第26話 ジョン・タイターと或る別れ
時間が遅くなったこともあって俺達は篠原さんの家に泊まることになった。アヤとテルは勿論だが、俺と金山君もだ。この寺の信用・信頼は大したもので、住職の奥さんーーウミのお母さんが皆の家に電話を掛けたところ、どの親も簡単に了解した。ウチの親なんか「あんた、篠原さんに迷惑かけるんじゃないよ」なんて言ってたけど、女の子の家に泊まる事については一言も触れなかった。どうやら金山君のとこも同じだったようだ。
晩飯は篠原家は既に済んでしまったらしくーー夜の9時を過ぎていたので当然だがーーウミ・アヤ・テルの3人娘が作った。ウミならやれそうだとも思ったが、実際の所はアヤとテルの料理の腕前が凄くて、ウミはお手伝いというとこだったらしい。人は見かけによらないものだ。
献立はもしかしたら精進料理かとも思ったが、豚カツだった。現代のお寺はそんなもんなんだろう。
俺と金山君が自分達の布団をさっきの部屋に運び入れていると、アヤが俺を呼びに来た。なんだか上目使いで困ったような顔をしている。
「ん? なんか話でもあるの?」
「………照子とウニが……一緒に風呂入ろうって……」
「はぁああああ?! 俺とおおおおおおおおおおおおおお!」
「違う! アタシと! ……3人で……」
「あ~~……だよな……っで?」
「………裸…見られちゃう……生えてないし……」
なんで俺に相談するかな。そんなの聞かれても俺だって困る。だけど3人でなんか入れないだろ、銭湯や温泉じゃあるまいし。自宅の風呂なんて2人だって厳しいんじゃないのか?
「風呂……2つあるらしい。1っこは普通の風呂。もう1っこは来客用でバカでかいって」
「まじ……すげぇな。だったら入らなければいいだろ」
「ムリ……照子にマッパにされる」
「あ…あ~~……テルならやりそうだな。身体洗うタオルで隠せば? タオルぐらいあるんだろ?」
「男は隠してるのか? ……そっか……女も同じかな? 照子やウニも隠すのかな? ……でも湯船にタオル入れたらダメって聞いたことある」
「………そん時は……あれだ……手で隠せば?」
「……そうするかな……へんじゃないよな?」
「う~~~ん……男風呂でも微妙に手で隠してるオッサン見た事あるから……」
そう言ってやるとチョっとホっとしたような顔で戻って行った。
部屋に戻って布団に寝転がると、どうしてもさっきの話が思い出され、金山君に改めて聞いてみた。
「河西さんは未来を覗いてきたって言ってよな……それって金山君はどうしてそう思った?」
「阪神の優勝かな。実は僕、阪神ファンなんです。今年の阪神は凄い……でも去年もスタートダッシュは良かったんだよな~~。星野監督になって開幕7連勝だよ。っで4月5月とジャイアンツと首位争いしてたのに……6月なんて8連敗して4勝13敗……勝率2割3分だよ2割3分……ガッカリ通り越してビックリだって。あとはいつものパターンで結局は4位。もう最初の勢いは何だったんだって、期待した分よけいにガックリしちゃって。でも今年は凄い。4月が15勝9敗1分で5月がなんと18勝6敗だよ18勝6敗。勝率7割5分。凄いと思わない? 10回やって7回以上勝っちゃうなんて普通ないって。もう無敵だよ無敵。これってホントにイケると思うんだけど、河西さんの……あれって予言だよね。阪神の優勝を言う人は結構いるんだけど、2位と16ゲーム差で優勝なんて、結果を知っていなければ言えないよ。どんなに阪神命の人だって言えない。それに日本シリーズでダイエーに負けて、来年からは再び優勝できないチームに戻っちゃうなんて……どれを取ってもプロ野球ファンの人から大笑いされる話だよ。毎年テレビで占い師が優勝チーム名と2位とのゲーム差を占うって番組あるけど、どの占い師も特にゲーム差については当たり障りのない事しか言わない。それとね……これはチョっと言い難いんだけど……お医者さんごっこってさ~~僕らの世代でその遊びって物凄く珍しいと思う。ハッキリ言っちゃうけど、この学校ってひと学年が300人だから全部で900人もいるけど、お医者さんごっこしたことあるのって春山君と石橋さんしかいないんじゃないかな? だってさ~~僕らってどの家にもテレビゲームがあって、物心ついた頃から友達とテレビゲームやってたよね? そんな環境で育ってるのに、お医者さんごっこって凄く珍しい遊びを実際にやってたのが春山君だって知ってたわけでしょ? ありふれた遊びなら分かるけど……別の世界で春山君と河西さんがやったとしか思えない」
