第4.2節 夜、思ひに耽る 昔の話(三)
※エピソードを分割挿入したため節数が小数点になっていますが、気にしないでください。
ガタガタと戸が開かれる音が倉庫内に響いて、うつらうつらとしていたわたしははっと目を開いた。
いよいよ父さまと兄さまが海のクニへ出立する時が来たようだった。
「すみません。あの子ったらこんな朝早くからどこに行ってしまったのか……。」
女の人の声がしていた。あの声は母さま。父さまたちと一緒に来ているみたい。
母さまはわたしがいなくなったことを父さまに詫びているみたいだった。
「はっはっ……いいさ。別に気にするようなことではない。大方、不貞腐れてどこかに隠れているのだろう。」
そう言いながらぎっしぎっしと床を軋ませる音。きっとこれは父さまが倉庫に入ってきた音だろう。
わたしは布地の隙間からほんの少しだけ見えている外の様子を窺った。
父さまはむんっと気合を入れると、わたしの入っている袋のすぐ横にあった種もみの袋と土師器の入った袋を続けざまに肩に担いでいた。
「あの……母上……。必ず土産は持って帰ります。ですから出てきた時は、怒らずにそう言って慰めてやってください。」
そう言ってぎっぎっと音を立てて入ってくるのは、たぶん兄さまだろう。
兄さまはケモノの皮の入った袋の端を持つと、そのままえいっと一息に担ごうとして……担ごうと……担ごうと、する……の、だ、けど……。兄さまがどれだけ踏ん張ってみても、袋は持ち上がりそうになかった。
ケモノの皮の入った袋――それはつまり今わたしが入っている袋のこと。わたしは袋の中でゆさゆさと揺られながら、祈るような気持ちで目を閉じる。
(おねがいします……おねがいします……。)
どうかわたしを海のクニまで連れてって――と、ひたすら祈るわたし。
「うん?どうした?」
「いえ、少し……。」
怪訝そうな男二人のやり取りがわたしの耳に入ってくる。
兄さまはいったん担ぐのを諦めたみたいだった。袋を持ち上げようとする力が感じられない。
それから少しの間――何もない時間があって、それからスーッと冷えた空気が袋に入り込んでくるのを感じたわたしは、恐る恐る目を開いていた。
「あ……。」
思わず固まってしまったわたし。
兄さまと目が合ってしまっていた。袋があまりにも重いものだから、不審に思った兄さまが袋を開いてしまったのだ。
(し、しーっ!)
それは計画失敗の予感。慌てたわたしは口元に人差し指を当てていた。それから手を擦り合わせて、どうかいっしょーのお願いですからと必死になって頼み込む。
「……。」
そんなわたしのことを、兄さまはただ黙って見ているだけだった。その顔は決して怒ってるわけじゃないんだけど、かと言って笑ってるわけでもいない。
どうするつもりなのか全く見えてこない兄さまの表情に、お尻の穴がムズついてくるわたし。
わたしはふと思った。――兄さま、どうしてこういつもいつも、わたしを戸惑わせる顔ばっかりするんだろう、と。
それでも必死になってお願いしていると、想いが通じたのかやっと反応を見せてくれた兄さま。
「ちょっとこちらへ。」
兄さまは振り返って、後ろにいる二人に袋の中身を見るように促していた。
(ああっ!……い、いじわる……。)
必死のお願いを簡単に袖にされて愕然としているわたしを、父さまと母さまが一緒になって覗き込んでくる。
「まあ。」
と、まず声を上げたのは母さま。
「おお?ううむ……。」
いつも通りの口癖を漏らす父さま。
(いけない。このままじゃおこられる……。)
そう思うのはわたし。
だからわたしは先手を取って口を開いていた。
「――わ、わたしは……はくらいの品とこうかんするためのものです。ですから、忘れずもって行かないといけません。」
わたしの口上を聞いた母さまが思わずぷっと吹き出した。だけど兄さまは目を逸らしただけ。けど、よく見たら、小さく震えて何かを我慢にしているようにも見える。
(やった。)
