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第2節 ウチの大王と親友の兄

 わたしははっとして目を醒ました。

 部屋の入り口から漏れ入ってくる外の光はもう十分に明るい。


「ふあっ……んんっ……。」


 わたしは目いっぱい伸びをすると、体の隅々にまでに血を巡らせた。寝ぼけて鈍った頭が体と一緒に目覚める感覚が気持ちいい。


「ふぅ……起きよっか。」


 そうやってから外に出てみると、眩しい朝日と朝の冷気がいっそう寝ぼけたままの頭を刺激する。

 わたしは眩んでよく見えていない目に手をかざして空を見上げた。そうして見れば、思っていたよりも高いところに日が昇っている。


(まあそうなるよねえ。)


 あそこに見えるのはわたしにしてみれば朝日なんだけど、世間的にはたぶん朝日じゃなかった。

 でもそれもそのはずで、わたしは驚かない。




 神殿に幽閉されたくーちゃんに会いに行ったのは夕べのこと。

 あれから、わたしはくーちゃんが寝付くまでずっとくーちゃんと一緒に過ごしていた。それでくーちゃんがちゃんと寝静まったのを見届けてから、やっと自分の部屋に戻っていた。

 部屋に帰ったらすぐに寝てしまえばよかったのだけど、その後もああだこうだと遅くまでどうすればくーちゃんを救けられるか考えていたせいで、今朝はついつい寝坊してしまった。と、そういうわけだった。




「くぁ……。」


 わたしはあくびをした。もう一回寝付くことばかり考えている頭を無理矢理目醒めさせるにはこれが一番。




 くーちゃんを救ける方法。――夜通し考えても、結局これというような案は何も浮かばなかった。

 昨日燃え上がった決意は少しも鈍ってはいないけれど、まぶたが重いし体も重い。


「ああ……そうだったぁ……。」


 もっと言えば、朝一番に宮殿を掃き清めるというわたしのお務めを寝坊なんて形ですっぽかしてしまったことを母さまに咎められると思うと気持ちまで重くなってくる。


(ああ……どうして宮殿なんて物があるの?あんな物、どこか遠くに飛び去っちゃえばいいのに。)


 そうすればお務めできなくてもしょうがない。――なんて、そんなことを思っても本当にあんな大きな建物がどこかに飛んで行っちゃうわけもなく……。

 そのまますっぽかすと母さまがわたしの分のご飯を作ってくれなくなるかも知れないので、わたしは嫌々ながら今からでも自分のお努めを果たすべくゆるゆるとした足取りですぐとなりにある宮殿へと歩き出す。


(怒られるのは嫌だなあ。)


 そう思うと足が重い。まるで枷をはめられて歩いているみたいだった。

 でもそれもそのはずで、母さまはあれで怒ると怖い人だから、今日一日会わなくて済むなら会わずに済ませたい。

 でもそんな思いもむなしくあっという間に到着。


(まだ怒られる気分じゃないんだけどな……。)


 まだどころか、そんな気分は永遠に訪れない。だって寝坊はわたしのせいじゃないのだから。

 くーちゃんを贄に選んだのが悪いんだ。――どうしても怒られるのが納得できない自分を励ましながら宮殿の方に目を向けるわたし。

 すると宮殿の中心、集会場の方にその中の様子を窺っている一人の女の人の姿が見えた。

 あの後ろ姿、母さまだろう。寝坊のわたしがようやくお務めにやって来たことに気付く様子はない。


(ん?あれ?)


 わたしは訝しんだ。てっきりお小言をお見舞いするために宮殿の前ででんと立ちはだかっているものだと思っていたのにそうじゃないなんて……。

 あれはどう見てもわたしを待ち構えているふうじゃない。――そんな母さまの様子に、わたしは小言はないと考えた。すると今の今まで沈んでいた気持ちが嘘のように軽くなって、あんなに重かった体まで軽くなってくる。


(何してんのかな?)


