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【完結済/手直しするの止めました】神殺しの皇女  作者: 埼山一
第九章 クニを盗ル(二)
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第79節 神楽舞う中で(其の四 階段登昇)

 何者かの悲鳴が聞こえたような気がしてわしは辺りを見回したが、それらしい者は見当たらなかった。


(気のせいか。)


 わしは気を取り直すと目の前に迫った宮殿を見上げて足を止めた。

 辺り一帯には冷めやらぬ熱気と囃子の音が立ち込め、先ほどまでいた場所ではすでに別の者が囃子に合わせて、素朴で健気な舞いを披露し始めている。


(ついにここまで来たか。)


 見上げた視線の先にいる男の姿を見て、面の裏に隠されたわしの表情がこわばった。

 台上では不敵な笑みを浮かべたトラひげが床几にドカリと腰をかけ、相変わらずの不遜な態度でこちらを見下ろしている。

 奴から視線をずらせば、宮殿越しに辛うじて見えるのは「ひいの君」らに任せた見張り櫓。

 その篝火は未だに消えていない。


(何をしておる……。)


 握ったこぶしに力が入る。

 彼女らを信じぬわけではないが、このままではいよいよ暗殺、逐電策が現実味を帯びてきそうだ。

 しかしそれに一体何の意味があるというのか。

 クマ国を平らげることができぬのであれば、あんな男ただ一人を討ったところでどれほどの意味も成さないではないか。

 せいぜいが、今まで散々謙って奴のご機嫌取りに心を砕いていたわしの胸がいくらかすくといったぐらいか。


(何を馬鹿なことを。)


 さすがに、そんな小さな私怨のためにこれほどの危険を冒すほどわしは愚か者ではない。

 わしほどの人物ともなれば、やはりその生涯は大望のために捧げるべきなのだ。


(クマ国の制圧……何としてもやり遂げねばならぬ。)


 我が大望は我が君が為にあり、我が君がそれを望まれる限りわしは生涯を懸けて応える。

 我が君はわしを信頼してこの地に送り込んだのだ。ならば、その期待に応えぬわけにはゆかぬ。




 ここで最も避けるべき事態は、やむなくトラひげを討ち果たし、わしがこの柵から首尾よく逃げおおせた後に我が兵が雪崩れ込んでくることだ。

 トラひげとわし。共に指揮を執る者が不在の兵同士の衝突が起きた場合、被害は兵のみにとどまらず、この地に住まう無辜の民にまで及ぶであろうことは想像に難くない。

 そもそも、わしに託された兵はクマの兵に比べはるかに少なく、正面からぶつかり合えば必ず負ける。

 クマの制圧が成らぬのみならず、我が君より預かった大事な兵まで失ってしまう。これは絶対に避けねばならぬことだ。

 なればこそ、慣れぬ手練手管を用いて損害を出さぬことに努めてきたのだ。


(それに……。)


 やはりこの場合でも気にかかるのは彼女、「ひいの君」のことだ。

 例え双方の損害を抑え撤退することができたとしても、我が兵を手引きした者が誰かなど少し調べればすぐに判ってしまうだろう。

 そうなれば彼女は無事では済むまい。




「ほれ、何をしておる。大王がお待ちじゃ。行かんか。」


 思案に耽るあまり、その場から動こうとしないわしの尻を、ぐりぐりといやらしい手つきで押してくるこの小者大臣が鬱陶しい。


(触るでないわ、(いろ)呆け爺めが。)


 わしを女子(おなご)と信じて疑っていないのか、どうにか理由をつけては尻を触りたくて仕方がないらしい。

 しかしながら、こやつの狡く下品な態度に腹は立つが、言っていることは別に間違ってはいない。

 いつまでも踏み留まっているわけにもゆかず、わしはこの下心見え見えの爺を殴りつけてやりたい気持ちを抑えると、押されるままに階段に脚をかけた。

 そして、最後にもう一度だけ櫓の篝が未だ健在であることを確認する。

 この階段を登ってしまえば最後、宮殿に遮られて櫓の様子を窺うことはできなくなるだろう。

 ここから先は来るはずの我が兵を信じて手筈通りに進めるべきか、それとも兵のことは諦めおのれの判断によって事を進めるべきか。


(ええい、ままよ。)


 ここまで来て迷っていてもどうにもならん。

 どちらを選ぶでもなく、ただ腹を括ると手を開いてから親指をぐぐっと握り込んでこぶしを作り、そして段にかけていた脚にぐっと力を籠めると、その一歩を踏み出した。

 一段また一段とゆっくりと歩みを進めるたびに胸の鼓動が強く早くなってゆき、その一方で昂る気持ちを静めるために呼吸の方は深くゆっくりになっていった。

 ここまで来てしまったらもう櫓の様子を窺うことは難しい。しかし、せめて少しでも時を稼ぎたい。

 一段また一段……。逸る気持ちを抑えて慎重に階段を踏みしめながら登ってゆく。

 そして――

 結局大した時間稼ぎにもならないまま、ついにおのれの目の前には床几に悠然と腰かけたトラひげの姿が現れてしまった。


「……。」


 わしは無言のままひざを折り、頭を垂れ、奴に敬意を表してみせる。


「随分と焦らしおったな。こちらに来て酌をせよ。」


 トラひげは、眼前に控え低頭しているわしに向かって手にした杯を突き出しながらフフと笑って酌を命じた。


(本当にこれでいけるのか。)


 面も着けているし大丈夫だとは思うが、ここまで近づくとさすがに正体が見破られはしないかと冷や汗が噴き出してくる。

 正体はいずれ、わし自ら明かすことになる算段だとはいえ、当たり前だが今はまだ早い。

 わしは下げた頭をさらにもう一度下げると、命じられるままにトラひげの脇について酒甕を手に取った。


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