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第10話 二つ目の事件と脳裏に焼き付く光景

 校長先生の話が終わった。これで臨時の全校集会も終わりかと思ったが、まだ何かがあるようだ。演台から降りた校長先生。その後に女子の誰かがあがった。


 ーー誰だろう?


 俺の斜め直ぐ前に立っている女子の身体がビクっとしたのが分かった。なんだ? 立ったまま居眠りでもしてたか? それは河西さんだった。


「ウソだ……なんで……なんで……」


 呟くような河西さんの声。傍に立っていた俺にはハッキリと聞こえた。ウソってなんだ? そして一歩、また一歩とよろめくように後ずさりを始めた。後ろの女子が迷惑そうに顔をしかめ、下がって来る河西さんを避けようと俺に寄って来た。なにやってんだよ?


 演台に上がった一人の女子がマイクの前に立ち喋り始めた。生徒会長の神取美香だ。





 廊下の非常ベルを押した女の先生。次に何をしたら良いのか思いつかないのか、右を見たり左を見たり、そして近くにいた俺と佐藤さんを認めると口をパクつかせるが言葉にならない。そしてその先生の膝は笑っているようで、床に座り込んでしまいそうなくらい足に力が入らないのが見て取れた。

 他のクラスーー1年生の先生達が次々と教室から飛び出してきた。


 ーーどうしたんですか!

 ーーなにがあったんですか!

 ーー道元先生! 道元先生! しっかりしてください!


 同僚が集まってきて少し気が緩んだのか、道元先生はペタンと床に座り込んでしまった。穿いているスカートなどには気が向かないのだろう、露わになった真っ白な下着が、起きた事象が尋常でないことをものがたり、俺の足も動かない。そして無意識に佐藤さんの身体を抱き寄せていた。


 目の前のあの教室。あの教室から道元先生が飛び出してきた。非常ベルはまだ鳴り続いている。他の音を消してしまうほどのベル音が頭の上から降ってくる。目の前にはスカートの奥を露わに座り込む道元先生の焦点の合わない目。取り囲む先生たちの怒鳴り声。問題の教室からは生徒の一人も出て来ない。ベル音のせいなのか、その教室は沈黙していた。


 全てがスローモーションのように感じる。音の無い世界で起きた悲劇を客席から見ているような、自分がそんな傍観者であると錯覚してしまうくらい、異様な光景が目の前にある。


「……」


 道元先生の口が動いていたがベルの音で聞こえない。


「まど? まどがどうしたんですか!」


 ジャージ姿の男の先生が聞き返していた。それでも道元先生は廊下の壁を背にして膝を立てたまんまで座り込み、自分が飛び出してきた教室を指さしーーガタガタと震えた手で指をさし、言葉にならない言葉を発し続けている。


「いやああああああああああああああああああ!」


 教室からの悲鳴だった。その悲鳴で俺の身体が動くようになった。意識もシャンとなった。道元先生を取り囲んでいた先生達もギョっとしたように振り返り、ジャージ先生を先頭にして恐る恐る教室に入って行った。


 ーーおい…お前たち……なにがあった? どうしたんだ?


 教室内にいる生徒たちに聞いているのだろう。


 ーーなに? なんだって? もっと大きな声で……え? まど? 窓がどうした?


「先生! そこの開いている窓、きっとその窓に何かがあるんだと…」


 気付いたら俺も教室の入り口まで来ていて鈍いとしか思えない先生達に声を掛けていた。


「お前たち…そうなのか? あの窓に何かあるのか?」


 そのクラスの生徒全員が真っ青な顔で、窓からそれ以上離れる事が出来ないところーー廊下側の壁際に団子になって固まっている。声を出せず、泣くことも出来ないようで、ただひたすらに身体を寄せ合って震えていた。

 いつの間にか非常ベルが鳴りやんでいた。そして俺の学ランの後ろを佐藤さんがギュっと掴んでいた。


 開け放たれた窓の一つにゆっくりと、びくつきながらも近づいて行ったジャージ先生。だが振り返り他の先生が誰も後に続いていないのを知り、躊躇したその時だ。構内放送が流れ始めた。


「非常ベルを押した者は直ちに校長まで連絡! 何が起きたのか直ぐに知らせろ! 他の者は…教室で待機だ! 火災報知器は反応していないから火事ではない……はずだ。だっ、だから……他の者は教室から出るな! 但し……指示があれば直ぐに行動できるようにしておけ! 繰り返すーー」


 校長先生の声だ。この前のことがあったばかりだから慣れたのか、そんなにどもったりしてない。

 ジャージ先生は覚悟を決めたのか窓際に辿り着いた。だが他の先生は慌てて自分たちが居た教室に戻って行ってしまった、まるで逃げるようにして。この教室で固まって震えてる生徒や、俺や佐藤さん、廊下に座り込んだままでパンツを晒している道元先生など放ったらかしだ。これって正しいのか?


