第1話 片思いと不思議な転校生
時は2003年。俺は中学3年生になった。もちろん公立の男女共学なのだが、女子のことが何となく苦手な俺は女子とほとんど喋ることをしない。
時は平成15年、西暦で言うと2003年だ。
ノストラダムスの大予言ーー1999年に世界が滅びるといった世紀末が何事もなく過ぎ去り、2000年問題ーーパソコンなどコンピューターの年月カウントが1999年までしか設定されてないものがあって2000年00時00分になると不具合が生じる可能性があるとの問題も、いつのまにか忘れ去られた。しかし新たな社会問題ーーオレオレ詐欺が横行しだしたのが平成15年で、地デジ放送が東京・大阪・名古屋で開始された。
フアッションではヌーブラや背中みせフアッションが大ブーム。そして「なんでだろ~」が流行語となり、片山恭一の「世界の中心で愛を叫ぶ」がベストセラー。ヒット曲ではSMAPの「世界に一つだけの花」が年間カラオケ1位。映画では「踊る大走査線レインボーブリッジを封鎖せよ」が興行収入173億円という超々メガヒットを記録。そして洋画の「ハリーポッタと秘密の部屋」も興行収入が170億円を超えた。
テレビドラマでは日曜日の夜9時からTBS系で放送された「Departure(出演:木村拓哉、柴崎コウ他)」の最高視聴率が37.6%を叩き出し、木曜日の夜10時からフジテレビ系で放送された「白い巨頭(出演:唐沢寿明、黒木瞳他)」も最高視聴率32.1%とテレビ文化のプライドを堅持していた。
併せて、六本木ヒルズが誕生したのもこの年で、デジタルカメラとDVDレコーダーそれと薄型テレビが三種の神器と呼ばれた。
そんな一見すると好景気なのかと思われる事象をよそに日経平均株価は7,603円とバブル崩壊後最安値を更新し、世界ではイラク戦争が始まり、スペースシャトルが空中で分解するという大事故が発生。そして新型肺炎SARSが大流行。国内では早稲田大学サークルで大規模な強姦事件が発覚、長崎男児誘拐事件では2ちゃんねるに犯人の名前が掲載され法務局が削除を要請。そして「パナウェーブ研究所」という極めて異様な団体が話題となり、インターネットではチャットサイトが流行り始め、ブラウザゲームの一種「CGIゲーム」なども流行り、ネットで他人と関わろうとする人がどんどん増えていった。
携帯電話ではG3回戦が始まり「写メ」だけではなく動画サービスにも対応可能となったがドコモが通信網の関係もあって圧倒的なシェアを誇った。
そんな年に俺は中学3年生になった。
「ヨシヒトーーーー! 起きなさいよーーーー! 遅刻するよーーー!」
誰かに起こされた?
え…?
誰かって誰?
あれ…ここって…どこ?
ちょっとの間、その部屋を呆然と見てた。だんだんと意識がクリアーになってくる。なに考えてんだよ、俺の部屋じゃん。階段の下から母さんが起こしてくれたんだ、いつものように。夢でも見てたのかな? ん? 夢って? そのままの体勢で考えた。身体を動かしちゃうと意識が完全に覚める。夢のシッポは掴めそうで、それでいて掴めないことが多い。ほんのちょっとでも断片が思い出す事ができれば夢の全体像に辿り着けるのに、その断片にはあとちょっとというところで何時もスルっと逃げられる。まるで身体の中が痒いみたいでもどかしい。
「いいかげん起きなさい!」
俺は女子と喋るのが苦手で、あえて喋りたいとも思わない。だけど小学1年生の時から何度クラス替えがあっても同じクラスになった新井さんは、俺のそんな性格を知ってか知らずが、お構いなしに話し掛けてくる。確か中1の3学期だったと思うが昼休みに新井さんが唐突にこんなことを言ってきたーー
「漫画読んだり勉強したりで夜中まで起きてる事あるじゃん。そろそろオシッコして寝ようかってトイレに行ったら親がセックスしてる時あるよね」
俺がビックリしてるとーー
「なにその顔? セックスって知ってるよね?」
「そんなの知ってるって!」
「春山って今でもサンタクロース信じてんの?」
「はぁああ??」
「だよね。まさか中学生にもなって未だ信じてる訳ないし、現実ってのを当たり前に受け入れてるよね。ならさ~、なんで親はセックスなんてするはずないって思ってんの?」
そんなこと考えた事もなかった。俺が言いよどんでいるとーー