そうなのか? そんなに珍しい遊びなのか? なんだか幼い頃の俺は強烈にエッチだったって言われてるみたいだ。いや、ノブエちゃんの話だと、俺は恥ずかしがっていたがノブエちゃんがノリノリで自分で全部脱いで患者役をやってたって言ってた。うん、ノブエちゃんが超スケベだったんだ。
「ところで春山君はジョン・タイターって知ってる? ……そっか…知らないか……2000年にアメリカの大手掲示板に現れた人。………うん、インターネットの掲示板。自分は2036年からタイムトラベルしてきたって。最初の書き込みでは確か……自分は1998年生れのアメリカの男性で、最初は1975年にタイムトラベルをして次に2000年に来た。IBM社製のコンピューターIBM5100を探してる。それがないと自分がいた世界が危ない、2038年に世界は滅びるって。それと2036年に自分がいた世界とタイムトラベルしてきた2000年は違う世界だ、って書いてたはず。要はね、前にいた世界とこの世界は別の世界、パラレルワールドだって言ってた。面白いのが2000年問題なんですよね。僕たちの世界でも結構な話題になって、僕のお父さんも2000年の1月1日は出社してパソコンの起動状況や社内イントラなんかを確認しに行ったの覚えてるけど、べつだん問題なく2000年1月1日が過ぎていって、それって世界中がそうだったんだけど、ジョン・タイターのいた世界では2000年にコンピューターの誤作動が起きて、2038年にまた誤作動が起きたてるんだって。っでその誤作動を防ぐにはIBM5100というコンピューターが必要だって言ってて、そのコンピュータって1975年に開発されてて、だからジョン・タイターは最初に1975年に飛んだらしいんだけど、その古いコンピューターにね、古いプログラミング言語を解読できる隠し機能があるらしくて、その隠し機能を使うことで2038年問題を解決できる。だからIBM5100の回収を目的にタイムトラベルしてきたんだって。っで彼はね、その後も何度かインターネット上に現れて、いろんな質問に答えてるの。それってジョン・タイターにしてみたら過去の出来事なんだけど、こっちの世界にいる人にとっては予言だよね。けっこうあって僕が覚えてるのは……近いうちにペルーで大地震が起きる。核兵器を隠し持っているという理由でアメリカがイランを攻撃して第二次湾岸戦争となるが核兵器は発見されない。アメリカで狂牛病が発生する。2005年にアメリカで内戦が起きてアメリカの都市部は警察国家になる。2008年に世界恐慌が起きる。2009年に中国が日本・韓国・台湾・北朝鮮に攻め入る。2011年にアメリカが内乱によって解体されてアメリカ連邦帝国ができる。2015年に第三次世界大戦が起きて中国が日本や韓国を併合しようとするがオーストラリアが中国を撃退。だけどロシアに敗れ、第三次世界大戦はロシアの勝利で終える。あと日本に関係するのは……2008年に関東大震災が起きて、これが切っ掛けで世界恐慌になる。それと2020年頃に日本は3つに分かれて首都は岡山。実は僕、ジョン・タイターが未来人であるというのは信じていないんです。確かに予言の中で現実になったものもあります。例えば第二次湾岸戦争なんかは今年の3月に始まってますけど、1990年から湾岸戦争は勃発してますし、イランに対しての国連の査察もずっと拒否されてましたから国際情勢に詳しい人なら、アメリカはきっとやる、って思っていたでしょう。それとIBM5100には確かに古い言語を解読する機能がついていたらしく、それはIBM社の中でもトップシークレットだ、と一部の人たちは言っていたようですが、だけどこの情報って1990年代に公表されてたんです。ですので誰でも知りえた情報だってことです。それとペルーの大地震ですが、確かに2001年にマグネチュード8以上の巨大地震が起きてますが、チリという国がある所は地殻活動が活発でしょっちゅう大きな地震が起きてます。1980年代にも1990年代にもマグネチュード8クラスの地震が。だから近いうちにチリで巨大地震が起きるなんてことは僕にだって言えます。でも彼は興味深いことを言ってるんですよね。エヴェレットの多世界解釈は正しかったと。彼が元いた2036年、それと最初に飛んだ1975年、それと掲示板に書き込んでいる2000年は全て別の世界、パラレルワールドだと。