第64節 火光か月光か
部屋の外では、太陽が地平の向こう側へと隠れてゆくのを待ちきれなかった人たちがいたのか、すでに祭りが始まっていた。
わたしが使っている賓客部屋は宮殿の敷地内にあるので、同じ敷地内で行われる祭りの様子を探るのは容易なことだった。
わたしは動くたびに軋む体を、それでも無理やりに起こしてふらふらとしながら窓にもたれかかると、外の様子を窺った。
囃子の音がトントンと調子よく鳴り響くこの部屋の外に広がった世界では、方々に焚かれた火を思い思いに取り囲んだ人々が、今年もこの日を無事迎えられたことに、大いに喜びをあらわしている。
――祭りが始まったら、ひときわ大きな歓声と光が見える。それが合図じゃ。見逃すでないぞ。――
わたしは打ち合わせた通りにタケハヤの言葉を信じて、ただ合図があらわれるのを待っていた。
(歓声と光ねえ。)
太鼓の拍子に交じった大きな歓声は、聞こえてくることもあったが、いくら待ってみても、光とやらは見えてこない。
(そもそも光って何?)
どうやってそんなものを用意するのだろうか。
彼が何を指して光と言っていたのか、確認しておかなかったことに気付いて、わたしは悔やんだ。
方々で盛大に焚かれている燎火の明かりはこの部屋にも届いているが、まさかこんな当たり前の火光がその合図ということはないだろう。
窓越しに覗く宵空には、この上なく明々と輝きを放つ月が登り、燎火の勢いに負けぬほどにこの辺り一帯を照らしている。
(月のことでもないよね。)
そんな当たり前のことでも、もしやと思わずにいられない不安な気持ちになるのも、すべては彼の言い出した予想のつかない合図のせいだ。
返す返すも彼の言葉は信用に値しないと思い知らされる。
(でも……。)
もしや自分の方に落ち度があって、合図を見落としてしまったのではないかと、幾重ものの不安がわたしに襲いかかる。
窓の外には、にぎやかに酒を酌み交わす人々と舞い踊る巫女、そして歓喜の声援。
これほどに柵全体がおめでたい雰囲気に包まれたのは、わたしがここに来てから初めてのことだった。
その一方で、窓の内に目を向ければ、そこにただ一人いるわたしは、そんな彼らとは真反対の昏い感情を以て、この祭りを台無しに――いや、祭りだけではない。このクニ自体を滅ぼそうとしている。
(もう、やると決めた。だから……。)
彼らの姿を見て痛む良心を押さえつけて、その決意をあらためて固くする。
許しを請うつもりなんてない。
わたしはただわたし個人の怨みと思惑のためだけに、このクニを潰すというタケハヤの算段に乗ったのだ。
祭りでは、囃子が一時鳴りやんで拍子があらたまるたびに、巫女が入れ替わっているようで、その都度わっと大きな歓声が上がっている。
(この歓声が合図なの?)
巫女の交代が行われるたびに、神経を尖らせているわたしの胸が動悸に襲われて、ただ待っているだけでも少しずつ息が上がってきてしまう。
(いや、これは違う。)
このぐらいの歓声ならば先ほどから何度も聞こえてくる。それでは合図にはなりえない。
それに何度辺りを見回してみても、光の合図の方が確認できていないままだ。
わたしは懐に忍ばせた竹筒に手を伸ばし、逸る気持ちを落ち着かせる。
――合図を確認できたらここを抜け出して、柵の入口の櫓にいる見張りにこの酒を飲ませる。
それがわたしに与えられた役目。
「お勤めご苦労様です。夜風が骨身に染みる事でしょう。笹をお持ちいたしました。これを飲んで冷えた体を温めてください。」
口ずさんだのはここ数日間、誰もいない時を見計らって繰り返し練習した口上だ。
(この後、見張りの人にこのお酒を渡して――)
と、ここで何かが心の隅に引っかかった。なんだろう。
心がモヤモヤとして、何かがおかしいと告げているが、その原因が分からない。
もう一度やり直してみる。
「――お勤めご苦労様です。――夜風が骨身に染みる事でしょう。――笹をお持ちいたしました。――これを飲んで冷えた体を温めてください。」
一言一言、注意深く口の動き方を確認する。
この後、見張りにこの酒を渡して……。と今度は身振りを交えて予行する。
「――あっ!」
わたしは違和感の正体に気付いて思わず声を上げる。
(お酒っ!)
違和感の正体はこの酒だ。宴の席から持ち出された酒が竹筒に入っているわけがない。
いくら宴の夜だからと言っても、竹筒に入った酒を振る舞うのは明らかに不自然と言うもの。せめてもっと自然な入れ物に移し替えないと。
とは言ってもこの部屋には何もない。手当てに使っている水甕ならばあるいはとも思ったが、その甕は都度片付けてしまってここには何も残されてはいない。
(何か……何かないかな。)
何でもよいから竹筒よりも自然な物を――
わたしは、きょろきょろとあたりを見回すと、部屋の片隅に置いてあるとある物に目が止まった。




