ゴミ屋敷の老婆
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? こーらくん、質問かな?
たくさん来てくれてありがたい限りだ。学年でもトップじゃないかな、質問の数。
――腐敗と発酵ってなにが違うのか?
ほっほう、多くの人が一度は考えるところだよね。
結論から言おうか。実質的には同じものだ。
微生物が作用して、物が変わることに違いない。ただそれが、人にとって有益か無益かで変わる。
こーらくんは以前、納豆が好きと話していたと思うが、先生は納豆が嫌いだ。それだけで、こーらくんにとっての納豆は「発酵」食品になり、先生のとっての納豆は「腐敗」食品になる。ざっくばらんだが、こんなものだ。
同じものでも、時と場所と相手によって、価値と呼び方はいろいろ変わる。物を書いている君なら、それこそ「腐る」ほど見てきているはずだ。
戦時の命綱たる兵器も、平時になれば忌むべきものとして処分を検討される。害虫を駆除するクモだって、人によっては即抹殺対象となる虫だ。
私たちにとって害をなすと考えられるもの。それが世界全体では、どのような影響を与えているか。考えればキリないだろうけど、これを調べていくことには、大きな価値があると先生は思っている。
その例のひとつを、先生に教えてくれた昔話があるのだけど、聞いてみないかい?
むかしむかし。あるところに、あらゆるゴミを引き受けてくれた老婆がいたという。
その老婆はとある豪商の妻だったが、夫は莫大な財を生み出した取引の成功とともに、命を落としてしまい、それを子供のいないかつての老婆が引き継ぐ形になったらしい。
彼女はその富をもって、町はずれに別荘を作ると、元の屋敷を売り払って、移り住んだんだそうなんだ。
かつての老婆はひんしゅくを買った。旦那と蜜月を過ごした思い出の残っているだろう建物を、あっさり捨てた形になるからね。情のなさを咎める声があふれたのさ。
財産を目当てに、夫を殺したのだろうと陰口を叩く者もいたらしい。弁明できるだろう証人も、この頃にはすべてが亡くなっていたというし、彼女にとっては辛い時間が続いたのだろうな。
その彼女が数年後に集めたのが、ゴミの収集だった。
最初は町中のものを、手ずから拾っていくというささいなもの。動物の糞尿のほか、食べ残しの腐ったもの、打ち捨てられた道具などを回収していったらしい。
多くの人がちらりと横目で見ながら、それでいて何もせずに通り過ぎていったもの。それを回収していく彼女を、ほとんどの人があざけり笑っていった。「ゴミ同士で、おあつらえ向きの手合いじゃないか」とね。
それが半年ほど経つと、町のあちらこちらに立て札が立ち始めたんだ。このあたりを治める殿さまの認可を示す印をつけてね。
内容は「腐ったもの、要らなくなったもの引き取ります」。しかも、その場所は件の彼女が住まうお屋敷の前だというじゃないか。しかも、持ち込んだゴミの量によっては、お金さえ支払われるとも。
最初は嫌がらせだった。自らが用を足したものを運び、ゴミとして処理をお願いしたが、彼女は眉ひとつしかめることなく、それを引き取った。あらかじめ決めておいた基準に従った金の支払いもして。
そのやり取りが何度も繰り返され、本当に金が支払われることが分かると、どっと持ち込む人が増えた。その量、その大きさによっては、質屋などに入れるよりもずっと、支払われる額は大きい。それを元に、新しいものへ買い替える波が、人々の間にやってきた。
糞尿を持ち込もうとする輩はめっきりいなくなる。人が増え、いかなる時間でも誰かとかち合う可能性を考えると、不潔なものを持ち込むことははばかられたからだ。知った顔にでも悟られたら、品性を疑われかねない。
彼女の建てた別荘は、夫の持っていた屋敷と同じく、門から母屋までに広い庭を持つ。ちらりと中をのぞくと、その庭の隅にゴミがうずたかく積まれているのが確認できたそうだ。
しかし、山から外れたところ。庭全体に点々と、個別に置かれている物品もまた目についた。
大きなものはタンス。小さいものは、虫の死骸と見紛うほどの大きさ。家主たる彼女は、しばしば庭でゴミの山と、その各所に置かれたものを見て回り、ときおり足を止めてはつぶさに見つめて、何かを探っているようだったとか。
それが何年も続き、やがては傷みきったのか、置かれるものが別のものに代わった後も、彼女が満足する様子はまったく見られなかったらしいんだ。
お触れから40年近く経ち、彼女は誰からも老婆と認識される歳を迎えた。
ここまで一切の補修を施されずにいた屋敷は、門、庭、母屋のいずれにもガタが来ているのが見て取れ、それでいて中のゴミの山もまた完全に姿を消した日はなかった。名実ともに「ゴミ屋敷」へと変じていったんだ。
腐敗の臭いはますます増し、金がもらえることをさっぴいても、彼女の屋敷へ物を運ぶ者はわずかとなっていたらしい。