ただそこで、その書き込みを読んだ人から的を得た質問があったようです。IBM5100を見つけて2036年に戻ったとしても、そこは別の世界の2036年なのでは? だとするとあなたは元いた世界を救えないのでは? 彼はこう答えてます。おそらく自分は元いた世界の2036年には戻れず、別の世界の2036年にIBM5100を届けることになるだろう。だが無数にある世界のどの世界でも、そこにいる私がIBM5100を回収して戻るから、全ての世界にIBM5100は届けられるはずだと。これは多重世界を肯定している数多くの科学者でも賛否が分かれるとこです。さっき皆がいる場でも言いましたが、どの世界でも大きな違いは無く、似たり寄ったりの未来に行き着くという考え方で、僕に言わせるとそれは単なる運命論にすぎない。ジョン・タイターが本当に未来人でIBM5100の回収という極めて重要な任務を帯びていたとします。僕の考えでも彼は元いた世界の2036年には戻れず、別の世界の2036年に行ってしまう。っで彼が元いた世界はどうなってしまうのか? 誰もIBM5100を届には来ない。そしてその世界は………滅びる。それしかないと思います。そもそも彼の理論には重大な欠陥があります。今僕たちのいるこの世界では2000年問題が懸念されたけど実際には起きなかったんです。でも彼がいた世界では起きた。コンピューターの誤作動って21世紀では大変な問題です。コンピューター制御されているモノは知らない間にに多くなっていて、それが誤作動を起こしてしまうと人の命に係わる事が沢山起きます。ですからこっちの世界と彼がいた世界では、2000年の1月で生き残った人、死んでしまった人に相当な違いがあるはずなんです。同じ未来に繋がる訳がないんです」
湯船の中で金山君が言っていたことを思い出していた。
金山君は、ジョン・タイターのような規模の大きな話の方が信じてしまう人が多いが、河西さんの言ったような身近な話の方が信憑性が高いと感じる、と言っていた。それに過去は変わる、そして変わった分だけ世界は増えていく。その結果、それぞれの世界は再び一つになることなく別の未来を目指して行く。
頭や身体を洗い終えた俺が扉を開けて脱衣場の戻ると、そこには、居た。アイツらが。三人娘だ。アヤとテルとウミがしゃがんでこっちを見てた。
「え………」
こういう状況に遭遇すると一瞬頭が働かなくなるのだと初めて知った。
ーーなんでここにアイツらがいる?
ーー俺はどうすれば?
俺はバカみたいに呆然と突っ立ていた。
「ほ~らアタシが言った通りだ。ハルはムケてるんだって!」
そう言った大国照子が指をさしていた。
その隣には真っ赤な顔の権藤彩音が、アッチを見たりコッチを見たりしながらも、俺を見ている。
篠原朱海は身を乗り出し、黙って俺を凝視していた。
「おっ……お前らああああああああああああああああああ!!」
慌てて股間をタオルで隠しだが……なんなんだこいつら。
「アタシは別に見なくたって解ってたけど、朱海が見に行くっていうから、うん、付き合ったんだ」
「ふん! そうよ! 私が見たいって言いました! けどアヤちゃんだって見たかったんでしょ!」
「……うん」
部屋に戻ると金山君が、
「風呂入んなくて良かった~~」
しみじみ言っていた。
数日が経った昼休み。トイレからの帰り、
「ケンカだケンカ! 女どうしが取っ組み合いのケンカ!」
「生徒会長の神取美香と風紀委員長の栄前田椿が…もうメッチャクチャ!」
それは2階から3階へと昇る階段の踊り場でやらかしていた。俺はそこを通らなければ自分のクラスに戻れない。
「あんたが岡田とヤってたのなんてバレバレなんだって! とぼけるのもいい加減にしろ!」
「冗談じゃねぇって! 処女の私がどうやってヤったっていうのさ! 処女膜検査だって受けてんだよ、こっちわ!」
「そんなもん普通の中学生が受けるか! どうせ再生手術でもやったんだろ! ヤリマンのインバイが!」
「なら証拠出せよ! どうせオナニーばっかやってる欲求不満の妄想だろうが! 出してみろって証拠ってやつをよーーー!」
互いに髪の毛を引っ張り合って口汚く罵りあっている。大勢のギャラリーが3階と2階からそんな女どうしの醜い争いを面白そうに見ていて、その数はどんどん増えて行く。職員室は遠いし、先生なんかを呼びに行く生徒はきっといない。どうでもいいけど誰か止めないのか? こいつらって友達いないの?