「どの親もしてるよ。令子なんか親の寝室から変な声聞こえてきて、お母さんが苦しんでるって思ってドア開けちゃったって言ってたし、由美も似たような事あったって。私もさ~、見ちゃったんだよね、昨日。前から気づいてはいたんだけどさ~、実際に見ちゃうと……ちょっと~って感じ」
女子ってそんな会話するんだ。男子でそんな話をしてるの聞いた事がない。
いつからだろう? 小さい頃は親の事って誰よりも立派で素晴らしい人間なんだって当たり前に思ってて、家庭訪問に来た学校の先生が次の日に「春山君の両親は素晴らしい人だね」って言われて誇らしかったのを覚えてるし、授業参観の時なんかクラスメイトに「春山君のお母さんって美人だよな」って言われた時も凄く嬉しかった。
でもいつからだろう? 父さんも母さんも欠点がいっぱいあって、ごくごく普通の人で、誰からも尊敬される特別な人ではないって分かっちゃったのって、いつだろう?
俺の父親は、仕事、飲み会、マージャン、パチンコで平日なら夜10前に帰って来ることはない。土日でもゴルフに明け暮れ、たまの休みの日は昼過ぎまで起きない。
中2の時、クラスメイトの榎本がこんな事を言っていたーー
「なんかよ~……父親ってうっとうしいって言うか……ムカつくよな。理由なんてないんだけど、なんかハラたつんだよな。喋りたくもないし……春山は?」
実は俺もそうだった。いつからだろう? 気づけば父親に腹を立ててる自分がいて、そうとうな期間まともに喋った記憶がない。別に憎んでるわけでもないし、嫌う理由も定かじゃないが……とにかくムカつく。
4月。1学期が始まる初登校日。1年生の入学式は前の日にやったらしい。始業式では各学年毎、クラスの担任が壇上に上がり紹介される。俺たち3年は2年生の時からの持ち上がりでクラス替えが無いから去年と同じ担任なんだろう。あれ…見た事のない女の先生だ。グレイのパンツスーツでカッコいい。
「〇〇から転勤してきた近藤悦代、29歳です。3年A組の担任と3年生の数学を担当します。どうぞ宜しくお願いします」
ええ?! 俺の担任だ!
そういえば小学校に沢山いた女の先生が中学校では少ないんだと知り、そして女の先生が3年生の担任となるのは滅多にないと誰かに教えてもらった時などちょっと驚いた。
始業式の後、3年A組は男子も女子も大騒ぎだった。
ーーけっこう若いよね
ーー美人だったよな
ーー結婚してるのかな
ーーきっと独身よ
ーー彼氏っているのかな
ーー処女かな
ーーバッカだな~29歳で処女なわけないだろ
だが次の日の朝にあるとーー
ーーウチの母さんなんか令子のオバサンとずっと電話で喋ってた
ーーなんでこれから高校受験って時に担任が女なんだって
ーーうちなんかお父さんまでが学校に文句言ってやるって
一人一人の声は小声だがクラス全部が騒めいている。そんなクラスの中にいる一人の女子ーー佐藤静香。気が付くと俺は佐藤さんを目で追っていた。かわいい……
小学校も同じだった。確か小学1~2年の時はクラスも同じだったから幼い頃から佐藤さんの事は知っている。佐藤さんって変わったよな~、いつからあんなにかわいくなったんだろう。あ…こっち見た。俺は咄嗟に目を逸らしていた。それはいつものことで、顔を動かさず目線だけを移動させる。俺が見ていた事はきっとバレれない。
俺は窓際の後ろから2番目の席だ。佐藤さんは教室の真ん中あたり。どうしても視界に入り、気づけば斜め後ろから佐藤さんを見てた。
中1の時は違うクラスだったのが2年になった時のクラス替えで同じクラスになり、今も3年A組同士なのだがまともに喋ったことが無い。小学1~2年の頃ならきっと喋ったことがあるのだろうが、まるで覚えてない。当時の佐藤さんはそれくらい印象に残らない地味で目立たない女子だった。そういえば、あの頃ーー小学1~2年の時に同じクラスにいた臼井エリカちゃんはとんもない美少女で男子の憧れだったよな~。俺の初恋って臼井エリカちゃんだろうな。小3になる時のクラス替えで別々のクラスになったのを知った時、けっこうショックだったの今でも覚えてる。確か4年生の時に別の学校に転校したって後から聞かされて更にショックだった。また同じクラスになれる事を密かに願ってたんだろうな、俺。でも中3の今なら学年で一番かわいいのは佐藤さんだ。他の男子はどう思ってんだろう?
