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滅びし者たちの跡

作者: 鬼畜軍曹

 大理石と花崗岩でできた白い館を日が照らしていた。館は、背景となる空と海の青さと鮮やかな対象となっている。その館にある海を望む庭に2人の者がいた。1人の者は緑の草が生える地面に腰を下ろしながら鶏肉の足を食べ、もう1人の者は白い寝椅子に横たわりながら金のゴブレットで赤ぶどう酒を飲んでいる。

 事情を知らぬ者ならば、2人が一緒にいることに驚くだろう。地に座りながら鶏肉を食べている者は、頭に角が生えて緑色の肌をした小柄な者である。魔物であるゴブリンだ。寝椅子に横たわっているのは人間の青年だ。魔物と人間が一緒にいれば、普通ならば殺し合いになる。

 ゴブリンと人間は、警戒心のかけらもない様子で海からの風に共に身を任せていた。


 館のある地は、大陸の南部の海沿いにある地である。古代においては大帝国の中心だった所に近い地であり、帝国の滅びた後には帝国の名残がある地である。この地に領土を持つ諸侯である青年は、花崗岩と大理石でできた古代風の館を築いて暮らしていた。

 青年は滅びた帝国の服を模した白麻の服を着て、あるいは東方から輸入した絹の服を着ている。そして、仕事の合間に古代の哲学者の本を読んで思索にふけり、古代の詩をそらんじながらぶどう酒を楽しんでいる。日の光を愛する青年は、昼に海を眺めながら酒を飲むこともある。現代の者が日々欠かさぬ「唯一の神」への祈りなど、彼には蛮族の野暮な行為にしか見えない。

 青年は1人の魔物を飼っていた。彼の領土をうろついていたゴブリンであり、領民に殺されそうになっているところを救ってやった。それ以来、青年はゴブリンを身近に置いている。ゴブリンが青年を殺そうとすることを危惧する臣下の者もいたが、青年は一笑に付した。ゴブリンが青年の元で暮らして1年になるが、ゴブリンは青年に危害を加える気配はない。


 館の東側には緑の草に覆われた丘がある。その丘には古代の街跡があり、街の中心であった神殿の柱廊が残っている。青年とゴブリンは、日差しを浴びながらその柱廊を歩いていた。柱廊は元の色は白だったようだが、今は灰の色をしている。柱廊を抜けたところからは南から西にかけて青い海が見えた。

「トム、いつ見てもここから見える海は素晴らしいな。この神殿は海神を祭っていたらしいが、この見晴らしならばそれもうなずける」

 トムと呼ばれたゴブリンは、海と青年を交互に見る。彼は何か言おうとしたが言葉が出ず、仕方なさそうに青年に笑いかけた。

「古代においては様々な神があがめられていた。海神に日神、地神に農耕神、冥府の神まであがめられていた。今では、ひとつの神しかあがめることを許されないがね」

 青年は、柱を撫でながら海を見渡して語り続ける。

「神々にまつわる様々な物語があり、それに基づいて様々な物が創られた。神殿はもちろんのこと、彫像が創られ壁画が描かれた。街そのものが神のために創られたこともある。様々な神に仕える者たちが、それぞれの物を創り上げた。その多くの物が壊されてしまった」

 青年の目は険しくなる。

「今この大陸を支配する宗教は、古代帝国時代には迫害されていたそうだ。その1つの神を信じる宗教がこの大陸を支配すると、信徒たちは復讐を始めた。古代帝国の築いた物を次々と破壊して、古代の宗教を信じる者を異端者、悪魔崇拝者呼ばわりをして狩り出した。古代の精華で残っている物はわずかだ」

 トムは青年の話を黙って聞いており、そんなトムを見て青年は表情を緩めた。青年は、トムから視線を外すと海のかなたをじっと見つめ始める。あたかも滅び去った古代を見ているかのように。

「今の支配者たちは、お前たち魔物を滅ぼすことしか考えていないようだ。お前と共にいる私は、連中の標的になるだろうな。まあ、古代にあこがれ続けた私は、とっくの昔に連中の標的だがね」

 青年は、海のかなたを見つめながら苦笑した。その瞳は霞がかかったようになる。

「古代に行ってみたいものだな。あるいは、魔物たちの支配する国に行ってみたいものだ」

 トムは青年の服の裾を引いた。

「ヴィルジリオさま、笛を吹いてくださいますか?」

 ヴィルジリオと呼ばれた青年は、目が覚めたようにトムを見た。そして、どこかぼんやりとした表情でほほ笑む。

「ああ、いいだろう。私にできる数少ないことが笛を吹くことだ」

 ヴィルジリオは懐から銀の横笛を取り出すと、目を細めながら笛を吹き始めた。海風の中を澄んだ曲が流れていく。古代において海神にささげられた曲であり、今ではほとんどの者に忘れられた曲だ。