どっちかがどっちかの頬を叩いた。すると泣き出すかと思ったら更にエキサイトして叩き返し、もうどうしようもない。
「もう止めれ! みっともないわ……離れろって! いや……だから髪の毛離せ! お前もだ!……え? ………お前………」
髪の毛がグチャグチャになり、唇から血を流す神取美香の顔を見て、俺は思い出した。
ーーこいつ、アノ女だ。
今の神取美香の顔は、屋上から落ちて頭が割れ、脳を滴らせながら俺に向かって顔を上げた、アノ女。アイツが神取美香だと分かった。
「お前だったのか! うっ……」
神取美香に急所を蹴り上げられた。モロに入り、床に手を付き蹲ってしまった。
「ぇ………春山君? 春山君だよね? 大丈夫?」
そう言ったのは風紀委員長の栄前田椿のようで、俺の股間を蹴り上げた神取美香はとっとと行ってしまった。
膝をついて苦しむ俺の顔を覗き込む栄前田さんが、そんな俺の背中をさすりながら、
「だっ、大丈夫? ……痛いの? ……どうしよう……どこ? どこが痛い? え? なに? アソコ? アソコって……股間の…アソコってこと? ………えっ…そうだってこと? 喋れないの? うそ、そんなに痛いんだ。その……アソコ擦った方がいい? え? いらない? そっか…そうだよね、それってへんだもんね。立てる? 私、春山君に話しがあってA組に行く途中だったの。ちょっと人のいないとこの方がいい話なの。図書室…行ける? 私の肩に掴まって。……うん……そう」
右手で股間を押さえる俺は、左腕を栄前田さんの首に回し、腰を引き加減でヨロヨロ歩いて行った。廊下にいた奴らがどんな顔で俺を見ているのか分からないが、そんなの気にもならないほど苦しかった。
図書室の椅子に隣同士に座ると、さっそく栄前田さんが話し始めた。
「あのね……余計な事かもしれないんだけど………春山君知ってるかな~って思って………うちのクラスに今年転校して来た佐藤拓磨って知ってる? ………そっか……やっぱり知らないんだ。佐藤静香さんの従兄弟。うん、苗字おんなじだから父親同士が兄弟なんだろうね。けっこうイケメンで女子に人気あって………でも私は嫌い。いっつもニヤニヤして、なんか自分がモテるってこと意識してるみたいで………その佐藤拓磨がね、うちのクラスの何人かとカラオケ行ってるみたいなの。この街にもカラオケ何軒かあるでしょ。以前は高校生が怖くてうちの生徒誰も行ってなかったのに、春山君と大国さん……やっちゃったでしょ。アレから行ってる生徒いるらしいの。今じゃ佐藤拓磨なんて毎日みたいで、一緒に行ってる連中に男子もいるんだけど女子も何人かいて……佐藤静香さんも入ってるみたい。結構遅い時間まで遊んでるって聞いた。………っで佐藤拓磨が狙ってるのって佐藤静香さんだって皆んな言ってるよ。何曲も何曲も二人でデユエットして、それもべったりくっついて歌ってて……佐藤静香さんって春山君から乗り替えたんだって思ってる人までいるけど………春山君……もしかしたら別れた?」
俺はなんて答えたらいいのか解らず言葉が出なかった。
「ぁ…………やっぱり知らなかったんだ。私………え? ちょっと春山君まって…………」
自分の顔が赤くなったのが分かった。どうしてそうなったのか分からないが、そうなった自分が凄く恥ずかしくて、いや、佐藤さんが知らない奴とくっついてデユエットしてることが恥ずかしかったのかもしれないし、夜遅くまでカラオケに行ってることを聞かされるまで知らなかった事が恥ずかしかったのかもしれないけど、それ以上聞いていられなかった。
まだちょっと苦しかったが俺は教室に急いで戻った。だが佐藤さんの姿が見えない。新井さんに、
「佐藤さん知らないか?」
