第74節 見張りが二人
「もし、見張りの方。」
「何だ。」
櫓の麓まで歩み寄ったわたしが精いっぱいの声で見張りの兵を呼ぶと、すぐに威勢の良い返事が返って来た。
「えと……。」
頭上から降ってきた質問に、すぐに用件を切り返したかったけど、張り上げた自分の声が予期せず頭にひどく響いて、それどころではなく黙り込んでしまう。
(うう……。)
たった一言大声を出しただけで、頭がくらくらして立っていることもままならないほど憔悴している自分の体調を思い知って、焦り感じていた。
「どうした?」
答えが返ってこないことを不審に感じた見張りが、そう言って櫓から身を乗り出してこちらを見ている。
(もうなんでもいいから、とにかくやらなきゃ。)
わたしの役割はまだ始まってもいないのに、もう失敗するわけにはいかない。
わたしはぐわんぐわんと廻る頭痛を気持ち一つでやり込めた後、その不屈の根性を両脚に込めて、えいと踏ん張って頭上を見上げて散々練習してきた例の口上を唱えた。
「……お勤めご苦労様です。夜風が骨身に染みる事でしょう。笹をお持ちいたしました。これを飲んで冷えた体を温めてください。」
何度も練習した甲斐あって、言葉を詰まらせることもなく言い切れたことが安心と自信につながったのか、この役目をやり遂げようとする勇気が心の内側から湧いてきては、それが自然とわたしの意図しない笑みに繋がった。
「そうか。これはありがたい。」
「甕を持って上がることはできません。どうぞこちらへ。」
「うむ。待っておれよ。」
自身も勇気も得たわたしの言葉に淀みはなく、それを信じた見張りの兵はそれだけ言うと姿を引っ込めたきり、顔を見せなくなった。
(ふう……。)
上手くいった。
ふわふわとして芯の通らない体を櫓に寄りかけながらどうにか待っていると、見張り櫓から白髪混じりでひげのっぽのおじさんとあまり特徴のなさそうな青年、二人の兵士がわたしの前に姿を現した。
「おお、こんなにか。これはありがたい。」
降りてくるなり、わたしの抱えていた甕の大きさに喜色を見せたおじさんが言った。
「あなた方だけですか。」
「うむ。まったく貧乏くじを引かされたものよ。」
わたしの問いに屈託なく答えるおじさんは、早く酒を飲みたくて仕方がないといった様子だ。
「ですから、こうして差し入れを持って来たのです。」
「そうだな。まったく娘さんには感謝してもしきれんわ。」
すっかりその気になってはっはと笑うおじさんと、おじさんの機嫌を損ねないようにふふと愛想を良くするわたし。そんな二人とは対照的に、何やら渋い顔をしている青年が口を開いた。
「……見張りの最中に酒というのは――」
「何を言う!」
青年の言葉に即座に反応したおじさんは、目尻を吊り上げて叱り飛ばした。
「今宵はめでたい祭りの夜なのだぞ。ここで酒の一杯も飲まんでどうする。」
「ですが見張りがある以上――」
「酒を飲んだら見張りができぬと誰が決めた。」
「そういうことではなく――」
「――。」
尤もなことを主張する青年と、青年が言い終わらないうちに反論するおじさん。
口論を始める二人の見張りを前にして、わたしは迷うことなくおじさんの方に肩入れした。
「せっかくのお祭りの日に、あなた方だけ仲間外れというのは良くないです。」
どうやら結構な酒豪らしいおじさんはわたしが同調の意を示したことに、それ見ろとご満悦そうな顔を見せた。
「しかし――」
「おいコラ。」
「――って。」
なおも渋り続ける青年に、ついに我慢が利かなかったおじさんの容赦ないげんこつが彼の頭を打って、彼は押し黙った。
「せっかくこの娘さんが祭りを抜け出してまで持ってきたんだぞ。断るのは失礼だろう。」
「……。」
一発もらって不機嫌になった青年は打たれた箇所を擦りながら、それでもまだ納得しかねるという顔をしている。
(う~ん……。)
