初体験
ザ、ザザ―、ザン、ザ————……。
今日の西来名の夜の波は、ずいぶん穏やかだ。遠くには灯台の光と、ほんの少し欠けた月の光が見事にコラボレーションしているのが見える。
ドン…ドド、ドン……。
どこかで花火が上がっているらしい。このあたりはひらけているから、ずいぶん離れた場所で行われている花火大会の音も良く聞こえるんだよね。
ジャージャー!!!ばしゃ!!!バシャバシャ!!!
「ちょ…ふーちゃん!!!いつもそんなに派手に髪洗ってるの?!アワ、泡がー!!!」
「ふーさんの傍若無人っぷりに全ワタシ民が感動wwwすげえな、どゆ洗い方してんのさwww」
貸し切り露天風呂の縁で、ぬるいお湯に浸かりながら遠くの景色を眺める僕の耳に聞こえてくるのは、キャピキャピとした友人たちの声。
…僕はショートカットだからね、髪を洗うのが早くて、あと体を洗うのも丁寧じゃないから、あっという間に洗い場から離れなければならなくてね?かといって、洗い場で泡と戯れている友人たちをじろじろと見るわけにもいかないし、うん、遠くに視線を泳がせるのはたぶん自然な事だよね、僕おかしくないよね?!
地味に友達と一緒にお風呂とか、ホント片手で数えるほどしか経験したことが無くてさ、正直どういう顔をしてここにいていいのかわからない。どうしよう、はっきり言って目のやり場に困る!というか、こんな事を考えてしまう僕がおかしいのか?家族旅行で温泉に何度か訪れた事はあるし、スーパー銭湯も母と一緒に何度か行った事があるから、公衆浴場での振る舞いについてはある程度の知識は備わっているものの、戸惑いが隠せないというか。
…ダメだ、ただでさえお湯に浸かっているのに、煮えるような感情が僕の中でぐつぐつと…!!!いろいろ誤魔化しつつ耐えていたけど、これ以上ここにいたら、最悪のぼせて気絶するかもしれないぞ!!!
「ごめんね、僕ちょっと熱いお湯苦手で。お先に上がらせてもらうね?では、ごゆっくり。」
「へいへいwww」
「あ、う、うん!!!」
「えー!!水風呂でも入ってもう一回来れば?!」
水風呂に入ったぐらいじゃ、ゆで上がった脳みそは冷えないと思うけどね……。
「はい、カンパーイ!!!ユカユカ、お誕生日おめでとー!!!」
「うへへ、おめ、おめwwwさあ、それでは初飲酒、行ってみるべwww」
「何気に僕も初飲酒なんだけどね。由香、初めてを君と共にできる事を、光栄に思うよ?」
「ありがと?!えっと、その―、彼方はなんか明らかに方向性がね?!」
西来名ホテル『青と藍』は、地元で一番の老舗旅館が数年前にリニューアルした今一番人気の宿泊施設だ。
そこの三番目にお高い部屋、デラックスルーム通常一泊19800円…そこが本日の僕たちの宿。ちなみに宿泊代は長兄持ちだ。およそ十畳のオーシャンビュールームにバストイレベッドルーム付きのちょっとお高い部屋で、海側が全面ガラスになっていて非常に見晴らしがいい。湯上りにみんなでホテル内を散策してたら、ちょうど夕暮れの時間になって、慌てて部屋に戻ってきたんだよね。さんざんはしゃいで、すっぴんで写真を撮りまくってたところに料理が運ばれてきて、少し恥ずかしかったという。
今日の特別懐石コースは、このあたりで採れた海の幸に山の幸、地元牛の銅板焼きがずらりと並ぶ豪勢なものだ。地産地消がこの旅館のポリシーなので、お米も近くの田んぼで収穫したものというこだわりよう。大きな船盛には海鮮がこれでもかとのせられていて、海に出たら一瞬で沈みそうなほどだ。この魚介は、長兄が日の昇らないうちに海に出て獲ってきたものだったりする。うまいもんを食わせるんだってはりきっちゃって、いつも以上に大漁になってさ、選別作業が大変だったんだよ。早朝から生臭くなる羽目になっちゃってホント閉口したというかなんというか。獲った魚介類は一部この旅館におろしていたりするので、お兄ちゃん…板長さんは喜んでいたけど。
もともと祖父の代から卸していたこともあり、この旅館…ホテルはわりと知り合いが多かったりする。ここのお姉ちゃんには幼少の頃から歌劇団を見に連れて行ってもらったりしててさ。