「さっき権藤彩音さんが呼びに来て出てったよ。ところでさ~………春山って知ってんの? 佐藤拓磨って転校生のこと。佐藤静香さんの従兄弟らしいけど………凄い噂になってるよ………」
やっぱり何て答えたらいいのか分からず黙ってしまった。
従兄弟だろうと佐藤さんが男とくっついてデユエットするなんて凄く嫌だ。男とカラオケに行くのですら嫌だ。でも、俺が嫌だからってヤメさせるのか? 佐藤さんを縛るの? 俺にはきっと出来ない。
俺は女を叩く男が死ぬほど嫌いだ。だけど叩く男は必ず同じことを言う。好きだから叩くんだ、俺の言うことをきいていればいいんだ、って。女の人の行動を制限する男って叩く男と変わらない。俺には無理だ。自分で自分が許せなくなる。
佐藤さんだってカラオケが楽しいんだ。従兄弟とデユエット歌うのも楽しいんだ。俺と一緒にいたって、きっと楽しくない。
「おい春山! あの佐藤拓磨って転校生なんなのよ!」
今度は榎本君だ。
「今トイレに行ったら、あのやろう誰かに自慢げに言ってたんだけどよ……佐藤静香を絶対落とすって……あんなヤツ半殺しにしてやれって!」
もうダメだ、我慢も限界だ。
「うるせえええええええ! 佐藤静香が誰と楽しんで、誰とやろうが俺に関係ねぇだろうが! そったらもんは佐藤静香が自分で決めればいいんだって! お前らなんでいちいち俺に言うのよ! うぜーーーわ! 面倒くせーーこと俺に言うな! その佐藤拓磨って奴に言っとけ、佐藤静香と楽しみたいならそうすればいい。俺は………俺は……そういうの……面倒くせーーんだって!」
教室の入り口に佐藤静香がいるのが目に入った。今俺が大声で怒鳴った事は聞いたはずだ。きっと教室から出て行くんだろうな。もうどうだっていい。早く行けよ。俺に話しかけるな。話しかけられたら俺はもっとお前を傷つける。
「私……」
クラスの誰も口を開かない中で佐藤静香の呟くような小さな声が聞こえた。
やめろ、俺に話しかけるな。なんで教室から出て行かない? いいよ、だったら俺が出て行く。
「待って………行かないで………お願い……」
「春山君! 春山君はいる!」
それは教室に飛び込んできた近藤先生だった。そして俺の姿を見つけると、
「直ぐに帰る支度して! お母さんが車に撥ねられたって……… 私が車で送るから今直ぐ準備して!」
母さんが撥ねられた?! 大したこと無いんだろ? だって朝、俺が家を出る時……あれ? 母さん、何て言ってた?
「春山君! 春山君! なにやってるの!」
「支度なんていい、そのままで来なさい。パトカーで送りますから」
「下屋敷刑事………どうして」
「この街の病院では手に負えないらしく、脳外科のあるアノ街の総合病院に搬送されたようです。春山君とにかく来なさい」
俺が教室から出て行く時、目の端に佐藤静香が見えた。何かを言っているようだった。でも俺は彼女の顔を見ることが出来なかった。
病院に着くと、手術室前の廊下に父さんと姉ちゃんがいた。長椅子に力無く座っている父さんと、姉ちゃんは別の長椅子に横たわっていた。俺が来たのも気が付かない。
「母さん……死んだの?」
「………ああ、義仁か……………ほとんど即死だったらしい」
頭蓋骨陥没骨折で脳の機能が全くダメで手の施しようが無かったらしい。
「顔は…………見ない方がいい。潰れてて……グチャグチャになって……」
「……父さんと姉ちゃんは………見たの?」
二人とも見たと言う。姉ちゃんはあまりの惨たらしさに倒れかけてしまい、それで今も横になっていた。
俺は母さんが死んだということが理解できなかった。ストンと来ないって言ったらいいのか、とにかく整理できない。そもそも死ぬってなんなんだ?