 はるか昔のことだが、この丘は海神に奉じられた街の中心であり、海神を祭る神殿が建てられていた。人々は、日に照らされ海風にふかれながら神殿に詣でていた。もはや、神殿は崩れて詣でる者はいない。1人の人間の青年が笛を吹き、1人のゴブリンがその曲を聴いているだけだ。


 時代によっては、古代にあこがれて夢見ることは許されたであろう。それを人前で露わにすることも許されたかもしれない。だが、ヴィルジリオの生きる時代は違っていた。1つの神をあがめる者たちが大陸を支配して、異端審問と「聖戦」を励んでいた時代だ。多くの物が破壊され、多くの者が殺された時代だ。

 ヴィルジリオは、時代に合わせることのできない罪を購うこととなる。


 館の中は怒号と悲鳴が交差し、剣戟の音が響き渡っていた。火が放たれており、煙があたりに充満している。煙の中から血刀をふるいながらヴィルジリオが現れた。体を染める血は返り血だけではなく、己の傷口からあふれる血も混ざっている。

 一神教をつかさどる教会はヴィルジリオの古代崇拝を責め、身近にゴブリンを置くことを涜神の証拠と見なした。教会がヴィルジリオを異端者と宣言すると、王はそれを利用してヴィルジリオの領土と財産を奪おうとして攻めてきたのだ。ヴィルジリオに仕える者の多くは王の側に寝がえり、王はたやすく領内に軍勢を進めてきた。こうしてヴィルジリオの館に兵たちがなだれ込んできている。

 ヴィルジリオの古代風の館は、教会の者の憎悪の的であり王の嫉妬の対象である。王は、わざわざ破城槌を持ち出して館を打ち壊そうとしていた。激しい衝撃と共に石壁が崩れる音が響きわたる。館の中には古代の彫像や花器が置かれ、古代の神々や英雄を描いたタペストリーがかけられている。それらは打ち壊され、踏みにじられ、火を放たれていた。壊す者たちは、実に楽しそうに笑い声を響かせている。

(私は滅びるのだな、古代の精華と共に)

ヴィルジリオは、苦痛にゆがんだ顔に笑いを浮かべた。

(こうなることは分かっていた、早いか遅いかの違いだ)

 彼は苦さと共にそう笑う。

 ヴィルジリオは、館から抜け出すと海の見える庭に出た。トムという名のゴブリンと共に海を見ていた庭だ。庭の向こうは王の兵たちが囲んでおり、ヴィルジリオに逃げ場はない。彼は、ほほ笑みながら海を見た。どうせ滅びるのならば海を見ながら滅びたいと思っていたのであり、その願いはかなえられそうである。

(トムは逃げ出すことができたのか?)

 ヴィルジリオは、事前に船に乗せたゴブリンのことを思い浮かべた。海の向こうには魔物の支配する地があり、その地と交易する海商にトムを託したのだ。彼は、共に暮らしたゴブリンを滅びゆく自分の巻き添えにしたくなかった。

 滅びようとする男は、懐から銀の盃と小壺を取り出した。彼は剣で自害することは野蛮だと見なし、毒酒で滅びようとしているのだ。盃に毒酒を注ぐと館と海を見渡した。己の愛したものを眺めながら盃を口につけようとする。

 その時、信じられぬものを目にした。空と海を背にして、トムが彼の前に立っていた。


「なぜ、お前がここにいる?死ぬつもりなのか?」

 トムはほほ笑むと、ヴィルジリオをじっと見つめた。

「魔界へ行きましょう、ヴィルジリオさま」

 トムは、沈んだ表情であたりを見渡す。

「僕は、魔王さまに命令されてヴィルジリオさまの所へ来ました。魔王さまは、日の光に照らされた古代の跡を愛するヴィルジリオさまを評価しているのです。ヴィルジリオさまが滅びることを惜しんだ魔王さまは、魔界へ行く手立てと共に僕を派遣したのです。僕の持っている小杖を使えば、魔界への道が開けます」

 魔王の配下であるゴブリンは、沈んだ表情で人間の男を見つめる。

「この国は、この世界は、ヴィルジリオさまを苦しめるだけでしょう。ヴィルジリオさまが安らげる所は魔界にしかないかもしれません。魔界は人ならざる者たちが暮らす地ですが、人がかつて創ったものを愛する者たちもおります」

 魔性の者は手を差し伸べた。

「さあ、共に行きましょう」

 ヴィルジリオは、魔性の者にほほ笑み返してその手を取った。彼は、自分がこの世界で生きていけないことは分かっている。


 館を取り囲む兵たちの目を紫色の光が射た。その光の中には、人間の男とゴブリンが立っている。彼らに矢を射かけようとした兵もいたが、光に目を刺されてどうすることもできない。

 館が崩れ落ちると共に光は消えた。後には煙と土埃が立ちのぼるばかりである。



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