上手くいったみたいだた。これなら怒られなくて済むかも知れない。――でも父さまだけは、一人で難しい顔をしてわたしのことを凝視していた。
(あ……。)
これは失敗だったかな。良くない気がする。やっぱり怒られるかも知れない。――ずっと黙り込んでいる父さまがだんだん怖くなってきて、涙が滲んでくるわたし。
「……分かった。連れて行ってやる。」
眉間のしわをのばしてため息を一つ吐いた父さまが困ったように言っていた。
その言葉にぱっと表情を明るくするわたし。
見れば、兄さまは仕方がないとばかりに首を振って、母さまは笑いを収めようと頑張っている。
それからわたしは倉庫の外に出た。そこでは顔を出したばかりの朝日が、朝のもやを消しにかかっているところだった。
それから――少し遅めの朝ご飯を取っているわたしに、父さまはいくつかの約束事を言って聞かせていた。
「これだけは覚えておきなさい。全部で三つだ。いいか?まず一つは――」
それは旅に出るに当たっての心得のようなもので、大人の言うことはちゃんと聞けとか、疲れたら隠したりせずにすぐに言えだとかそんな内容だった。
「はい……。」
もっ……もっ……と口いっぱいにご飯を頬張りながら返事をするわたし。
本当はもっとちゃんと聞いていたかった。きちっと正座なんかして、父さまの一言一句をこの胸に刻み付けたい思いだった。
だけどわたしは食べるのに忙しい。少しでも早く海のクニに行きたい一心でご飯を思い切り頬張っている最中なのだから、これはもう言われたことが頭に入ってこなくても仕方のないことだ。
話に聞くだけだでワクワクが止まらなかった憧れの海のクニ。それがもうすぐ自分の目で見られるって言うのだから、そうなるのも無理ないことだろう。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、脇の方では母さまがわたしの旅の支度をしてくれていた。
「――どうしましょう。ひいちゃんに合う装備なんて……。」
「無い物は大人用の物の丈を詰めて用意するしかありません。最低限、服と履さえあればあとは何とかなると思います。あまり難しく考えずにやりましょう。」
「……そうね……そうするしかないわね。」
「――――」
「――――」
それでもわたしの丈に合う旅の装備なんてあるわけないので、兄さまと相談しながらあれこれ工夫しているみたいだった。
そんな母さまたちのやり取りに気を取られていると、わたしが話を聞いてないと思った父さまが一喝。
「おい。聞いてるのか。」
「はい。きいてます。だいじょうぶです。」
と、すかさず返事をした真面目なわたし。
「……。……はぁ……。」
そんなわたしの目の前では、とても模範的な返事に甚く感心したはずの父さまが、なぜかため息を吐いていた。
結局、出立は朝日が完全に顔を出してからになった。あんなに濃かった朝もやも、もうすっかり消え去っていて、冷たかった空気もこれからお日さまに照らされてどんどん温まっていくのだろう。
つまり、今日は旅に出るには絶好のいい天気だった。
「行ってまいります。」
「本当に気を付けるのですよ。」
兄さまに手を引かれながら元気よくあいさつをするわたしを、母さまは心配そうにしながら見送りに出ている。
わたしは意気揚々と出立した。そうして振り返ってみれば、母さまはいつまでも手を振ってわたしたちを見送ってくれていた。
倉庫 ……時代設定は弥生~古墳時代相当。ですから勿論高床式倉庫です。はい。不勉強なので戸の造りは知りません。分かったら直すかも。
土師器 ……THE土器。素焼きの器に水を入れてみたけど、あれすごい漏りますね。一晩で凄いことになった。
海のクニ……港湾集落。おひいちゃんの憧れの地。策謀の甲斐あって、その念願は叶った?
正座 ……実は正座という呼称が使われ出したのは割と最近のこと。神仏等を前にした時に用いる座り方であっても、いつでもどこでも使用できるような正しい座り方という認識ではなかったようです。
履 ……靴。革製。ですが当時、子ども用なんてないと思います。それこそ裸足でもいいし。