気がついたら母さんの死に顔を見てた。だがそれは顔と呼べるモノではなかった。正面から潰され、顔のパーツの全てがめり込んでしまったのか、耳しか判別できるものが無いありさまだで、気が付くと俺は廊下の長椅子で父さんの隣に座っていた。
しばらくすると武者小路の爺ちゃんと叔父さんーー母さんの弟が来て、色々と父さんと話をして、それから3人で何処かに行った。
「修復は無理らしい………だから焼いてから通夜、葬式になる……お前たち……それでいいか? しかたがないんだ……」
どれくらい経ってからだろう、父さんがそう言った。
「うん……それしかないよね」
俺の直ぐそばからの声に、見ると、姉ちゃんだった。いつの間にか姉ちゃんが俺の隣にいて、俺の肩に頭を乗せていた。
気が付くと焼き場にいた。
「赤の会の車が突っ込んできたんだって。運転してた奴も自分の不注意認めてて現行犯逮捕されてるから……あえて司法解剖なんてやらなかったみたい………火葬場……今日だったら空いてたらしい」
そう言ったのはきっと姉ちゃんなんだろう。
焼き上がった骨を父さんと俺と姉ちゃん、それと武者小路の爺ちゃんと祖母ちゃん、叔父さん夫婦の7人で拾った。自分が何をしているのか分からない。この骨が母さんなのか? そうだ、今日学校行く時、母さん何て言ってたんだっけ? 今日って母さんパートの日だったか?
目の前に巨大な祭壇がある。黒い額縁に入った母さんの写真が真ん中にある祭壇。俺はここで何をしてるんだろう? 学生服着てるけど学校行ったんだったか? ああ、そうだ、母さん死んだんだ。あれ? それっていつ? 今日?
目の前で坊さんがお経をあげていた。そうか……通夜か葬式なんだ。なんだか現実味が無い、不思議な気がする。
隣に姉ちゃんと父さんがいた。大勢の人が俺達に頭を下げる。そして祭壇で焼香をあげていた。誰かが何かを言ってきた。きっと姉ちゃんか父さんに話し掛けているのだろう。死ぬってなんだろう。生きるって…
「春山君……私のこと分かる?」
見上げると篠原さんだった。そして彼女は泣いていた。
見渡すと式は終わったのか、椅子に座っているのは俺だけだった。
自分の胸に俺の顔を押し当てるようにして篠原さんが俺を抱きしめた。
「今日はお通夜だよ。3年A組の全員、それに他のクラスも大勢来てたんだよ。春山君のお父さんの知り合い、お姉さんの知り合い……それに武者小路さんの関係の人……もの凄い数の焼香の人で、すごく盛大なお通夜……きっと春山君のお母さんも喜んでると思う……でも……悲しいね……泣いていいんだよ……いっぱい泣いて……胸の中のもの吐き出さなきゃ………」
そうか、篠原さんのお寺で通夜をやったんだ。
「お母さん……もうお骨になっちゃったけど…お通夜だから……親族の皆で線香絶やさないようにしなきゃね。春山君……私の部屋に来てもいいんだよ。私…今日は眠らないから……いつでも来て」
俺は眠っていたのか? ここってどこだろう?
