第十二話 アイビーは、鏡の外に。
最後の攻防が始まる。彼女が強力な向かい風でこっちの行動を阻害しようとしてくるけど、ハンマーの重量が重石になって吹き飛ばされることはない。光魔法で上げた身体能力で力ずくで前に進む。それでも通常のスピードよりは遅く、こちらにとっての向かい風はあちらにとっての追い風。風の勢いに乗って、彼女は僕に向けて急接近してくる。計算通り。彼女の通り道の壁から氷柱を生成。咄嗟に炎魔法で氷柱を折って防いだようだけど、風は止まらない。攻撃が出来ない、無防備な体勢で僕の前に運ばれて来る。そこを狙い、両手に持ったハンマーを振り下ろす。と、先程までとは比較にならないレベルの白い突風が横から。光魔法を付与したさっき以上の風を吹かせて、強引に方向転換したのか。絶好の機会は逃したけど、今のはだいぶ魔力を消耗しただろうし、身体にも負担がかかったはず。その証拠に、轟音。見ると、亀裂の走った壁の付近で倒れ込む彼女の姿。ゆっくりと立ち上がるけど、光魔法で身体の強度を上げなかったら即死レベルの傷。このままだと、僕が手を下すまでもなく終わらせることが出来る。この傷を治せる魔力も残って無いだろうし、勝負あったね。
今このタイミングで死なれても困るから、ひとまずは抵抗出来ないように拘束するか。そう決めた僕は、ゆっくりと彼女の元へ向かおうとする。と、ゴトリという、重い何かが落ちる音がした。音の出どころを確認すると、ハンマーを握ったままの腕が地面に落ちていた。どうやら、今のすれ違ったタイミングで、腕を切り落とされていたらしい。傷口から魔力がこぼれ落ちる。急いで光魔法で腕を付け直すけど、今のは大分危なかった。もう少し深ければ致命傷だったし、今傷口から漏れ出た魔力と光魔法を使うのに使った魔力は、後々他の刺客に対応するのに取っておく予定だったもの。この分を補填する為にも、早く彼女を拘束してから交渉を始めなきゃ…
一心不乱に彼女の元に近付こうと出来る限りの速さで歩く。彼女まであと数歩といったタイミングで、急な脱力感。闇魔法?いつの間に?どこから?足元を見ると、一枚の札。なるほどね。風で舞ったものを掴んで、あらかじめ魔力を込めてパスを繋いでいたのか。感心する僕に向けて、複数枚の札を投げる。右腕だけ治したのか。それに、これだけの札を回収したのも驚きだ。もしかしたら、僕に剣の鞘の裏にある入れ物がバレたときの為に二ヶ所に分けて装備していたのかもしれない。そんなことを考えている間にも、彼女が投げた札は炎に、水に、雷に姿を変えて僕に襲いかかる。仕方ない。周囲に僕達だけの魔法を発動。全ての攻撃を無効化する。今度こそ、終わりかな?
