第九話 2枚の花びら
前口上を終えた女の人、改めトレイトジェルゴ(以下ジェルゴ)から距離をとる。先に私を殺して一対一にしたいと考えたのか、あたしに向かって炎を纏った拳を向ける。と、何かに気付いたジェルゴの動きが少し鈍る。その鈍った隙にモズさんが割り込んで槍で拳を防ぐ。
「君のその体…ふぅん。君も、『余所者』なんだね。」
君『も』、ねぇ…
いろいろと聞きたいことはあるけど、そんな暇はない。急いで距離を取って、持ってた地図の現在地に当たる部分に印をつける。あたしにジェルゴが追撃を仕掛けてくる。と、モズさんがオーラを再展開した槍で攻撃しながら間に割り込んで追撃を阻止してくれる。まぁ、あたしを守りたかったってよりかは二人っていう数的優位が無いとシロエさん達を呼ぶ余裕が無いって判断しただけなんだろうけど。
モズさんが槍で前方を薙ぐと、それを躱す為にジェルゴは後ろに飛ぶ。その隙にさっきの地図を紙飛行機にして、腕輪を付けた方の手で飛ばす。これで地図はシロエさんに届いて助けに来てくれるはず。
「面倒なことになったなぁ…」
「このまま消えて貰います‼︎」
モズさんが槍で地面を抉る。ジェルゴの足元から闇が出て来る。モズさんが得意な魔法は闇属性の魔法。闇属性の魔法は、対象の能力を低下させたり、周囲のエネルギーを収縮して攻撃に転用したりするもの。さっきあたしも体験したけど、能力低下をくらうと一気に身体能力が下がる。今ジェルゴの足元から出た闇がその魔法かな?動きが鈍ったジェルゴに、モズさんはさっきより大きなオーラを纏わせた槍で突っ込む。ジェルゴの足元から眩いオーラ。人間とは思えない(実際人間じゃないらしいけど)速さでジャンプして槍を躱す。
「小賢しい真似を…」
いや、不意打ちを防ぐときに光の壁みたいなのを出してた時点で、こういう魔法も使えることを察するべきだったとは思うけどね?ちなみに光属性の魔法は、闇属性の対となる魔法。身体能力を上昇させたり、周囲のエネルギーを治癒の力に変えたり出来る。家を丈夫にするのにもこの光属性の魔法が使われてるみたい。
話が逸れたね。要は、ジェルゴはモズさんの闇属性魔法で下げた能力を、光属性魔法で上げることで打ち消したってこと。打ち消すどころか、元より上昇してるようにも見えるけど。今のところモズさんには負ける要素しか無いけど、これからどうするんだろう?万が一の為にジェルゴの手の内は見とかなきゃいけないけど、巻き込まれないようにもうちょっと距離を取ろう。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
素人が見れば、闇魔法による能力低下を解除されている私はすぐにでも負けると思われるでしょう。ですが、私はそう簡単には負けない。私の特別な点は、闇魔法を使う際の魔力の効率。極少量の魔力だけで、人並み以上の闇魔法が使える。それでは決め手に欠けるかも知れないが、負けることも無い。上空から火の雨が降り注ぐ。頭上に闇の雲を展開。直撃するはずだった分は破壊。役目を終えた雲を散らして頭上を見ると、闇魔法のオーラを纏った足でこちらを狙うジェルゴの姿。周囲の木々に闇の弾丸を放って倒し、攻撃を遅らせる。その間に後ろへ移動。相手の行動を注視する。ただ、ここから純粋な魔法勝負を仕掛けてくるとは思えない。ただでさえ、この魔力障害の跡地に溜まってる余波の魔力が推定より少なかったのだから。相手としても、その少ない魔力を慎重に使いたいはず。さぁ、魔力を節約する為にどう動く?
