第15話 夢に現れた女と実際に見た女
女がいる。
その女は生きているとは思えない姿だ。血まみれで首が折れてねじ曲がり、そのせいで頭は大きく傾き、その頭もまるで西瓜のように割れ、脳を液と一緒にボタボタと滴らせる女。着ているものがグッショリと血を吸い込みセーラー服だとかろうじて解る。それがなければ女だということすら解り難い。そんな女が立っていた。
いや、立てるはずがない。脚が…片足が捩じれ、膝から下がおかしな方向に跳ね上がってるじゃないか。どうして立っている? ここはどこだ? 俺はどこにいる?
女が何かを言っている。なんだ? なんなんだ? 俺はお前なんか知らない。近寄るな。だが見覚えがある。こいつ誰だ? 俺に何の用だ? 見られた? なにを? 俺が何を見たっていうんだ?
ーー苦しかった
ーー痛かった
ーー死にたくなんてなかった
お前…あの時の女か? 俺が1年の教室の窓から覗いた時に見た、あの女か? まだ生きてたのか? お前の生きてる姿を最後に見たのが……俺なのか? 違う。お前は…違う。俺が見た女じゃない。違う女だ。
ーーお前だ
ーーお前だった
ーーお前が私を見た
違うっつってんだろ! っざけんな! お前誰だ!
ノウマクサマンダボダナンアブラウンケン……
真言が聞こえる。
「本当に大丈夫なの? やっぱり病院に運んだほうが……」
「病気や怪我ではありませんから、病院はなにも出来ません」
何人かの声が聞こえ始めた。あれは近藤先生の声、それと篠原朱海。誰の事を言ってるのだろう?
「私は感じませんが、権藤彩音さんは感じますか?」
「これは呪じゃない」
「お願い……誰か助けて…春山君を助けて!」
佐藤さんの声だ。俺を助ける?
「ハルは強烈に強い。きっと自力で戻る」
大国照子だ。俺が戻る?
「テルちゃん……もし自力で戻れなかったら……」
「佐藤静香さん、春山義仁さんが放つ【気】を私も見たことがあります。強い人です。おそらくは戻ってくるでしょう」
「ほんと? ほんとにほんと?」
「照子、アレ……出来るんだろ?」
権藤さんが大国照子のこと照子って呼んでる。意外と仲がいいんだ。
「それってなに? テルちゃん何かできるの?」
「ああ、出来なくもない」
大国照子が俺になにかするのか? 嫌だな。
「誰かを使って強引に引っ張り戻す。ハルは男だがら、誰かっていうのは女だ」
「え…なら私でもいいの? やる、私やるから。どうしたらいいの?」
「簡単だ。ハルも静香も素っ裸になって、身体と身体をピッタリくっつける。全部だ。特にへそ下三寸が大事だ。ちゃんと入れろよ。その後はその時に教える」
「大国さん……それって…もしかしたらセックスじゃ…」
「そうとも言う」
なっ…何言ってんだ?!
「佐藤静香じゃ無理。アタシがやる」
「ダメ! 私がやる……でも春山君…意識ないよ」
「ちょっとあなたたち何言ってるの。ダメよ……そんなの」
「大丈夫、ハルは簡単に立つ」
「ふざけんなあああああああああああああああああああああ!!」
意識が戻った。そこは学校の保健室だった。
夢を見ていたのだと思ったが、そこには近藤先生、佐藤静香、権藤彩音、篠原朱海、大国照子の5人がいて、こいつらが喋っていた内容は夢ではなかったらしく、近藤先生が、
「ああ良かった~。あぶなく中学生同士のエッチを容認するとこだった」
佐藤さんがワンワン泣き出した。篠原さんがピースサインをしてる隣では権藤さんがポケットに手を突っ込んであらぬ方向に目を向けていて、大国照子が「よう!」と挨拶をしてきた。
聞くと、俺は1時間以上も意識が戻らなかったらしい。
あの時のことを篠原さんが教えてくれた。
おかしくなった1年生の辺見友里恵。彼女の身体は、周りの者が見ている中、片腕と片足が急にねじ曲がったという。そして満足に動けない身体なのにジワジワと俺に向かって這って来たそうだ。その行く手ーー俺と辺見友里恵の間に独鈷杵という法具を投げ刺した篠原朱海。そんなモノを持ち歩いているらしい。
