第20節 谷の底
落ちたのはそれほどそれほど深い谷ではなかった。
僅かばかりの間、転がり続けるとわたしの体は落ちるのをやめた。
バクバクと鎮まることを知らない心臓の音、ぜーはーという呼吸の音だけが頭の中に響く。
視界が狭いし暗い。目を開けていられない。
息を吸うたびに土を含んだ雨水が口中に入り込み、土臭さとえぐみが口いっぱいに広がる。
水を吸ってドロドロになった衣の重さをこらえながらどうにか体を起こす。
この追走劇でいつの間にか解けてしまった揚巻の髪が目にかかる。
かまわず、己の握りしめたままの右手を見つめる。
こぶしからはみ出すように羽根が一片。
どこから降ってきたのか淡い光を放つ羽毛がひらひらと舞い落ちた。
「はあ……はあ……」
まだ息は整わない。
頭上を仰ぎ見ると雨はやみ、曇天の隙間から月の光がわずかに差し込んでいる。
目を閉じて、開く。右手を見る。
やはりその右手に握られているのはただ一片の羽根のみ。
「はあ……はあ……」
わたしを突き動かしていた何かが抜けてゆく。
これ以上体を支えていられずその場に這いつくばう。
オオトリはいない。狩は、失敗したのだ。
絶対に離さない、離してはいけなかった。
着地の弾みでその手から零れ落ちたのはオオトリではなく、くーちゃんの命運……。
(……いや、違う。まだ猶予はある。やれる。やれるんだ。だから……。)
折れてない。わたしの心はまだ折れてはいない。
どこからともなく湧きだしてわたしの心を蝕んでくる弱気の虫に抗って、自分を奮い立たせようと必死に鼓舞する。
尾羽を握りしめたままの右手が小刻みに震える。
(まだやれる……。)
でも、鼻先を伝って落ちるこの雫はなんだ。
ポタリ、ポタリと落ちる雫がどこから湧いているのか。認めてはいけない。認めたらもう立ち上がれない。でも……。
(ああ、止まらない。止まらないよ。止まら、ない……。)
わたしの中で何かが折れる。
「あ、ああああ……」
慟哭するわたしの心境を察したかのように厚い雲が丸い月を覆い隠した。