…動きが無い。こっちの動きを誘っている?水と火の魔法を組み合わせて蜃気楼で視界を誤魔化して逃げられたかもしれない。だからといって確認しに行った場合、闇魔法で防ぐのが間に合わないほどの至近距離で攻撃される可能性がある。面倒な話です。こうなれば…
「使用人。こちらへ。」
最悪の場合、領主との仲がこじれて面倒なことになりそうですが。ジェルゴさえ撃破出来れば、ハザマユウリを使用人としておく必要性は低くなる。彼女は悪人では無いのでしょう。それぐらい、「あの日」に彼女と交わした会話で分かります。それでも、いえ。だからこそ。あなたはきっと、いつか私の障害になる。故に…
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
嫌な予感しかしない。ただ、ここで断るっていう選択肢も無いから行くしか無い。
「何です?」
モズさんの隣に着くと、ネックレスを渡された。デザインがやけに禍々しい。視線をネックレスからモズさんに戻すと、いかにも早くしろって言いたげな目でこっちを見てた。付けろってことかな?
「特別な魔道具です。これを付けて、ジェルゴの元に。姿を現したら、そのネックレスに出来るだけ多くの魔力を。」
モズさんが右足の爪先で地面を蹴る。さっきの声も軽く震えてたし、イラついてるのかな?
「そうしたら、何が起こるんです?」
「何故あなたに教える必要が?」
これはきっと、捨て駒にされるやつだ。だからといって従わなかったら使用人としての立場が無くなって、この世界での生きることがほぼほぼ不可能になる。要は八方塞がりってやつ。
「分かりましたよ。」
ネックレスを付ける。突然の襲撃に備えて前に注意しながら、ジェルゴが姿を消した辺りに移動する。普通なら木に潰されるだろうけど、その常識が通じないのがこの異世界で、あのジェルゴ。警戒は怠らない。倒木の側まで来たけど、倒木が多過ぎてジェルゴの姿は見えない。なるべく気配を消しながらさらに近付いて、倒木の隙間も確認する。
ここだけの話、ジェルゴが戦闘不能な状態で生きていてくれたら嬉しい。あたしが「向こうの世界」に帰る方法を知ってる可能性があるから。帰ったところでやりたいことなんて無いけど、少なくともここよりは安全だから。
そんなことを考えながら探っていると、確認したはずの背後から唐突に飛び出して来た影に捕まる。多分、魔法か何かで隠れてたんだと思う。そんな展開も考えてたあたしは焦らずに、モズさんの指示通りにネックレスにありったけの魔力を込める。と、ネックレスから大量の闇が溢れ出る。その闇は、あたしとジェルゴを包み込んで。さっきとは比べ物にならない倦怠感に襲われる。さっきは動きにくかっただけなのに、今回は身体が石になったみたいにまるで動けない。その影響はジェルゴに対しての方が大きいみたいで、魔法でこの状況を打破しようとしない。魔法の力すら封じ込めるらしい。闇魔法に使った魔力が光魔法に打ち消されて無駄にならないことは結構なんだけど。問題を挙げるとしたら。
「これで、終わりです。」
あたしがジェルゴから離れる術が無いこと。そして、モズさんがジェルゴだけにダメージを与えるような生半可な攻撃をするわけが無いってこと。つまり、このままだと私も…
そんなあたしの予想を肯定するみたいに、少しずつモズさんの手元に闇のオーラが集まる。これは、想像以上に…
「待ちたまえ‼︎僕は魔霊だからいずれ蘇る‼︎けれど君が巻き込もうとしているこの子は‼︎」
「命乞いは結構。お前がいない平穏な時間。それが必要なのです。彼女には、その礎になってもらいます。」
喋ってる間にもオーラは大きくなる。どうにか生き残る方法…少しでも動けたらジェルゴと木を盾にしたんだろうけど…ダメ。思い付かない。何か方法は…少しずつ効果が薄れてきたのか、後ろからも魔力が集まるのを感じる。それでも手遅れ。もうモズさんの手元には濃密な闇のオーラが溜まりきってる。モズさんの口が小さく動く。小さな声で言ったその言葉は魔法の轟音で掻き消されて、あたしの耳には届かなかった。
闇の魔弾はゆっくりとした速さで、それでもろくに動けないあたし達を逃がさない為には充分過ぎる速さでこっちへ飛んでくる。やるなら焦らさず一思いにやってよ…まぁ、やられたく無いけど…てか、この速さなら最悪ジェルゴだけ逃げて、あたしだけ死ぬ可能性すらある…?