「誰か! 3年B組の大国照子さんを呼んできなさい!」
篠原さんがそう叫んだのだが、呼びに行くまでもなく大国照子がドカドカと走り込んできた。
「ハルどうした! なんで倒れてる! 彩音! 朱海! なにがあった!!」
「訳はいい! 照子! 春山君を担いで逃げろ!」
「わかった!」
動きが止まった辺見友里恵の傍には母親が呆けたように座り込み、下屋敷刑事は呆然と突っ立っていた。それは陣内先生も同じで、弾き飛ばれたまんまの姿勢で固まっていた。そいつらの横を走り抜けた大国照子が、倒れて動かない俺を拾い上げると肩に担ぎあげ、振り返ることもせずに走り去った。
「オンアボキャペイロシャノウマカボタラ……」
篠原朱海が一心に真言を唱えていた。床に刺さった独鈷杵が揺れていて、それはまるで震えているように見えたという。独鈷杵の向こうでは権藤彩音が目を見開いて印を結んでいる。
「……きっともたない」
下屋敷刑事は、なんなんだ、なんなんだ、と同じ台詞を繰り返していた。
「警察!! パトカーで病院まで送るんだろ! そいつが動き出す前にヤレ!」
「なんなんだ……これは……なんなんだ……」
「ダメだ、こいつ壊れた」
誰かが走って来て、その勢いのまま下屋敷刑事を殴り飛ばした。
「役に立つつもりがないなら、警察手帳なんか燃やしちまえ!」
近藤先生だった。肩を怒らせ、脚を大きく開き、自分が殴り倒した下屋敷刑事を睨み付けている。
震えていた独鈷杵が倒れた。
再び動き始めた辺見友里恵。下屋敷刑事が慌てて押さえ込もうと飛び込んだが、片腕と片足がおかしな具合になっている辺見友里恵に振り回された。我に返った陣内先生も手を貸すが、二人では手に負えず、駆けつけてきた数人の先生たちと押さえ込みながら運んで行った。
どうして篠原朱海と権藤彩音、それと陣内先生と1年生の辺見友里恵があそこに居て、なぜ大国照子と近藤先生が後から駆けつけてきたのかも教えてくれた。
5時間目の授業は家庭科だったのだ。C組とD組とE組の女子が家庭科で男子が技術。だから家庭科教室にはC組の権藤彩音とD組の篠原朱海が当たり前に居た。E組の担任で国語を教える陣内先生はその時間は暇だったらしく、そして自分も料理を習いたくて居たという。そんな家庭科教室に1年の辺見友里恵が現れたのは、自分は3年E組の宮古愛だと思っているので、いったんはE組に行ったが誰もいなくて、時間割を見て家庭科教室に来たのだろう。
家庭科教室は大騒ぎとなり、特に晒谷桃子は吹奏楽部で宮古愛と仲が良かったのだろう、はなっから辺見友里恵にロックオンされてしまい、恐怖に怯え廊下に飛び出した。家庭科教室と図書室は近い。権藤彩音に言わせるとマヌケ面した俺と出くわした。
大国照子がいる3年B組は数学の授業だった。3年生の校舎から家庭科教室や図書室は遠い。だが3階のB組の窓から家庭科教室前の廊下が見える。何気なく窓から外を見た近藤先生が突然怒鳴り始めたという。
「大国さん家庭科教室に行きなさい! 私も行くから先に行って! 全速力で走れえええ! 後の生徒は教室から絶対に出るな!」
大国照子は意味が解らなかったが近藤先生の迫力に押され、これはただごとではない、と駆けに駆けたという。
3年A組の佐藤静香はというと、5時間目が始まっても俺が戻って来ないから、「先生! 具合悪くなってきたので保健室行きます!」と元気いっぱいで言い、その後は俺を探していたそうだ。
もう既に6時間目の授業も終わりの時間だった。だが全員が保健室に居た。保健の先生は未だ学校に出て来てはいないから、自由に使える。そして近藤先生は、
「え? 私? 今日の6時間目は暇なの。それにあの騒ぎだから3年生はきっと自習でしょ」
権藤さんが近藤先生に、あのパンチはナニ? と相変わらず解り難い言い方で聞いていたが、聞かれた近藤先生には解ったらしく、空手の黒帯だそうだ。
「1年の辺見とかいう女に、死んだ……なんとかって3年が憑いたのか? それがなんでハルに?」
