第20話 初めてのデートとホクロ
電話は一方的に切られた。俺は話についていくのがやっと、というよりは、ついていけなかったこともあって満足に喋っていない。そんなこともあり暫く呆然としていたのだが、我に返ると無性に腹がたった。
あの野郎、言いたいこと言ったら切りやがった。ふざけやがって、クラクラするほど頭にきた。絶対に許さねぇぞ、河西早苗。隣の隣に住んでるはずだ。時計を見ると夜中の2時になろうとしていた。これが昼間だったら俺はアイツの家に飛び込んでいたと思う。なんで佐藤さんのこと悪く言うんだ。佐藤さんがアイツに何をしたって言うんだ。絶対に何もしてない。だったらなぜ? どうして目の敵にする? ダメだ、佐藤さんを一人にしたくない。
ーー俺だけど、明日の日曜、映画に行くぞ。AM10時ごろ迎えに行く。
俺はメールを送った。佐藤さんの都合なんか聞かなかった。送ったメールを読むのが今でなくたっていい。明日の朝起きた時に読んだっていい。明日はとにかく俺と一緒に居ろ。
俺は佐藤さんのこと悪く言われると驚くほど切れるらしい。そんなことが頭に浮かんだが、だからといって冷静になれる訳でもなく、更に怒りが増してきた。頭に来たからってそれがなんだ。俺が怒らないで誰が怒る。そうだよ、俺が今猛烈に頭に来てるのは正当な怒りだ。
ベットに寝転んだが怒りで眠れる訳がない。そして眠ろうとも思わなかった。
クッソ~~あの女……何が阪神が優勝するだ。俺はプロ野球なんかに興味がない。だから阪神フアンにとって奇跡の年だろうがどうだっていい。おまけに中学生のくせにヤりたがってるだの誘ったら即OKする女だの、そんなことまで言いやがった。テメェに佐藤さんの何が分かる。
ーーお前のこと死ぬほど好きだからな、忘れるな!
怒りに任せてまたメールを送った。佐藤さんに。
あの女、ほかにも何か言ってたな……そうだ、大安とか……雪とか……日時も言ってた。確か……2016年4月21日って言ってた。今から13年後だ。あれ? それってなんの日?
佐藤さんのことを悪く言われたせいでブチ切れた俺は、それ以外の話なんてふっとんでいた。
血痕? いや結婚だよ結婚。誰と結婚するってよ? え? 俺と? そうだよ、あの腐れ女、俺と結婚するとかほざきやがった。お医者さんごっこの件ですら狂ってると思ったが、今度ははそんなもんじゃない。そもそも結婚したら毎日するんだろ? 冗談じゃねぇぞ。なんで俺が河西早苗としなきゃならないんだ! 俺にだって選ぶ権利てやつがあるだろ。権利って言葉嫌いだけど…。挙句の果てにはゴムを使えだあああ! 舐めやがって、俺は決めた。絶対に使わない。ふざけんな!
「ぁ………ぁぁ………………あっああ」
ここってどこだ? 天井?
「え……? ええええ?」
俺は眠ってたのか?
「今のって……夢? だよな……佐藤さんと……した……すごくリアルだった。でも違う……あれは……大人の佐藤さん…だった……今の佐藤さんじゃ……ない」
ベットの上で声に出していた。
「あ! なに? ぇ? えええええええ? うそだろ」
ベットから飛び起きた俺は、恐る恐る穿いていたパンツを調べてみた。初めてだった。時計を見ると午前4時20分。
パンツを穿き替え、足音を立てずに階段を降りて、風呂場でこっそりとパンツを洗った。なんだか情けないような恥ずかしいような……
「朝起きたらビックリしちゃった。だってメールくれたのって夜中の3時近くだよ。………うん行く、絶対行く、映画。でも……嬉しかった、凄く。私のこと……うん絶対忘れない!」
佐舞久留町には映画館がない。映画館のある街は高校が6つあって人口も30万人以上の地方都市で、シネコンもあるのだが昔ながらのミニシアターもある。だが俺は何が上映されているのか調べていなかった。佐藤さんはきっと俺に観たいものがあるのだろうと思っていたらしい。汽車で来た俺たちは駅を出て数丁先の裏通りにあるミニシアターの前で立ち止まった。
「これ観よう! デイヴィットリンチのマルホランドドライブ。去年公開だったのに、こっちの映画館じゃやらんかったんだよな。だからレンタル出るまで待つしかないのかって諦めてたんだけど……来たんだ! デイヴィッドリンチって知ってる? けっこう好き嫌いが分れるんだけど……俺絶対に観たい! 今日は俺につき合って! なぁいいだろ……ダメ?」
興奮した俺は佐藤さんの腰に右手を回して身体を引き寄せながらポスターを指さし、そう言っていた。
「うん、いいよ。観よ、それ」
佐藤さんは俺に抱き寄せられてつま先立ちになっていたが、すごく嬉しかった俺はそのまま佐藤さんを抱いたままで映画館に入って行って、
「おばさん、何時から?」
「お兄さん、グットタイミング。ちょうど今からだよ」
「高校生2枚」
ここの映画館は小・中学生料金が設定されているが、多少高くてもグチャグチャ言われるよりずっといい。背が180近くあっていつも皮ジャケットを着ている俺は中学生には見えないらしく、中学生だと言うと必ず疑われた。佐藤さんもローライズのジ-パンにセーター姿だから、俺と一緒にいれば中学生には見えない。今日はちょっとだけ化粧もしてるみたいだし。
この映画館はシネコンみたいに受付で座席を指定するシステムはない。入って行って空いてる席を自分で見つけて勝手に座る仕組みだから、昔は人気映画を上映した時なんかは立ち見の人までいたらしいが、今日は10人もいなかった。デイヴィットリンチって案外人気ないのかな?