「おい、何もないぞ! なにがあるっていう……あ……あ…ああああああああああああああああああああああ!」


 息が続く限りの悲鳴をあげた。そして後ろにひっくり返えり、四つん這いでバタバタバタバタこっちに向かってきた。なっ、なんで俺に向かって来る? それも物凄い速さだ。人間ってこんなに速く四つん這いで動けるのか? うわ、足掴まれた。


「キャーーーーーーーーー!」


 俺の代わりに佐藤さんが悲鳴を上げた。


「きゅきゅ……きゅ…きゅ……」


 きゅきゅ?? 何言ってんだ? 俺の足にしがみ付いたジャージ先生はそれしか言わない。そしてしがみ付いた手は俺の太ももまで這いあがってきた。ちょっとやめてくれ。どこ掴む気だ? スピーカーからは痺れを切らしたのか校長先生が怒鳴っていた。


「誰なんだーーーーー! 非常ベルを押したのわーーーーーーーーー! なんで連絡をよこさないんだーーーーーーーーーー!」


 もいいい、こいつダメだ。クソの役にも立たない。しがみ付くジャージ先生の手が俺の股間に届く前に蹴って振りほどき、俺は開け放たれた窓に向かった。そこに何があったって命まで取られたりはしないはず……


「あ…春山君!」

「佐藤さんはそこにいろ! こっちに来るな!」


 窓の直ぐ下のアスファルトで舗装された部分。そこには赤くてドス黒い水溜まりが広がっていた。

 そしてその水溜まりの中には、手足や首がおかしな具合にねじ曲がった、ウチの制服を着た女がうつ伏せで、いた。


「あ……」


 直ぐには何のことだが解らなかった。目に映った物を頭で整理できない。


「これ…って……」


 マズイ……顔や頭を見たらダメだ。すぐさま後ろを向いて目を閉じた。きっと死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、死んでる、……


 目を閉じてもダメだった。まるで網膜に焼き付いたみたいに、目にした光景がありありと浮かぶ。そして頭に浮かんだ手足と首がねじ曲がった女が顔をあげ、こっちを見た。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 今の悲鳴……俺か? 苦しい、息が苦しい。何も聞こえない。どうなってる? 俺はどうしちゃった? 足に力が入らない。俺は倒れるのか? 俺は目を開けてるのか? それとも閉じているのか? 誰かがこっちに走って来る。その様子がぼんやりとだが解った。誰? なに? 頬に衝撃が走った。……え?


「春山君! 春山君!……お願い…しっかりして!」

「ぁ……佐藤…さん」


 スピーカーからの校長先生の怒鳴り声が再び聞こえ始めた。


「春山君……私……凄く怖かった……春山君がどっか行っちゃったみたいになって……戻った? ちゃんと戻った?」

「そっか……俺…そんなふうに……うん、もう大丈夫だ」


 大きく見開いていた佐藤さんの目は真っ赤だった。


「女子の誰かが落ちたみたい。きっと屋上からだと思う」

「ぇ……その落ちた人が……窓の下に……」

「うん、ある。見たらダメだ。とにかく俺が隣のクラスの先生に知らせるから、佐藤さんは廊下にいて」


 まだ息が苦しい。心臓の音も自分で聞こえる。思い出したらダメだ。きっと動けなくなる。考えないようにしよう、考えない、考えない、考えない、考えない……


 隣の教室を開けようとしたが開かない。きっと鍵を掛けたんだ。マジかよ、こんな時に、と思ったら無性に腹が立ってきた。こんなモン、木製の横開きの戸だ。上部についているガラスが気になったが、蹴破った。中の生徒は全員が立ち上がって入口から2~3歩離れた。そして男の先生は教壇でこっちを見ながら尻もちをついた。


「先生! ウチの制服を着た女が上から落ちてきたんだ。きっと屋上からだ。校長先生に知らせろ! 俺は救急車呼ぶから! ………なにやってんだって! 早く校長に知らせろ!……お前…バカなのか! いつまで座りションベンみたいな格好してんだ! とっととヤレ!」


 頭でも引っ叩いてやろうかと思ったが、それをやる前にやっとこさ動いてくれた。校長は今も放送室から怒鳴っている。そこに向かって駆け出して行った俺にバカ呼ばわりされた先生。校長の携帯番号ぐらい知らんのか?


 俺は自分の携帯電話で119番を押すと直ぐに出た。


「救急車ですか消防ですか?」

「え…あ…はい…救急車お願いします」

「どちらから掛けてますか?」

「え……中学校…です」

「市町村名を言ってください」

「あ…はい…左舞久留町…です」

「わかりました。こちらは北海道の通信指令室です。あなたは携帯電話から掛けてきたのですね。この電話を最寄りの消防署に転送しますので、そのままでお待ちください。…………こちらは左舞久留町の消防です。すでに救急車は出動しました。中学校の正確な住所は分かりますか?………そうですか。あなたの名前は?………春山さんは先生ですか? それとも生徒ですか? ……生徒さんですか……救急搬送を必要としている方は、怪我ですか? 病気ですか?……落ちた? 中学校の屋上からの落下ですね? 中学校は何階建てですか? ……3階! 保健室の先生には知らせましたか? ……直ちに知らせてください。春山君、周りに協力を求められる大人の人…先生はいませんか?」


 この教室にいたバカ先生は校長先生の所に走って行ってしまった。教室内を見渡してもここは1年生のクラスだ。どいつもこいつも怯えた顔を俺に向けるばかりで、使えそうなヤツなど一人もいない。隣のクラスの先生に頼もうかと思ったが、どうせ鍵かけてる。それを蹴破ったり、事情を先生に説明するのがまどろっこしい。保健室は別棟だが俺は走り出した。


「春山君まって! どこ向かってる?」


 佐藤さんの声だ。


「保健室!」


 携帯で喋りながら、そして走りながらそう言うとーー


「それ私に任せて! 落ちた女の人の蘇生に保健室の先生が必要なんでしょ! 私が呼んでくるから春山君は救急車と連絡取り合ってて!」


 スカートを翻し、物凄いスピードで俺を追い越していった佐藤さん。ダッシュがハンパねぇ。そういえば佐藤さんって陸上部だった。2年の時もうちょっとで100m13秒切りそうだって聞いたの思い出した。俺より速ぇぇ……




 救急車が来た。

 保健の先生は血まみれになっていた。そして蒼白な顔で、その顔には表情が無かった。


 死んじゃったのか……


 それでも搬送されていった。


 救急車とほぼ同時にパトカーも来ていて、降りてきたのは下屋敷刑事だった。

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