闇魔法の残滓と、魔力を使い過ぎたことによる倦怠感で足を引きずるような歩き方で彼女の元へ。一歩一歩がもどかしい。早く。次の刺客が来る前に、少しでも早く交渉を進められるように。早まる鼓動に、足の動きが追いつかないような感覚。と、背中から衝撃。全身に広がり、中から焼き尽くすような痛み。
「油断したね。」
あぁ。君が、雷魔法でも使ったのか。光魔法で治療するけど、雷魔法の直撃は完治に時間がかかる。その間にトドメを刺されるのも面倒。そんなボロボロのまま動き続けるのも、魔力体に負担がかかって、最悪魔力体を維持出来なくなる。ここにいるのは賢くないね。
「本当に、油断したよ。そこの彼女にしか目が行ってなかった。」
仰向けになると、こちらを見下す首輪を付けた少女の姿が目に入った。彼女の手から、札が崩れ去る。これで雷魔法を使ったわけか。
「良かったのかい?僕を利用した方が、君にとっても利があったと思うけど。」
「だよね。自分でも分からない。」
彼女はどこか自嘲気味に、洞窟じゃなければ風にさらわれて耳にも届かないほど小さな声で呟く。そんな呟きを聞こえないフリをして立ち上がり、出口へと向かう。傷を少し癒せたからといって、油断は出来ない。魔力体の状態的に、この魔力体を維持出来るか怪しいところだからね。
「じゃあ、僕はここで失礼するよ。」
壁を支えにして、ゆっくりと洞窟の出口に。ふと思い立ち、アドバイスを送ることにする。
「境界悠里、だっけ。君の名前。」
「そうだけど。行くんじゃ無いの?」
「行く前に、一つだけ言っておこうと思ったんだよ。そこの彼女…シロエ・レイブルス、だったかな。付き合い方を考えた方が良い。そして、君が間違いそうになるのを止めてくれたときには、素直に従った方が良い。ただ、それだけだよ。今度こそ、じゃあね。」
「分かった。もう一人のあなたに、よろしく伝えといて。」
「うん。伝えておくよ。」
少し振り返ると、悠里は地面に落ちてる札から光魔法のものを見つけられたみたいだ。それを使って、シロエの治療も始めてる。仮に、この体が消滅して霊体に戻ってしまったら、少しこの二人の行く末を見届けるのも悪くないかもしれないね。願わくば、僕と同じ過ちを犯さないことを。そして、悠里がレイブルスにおける有限な時間で何かを見つけられることを。
心の中でゆっくりと祈りつつ、僕は洞窟の出口へと歩を進めた。
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今回の戦い、勝てたけど明らかに辛勝ってやつだ。シロエさんはボロボロ。こうやって光魔法で治療してるけど、魔法の知識が無いからこれでどれだけ治るかも分からない。後遺症なんかはあるのかな?札の力で光魔法を使って、札が消えたら別の光魔法の札を探す。それを繰り返す。
札といえば、マグドさんも結構の札を失ったのはかなりの痛手だよね。聞くところによると、マグドさんは魔力を体内に保管出来る最大値は低いけど、魔力の回復は早いって体質らしい。だからマグドさんは、普段から効率的に魔法を使う為の札を作って有事の際に備えてるらしい。
そもそもこの札は、少ない魔力で使える使い捨ての魔道具みたいなもの。メリットとしては制作者が見たことがある魔法なら本来制作者が使えない魔法でも登録出来るし、使えること。誰でも使えるから、仲間に渡せばその仲間が苦手な魔法を使わせることも出来ることも一つのメリットだね。デメリットは、そもそも作るのに膨大な魔力が必要ってところ。(魔力の回復が早いマグドさんからしたらあまり気にならないらしいけど、他の人には無理。)誰でも使えるってのは、敵に利用される可能性があるってのもデメリット。
マグドさんの札にはそんな特徴があるわけだけど。いくら魔力の回復が早いとはいえ、この枚数の札を失ったのはかなりの痛手だろうなぁ。
「ハザマ、さん?」
ゆっくりと瞼が開き、独特な緑色の瞳が露わになる。
「良かった。意識は戻ったんですね。今は治療中なので、あんまり喋ったり動いたりはしない方が良いですよ。」
「分かりました。」
