第4.7節 夜、思ひに耽る さあ行こう、憧れの地・海のクニへ(一)
※エピソードを分割挿入したため節数が小数点になっていますが、気にしないでください。
(母さま……考えてみれば昔っから変に心配性だよね……。)
思い出話に一息入れたわたしは、すぐ横で寝ている母さまを見てそんなことを思っていた。
夜はまだ長い。今は一年の中でも夜の長い時期だもの。だから、ちょっと思い出話に耽ったぐらいで早々に明けるような柔な夜じゃなかった。
(母さま、わたしを想ってくれてるのは分かるんだけど……。)
母さまは昔からよく怒って、よく褒めて、よく抱きしめてくれる……そんな女だった。
もっとも、本人にしてみれば怒りたくて怒ってるわけじゃないんだろうけど、わたしがあまりに言うことを聞かないものだから、結果的によく怒る女になってしまっていたのだ。
(それもちゃんと分かってるんだけどね……。)
わたしだって、怒られた時はちゃんと反省してもう同じ失敗はしないように心に決めているつもりだった。だけど、ただその反省があんまり長続きしないのがわたしという人なわけで。
とにかく、そんな母さまだったからこの時も別れ際にギューッと熱い抱擁をしてくれていた。これが母さまの愛情表現なのは間違いのないこと。
だけど、この頃のわたしはそんな母さまのそんな愛情と心配なんて知る由もないことで……。
――それは、わたしたちが海のクニに向けて出発してから少し経った時のこと。
「ふんふんふふ~ん♪」
時折吹いてくる川風に背中を押されながら、まだ見ぬ海のクニへの期待に胸を膨らませて野道を歩いていたわたし。
するとそんなわたしを見た父さまが、嬉しそうにわたしに話しかけていた。
「ははっ……随分とご機嫌だな。そんなに嬉しいか?」
「はいっ♪」
元気いっぱいにそう答えたわたし。だってこれからあの海のクニに行けるんだもの。これが嬉しくないわけがない。
すると、今度はわたしの手を取っている兄さまがわたしに話しかけてくる。
「あんまり調子に乗ってはしゃぎすぎるなよ。へばってもおんぶしてやらないからな。」
「ふふ~ん♪だいじょうぶです。」
そんなわたしの答えを聞いて、やれやれと言いたげな兄さま。
わたしだってわざとへばるつもりなんてないけれど、もしへばっちゃってもその時は兄さまじゃなくて父さまがおんぶしてくれるはず。だからわたしは、兄さまにそんな意地悪なことを言われても、全然気にせずに元気よく歩き続けていた。
そんな調子でしばらく川沿いの道を歩いていると、わたしたちの前にはちょっとした丘がその姿を現わしていた。
「ううむ……。」
その丘の前で立ち止まってた父さま。兄さまとわたしも釣られて立ち止まる。
「……?……この丘が何なんです?」
先に行こうとしない父さまを不審に思った兄さまが、そう尋ねていた。
「ううむ……この坂、子どもにはどうなのかと思ってな。」
そう言って丘の頂上を見ている父さま。
どうやら父さまは、わたしがこの丘をちゃんと登りきれるのか気にしているみたいだった。
「ああ、そんなことですか。」
でもそんな父さまの心配を、いとも簡単に切って捨てた兄さま。
「そんなことってお前……。」
「そんなことですよ、これは。こいつなら大丈夫です。何しろ、母上たちの隙を見ちゃ、卜占の練習もほっぽって遊び回ってるような奴なんですから。このぐらいの丘なら、こいつにはあってないようなもんです。」
「むう……そうなのか?」
それを聞いた父さまが眉をひそめていた。
兄さまの言うことは嘘じゃないとは思うけど、ちょっと信じられない。――そんなことを言いたげな顔だった。
でも父さまがそう思うのも無理もない。
だって、わたしは父さまの前ではいつも猫被って、いい子を演じていたのだから。父さまはそういうわたししか見たことなかったから、わたしが母さまの目を盗んで遊びに行っちゃう子だなんて全然知らなかったのだ。
だから、兄さまの突然の告発を聞いていて、一番困ったのは――
(あっ……あっ……。やめ……やめて……。)
そう。わたしだった。
だって、もしわたしがそんな子だって父さまが知っちゃったら、もうこの先、一生お土産を持って帰ってきてくれなくなるかも知れないのだから。いや、それどころか「こんな悪い子を海のクニに連れて行けるか!」って引き返すことになっちゃうかも知れないのだ。
いくら何でもそれはまずい。
(しっ!しぃーっ!やめて!もうやめて!おねがい!)