通路に面した真ん中辺りの席。シネコンと違って座席がシートと言うよりは椅子そのもので座り心地が悪いのだが、隣の佐藤さんとピッタリとくっつく。
2時間を超える長い映画なのだが、のめり込んで観た。全く長いと感じ無かった。女性同士のセックスシーンとナオミワッツのオナニーシーンは巨大なスクリーンに映されたせいもあって強烈で、今朝見た夢のことが思い出された。
エンドロールが流れると、他の客はバラバラと席から立ち上がって行ったが俺は立たなかった。佐藤さんも動こうとしない。そんな佐藤さんを見ると、こっちを見ていた。互いの唇が自然と吸い寄せられた。
「………!」
「………?」
それは2人同時だった。2人ともが気が付いて、そして驚いて、離れた。
これが二度目のキスなのだが一度目と全然違った。
「今のって……」
「私? ちっ、違う……春山君だよ……」
「もう一度………いい?」
「……うん」
やっぱりだ。大人のキスだ。でもどうして? 俺がそうした? それとも佐藤さん?
2人でラーメンを食った。そして腕を組んで街をぶらつきウィンドショッピングをするだけのデートなのだが、あっと言う間に時間が過ぎた。公園のベンチに座ると夕方の5時を回っていた。
「ねぇ、春山君ってホクロある? ………あるよね、アハハハハ……へんなこと聞いちゃった」
「ホクロ? 顔以外だったら……ヘソのちょっと下にあったはず」
そのホクロは極端にデカイものではないが、それでいて小さくもないせいで、小学生の頃など、こんな場所のホクロって恥ずかしいな、などと気にしていた時期があった。
「………」
隣に座る佐藤さんが息を飲んだのが分った。見ると、佐藤さんの心底驚いた顔が俺を見ていて、目が合った途端あわてて視線を逸らした。
「え? ホクロがどうかした?」
あれ…? ホクロ? 誰かと最近ホクロについて喋った気がする。誰とだったっけ?
「うそ……そんなの……偶然……」
佐藤さんがブツブツ何かを言っているようだ。そして「ゆめ」という単語が聞こえた。
夢? そうだ……夢だ、今朝見た夢だ。夢の中で大人の佐藤さんが俺に言ってた。
ーー私のそのホクロ…義仁しか知らない……
まさか…違う……あり得ない。……でも確かめなくちゃ。
「佐藤さん……へんなこと聞いていい?」
「……え?」
まだ独り言を呟いていたようで、もう一度繰り返した。
「へんなこと聞いてもいい?」
「え? ……へんなことって……恥ずかしいこと?」
質問に質問で答えるのはズルイ。
「太ももの付け根にホクロ…ある?」
「………」
なにかを言おうと口を開いた佐藤さんだが言葉が出てこなかった。それは肯定したのと同じだ。
「あるんだ……」
無言で頷いた佐藤さん。
「もしかしたら……佐藤さんも見たの? ……夢」
「うそ……春山君もなの?」
「うん、でも今の佐藤さんじゃなかった。大人だった。……でもあれは絶対に佐藤さんだ。見間違える訳ない」
佐藤さんは、今の俺じゃないってことには気が付かなかったらしく、盛んに大人になった自分はどんな容姿だったのかを俺に聞いてきた。
「でも夢だって、夢」
「ただの夢じゃないと思う。夢だったらなんでホクロのこと解るの? それにどうして二人が同じ夢を見るの?」
「同じ夢だったのかな? だって佐藤さんの夢に出て来た俺って、大人の俺じゃないかもしれないんだろ?」
そこで二人は夢の内容を互いに説明し合ったのだが、それは恥ずかし過ぎて、特に佐藤さんの話は、アレをアレしてアレに……などと普通は絶対に通じない言葉をふんだんに使って喋っていたが、全て理解できた。そしてそれは俺が見た夢と全く同じだ。
これってどういうことだ? 2人が同じ夢を見るなんて聞いた事がない。それにどうしてこんなにハッキリと思い出せる? 夢なんて今までだって沢山見たけど、起きた瞬間に忘れる。思い出せそうな時もあったけどーー夢の尻尾は捕まえようとすればするほどスルっと逃げる。なのにどうして? 今朝の夢はまるで自分が体験したことのようにハッキリと覚えてる。……体験? 体験って過去だよな? あれは確かに佐藤さんだった。大人になった佐藤さんだったけど、ちょっと恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな、はにかんだ笑顔は今の佐藤さんと同じだ。それにちょっと化粧をした佐藤さんを今日初めて見た時ドキっとしたのも事実だ。夢の佐藤さんと同じ目だった。あれは未来の佐藤さんだ。未来の体験ってなんなんだ?
