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【完結済/手直しするの止めました】神殺しの皇女  作者: 埼山一
第九章 クニを盗ル(二)
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第81節 神楽舞う中で(其の五 酒酌神妙)

「そのように離れていては酌がしづらかろう。もっと近くに来い。」


 トラひげの奴が何かを言っては、ハッハッと上機嫌に笑う姿が面の隙間から覗いて見えるたびに、わしは正体が見破られていない安堵感と、いつ策を決行に移すべきかという焦燥感がせめぎ合って、どうにもこの場に居たたまれなくなっていた。


(いっそ、もうここでこやつを殺して逃げるか。)


 それをやろうと思えばできる。正体を隠してまで祭りに乱入した甲斐あって、そういう近さに奴はいる。

 しかし今それをすれば、わしは速やかにここから逃げ出さねばならない。

 すると、わしと我が兵とは入れ違いになり、その結果、この祭り会場で兵民入り混じった乱戦が始まってしまうことは目に見えている。


(ダメだと言っておろうが!)


 わしは血迷った提案をしてきたおのれの心を叱責した。

 今まで散々否定してきたただの短慮が名案に思えてならないほどに我が神経はすり減り、追い込まれているが、できぬものはできぬのだから今は耐えるしかない。

 そんなことを考えていると何やら腰のあたりに迫りくる気配を感じて、わしはふわりと綿毛のように身をかわした。


(まったく油断ならぬな。)


 わしは奴への嫌悪感を面の裏で露にした。

 トラひげは今舞い踊っているこのクニの巫女にあまり関心を示すことなく、何かと言ってはわしの腰に手を回そうとしてくるが、さすがに体に触れられるのはまずい。

 わしは顔の造りはともかくとして、体の方は稀代の英雄に相応しい無駄のない肉のつき方をしており、残念ながら女子のようなしなやかで吸い付くようなものを持ち合わせてはいないのだ。

 この肉体こそ、いかなる難局もこの身一つで乗り切ってきたわしの自慢でもあるのだが、いやらしく忍び寄ってくる奴の手に触れられることなくあしらわねば、この麗しき巫女の正体が男だとたちまちの内に奴に気取られてしまうだろう。


(まったく、ここの連中はどいつもこいつも艶呆(いろぼ)けしおって。)


 わしは悪態をついてやりたい気持ちを抑えながら、再び迫ってきた手をするりと容易くすり抜けた。

 しかしトラひげの奴は、この仕草すらも優美なる神楽舞の続きであるかのようにするりふわりと巧みに躱し続けるわしを見て、それもまた余興と捉えたのか、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて酒をグイと飲み干しては、また酌を要求してくる。


(ええい。もう何杯目だ。)


 いい加減くどい奴だ。

 一度きりの酌で下がれと命じられてもそれはそれで困るのだが、こう引っ切り無しに酌を要求され、さらにはお触りまで求められると気が安まる暇がなく、苛立ちが募ってゆく。

 どうやら相当に我が神楽舞がお気に召したようで、奴の好みから外れた外見にも拘らずこの執心ぶり。

 しかし、気に入られたのは良いが、いささか悪戯が過ぎる。

 わしは合図はまだかと首を長くして、酒を注ぎながら広場の入口付近に目をやってみたが、我が兵が入ってくる様子はない。


(やはり失敗したのか。)


 手負いの「ひいの君」のみならず、我が懐刀の「二の矢」までもがしくじったなどと考えたくないことではあるが、もしそうであれば、いつまでもここでこんな奴の相手をしている必要もないのだが、さりとて次なる策があるわけでもない。


(むむ……。)


 そうこう考えているうちに酒を注ぎ終わると、またしても我が腰に回された奴の手をくるりと躱した。

 あまりのしつこさに「ちっ」と舌打ちしたくなるものの、やはり我慢する。

 先ほどから奴は、触ろうとする手の気配をわざとわしに気付かせては躱させて喜んでいるが、まさしく余興のつもりなのだろう。

 だが、触れられては一大事のこちらとしてはたまったものではない。

 トラひげは注がれた酒をすぐさまグイと一息に飲み干すと杯をズイと差し出してくる。


(まったく、おちおちと考える間も与えてくれぬか。)


 いい加減、奴のおかわりに応じなくても良さそうな気もしだが、まだ策が失敗したと決まったわけではない以上、この後のためにも機嫌を損ねてこやつから遠ざけられる事態だけは何としても避けねばならない。


(いや、もし仮に彼女らが本当にしくじったのであれば、その方が無理なくこの場を去れるか。)


 その考えに、酒を注ぐ動きがピタリと止まった。

 此度のクマ討伐は失敗になるが、どうせこちらが失った物は、贈与品を購うのに使ったいくらかの財ぐらいのものだ。

 それでも決して安くはなかったが、人材に損失がない以上またあらためてクマ国攻略に取り掛かればよいではないか。

 わしはそこまで考えると、自分がなぜこれほどにまで心を砕いてまでいるのかを思い出した。


(いや、それはだめだ。いかん。それでは彼女を救えぬ。)


 彼女をトラひげの暴虐の手から護る。これは今となっては譲れないことだ。

 絶対に彼女をこの異邦の地から救い出しヨシノに帰す――

 そう思えばこそわしは心の内では渋々と、しかし表にはそんなことはおくびも出さずトラひげの要求に応え、静止していた体を再び動かして酒を注ぎにかかった。


(むっ。)


 不意に感じる腰への気配。今までよりも大分近い。いらぬことに意識が向いて警戒がおろそかになっていたか。

 もう奴の体温すら感じるほどに近づいてしまった奴の手は、今からではどうやっても躱すにはとても間に合わぬ。

 かと言ってこのまま触られるわけにもゆかず、わしは咄嗟に手で払い除けてしまった。

 パチンと乾いた音が鳴る。


(しまった。)


 先に立つ後悔というものがもし存在するのであれば、こんな失態は決して犯すまい。

 いかに咄嗟のこととは言え、奴に触れてしまったのもまずいが、何より大王に無礼を働いたのがもっとまずい。

 ここで奴の勘気を被れば、もう否応なしに策を進めるかはたまた逐電するか、いずれにしても先の展開の読めぬ事態に陥ってしまうだろう。


(どう来るか……。)


 トラひげの出方を見極めるべく、わしはその動向を固唾を飲んで見守った。

 奴は黙って払い除けられたおのれの手をまじまじと眺めた後、そして言った。


「たまらんわい。」


 むふっとした奴のいやらしい顔に思わず安堵の吐息が漏れる。


(助かったか……。)


 しかしこんな薄氷を踏むような危険を何度も犯すわけにはいかない。

 払われた手を擦りながら、むふっとにやけるトラひげに「二度と触るな、変態め。」と罵倒してやりたい衝動を抑えたわしは、会釈を以て手を払い除けた非礼を詫びた。


(「ひいの君」よ。)


 そう長くは待てそうもない。

 わしは彼女らが我が兵の引き入れに成功することを強く願い、今か今かと待ちわびていた。


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