05.頭の中
王都へは馬を使っても一週間ほどかかるものの、途中には宿場街もあり、野宿することも無い穏やかな道のりであった。
ただ、そんな穏やかな道のりとは裏腹に、マルタの表情は少しずつ曇りつつある。クラウスが旅費を用意立ててくれているのだけれども、やはり、そのことを申し訳なく感じるのだ。クラウスは気にする必要が無いと言うけれど、そうは言われても気にしてしまう。
(……庇護を受けられることになったら、クラウスにお返しをしないと)
どういった形での援助を受けられるかは分からない。でも、今後の生活等を鑑みて、最低限ある程度の金銭は貰えるハズだとマルタは踏んでいた。それが貰えたら、お礼として半分はクラウスに渡そうと思った。
(……もう少しだけ待っていてね)
マルタは瞼を閉じて、クラウスのお腹に回した腕に力を込める。すると、硬くしなやかな腹筋の感触が伝わって来た。
幼少の頃にクラウスの後ろに乗った時には、こうした感触は全く気に留めていなかった。馬に乗ることが楽しくて、そちらばかりに気が行っていたからだ。
でも、今は違くて不思議な感じだった。なんだか、ずっと触れていたい気分になりそうだと言うか……。
☆
「明日には王都へ着きましょう」
出立から六日ほど時が進み、そして、夕刻になる前に入った宿でクラウスがそう言った。いよいよと知り、マルタは顔を強張らせる。
マルタが王族と会うのは初めてではない。しかし、それでも緊張はした。公爵の縁あって幾度か挨拶を交わしたことがあるけれど、個人的な付き合いがあったりということは無かったからだ。
要するに、顔見知りではあるものの、王族の人たちがどういう考え方をしているかがマルタにはよく分からないのである。
公爵もかつては王族ではあったけれど、爵位を賜り王籍から外れて以降は、距離を置いていたという実情がある。
昔の事ならいざ知らず、今の情勢や個々人の考え方がどうなっているのかはそこまで深く分からない、と本人も常々に言っていた。
とはいえ、何も分からないというわけでも無く、一つだけ分かっていることもある。
王族は、政治をとても重要視する人達である、ということだ。
政務に関する文を頻繁に送って来ており、その度に公爵が頭を抱えており、マルタもその姿をよく見かけていた。
(……まぁでも、私の目的は庇護であって、政情に絡むといった類のことではないから。……と言っても、政務関係の書類が全て燃えてしまったことへの反応は気になるけれど)
と、その時であった。宿の受付の付近に集まっていた旅人の世間話が聞こえて来た。
「東にある公爵家のお屋敷が完全に燃え尽きてたんだとさ」
「え? それ本当ですか?」
「……公爵家と付き合いのある商人が、いつもの調子で商談を持ち掛けに行ったら、黒焦げになったお屋敷があったとかなんとか。……恨みを買うような噂は聞いたことないんだけどねぇ」
「怖いなぁ……」
自分の家のことを言われていると知り、マルタは眉を顰めた。王族への庇護を求める決断を下すまでに日数を費やしていた間に、話が方々に広まりつつあるようだった。
隠すことなど出来ない事態ではあるので、遅かれ早かれ話は駆け巡っていくのはマルタも理解はしている。けれども、どうにも心地が悪くなった。
「……気にする必要はございません。人の噂も七十五日と言います。日々の生活に追われている内に、人々もいつしか忘れて行きます。大丈夫です」
その声音は柔らかく、まるで、小さい子をあやすような感じであった。クラウスにとってのマルタが、いつまで経っても小さなお嬢さまということが分かる。
実際の年齢差も相当あるし、何よりも執事と主という関係なのだから、こうした対応は当たり前といえば当たり前なのだけれども――しかしながら、その事は理解しつつも、マルタは少しだけ嫌に感じた。
僅かで良いから異性として見て欲しい……。そんな風に思う自分が確かにいて、そのことに気づいてマルタは動揺した。
(だ、だからっ! いくら美青年でも、クラウスの中身はお爺ちゃんなのよ! 自分の頭の中が心配になってくるわ……。大体にして、男は顔ではなくて中身が――)
――そこで、マルタはハッとした。見た目というものを抜きにして考えた場合でも、クラウスは普通に良い男だと。
(で、でも、そもそも執事と主の関係なのだし……)
マルタは悶々とそんなことを考えつつ、ふらふらと部屋へと向かった。その様子を、悩みの種の張本人であるクラウスが額に汗を浮かべて眺めていた。「お嬢さまの様子が何かおかしい」と。