「……あんなこと……しちゃうんだね……っでなきゃ……あの場所のホクロなんて……」
「さっ、佐藤さん……アハハハハハ……ちょっと……ははは……意外とエッチなんだ」
「え……! あっ……ちっ、違う……そんな……違うからね! 私…違うもん! そんなエッチじゃないもん! さっきのキスだって、あれは……春山君があんなふうにしたから……私も…ああ、こうゆうふうにするんだって…合わせた……ぁ……」
喋っている途中の佐藤さんの口を、唇で塞いだ。
佐藤さんの腕が俺の首に回され、口で息をしていのが分った。ヤバイ、俺も反応してる。これ以上続けたら止まらなくなる。こんな公園でどうしよう……
急に首の後ろがチリチリし始めた。きっと誰かが俺達を見てる。マズイかも。こんな感じの奴ってけっこう強い。
佐藤さんからゆっくりと離れ、そして立ち上がった。そんな俺をベンチに座った佐藤さんが焦点の定まらないような目で見上げている。もう辺りは薄暗い。
「春山君……どうしたの?」
「立てる?」
「ぇ……でも急にどうして?」
佐藤さんの後ろから男が歩いて来るのが見えた。正面からも来た。俺の後ろにも一人。全部で3人。いずれも咥えタバコで歩いてくる。狙いは明らかだ。金と女だ。あの正面から来る奴だ。あいつの歩き方は柔道だろうな。それが分るくらいの腕前なんだろう。おそらくは黒帯。捕まったら勝てない。木刀があったとしても佐藤さんを守りながら3人を相手にするのはキツイし、そもそも今日はデートだ。木刀なんて持ってきてはいない。
「身体に力入るか?」
「……どういう意味?」
さっき抱きしめていた佐藤さんの身体はグニャグニャに柔らかだった。今のこの状況で身体に力が入らないのは相当にマズイ。
「走れるか?」
佐藤さんにも意味が分ったらしく、近づいて来る男達に目を向け、そして俺の後ろに身体を寄せた。
どいつもジーパンを腰パンにしている。タバコを咥えてはいるがきっと高校生だ。おそらくは北旺学園の連中だ。管内の札付が集まる高校で、まともな生徒なんて一人もいないって噂だ。
「おーーーい、そこのお兄さん、金貸してくれや。ついでにその女も。心配いらねぇって、女はちゃーーんと返すからよ。ことが済んでその女が帰りたいって言ったらの話だけどな。ヒッヒッヒッヒ」
3人で3方向から来やがった。こいつら慣れてる。でもベンチの後ろからは来ていないようだ。やるしかない。だが前に佐藤さんが言っていたことが思い出された。
ーー私って臆病で意気地なしなの……
手を握ると震えていた。
「静香、お前の手ぇ握ってるの誰だか分るか?」
「ぇ……春山君」
「そうだ、俺だ。俺は相当に強い。静香がビビる必要なんかない」
「うん、わかった!」
「それと、静香の全部が俺のものだからな。ホクロは誰にも見してやんない」
「ぇ? ちょっとーーー! もう……」
佐藤さんの震えが止まった。
「走れるな、100m何秒?」
「うん、バッチシ! この前13秒切った」
そう言った佐藤さんは足を肩幅程度に開き、そして2度ほどジャンプした。きっとレース前のルーティンなのだろう。
「なら、ベッチ乗り越えて後ろに向かってダッシュするぞ、30mくらい」
俺は財布を持たない。札は裸でジーパンの右前ポケットに無造作に突っ込んでいる。左前のポケットにはダラ銭がやっぱり裸で無造作に入れてある。確か2~3百円の硬貨はあったはずだ。
「金か~? 金が欲しいんだ! この街には物乞いがいるって聞いたけど、やっぱりいるんだ。これで握り飯でも買いな、ほら拾え! 静香ゴー!」
ポケットのダラ銭を右の奴に向かって全部放り投げた。感触からすると4~5百円あったかも。ちょっと勿体ないって思いながらベンチを乗り越えダッシュした。佐藤さんのダッシュはさすが陸上部だ。5歩で俺の前にいた。
