02.お屋敷の中で
燃え盛る屋敷の中に入ったクラウスが最初に見たのは、血だらけで倒れる使用人たちであった。息のある者は一人としておらず、死体の山が築かれていた。
「これは一体……」
血と肉の焦げる異臭に眉をしかめつつ、クラウスは死体を一体一体確認していく。すると、全ての死体に幾多もの刺し傷があるのが分かった。
明らかな他殺である。どうやら、何者かが襲撃を仕掛けて来ているようだ。
屍となった使用人たちの安寧を祈りつつ、クラウスは腰に吊るした剣に一定の意識を向け、いつ戦いとなっても良いように心構えを作る。
「……旦那さまを探さなければ。いるとすれば執務室であろうか」
公爵は政務を行う時には執務室を良く使った。そして、その執務室には、万が一に備えて防火対策等が施されている。だから、もしもまだ屋敷内にいるのであれば、執務室に留まっている可能性が高かった。
火の粉と共に崩れ落ちる壁や柱を避けながら、執務室へと辿り着いたクラウスはゆっくりと扉を開き――飛び込んで来た光景に驚き目を見開く。
そこには、切り離された公爵の生首を掴む一人の少年がいた。
「僕を雇っておけば良いものを。断るからこうなるんですよ。それにしても僕のマルタさまはどこに……」
近くに仲間の気配はなく、今回の事件は少年一人の単独犯であることが伺える。
異常としか言いようがない少年だ。
貴族の屋敷に一人で襲撃を仕掛け、何人もの人間をめった刺しにし、生首を掴んで平気な顔をしているのだ。普通ではない。
思わずクラウスが一歩後ずさると、少年が気づいて振り返った。
「うん……? そこのお爺さん、丁度良かった。使用人の方ですよね? 聞きたいことがあるんです。マルタさまの居場所を知りませんか? 他の方に聞こうとも思ったんですけど、ついつい全員殺してしまって」
マルタ――その名にクラウスは反応した。理由や目的は分からないけれども、屋敷内で殺戮を行い、公爵をあのような姿にしたこの少年の狙いはお嬢さまだという。
――この少年は切って捨てねばならぬ。クラウスはそう直感すると同時に即行動に移した。
「うわっ……いきなり切りかかってくるなんて、野蛮ですね」
「問答無用」
年老いてなお、クラウスの動きは見事だ。全盛期には及ばないものの、一瞬で姿を消すほどの速さを見せ、煉瓦で出来た壁をバターを裂くように滑らかに切った。
しかし――少年もまた、その見た目に似合わないほどの強さを持っていた。手品のようにパッと暗器を取り出した後に、クラウスの動きに付いて来たのだ。
(この若さでこの強さか。異常なのは腕前もか)
燃え盛り崩れ落ちて行く屋敷を舞台に、互角とも言える二人の戦いは長らく続いた。しかし、やがて少年が痺れを切らした。
「……随分とお強いご老人ですね。ふむ。このままでは埒があきません。仕方ありませんね。……本当はこれはマルタさまに使う予定でしたが」
少年は懐から小さな懐中時計を取り出すと、ゼンマイを巻き始める。すると、突如としてクラウスに異変が起きた。肉体が若返り始めたのだ。
「こ、これは……」
「魔術道具ですよ。体の時間を巻き戻すヤツですね。色々と使い方はあるのですが……あなたについては、そのまま産まれる前までは遡って消えて貰いましょうか」
若返りが止まることなく進行する。このままだと、少年の言う通りにやがて出生前に到達し、クラウスは消えていなくなるだろう。
普通であれば混乱してしまう状況である。しかし、クラウスは冷静にこれを好機と捉えた。体が若返っていくということは、消えていなくなる前に、必ず全盛期の頃も通過するということに他ならないからだ。
クラウスは、自らの肉体がもっとも体力的に充実していた二十歳頃になった瞬間に、剣の柄に手をかける。
そして、少年が懐中時計ごと真っ二つになった。
一体何をしたのか。どう動いたのか。それは、武に熟達した人物の目を持ってしても確認が出来ないほどの神業だ。
全盛期のクラウスの強さは、人間の域を逸脱気味であった。
「……感謝しよう。もっとも強かった頃まで戻してくれてな」
クラウスがそう言ったことで、少年はようやく事態を把握したらしく、二つに分かれた自らの体がずるずると崩れていくさまに気づいた。
「なっ……」
肉片となった少年が転がるのを見てから、クラウスは自らの体の調子を確かめた。すると、魔術道具は壊れたことで効果を失ったようで、若返りが止まっていた。
クラウスは安堵しつつ、公爵を含めた殺された人々に心を痛めながらも、屋敷で確認出来ることはもう無いとしてすぐにマルタの元へと向かった。
☆
「……というのが事の成り行きになります」
宿の一室で意識を取り戻したマルタは、ここまで運んでくれたクラウスから一連の経緯を聞き、言葉に詰まった。
気になる事は色々あるけれども、今はそうした事柄への問いよりも――公爵が亡くなったという事実の方が重く圧し掛かっていた。
マルタには母がおらず兄弟姉妹もいない。
公爵にとってマルタが大事な一人娘であったのと同様に、マルタにとっても公爵はかけがえのない唯一の親であったのだ。
「……少し一人にして」
「……かしこまりました」
クラウスが退室したのを確認していから、マルタはシーツを手繰り寄せ涙を流した。ようやく泣き止むことが出来た時には、一昼夜が過ぎ去っていた。