「途中で代わった。ヘンなのに」
「やはり権藤彩音さんも解ったのですね。家庭科教室に入って来た時から憑かれていましたけど、それは宮古愛さんに憑かれていました。でも下屋敷刑事さんが不用意な発言をされ、それからです。別の何かに憑かれ、そして春山義仁さんに迫って行ったのは。春山義仁さん、あなた気を失っている間、なにかを見たり聞いたりしませんでしたか?」
久しぶりに篠原さんが喋るの聞いたけど、相変わらずだ。とにかくクソ丁寧で、どうした訳だか人の名前をフルネームで言う。権藤さんと足して2で割ればちょうど良くなる。ん……すると大国照子が3人の中じゃ1番まともってことか? いや…大国照子は別の意味で困ったちゃんだ。
「春山君? 大丈夫? ぼーっとしてるけど……まだ調子悪いの?」
「あ……いや…もう全然大丈夫だ。ちょっと考え事してた。悪い悪い。意識失ってる時か……夢を見た。女の……そいつ……屋上から落ちた女だと思う。手足や首が………だけど……きっと違う……俺があの時見た女じゃない……気もする」
「ハル、なんでそう思った?」
そう言ったのは大国照子だが、権藤さんも篠原さんも真剣な顔で俺の言葉を待っている。ただの夢じゃないっていうのか?
「いや…そう聞かれても……だってさ~~…俺…見ちゃったから…なんていったらいいのか…へんなトラウマみたいな……あれからけっこう目に浮かぶんだよな……」
「ハル……見えたもの、うまい言葉みつからんくたっていい、全部吐き出せ」
「春山君、私なら大丈夫。なに聞いたって大丈夫だから……教えて…春山君が見たもの」
権藤さんと篠原さんは何も言わず黙って俺を見ていた。近藤先生も同じだった。
「あの時……窓の下にいた女の人。それを見た時…俺……直ぐに目ぇ瞑って後ろ向いた。でも手足や首がねじ曲がってたのは覚えてる。きっと見たんだと思う。だけど顔は……うつ伏せだったんだと……それにミヤコって名前だっけ? 小学校も違うみたいだし……俺……顔も名前も知らないんだ。だけど目ぇ瞑ったら思い出すんだけど、その女…倒れたまま顔を上げてこっち見るんだ。頭割れてて……そこから何か……ドロって…脳みそだと思う、零れる……俺そんなの見たのか…だんだん分かんなくなっちゃって…………あれからも見るんだ……頭割れた女の人」
「ハル、さっき意識ない時、そいつを見たのか?」
「ああ、そいつ喋ってた。痛かった、苦しかった……死にたくなかった……って」
誰も、大国照子すら言葉を発しなくなった。
「春山君、もっと聞きたい」
権藤さんだった。いつも通り短い言葉なんだけど、今は不思議と言いたいことが解った。誰も春山君がおかしくなったなんて思ってないから心配するな、ってコイツは言ってる。
「俺が見たって……そいつまだ生きてたみたいで……生きてる最後を見たのが俺だって………チクショウ!! 俺……わかんなかったんだ!! チクショウ!!」
「ハル!」
「春山君!」
「春山義仁!」
大国照子と権藤さんと篠原さんが同時に叫んだ。佐藤さんはボロボロ涙を流しながら歯を食いしばっている。そして近藤先生がゆっくりと言った。
「春山君、苦しかったね。ごめんね、そんな春山君に気づいてあげられなくて、ゴメン。だけど、それってきっと違うと思う。先生より……そうね…篠原さんが説明した方が良さそうね」
「春山義仁さんが見たと思っている頭が割れている女の人は、屋上から転落して死亡した宮古愛さんとは別の女の人です。頭が割れた女の人の顔、見ましたか?」
「別? ……顔は……夢の中だけど…見た。頭割れて血だらけだけど……なんだかどっかで見たことあるような……」
「春山君、さっき宮古愛の顔なんて知らんって言ったろ」
「え? あ~そうだ……だったらアレは?」
「違う女の人です」
「みんな……ほんとにそう思うか?」
そこにいる全員が大きく頷いた。それを見ると、なぜだかスーーーっと胸の奥が楽になった。