 そうなったらなったで、今度は母さまが何を覗いているのかという興味が湧いてくるわたしの心。

 わたしはすっかり軽くなった足で母さまの所まで行く。そしてまだわたしに気付いていない母さまの肩を指先でトントンとたたいて、何見てんの?ちょっと見せてと目配せする。

 母さまは黙ったままのわたしの意図に応えて少し退いてくれた。なので、わたしも母さまと同じような格好で部屋の中を覗き見る。


(さてさて、何かな?)


 するとそこに見えたのは、頬杖をついてひざをとんとんと叩き、むうんと唸りながら考え込む大王(おおきみ)と、その大王に詰め寄っている一人の男。


(あれ?……これは?)


 こんな朝早く――と言うほど早くもないけれど、どっちかと言うと昼時だけれど――とにかくこんな時間から二人きりで宮殿に籠って議論をするというのは結構珍しいことだ。

 一見しただけじゃ何だか分からない。だからわたしは母さまの顔を見た。

 わたしの眼差しに気付いた母さまはわたしを一瞥すると何か言いたそうな口をしながら若者の方を指さした。よく見てと言いたいみたいだった。


(分かんないから聞いてんでしょ。)


 わたしは思う。――そう言われたって宮殿の中は暗い。わたしが寝坊したせいで宮殿の窓を開ける係がいなかったのだ。だから外の眩しさに慣れた目で中の様子をすぐに見極めるのは難しい。

 それでも母さまは教えてくれるつもりはないみたいだった。仕方ないのでしばらく様子見を決め込むことにするわたし。すると、宮殿の中から二人の話声が聞こえてくる。




「大王、どうだろうか。無理じゃないと思うんだが。」

「ううむ……。さもあろうが……。」

「頼む。承知してくれ。」

「ううむ……。いや、しかし……。」

「自分で言うことでもないと思うが、オレの腕はこのクニで一番だ。それは大王も知っているだろう。」

「ううむ……。勿論それは知っているが……いや、しかし……どうかな……。」

「大丈夫だ。絶対皆が納得できる(にえ)を用意しよう。妹なんかよりも量も質も上だ。」

「ううむ……。いや……それは、そうなんだろうが……いや、しかし……。」

「――――。」

「――。」




 漏れ聞こえてくる会話の様子は終始こんな調子だった。

 それにしても大王はさっきから「ううむ」と「いや」、「しかし」しか言っていない。わたしは一度首を引っ込めるとそのことに少し呆れていた。

 でもそれは仕方のないこと。わたしはそう思い直す。

 大王は普段から優しくて厳しい言も聞き入れる度量を持つ人ではあるけれど、反対に言えばまあまあ芯の弱い人でもあった。だから強く出られたり、難しい決断を迫られると決まってああなってしまうのはもう性分と言うか癖と言うか、とにかく不治の病みたいなものだった。

 そんな優しい性格の人だから、たった今みたいにもう決まってしまった贄の話を蒸し返されても――


(……あれ?……納得できる贄?……()より!?)


 わたしは相手の人が言っていた言葉を思い返していた。

 妹より納得のいく贄――なんて言い方をしてるってことは、今あそこで大王と強くやり合っているあの男の人はくーちゃんのお兄さまだったのか。

 大王の相手の正体に気付くと、暗い神殿の中でも彼の精悍な居住まいが見えてきて、確かにくーちゃんのお兄さまだと確信できる。


(ふむふむ……つまりこういうことね……。)


 わたしは今分かっていることを整理した。

 くーちゃんのお兄さまが今朝になって大王の元に押しかけてきた。

 彼は、自分が代わりとなる贄を用意するから妹を解放しろと言った。

 くーちゃんのお兄さまはこのクニどころか隣のクニでも知られるぐらいの名うての狩人だった。なので、何か代わりとなるものを仕留めてくるつもりなのだということは想像に(かた)くない。