そして、ある冬の夜のこと。
その日は日暮れを迎えても、空は夕方がとどまり続けたように、赤いままだったんだ。その赤の中でもはっきり見えるほど、星々は青く輝いていたらしい。
その奇妙な夜の道を、風呂敷を背負った子供が、老婆の「ゴミ屋敷」へ急いでいた。風呂敷の中身はもちろん、家の中で出てきたゴミ類。
ゴミ屋敷へ近づくのを嫌がる親たちに持たされ、走らされていたんだ。もう、めずらしいことではなくなっていた。まだ屋敷はずっと遠くだというのに、生臭さが漂ってきて、少年は袖で口と鼻をおさえながら、早く用事を済ませようと、足を速めていく……。
その日は、崩れかけの門の前に、老婆の姿がなかった。「中まで行かなきゃいけないのか」とふてくされながら、少年はそっと門より内側をのぞいてみる。
庭の橋のゴミの山、そして点々と散らばる物品たち。その様子を目にするのは、これまで何度もあったことだ。
老婆はというと、ゴミの山のすぐ前でこちらに背を向けながら立っていた。しかし、普段はじっとたたずんでいるはずなのに、今日はその場で足踏みをし続けているといった、珍しく落ち着かない様子が見られたという。
その背中へ声をかけようとして、ふと空の赤が急激に陰り、少年はとっさに頭上を見やった。
厳密には、陰ったのではなかった。
赤い空の中、この屋敷の真上に位置するところに、ひしゃくを思わせる七つの星が、にわかに輝き出し、元の赤をおしのけ始めたんだ。のちに北斗七星と呼ばれる星の並びだが、少年はそれを知らない。
その水をすくう「合」に当たる部分。四つの星に囲まれた空間にのみ、夜の黒い色がたぎっているのが分かった。
その視界の下の端から、だいだい色の火の手がチロりとあがる。
ゴミ屋敷にうずたかく積まれていた山。そのてっぺんに火がついたんだ。あっという間にその身体を炎へと変えたはずだが、煙は立たず、火の粉も飛ばず。わずかな煙ものぼらず、その山の前に立つ老婆は熱がるどころか、大きく手を広げて天を仰ぐ仕草すらしてみせる。そしてくるりと振り返り、庭に転がる手近な一品へ、跳ねるように寄っていった。
それを待つことなく、かの一品も火を噴いた。その近くにあるものも、またその近くにあるものも、次々と。
ほどなく、母屋や門にも火が宿ったかと思うと、油でもまいてあったかのように、あっという間にその身を明るく包み込んでしまったのさ。
老婆の様子から、大した熱ではないのではと思っていた少年だが、とんでもなかった。門に触れるか触れないかのところに立っていた彼は、すぐ身の危険を感じて、一町(約120メートル)逃げてしまったほどだったんだ。
それでも煙さは全くない。臭いのない炎の巣と化した屋敷だったが、ややあって、今度こそ空から注いでいた赤も青もさえぎって降り立つものがあった。
大きな黒い塊だったが、それは炎もろとも、屋敷を完全に潰す位置へ降り立ったんだ。
明るい光を遮られ、ただ巨体を見上げるよりない少年の前で、塊がびきりと身体を揺らしたかと思うと、ほぼ少年の頭の高さと同じくらいの場所に、赤い瞳が大きく開いたんだ。
身体に対して、あまりに下すぎる位置。それでも幅も高さも少年を飲み込むには十分すぎる大きさを誇っていた。一町離れてこれなのだから、もし門の近くへとどまっていたら、どのように映っていたか。
ぎょろぎょろと上下左右、規則なくうごめく瞳の動きに、少年は総毛立って足が固まってしまう。口も鼻も見せることなく、少年に焦点を合わせないで暴れるその視線は、文字通り眼中にないということだと、彼は悟った。
やがてその目を開いたまま、黒の塊は残りの肌からも、次々に同じ色と大きさの瞳を開き、またしても視線を泳がせまくる。そしてぐうっと沈みこんだかと思うと、一気にばっと飛び上がったんだ。
屋敷はすっかりなくなっていた。そこに巨大な何かがうずくまっていたという、黒ずみだけを残して。
少年は呆然と影を見送り、いざ足に力を入れようとしたとたん、腰砕けてしまう。両足から骨が抜かれたかと思うくらい、踏ん張りがきかなくなっていた。
風呂敷にさえ重さを感じ、ついその場に放り出して、半ば這うように家へと向かう少年。けれどもたどり着く前に、彼は異様な光景を見る羽目になる。
道の向こうから、真っ裸の男女が走ってくるんだ。いずれも少年の町に住まう者たちで、腕を大きく振りながら、意味にならない言葉を叫びながら、少年の横を走り去っていった。
どうにか町にたどり着いたときも、ひどい有様だった。同じように服を脱ぎ、叫びまわる者。刃物を握り、互いに刺しあい、殺し合う者。家々を壊し、火をつけて回る者……。
どうにか走れるほどになった少年は、その場を逃げ出し、たどり着いた遠くの地で生き延びて、この話を語り継いだらしい。
おそらく、あの老婆ははかっていたんだ。いくつものゴミを内にかかえ、それらがあの塊が訪れる兆しを見せる、その時を。ずっとね。