だからわたしは兄さまの手を引っ張った。
お願いだから、それ以上は何も言わないで。――そう伝えようと一生懸命に引っ張っていた。
でも、そんなわたしの気持ちなんてどこ吹く風の兄さまは、なんかニヤニヤしながら無情の告発を続けてしまう。
「――ええ、そうです。こいつは本当にもうしょうがない奴ですよ。外と名の付く場所ならいつだろうがどこだろうが見かけない時はないんですから。父上も、これからはなるべく外に目を配ってみるといい。そうすれば、こいつが至る所で走り回ってるのを、嫌ってほど見ることになるでしょうよ。」
それで言いたいことを全部言い終わったらしい兄さま。そして兄さまは、「――よっと。」と気合を入れると、悪行が暴かれて慌てっぱなしのわたしを抱きかかえていた。
「あっ――。」
抵抗する暇もないまま父さまに差し出されていたわたし。
「ほら。嘘だと思うなら、こいつに確認してみるといいですよ。」
「ひい。そうなのか……?」
「あ……えと……。」
急なことで、これと言った言い訳も思い浮かばずに、口をもごもごさせるしかなかったわたし。だからわたしは顔を伏せて、父さまと目が合わないようにするぐらいしかできなくなっていた。
(ごめんなさい。ちゃんといい子になります。だから、もううみのクニにつれてってやらないっていわないで……。)
心の中では十分に反省しているんです。ただ口に出せないだけで。だって口に出しちゃうと、兄さまの言うことが全部本当のことだって父さまに知られちゃうんだもの。
それは今後のわたしの変わらない日常のためにも避けておきたいことだった。
すると何も言えないわたしの態度に真実を悟ったらしい父さまの手が、ズズっとわたしの頭の上に伸びてきて――
(もしかして、たたかれるの?)
まさかそんなに怒ってるなんて……。この状況に我慢できなくて、目を閉じたわたし。
「ううむ……。」
父さまはいつもの口癖を言うと、そんな後ろめたさと後悔でいっぱいになっていたわたしの頭にポンと手を乗せていた。
(ひっ!)
父さまの手の感触に驚いてびくっとするわたし。
そして――
(ん?あれ?)
それきり父さまは何もしてこなかった。
恐る恐る目を開けてみると、父さまはそれきり何事もなかったように兄さまと話を続けている。
「――外を見ろ、なあ……。そうしたくても、俺も仕事がなあ……。」
もうわたしに関心がないのか、怒っているようなそぶりも見せずに話し込んでいる父さま。
「よっ、と。……ふう……。重くなったな、お前。」
そして兄さまの方もそんなことを言ってわたしを下ろすと、何事もなかったかのように父さまと話を続ける。
「――だから大王は普段からあれこれ抱えすぎるんですよ。だからこいつの実態を知る機会がない。」
「お、おう?そうか?」
「そうです。俺は、大王の役目ってのは人に頼ることだと思ってます。仕事は何でも人に押し付けて、自分は宮殿で昼寝でもしてればいいんです。そうすれば交易でも何でも、したい時にし放題でしょうに。」
「ううむ……。いや、さすがにそれは極端すぎないか?」
「極端な話をしてるんです。そうでも言わないと、大王は人に仕事を振ることを覚えないでしょう。俺はそういうことを言いたいんですよ。」
「ううむ……なるほど……。いや、その通りかも知れんが……。」
「その通りなんです。働き過ぎて……なんてつまらない倒れ方しないでくださいよ。世の中はこいつみたいに要領よく立ち回った奴が得するようにできてるんですから。さ、分かったらもう行きましょう。のんびりしてると日が暮れます。」
何か言いくるめられたみたいになって、難しい顔している父さまと、そんな父さまを置いて丘の頂上を目指した兄さま。
(え、なに?なに?どうしたの……?)
わたしは二人に何があったのか、事情が把握できないまま兄さまに手を引かれて丘を登り始めていた。
――この時のわたしは、自分の悪さが有耶無耶の内に許されたことの方に気が行っちゃっていて、この二人が何の話をしてるのかなんて気にもしていなかった。
だから二人の雰囲気がどこかぎくしゃくした時に、頭の中が疑問でいっぱいになっちゃったのだけど、けれど今にして考えてみれば、この時の兄さまはきっと多忙が過ぎる父さまの体のことを心配していたんだと思う。
だってこの当時の父さまときたら、いくら食べても瘦せっぱなしなのは相変わらずで、あんまり健康そうには見えなかったんだもの。
そう考えれば、この時の兄さまの発言は個人の考えというよりも、むしろわたしとか母さまとか、ほかのみんなの気持ちを代弁していたのかも知れない。
丘 ……古代の集落ってからなず近くに丘……と言うより山があるんですよね。むしろ山の斜面に集落があるみたいな。まあ、せっかく切り出した木をどうやって運ぶのか考えたらそうなるのも納得ってもんです。
※ちなみに本作ではそんなこと全然考慮してません。
卜占……人の生み出した謎行為のひとつ。まあ、どうやっても未来予知なんてできないわけで、それでも後悔したくない先人が生み出した「言い訳」とでも言うんでしょうか。亀の甲や鹿の肩甲骨を使ったヤツは有名?
大王……この方、普段何してるんでしょうね?視察?現実の古代大王は祭祀とかやってそうですが。