「てめえええええええええええ! 舐めやがって!」
先に行った佐藤さんが止まった。そして俺を振り返ってる。まだ息も上がっていない。俺も振り返ると3人の腰パン野郎が走っていた。タバコを吸う奴らがまともに走れるはずもなく、それに腰パンだ。ビックリしちゃうくらいに遅い。
「おおおおおおい、物乞いの人! トロいわ! ほらガンバれ! もっと足を上げろ!」
「てめええええええええええええええ!!!」
「静香、あの右の奴が一番トロい。あいつの後ろに回り込むぞ」
「うん、分かった」
「レディー……ゴー!」
凄い、佐藤さんの走りは体幹がぶれない、そして肘の引き方が力強くてかっこいいし、しっかりと地面を蹴っている。これは速いわ。
そんな佐藤さんが右に膨らみながら腰パン男を回り込んで行く。奴にしてみたら逃げていた相手が自分の方に向かって来るもんだから慌てて方向転換をしたのだろうが、あっと言う間に回り込まれ、そして離された。
佐藤さんが止まって俺を待っている。いやいやいや、俺もバスケやってるからこんなもんで息が上がたりはしないし、まだまだ全然走れる。だけど短距離は佐藤さんに勝てないのを痛感した。
俺達2人は腰パン野郎の周りを走ることを何度も繰り返した。
「どーーーしたんだーーーー! 物乞いの人! 金なくて飯食ってないのかーーー! そんなんで女にありつけると思ってんのかーーー!」
膝に手を当てて肩で息をしている腰パン3人組。喋る事すら出来ないようだ。
「静香、ここに居ろ」
俺は3人に近づいて行った。
「これで飯でも食え、乞食野郎が!」
千円札を一枚投げ捨ててやった。すると3人が喚きながら突っ込んで来たが、一人は勝手に足を縺れさせて頭からつんのめって転び、もう一人は転んだ奴に躓いて転がり、もう一人は俺に足を払われ、やっぱり頭からつんのめっていった。どいつも満足に手を付くことも出来ずに頭からダイブしていた。しばらくは立ち上がれないだろう。
「帰ろうか」
「うん」
腕を絡めてきた佐藤さんと駅に向かった。
「クラス会、欠席で返事出しておいたけど、行かないでしょ」
脱衣場で衣服を脱いでいると、エプロンをした妻が扉を開けてそう言った。
「私も入っちゃおうかな~」
俺の返事を待つこともせずに次々と脱いでいく。
マンションの風呂は湯船も洗い場も広くはない。そんな湯船に俺が浸かっていると裸になった妻が俺の足の間に背を向けて入ってきた。いつものように。
「中3の時のあのクラス、私転校生だったし全然馴染めなかった。担任も……名前なっていったっけ? 忘れちゃったけど大嫌いだった……だから会いたい人っていない。義仁は? 誰かに会いたい? そう言えば、佐藤静香と付き合ってたよね。あの子…今頃どうしてるんだろ? まだ地元にいるのかな?」
俺が湯船から出て頭にシャンプーを付けると、湯船の中から腕を伸ばした妻が頭を洗ってくれる。いつものように。
「ハネムーンベイビー狙ってたのに先週生理きちゃって……すごくショックだった。ハワイであんなにしたのに………シャワーで流すね」
湯船から出てきた妻が俺の後ろに座り背中を洗い始めた。
「私たちも来年で29だよ。早いよね~~あの街出て12年になるんだね。今思い出してもイヤ~な街。ほんと嫌いだった。住んでる人も、街の雰囲気もぜーーんぶ嫌い。地元の高校行く人の気が知れなかったな~。義仁もでしょ? だから地元の高校に行かなかったんだよね? はい、背中は終わり、こっち向いて…………この傷みるたびに思い出しちゃう。12年経ってもこんなに生々しいのって……あ…ゴメン………私が気にしてどうするって感じよね。うん……もう言わない。あっ、あったあった、エッチなホクロ。ふふふ……かわいい。ね~~晩御飯の前に……しよう」