「間に合え…」
背後で練られる魔力も上がってる‼︎本格的にやばい‼︎…え?だんだん体が楽に…?もしかして、自分だけじゃなくて、あたしのことも…?何で⁉︎
「逃がさない‼︎」
そんなあたしの動揺をよそに、ネックレスが崩れて体への負荷が戻ってくる。せっかく逃げれそうだったのに…
「そこまでです。」
あたしの負の感情に風穴を開けるような、白い風。その風が、空から聞き覚えのある声を運んで。風がモズさんの攻撃を止める。風と闇が拮抗している内に一つの人影が空から飛来。あたし達とモズさんの間に割って入ってくる。白い風の光のせいで逆光になってて、顔は見えない。それでも割り込んだのが誰かははっきり分かった。目の前の「彼女」は、吹き荒れる風に負けないぐらい白い髪をなびかせて剣を抜く。
「ヤァッ‼︎」
短い気合いと白い風の流れに乗せて剣を振るう。風の音に比べたら、魔弾と剣のぶつかり合う音は静かで。高速で剣を振り抜いたシュッって音だけを響かせて、「彼女」は剣を振り抜いた。風がやんで、静寂。一呼吸の静止の後、魔弾はガラスが割れるような甲高い音を響かせながら、太刀筋のところから崩れるみたいに消えていった。逆光じゃなくなって、はっきり見えるようになった「彼女」は、あたしの予想通りの人物で。
「モズさん…何故ハザマさんを巻き込んだんですか…っ‼︎」
「…あるじ様…」
あたしを庇ったシロエさんとモズさんが対峙した。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
向き合うシロエさんとモズさん。あたしはそんな二人に気を取られ過ぎて、後ろにいる一番警戒すべき人物から気を抜いてた。
「グェ‼︎」
急に後ろから襟を引っ張られて喉が締められたせいで、大変恥ずかしい声を出しちゃった。ただ、体は大分動くようになった。こんなに早く治ったのは、あの白い風の影響もあるのかもしれない。
「待ちなさい‼︎」
「やめて下さい‼︎待つのはあなたです‼︎」
槍でこっちを狙うモズさんを、シロエさんが止める。
「止めないで下さい‼︎」
「止めなかったら、あなたはハザマさんごと‼︎」
二人が揉めてる内にジェルゴがあたしを連れて逃げようとする。それに気付いたシロエさんが風の壁で逃げ道を塞ぐ。ジェルゴはその壁を壊すべく逆向きの風を作って、シロエさんの作った壁の力を弱くする。
「逃げるよ‼︎」
「え?」
さっきからそういう動きは見せてたけど、やっぱりジェルゴは…そんなことを考えてる内にシロエさんが急接近する。その速さに対応出来なかったジェルゴに蹴りを当てると、その勢いでジェルゴとあたしが少し離れる。それを見計らってシロエさんがあたしに手を伸ばして…
「…えっ?」
戸惑いの声に、一瞬の間。あたしは戻ってきたジェルゴに後ろから捕まる。そんなあたし達を闇の魔弾が襲う。ジェルゴが弾ききれなかった魔弾があたしの服を割き、皮膚を掠める。
「面倒な…」
ジェルゴを見ると、明らかにあたしよりも傷付いていて。それはきっと、あたしを庇う為に弾けるはずだった自分への魔弾を弾かなかったからで。
「面倒、ねぇ。それに関しては、こっちも同じなんだよね。」
横から声。目線だけで声の主の方を見ると、そこにいたのはマグドさん。彼は懐から札を取り出して、それに桃色の炎を灯して投げる。投げた先を見ると、またあたしを巻き込んで追撃しようとするモズさんと、それを止めようとするシロエさんの周りに氷の壁が出来た。
「…何のつもりかな。」
「逃げて良いよ。僕目線だと、今ことを構えてもあの二人が噛み合わないから勝ち目は無い。そっち目線だと、人質を作れてるとはいえ三対一は避けたい。だから、今は仕切り直そう。」
氷の壁の先で、どうにか壁を割ろうとしている二人の姿が透けて見える。
「…分かった。この娘は、貰っていくよ。」
「うん。今のところは、預けておくよ。」
あたしを担いだジェルゴが移動し始めた数秒後に、氷が割れる音がした。