わたしはそんな二人のやり取りを見て少しだけ困惑した。
わたしとしては、このままおじさんに押し切ってもらう方が、手間が省けてありがたいのだけれど、このまま放っておくと説教に発展してしまいそうな気配だ。
説教というのは得てして長引くもので、ここで長引くと後がつかえてしまう。
「あの、せっかくの祭りの夜です。それくらいで……。」
やり取りが間延びすることを恐れたわたしは慌てて二人の仲裁に入った。
「む……、そうか。そうだな。」
「そちらの方も。」
「……。」
目を三角にしていたおじさんは、「ね?」と言うわたしの求めに応じて矛を収め、青年もまた、何も言わないまでもわたしの不承不承ながら承知してくれたようだった。
わたしは辺りに漂っていた剣呑な空気が和らいできたのを見極めると、二人の気が変わらないうちに器を押し付けた。
「さ、少ないですが。」
わたしの有無を言わさぬ強引さに二人が器を受け取ったので、さっさと済ませてしまおうと甕を傾けたその時――
「っ!」
今日一番の激しい痛みがわたしの背中を襲った。
わたしはあまりの痛みに息が詰まって、酒を注ぐ動きが止まってしまう。
甕を持つ手が震えて、額や鼻の頭から汗が玉となって滲み出る。
何故零れ落ちないのか不思議なほど、涙も目元に見る見る内に溜まってきていた。
(うう……。)
これはもう間違いないと確信する。背中の傷が開いた。
「?……君は顔色が悪いようだが、大丈夫か。」
「むう。具合が悪いようなら無理せず帰って休んだ方がよいぞ。」
ただ事ではないわたしの様子を心配した二人が話しかけてくる。
もしできることなら二人の勧めに従って帰りたい。
(でも。)
できるわけがない。もうわたしは後戻りも失敗も許されないところまできてしまっているのだから。
「……何のことですか?……わたしは何ともありませんよ。」
わたしはニコリと柔和な笑顔を浮かべてそう答えた。
そして二人に酒を注ぐと、わたしはそのまま飛び切りに作った笑顔で勧めた。
「さあどうぞ。」
「お、おう。」
しかし、そんなわたしの愛想を受けても、今までの乗り気はどこへ行ったのか、おじさんは尻込みしているようで酒に口をつけようとはしなかった。
「いや、しかし俺は酒はどうにも苦手で――って。」
一方で、元より乗り気でない青年がそう言って相変わらず渋って見せると、何を思ったのか乗り気を失っているように見えたおじさんの鉄拳が再び青年の頭を襲った。
「いい加減にしろ。飲めぬわけでなし、いくら苦手でも一杯ぐらい口をつけるのが礼儀だろうに。」
おじさんは再び険悪になった青年からわたしに視線を移すと、たった一言だけ続けた。
「それになあ。」
「あ……。」
おじさんにつられた青年もわたしを見て、心配そうな顔をした。
二人がわたしを見た理由は分かっている。
何ともないと強がって見せたところで、隠しようがないぐらいにわたしの顔色は悪いのだろう。
そんな体調の優れないわたしが無理を押してまでここまで酒を持ってきた。――
ならば、我らはその意気に応えるのが人としての道だ。おじさんはそういうことを言いたいようだった。
「……それでは一杯だけ。」
おじさんの熱意に根負けした青年はため息とともにそう言った。
彼は酒がなみなみと注がれた器をじっと見つめた後、覚悟を決めたように「えいっ。」という掛け声とともにグイと一気に飲み干した。
(やった。)
ごくごくと音をたてて彼の喉が上下している様を、おじさんは満足そうに、わたしは内心ではハラハラしながらも表面には出さずにただ見守っていた。
「ぶはあぁぁぁ……!」
青年は注がれたすべての酒を残すことなく腹の内に収めると、まん丸くした目で空の器を見つめて、
「これは……なんと強烈な……。」
と言った。
(そんなに強いんだ。)
部屋で匂いを嗅いだ時に、さすがにそのままではきつすぎると思ったわたしは、その後倉にあった酒でいくらか薄めている。