中1の時は違うクラスってこともあって佐藤さんを意識することなんてなかった、っていうより完全に忘れてた。中2の一学期の始め、教室に入ろうとした時に女子の誰かとぶつかり互いに尻もちをついた。その相手を見ても誰なのか直ぐには分からなかった。……あれ? もしかしたら…佐藤さん…なの? 急に誰かとぶつかった事よりも、物凄く変わった佐藤さんに驚いた。ある意味、一目ぼれってやつなのかもしれない。
尻もちをついたままで佐藤さんの顔を見てた。すると佐藤さんの顔が見る見る真っ赤になった。ドギマギした俺は慌てて視線を逸らし、だけどチラチラ佐藤さんを見ながら立ち上がった。一緒にいた女子の手を借りて立ち上がろうとしている佐藤さんを。
「ごっ…ごめん……」
佐藤さんの足元を見ながら呟くようにそう言った。
「う~うん……私の方が……よそ見してた……から……」
見ると、さっきよりももっと真っ赤になった佐藤さんの笑顔が間近にあった。
「静香、顔まっか!」
「ちっ、ちがうって……」
「あれ~~春山君もだ~」
その田川さんの声に数人のクラスメイトが集まって来た。それ以来、俺と佐藤さんは怪しいという噂がずっとあるが、俺は佐藤さんと何をどう喋って良いのか未だに分からない。そして佐藤さんが俺に話し掛けてきたことは一度もない。佐藤さんは俺の事なんてきっと何とも思ってないんだ。俺の片思いなんだろうな。今日も朝から佐藤さんを見ては視線を逸らすを繰り返していた。
近藤先生が来た。……え…転校生?!
教室に入って来た先生の後ろには一人の女子がいた。クラス全体が騒めいた。
「河西早苗です」
緊張してるのかニコリともしないでそう言った女子。だけどモジモジしてる訳でもなく、堂々と前を見てる。女子にしては背が高くてずいぶんと胸もお尻も大きくて、妙に大人びた雰囲気の女子。
「空いてる席は~~っと……窓際の一番後ろが空いてるわね」
近藤先生は俺の方を指でさしながらそう言った。なんで俺の後ろが女子なんだよ。このクラスの席はランダムで男女別になっている訳ではないが、女子から絶えず後ろを見られるのは何となくだが嫌だ。それに女子と喋るのは苦手だから、これから後ろを振り返ることはきっとしなくなる。
教壇から降り歩いてくる河西さん。え…俺を見てる? 目が鋭くて妙な威圧感があるから俺を睨んでるように感じる。
俺の横を通っていった時、微かな香りがした。石鹸やシャンプー、柔軟剤の匂いじゃない。香水だ。でもこの匂いって前にも嗅いだような……姉ちゃんかな? 年が5つ離れた姉は今では別の街に住んでいるが、高校を卒業するまでは家に居た。高校生ならきっと香水ぐらい付けてたんだろうな。いや、姉ちゃんが高校の頃に香水なんか付けてたか? そんなの付けてたら父さんと大喧嘩だ。それとも母さんかな? いや母さんは香水なんか付けてない。でもなんで前に嗅いだことあるって思ったんんだろう? そんな記憶ってあるのか?
それはまるで夢の断片のようにスルっと逃げ、捕まることを良しとしなかった。