんだって! なんでわからんのよ! くっそーーー! そいつ佐藤拓磨っていったよな! 俺はそいつが何組でどんなツラしてんのかも知らん。会ってもきっとそいつだってわからん。だから言っとけ! 絶対に伝えとけ! 俺に近寄るなって! もし俺が………アイツがそうだ、佐藤拓磨だって分かったら…………病院送りにするぞ」
俺はまくし立てていた。でも本心だ。
「え……………そんなこと……春山君……」
「俺はそういうヤツなんだ! 2年の神取ってヤツの時もそうなんだって! 佐藤さん、あんたあんとき俺に言ったよな。アイツに怯えながら学校来てるって。俺さ~、佐藤さんにも腹立った。俺があんたに好きだって言ったら、知ってたって言ってたよな、だったらなんでもっと早く俺に助けてって言わないんだって腹立って……それもあって………あの時俺………自分を抑えられないくらい頭に来て………ただあの時はアイツが弱すぎたってこともあるけど、途中からテルが来てくれたおかげで俺………冷静になれた。なんで分からんのよ! 俺………佐藤さんに嫌がることする奴らってダメなんだって! だから言うな! くっそーーーーもう遅いわ! なんで言った!」
泣いていた佐藤さんですら泣き止み、呆然とこっちを見ているようだ。見るな、俺を見ないでくれ。
暫く誰も喋らなくなった。
「わっ………わかった…………言っておくから」
田川さんがようやっとそれだけを言うとまた黙ってしまった。
「春山君…………私のこと嫌いになったんじゃないの?」
「いーーや、好きだ!」
「でっ、でも……さっき別れるって………」
「ああ、俺じゃムリだ!」
また誰も口を開かなくなった。
「春山君がさっき止めろって怒鳴った意味は分かったけど………好きだけどムリって………どう言うこと?」
「俺………面倒くさい奴なんだって。…………分かってんだよ独り相撲だってことが。でも………どうやったらその独り相撲から抜け出せるのか………分かんなくて苦しい………」
「どう言うこと?」
言いたくない。それは自分で認めたくない嫌な部分だし、言ったところでどうにかなるとは思えない。俺にだってプライドがある。
「ああ、そっか………私さっきは聞いちゃダメなものまで聞いちゃって……謝ったけど………ごめん………やっぱ聞くわ。だって静香ふられるんでしょ? なのに意味分かんないままなの? それってズルい! 言いたくないのかもしれないけど……それって逃げてる、静香から」
確かに田川さんの言う通りかもしれない。俺は格好をつけて逃げてる。だったらハッキリ言ってやる。佐藤さんが従兄弟だろうが男とデユエットするのなんて死ぬほど嫌だ。そいつとカラオケに行くだけでも嫌だ。
「知ってた。春山君が絶対嫌がるって…………私………それなのに………」
違う、そうじゃないんだ。でもいいや。俺にだって上手く説明出来ない。従兄弟とこれからもカラオケ行ったらいい。だって楽しかったんだろ。俺はいいよ。ムリって言ったのはそういう意味だ。俺は人見知りで社交的じゃない。佐藤さんの家で田川んと村上さんと一緒になったことあったけど、俺は実はああゆうの居心地が悪い。苦手なんだ。そんなヘンな奴に佐藤さんを巻き込んじゃって悪かった。俺じゃダメなんだって分かった。もっと楽しいヤツと付き合った方がいい。
佐藤さんがまた泣き出してしまった。
「ちょっと待ってよ。嫌なんでしょ、静香がアイツとカラオケ行くの。なのになんでこれからも行ったらいいなんて言うのさ。なんで行くなって言わないの。どうしてもっと静香に怒らないの」
俺は女の人を叩いたことがない。叩く男は許せない。街中でそんなの見ちゃったらきっと黙っていられないと思う。でも父方の祖父さんはそんな俺が死ぬほど嫌いな男だったと知った。祖父さんは自分の妻ーー婆さんだけでなく子供達への暴力も日常だったらしい。そんな家庭に育った父さんは絶対に手を上げない。
でも父さんは自分の妻が働きに出ることを許さない男だった。母さんがパートで働くことを許されたのは去年からだ。それも週たったの3回のパート。
そもそも許すとか許さないって何よ? 仕事をしたいならどうしてやらせてあげない。なんでそれを許さない。こんな田舎の街でずっと家にいた母さん。買い物だってたかが知れてる。それで楽しかったのか? 幸せだったのか?