それでもこういう感想が出てくるのであれば、元々はどれだけ強い酒だったのだろうか。
「れわ、おれわみあいいもおりまう。」
「……?」
では、俺は見張りに戻ります。――
自分の分を飲み干して、わたしに向かって一つ会釈した青年はそう言ったつもりになっていたようだが、何を言っているのかまるで分らない。
彼は見張りに戻ろうと踵を返すと、その足元はたちまちふらつきだしで、よろよろと千鳥のように歩いたかと思うと、たまらず櫓にもたれかかった。
「ぅおぇ……。」
そして、青年は何とも表現したくないような呻きをあげると、ついには支えを失ったウリのようにその場にへにゃりと倒れ込んでしまった。
(ええ……。)
わたしはあまりの有様にやはりこれは酒ではなく毒だったのでは不安になったものの、間もなく寝息を立てて眠りこけている青年の姿を確認できてほっと安堵する。
(結構薄めたつもりだったけど、それでもこれ……。)
やっぱりそのまま飲ませなくてよかった。
どういうつもりでこんな危険物を渡したのか知らないが、はやりタケハヤのする事は信用できないと思い知らされる。
一方おじさんの方はと言えば、青年の飲みっぷりにはじめこそ感心と満足をあらわにし、ふらついた時にはハハと笑っていたものの、今となってはうんうんと唸りながら眠りこける青年を見て、
「やっぱり飲ませない方がよかったかな……。」
と何とも申し訳なさそうに呟いた。
「そうですね。」
こうなることを望んでいたはずなのに、おじさんに同意してしまう。
しかし、青年が先にこうなってしまうと、今度はおじさんの方が警戒して酒を飲まないのではないか。
(失敗したなあ。)
乾杯でもさせて同時に飲ませた方がよかったのでは。
わたしが自分の不手際に気付いてどうしようかと思案していると、それでもおじさんはおもむろに酒に口をつけると勢いよく飲み干してゆく。
「あ、ちょっと。」
わたしは突然のことに思わずおじさんを心配して声を上げてしまった。
しかし、青年の様子を見てもなお躊躇しないとはよっぽど自信があるか、おじさんは青年以上に景気の良い音を立てて喉を上下させている。
(まあ、これでいいのかな。)
おじさんは青年を見てもなお、自分から口をつけたのだから。
わたしはどうしても毒物の疑惑がぬぐい切れないでいる不安とともに、おじさんが青年と同じようにたちまちにその場で寝入ってしまうことを期待して、その結末に注目した。
「んぐ……ぶはぁ……。」
注がれた酒をすべて腹中に収めたおじさんは、青年と同じように深く息を吐いた。
そして、やはり青年と同じように目をひん剥いて空の器を見つめると、
「うむ。うまいな、これは。いつもと違うようだがこれはどういった酒だ?」
と何でもない様子で言いながら空の器を差し出してきた。
「……さ、さあ、わたしには何とも。」
わたしの期待に反しておじさんは平然としている。青年が弱すぎたのか、おじさんが強いのか。
「……む。」
「……。」
おじさんは器をさらにずいとわたしに向かって差し出してきた。
脇に目をやれば、この酒を飲み干した青年は、確かにそこに寝転がってうんうんとうなり声を上げているのが見える。
目を戻せば、同じ酒を飲み干したはずのおじさんは、ケロリとしてこちらを見ている。
(どうなってるの。)
わたしはおじさんのまったく堪えていない素振りに呆れるばかりでその意味に気が回らなかった。
「……ちと失敬。」
「あ。」
眉をひそめたおじさんは、おかわりの要求にも気づかないほど呆然とするわたしから甕を取り上げると、手酌でかぱっかぱっとまるで清水でも流し込むように酒をあおりはじめた。
(だ、大丈夫かな。)
すぐに倒れてもらっても心配になるが、倒れる様子がなくても不安になる。
わたしは、どうしたものかとハラハラしながらおじさんが酒をあおる様子をただ眺めるしかなかった。