 でも大王はこの提案に難色を示す。

 大王たる者、一度決めたことをおいそれと覆すわけにはゆかぬのだ。――とは、大王が何かあるたびに口にする口癖のようなもの。

 それは立派なことだと思う。大王っていう存在と、その決断に重さが出てくる。

 だけどわたしは知っている。あの人は大王として何か難しい決断があるたびに、困ったような、泣きたいような顔しながら指でひざをとんとんと叩く癖があることを。

 そう。まさに今あそこでやっている格好がそれ。




 そもそも、贄は人の勝手とか都合で決められるものじゃなかった。もしそうなら、わたしはどんな手段を使ってでも今回の決定を翻意させている。

 でもわたしはそれをしなかった。やろうとも思わなかった。

 それはどうしてか。それは贄を選んだのが、人の気持ち一つで覆すにはあまりにも(おそ)れ多い相手だったから。

 人が口を挟むにはあまりにも畏れ多い相手――それは神様だ。贄はご神託(しんたく)によって決められている。

 今回くーちゃんが贄として選ばれたのも、(くじ)を通してご神託を授かった結果だった。この籤には人だけじゃなくてケモノとか作物、産物……さらには贄はいらないなんてものも含まれていて、くーちゃんじゃなくてわたしが贄に選ばれることだってあり得た。

 そういう経緯(いきさつ)で厳格に決められた物だからこそ、大王と言えどそう簡単に覆すことはできないのが贄だった。




 もし大王が芯のしっかりした人だったら、今さらになって寄せられた意見なんて相手にせず終わらせていたのだろうと思う。

 決まったことだ。ご神託だ。無理だ。――本当ならそれだけで終わってしまうことなのに、何しろ今の大王はこういう人だったからどうにも話し合いが動かなくなってしまったらしかった。




「――ならば、贄を他の物に変えても問題なく大神が鎮まるのか……それを占えばよいのではありませんか?」


 わたしが事情の把握に頭を使っていると、すぐ傍から声がしていた。その声にはっと現実に引き戻されるわたし。

 声の主は母さまだった。わたしと同じような格好で宮殿の中のやり取りを覗き見していたはずなのに、気が付けばススと一人で部屋に入って行く母さま。

 中の二人も議論を中断して母さまに注目している。


「――わたくしは未だそのような占いごとを為すことはかないません。ですが、大ババ様でしたらきっとやってくださるのではないでしょうか。」


 母さまは言った。

 母さまも占いを(たしな)(ひと)ではある。けれど、この女は父さまに嫁いでから卜占を始めた女なので、まだ難しいことは占えなかった。


「おお……。そうか。それがよい。」


 思わぬ助けに、妙案を得たりとばかりに声を上げた大王。


「――そういうことであれば、早速大ババ様に占わせてみることにしよう。それでよいなムジナよ。」


 散々詰め寄られていよいよ居たたまれなくなっていたみたいで、大王は自分勝手にそれだけ言うと、相手の返事も聞かずに席を立った。そしてそそくさとした足取りで、相変わらず覗き見しているわたしの前を通り過ぎて外へと出て行ってしまう。

 広い集会場に残されたのはくーちゃんのお兄さま、ムジナ。彼は突然の大王の退場に抗議のすることもできずに、気付いた頃には既に大王の姿は部屋になく……。

 苦笑する母さまが彼を労っていた。

 その一方で結局最後まで事態を傍観しただけで終わってしまったわたしはと言えば――


(これは……。)


 不意に差し込んできた希望の光に目を輝かせていた。

 贄の交換。もしこれが通るなら、くーちゃんを救けられるかも知れない。




 そして、その日の夜のこと。

 大王の依頼を受けた大ババさまの占いはこう示していた。




 ――贄の交換は吉、と。


宮殿と神殿……宮殿は権力者の住居。じゃなくて、単なる政治拠点。合議制だから集会場が中心にある。

       神殿は神様を祭る施設。のちの神社。

       ※あくまでもこの世界での話です。古代日本では宮殿も神殿も同じものだよね。たぶん。


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