ゆっくりと瞼を閉じる。あたしの光魔法で照らされるその姿は、どこか神秘的で。でも。だからこそ。そのままどこかに消えてしまいそうな、儚いものにも見えて。札を持ってない方の手で、そっとシロエさんの手を握る。シロエさんの頬が、少し緩んだように見えた。
「身体に障ったらいけないから返事はしなくても良いですけど。聞いて下さい。シロエさんの助けに来たって合図、分かりやすかったです。あの鎖を出したのがそうだったんですよね。最初は意図が分からなくて戸惑いましたけど。あと、壁にめり込んだときは、本気で心配しましたよ。」
違う。あたしが言いたいのはこんなことじゃない。恥ずかしくて、一歩が踏み出せない。シロエさんが、あたしの手を握り返す。そうだよね。ちゃんと、言わなきゃ。
「助けに来てくれて、ありがとう。」
「どういたしまして。」
「返事、しなくていいって言ったのに。」
安堵したような吐息が、洞窟の中に響いた。それをかき消すように、足音。反射的に少し離れた場所にあった雷属性の札を拾って、いつでも使えるように構える。
「そう身構えなくて良いよ。僕だから。」
聞き覚えのある声が反響する。姿は見えないけど、その声と今の状況を照らし合わせて、敵じゃないと判断。雷魔法の札をポケットにしまって、シロエさんの治療を再開する。その間にも足音は大きくなっていく。使っていた光魔法の札が消えたぐらいのタイミングで、真後ろに気配。
「後ろに立たれるの、ちょっと気になるんですけど。」
「ごめんごめん。」
顔の横に、複数枚の札が差し出される。見ると、全部光魔法の札。やけに足音がゆっくりだと思ったら、洞窟に散らばったこれを拾いながら来たからか。治療を再開しながら後ろを見ると、地面に散らばっていた札はほとんど無くなってた。いつの間にか隣にしゃがんでいたマグドさんも、光魔法の札であたしと一緒に治療を始める。
「うん。大分治ってるね。ここまで治れば、ひとまず命に関わる危険は無くなったかな。」
「良かった…」
そっと、シロエさんの肩に触れる。規則正しいリズムで肩を上下させてる。寝てるのやら、気絶してるのやら。
「良かった、とは。シロエさんが助かったからかな?シロエさんが助かったから、巻き添えで自分が死ぬことが無くなったからかな。」
「両方。正直、どっちの気持ちが大きいかも分からない。」
「そうかい。まぁ、今後の細かい話は後々するとして、だ。僕はそろそろ来るだろうモズさんに、現在地を伝えるよ。魔力車で来ると言っていたから、それにシロエさんを乗せて戻るとしようか。そういえばなんだけど。ジェルゴの遺体はどこかな?」
「あー、それが…ジェルゴには逃げられたんですよね。光魔法を使ってましたけど、かなり魔法使ってたんで。生き残るかは五分五分かと。」
「なるほど。出来ることなら回収しておきたかったけど…過ぎたものは、仕方ないか。ただモズさんからはいろいろ言われる可能性がある。状況が落ち着き次第二人で報告しようか。多少は庇えるはずだよ。」
「…そこまで重要です?死体。生き残ってたら面倒だってのは分かりますけど。」
「あぁ。重要だよ。なにせ、魔獣も人間も、そして魔霊も。そのありようはともかく、魔法に関する肉体の性質は同じなんだ。つまり、魔霊の死体を食べれば…」
「食べた人間の魔法技術が大幅に上がる、と。強くなった人が調子に乗って反乱とかをしだしたら面倒ですね。」
ただ、ジェルゴは何らかの事情があってあたしの遺体を食べることは出来なかった、と。そのジェルゴとのやりとりがあったから人間を食べても魔法が強くなることは予想してたけど。数日前に見た葬式。そのときに死んだ人の体を魔法で消滅させてたらしいけど、それは人が死んだ人の遺体を食べて強くなろうとするのを防ぐ為なのかもしれない。
「そういうこと。ついでに、モズさんからしたら…いや。これは言わないでおこう。」
そこで止めないでよ、気になるから。あえて何も反応せずに自分の服の一部を破って、治しきれなかった傷口を塞ぐ。そうしてると、また足音。
「これは…どのような状況なのですか?」
モズさんが着いたらしい。さっきマグドさんが話をやめたのも、こうなることを恐れてたからかもしれない。詳しい事情は後で話すと伝えて、拠点のあの空き家に戻ることになった。