俺にとって女の行動を制限する男は叩く男と同じだ。だから佐藤さんがカラオケが楽しいのなら行けばいい。相手がその従兄弟だろうと従兄弟だから楽しめるってこともあるだろうし、俺に言う必要なんかない。もし俺が佐藤さんに行くな! ダメだ! って言ってしまったら、俺は絶対に自分を許さない。
「そっ、そんな……」
「笑っちゃうだろ。俺の身体にだって、俺が死ぬほど嫌ってる血が流れるんだから大笑いだよな。でも無理なんだ。頼むって……それでなくても俺…自分が嫌いなんだ。これ以上自分を嫌いにさせないでくれ……それに……わかったろ? すっげー面倒なヤツだって。その佐藤拓磨って従兄妹の方が絶対に気楽でいい。カラオケで傍にいてそう思わなかったか? 俺なんか…」
「やめてえええええええええええええええええ!」
驚いて見ると佐藤さんだ。俺を見ながらボロボロ泣いていて、俺は直ぐに下を向いた。
それからどれくらい時間が経ったのだろう。俺は自分をこれ以上嫌いにさせないでくれと言いながら、それを言ったこと自体がそうだった。その自分の言葉に俺は打ちのめされた。まるで独り相撲。どうやったら抜け出せるんだ。
田川さんの声が聞こえた。
「え…?」
「お線香あげさせて」
「あ……そっか……うん……そうだね……あれ……どこだっけ? 和室かな?」
俺はそれすら覚えていない自分を知った。
和室に行くとそれはあった。木製の台に置かれた白い布を被ったナニかが。
そのナニかの隣には母さんの写真と蝋燭、それに叩けばリンとなる物があって、線香立ても用意されていた。
田川さんはそんな俺の言動が不思議だったのだろう。
「春山君、もしかしたら……そこにお骨あるの……知らなかったの?」
「いや……初七日とかやったから……でも……なんだろう……覚えてない……あれからずっと頭の中……心なのかな……テレビの砂嵐みたいなのが……」
蝋燭に火を点け、線香をあげながらそう言った。
「そっか……その砂嵐…消えた?」
「ああ、昨日かな……アヤの祖母ちゃんに視てもらったら……消えた」
「……アヤちゃんのとこ……行ったんだ」
そう呟いた佐藤さんが俺の次に線香をあげた。
佐藤さんがずっと手を合わせている。そんな中、田川さんが、
「お通夜の前に焼いたんだもんね……」
「ああ、ぐちゃぐちゃで修復できなくて……」
「そんなに酷かったんだ……可哀そうに……春山君……そのお母さんのご遺体……見たの?」
「うん、見た。顔が顔じゃなくなってて…姉ちゃんそれ見て倒れた。でもなんでだろう……俺……これが母さんなのかって思いながら、ずっと見てた」
「え……」
「俺ってやっぱりおかしいのかな……学校で首吊ったのあったろ。あの死体だって、近藤先生それ見て、きっと吐いたんだと思う。目が真っ赤だったから。でも俺……気持ち悪いと思ったけど……見れた。それで額と耳に特徴あるって気づいて……そう言えば、篠原朱海のとこの先代爺さんも俺のこと言ってた……お前さんならそういうの慣れるって……普通じゃないよな、俺って……」
「ちがう!! そんなんじゃない! 春山君はそんなんじゃない!」
佐藤さんがこっち向いて怒鳴っていた。
田川さんが線香を上げ終わり、
「私たち帰るね……」
玄関まで俺は見送りに出たが、そこでも佐藤さんの顔を見ることが出来なかった。
「もう私じゃ……春山君の助けになってあげれないの?」
それは佐藤さんだった。
「大丈夫、俺……全然大丈夫だから……」
いきなり引っ叩かれた。佐藤さんに。
「全然大丈夫じゃない! どうして強がるの! 私じゃなくたっていいから、誰かに助けてもらって………私……ずっと待ってる……春山君のこと待ってる……別れない! ……絶対に別れたりしない!」