「目…覚めた?」
篠原さんだった。
「私……春山君と……してもいいよ………っていうか…しようと思って……でも…できなかった。眠ってる春山君……すごく辛そうで………」
みると毛布の下の俺は何も身に着けてなくて、それは俺の隣から起き上がった篠原さんもだった。
「春山君、泣いてないでしょ。それって苦しいよ……感情を表に出して………私の身体……使っていいよ。私……初めてだから上手くできないだろうけど……」
そういった篠原さんが覆いかぶさってきた。
気が付くと大きな祭壇の前の椅子に座り、お坊さんのお経を聞いていた。隣には姉ちゃんがいた。
「今日って……」
「うん……告別式……これで終わりなんだね」
なんだろう、全てが夢の中にいるような、膜に覆われているような、そんな感じがする。俺生きてるのかな。
喪主の父さんから順に祭壇の前に進み焼香を始めた。
姉ちゃんの番だ。背中が震えていた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ……いやだあああああああああああああああああああああああああああああ」
姉ちゃんの慟哭が響き渡った。
繰上げ法要っていうのもやった。そして今は家にいる。誰も何も喋らない居間でテレビがなにかを伝えていた。
毎日誰かがやって来たみたいだ。チャイムが聞こえるからそうなんだろう。俺は自分の部屋でずっと天井を見てた。今日が何日なのかもわからない。暗いからきっと夜だ。
「明日の午前中お坊さん来るからね。あんたも起きてなさいよ」
姉ちゃんからそう言われ、聞くと、明日が初七日だという。
「私もお父さんも初七日終わったら仕事に行くけど……あんた学校どうする? しばらく休むならそれもいいんじゃない。父さんには私から言っておくけど……。あ~しばらくは私この家にいるから」
いつ起きて、いつ飯を食って、いつ寝たのかハッキリしない。俺……どうしちゃったんだろう。
「明日の午前中お坊さん来るよ」
その台詞、前にも聞いた気がすると言うと、
「それは初七日の時でしょ、明日はふた七日…………ねぇ、あんた転校したら? 私のアパートで一緒に暮らせばいいんだよ。どうせ後何ヶ月かしたら卒業なんだし、向こうの方が高校沢山あるし進学校だってあんたなら行けるでしょ。この街にいたって………直ぐに決めなくたっていいけど………考えといて」
どうやら母さんが死んで14日になるらしい。
「春山君、ほらボーーーっとしてないで歌えよ。なんかあるんだろ、得意なヤツがよ~」
見ると北旺の人だ。名前なんていったっけ?
「ね~ね~竜ちゃん、彼ってマジで中坊なの? 全然見えないし、意外とタイプなんだよね~私。お持ち帰りしてもいいよね」
「勝手にやれば。でもよ~中坊は中坊でも佐舞久留中の3年だせ。例の3人娘と同級生で、どんな関係なのか分からんけど………結構深い関係だと俺は睨んでんだ」
「ふ~ん……そっか……」
今しゃべった女の人が歌っていた。ここはカラオケ屋らしい。そう言えば汽車に乗ったのを覚えていた。でもどうして北旺の人と一緒にカラオケに来たのか思い出せない。
「な~春山君よ~、えらい元気ねぇけどどうした? 駅で偶然見かけた時もなんだかフラフラしちまってて、こりゃ~放っておいたらマッポに連れてかれちまうと思って、ここに連れて来たんだけど……悪かったか?」
「いや………大丈夫……母さんが死んで………なんだかあんまり覚えてない……」
「死んだ? 最近か………病気だったのか?」
「車に跳ねられた……赤の会の車らしい」
「……ああああ、そう言えばニュースでやってた。あれって春山君のおふくろさんか!」
「でもアレって結構前だよね……6月じゃなかった? 今日って7月20日だよ。もしかしたら……君ってマザコン?」
「やっぱ女には分かんねぇだろうな。男ってな………なんて言うのかな~………母親って、それがどんな母親だって特別なんだよな。それをマザコンだって言うんなら男は全部そうだろ。俺も中3の時におふくろ死んじまって……病気だったから覚悟は出来てたんだけど………いざ死んじまったら……キツくてよ………何日も泣いた」
「そっか…………そうかもね………ヘンなこと言っちゃってゴメンね。春山君だっけ? 君ってお母さん死んでからちゃんと泣いた?」
「…………どうだろう……………覚えてない」
どこだ、どこにいる? どこに連れてった?
必死に走った。誰もいない校舎の中を。
次々と戸を開け放ち中を窺うが、誰もいないどころか、どの教室も埃だらけで人の出入りがあったとは思えない。
体育館か?! どこだ、体育館はどこにある?
廊下に面した窓から外を見ると、向こうの棟が体育館らしい。
遠い、ずいぶんと走った。つまずきそうになる。もっと早く走れ、動け俺の脚。間に合う、きっと間に合う。
体育館の扉を開けると、そこには異様な奴らがいた。白いマントに白いフード姿の奴らが何人もいて、いっせいにこちらを向いた。こいつらが連れて行きやがった。そいつらの隙間から床に何かがあるのが見えた。木刀を持つ手が震えた。
雄叫びを上げて突っ込んで行った。
一人目の喉仏に突をブチ込んだ。口から血が噴き上がったのが見えた。そいつが死のうが構わない。二人目も突き、三人目も突いた。他の箇所は狙わない。ひたすら急所を剣先で突きまくった。どいつも口から血反吐を噴いてぶっ倒れ、のたうち回っている。
残りの奴らが後退り、さっきまでそいつらが取り囲んでいた何かが見えた。
アヤ、権藤彩音だ。
ひっくり返した卓球台の上で素っ裸に剥かれた権藤彩音が大の字に縛られていた。真っ白な肌が薄暗い体育館の中で光を放っているように見えた。
股間から血が出ている。真っ白な肌に不釣り合いな血。ダメだ、流れ出る血を止めなきゃ。手で押さえた。だがおかしい、彩音が動かない。声も出さない。
胸に何かが置いてあった。なんだ? それはなんだ? 柄? それって短剣の柄なのか? 胸に深々と短剣が刺さっていた。
「アヤネエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
「………………あーーービックリした、もう………心臓止まるかと思ったーーー! 急に黙ったと思ったらいきなり叫び出して………どうしちゃったの?」
「…………夢………」
「ぇええええ? 夢? なにそれ~? 夢って眠って見るモノでしょ。春山君眠ってたの? 今さっき喋ってたでしょ。確かにちょっと目ぇ瞑ったみたいだけど、それって5秒もなかったって」
「お前は黙ってろ! 春山君……見たのか夢? どんな夢よ? 覚えてるか?」
「権藤彩音が…………殺された」
「なっ………なに?! 誰によ?」
「解らない………白いマントに白いフード………大勢いた」
「それって、キセキだろ。………………え? 知らんのか? あんたが住んでる街のことだぞ! あら………この街は神に選ばれたのです、って言ってる連中の事は知ってるよな? あいつら最初はバラバラで、それぞれが勝手に神だの救世主だの喚いてたんだけどよ~、白岩なんだかって奴が現れてから急に一つに纏まったって聞いた。っでそいつら皆んなその白岩って野郎の服装真似て、白いマントに白いフード被って………っで自分たちのことキセキって呼んでる」
「ウソだ………そんな…………今の夢もそうなのか? ただの夢じゃないのか? …………アヤに電話しなきゃ………無事なのか?」
携帯を開くと充電が切れていた。
アヤの携帯番号………ダメだ思い出せない。
「これ使って、充電アダプター。コンセントはそこにあるから」
アダプターに繋ぎコンセントを差すと、設定の画面が表示された。
「これってどうやるんだ?」
「貸して、やってあげる………………………………………ほらいいよ使って…………でも今って夜中の2時だよ………」
1度目の通話音で出た。
「アヤか? アヤなんだな! 無事なんだな!」
「春山君も見たのか………夢。ならこの世界から繋がる未来ってことか………」
「なに言ってんだバカやろう。お前が殺される訳ないんだって! 俺がいる。俺がアヤの傍にいる。今からそっちに行く。どこにいる?」
「どこって………自分の部屋で寝てた。いいよ、春山君はそこにいて。迎えをやる」
「え?…………あ………切れた」
「春山君………やっぱあんた権藤彩音さんと………」
北旺の人がそう言いかけていたがノックの音で遮られた。
扉を見ると、こっちが返事をする前に開けられた。
「彩音様に言われ迎えに来た者です。春山義仁さん、来てもらえますね?」
北旺の人と女の人はあまりの事に立ち上がっていた。
「あ………俺………行くわ。………でも………ありがとう………俺みたいなヤツ放っておけばいいのに、一緒にいてくれて………あの………名前聞いても………」
「え…………俺? あ………ああ、名前な………言ってなかったか? 片山竜一………そっか……行くのか………また来いよ」
「私の名前も覚えといて。岬桜子。青葉第一付属高校2年だから、もしかしたら来年は同じ高校になるかもね。竜ちゃんとは幼馴染なの」
権藤彩音の祖母ちゃんが目の前に座っている。
「もっとこっちに寄りなさい……頭を下げ……目を閉じるがいい」
下げた俺の頭にそっと手が添えられた。温かい。