長兄はここの板長と同級生だ。昔からやんちゃをしてはお姉ちゃんにゲンコツをもらってて、いまだに頭があがらないという情けない一面もあったりして。お姉ちゃんのお子さんは兄ちゃんの船でたまに釣りに連れてってもらってるし、お兄ちゃんの奥さんは次兄の同級生、その縁もあってこの旅館に化粧品を置かせてもらったりしてるんだ。みんな田舎の幼馴染という事で仲はすこぶる良くてね。田舎ならではの親近感というのかな、親戚のような付き合いをしている。今頃宴会場でみんなでワイワイやっている事だろう。酔っ払った長兄が調子に乗って裸踊りを始めなきゃいいんだけど…無理だろうな。
僕たちも誘われたんだけど、さすがに学生だし、大人に混じりたくないっていうか…みっともなく酔っぱらう身内を見るのは、見せてしまうのは、実に恥ずかしいことこの上ないってね。部屋食にしてもらって、友達同士でマッタリとバカンスの夜を過ごそうって話になったんだ。宴会場は同じ階にあるから、もしかしたら騒ぎが聞こえてくる可能性もあるけど、せめてあの見苦しさを友人たちに見せぬよう、この部屋の鍵だけはしっかりとかけておかねばなるまい。
「うーん、ビールは…ちょっと苦いね、ごめん残してもいい?」
「おけおけwww残りはあたしがおいしくいただきますwwwうーん、ぐびー!!!」
「私も飲むからいいよ!!わりとビール好きなんだ!」
「僕も…この一杯でいいかな?」
オーシャンビュー懐石にはドリンクがついてくるんだけど、一本だけビールを頼んでみようって事になってさ。最初の乾杯だけビールにしてみたんだけど…正直あんまり、好みじゃないぞ。どうやら由香もお気に召さなかったらしい、ちょっとしかめっ面になっているじゃないか…。口直しのオレンジジュースを差し出しておこう。
「ねえねえ、これ、あたしのとっておきのやつ持ってきたよwww」
実はお酒が大好きらしい森川さんは、今日という日を非常に楽しみにしていたそうで、まさかのイチオシのお酒持参という気の入れようだ。…冷蔵庫から取り出した瓶?はやけに細いなあ、洋酒なんだろうか。日本酒の一升瓶を見慣れているので、なんというか、都会を感じてしまうというか。
「何このおしゃんな奴。…アイスワイン?」
「すごく甘くておいしいのさwデザートワインって言われてるくらいでねwww」
「え、これどうやって開けるの?!」
手際よくワインのラベル?をあける森川さん…これは相当普段から飲んでいるに違いない。どこからともなく銀色の道具を取り出してセットしているぞ、手際いいな。
「これこれwwwいい女はみんな持ってる、ちゃららちゃっちゃら―ん♪ワインオープナー♡」
きゅ、きゅ…キュキュキュ、……ポン。
「ホントはフルートグラスに入れたいとこだけど、今日はビールグラスで我慢ねww空いたやつについでもいい?きついから、ちょっとずつ試すこと、おけ?」
「おけおけ!あ、味混じっちゃうともったいないし、グラス出すね新しいやつ!!棚のやつ使っちゃお!!!」
「ねえ、これ湯飲みなんじゃ?!せっかくのオシャレなお酒が!!!」
トク、トクトクン、とく、とく……。
薄茶色?いや、あめ色っていうのかな?ワインってもっとこう、真っ赤なものだと思っていたけど…こういうのもあるのか。香りはややフルーツっぽくて、ちょっとブドウの香り…だよね、恐る恐る口に入れてみる……。
「なに、これ…甘い!おいしい!!!」
僕が言おうと思っていたことを、由香がそのまま先に口にしたぞ。どうやら僕と由香は非常に味覚が似ているらしい。そうだな、よく見ればつまむ刺身も同じようなメンツが多いし、サラダもトマトから先に食べてる、手作りチーズもおいしいって言ってたし…。
「ねえねえ、お兄さんおすすめのミカンのお酒も飲んでみようよ!!ユカユカ顔赤いね、お酒弱いのかな?酔ってる?」
「顔に出やすいのかな?おいしいとは思うけど、フラフラはしてないよ!」
「ほうほうwwwユカユカは飲めるくちかね、ではとわっちからもらった日本酒も飲んでみるかい?」
ホントだ、僕の由香のほっぺたがノーメイクのくせにかわいすぎるレベルでピンク色に染まってるじゃないか、これは褒めておかなきゃマズいな、よし褒めよう!
「由香、そんなにピュアな表情…僕以外の人に見せたらダメだよ?あっという間にみんな…深い、深すぎる恋という沼に落ちてしまうからね、若いみそらで罪を重ねる事は良くない、幼気な男子を手玉に取っていいのは、三十路を過ぎた貪欲な女豹だけの特権で…
「ッ?!ちょ、ちょっと彼方っ?!ねえ、何言ってるの?!」」
「うわはwwwイケメン通り越してジゴロみたいになってるとかウケるwww」
なんだい、さっきまで大口を開けてみかんのお酒を飲んでた布施さんがいきなり固まってるぞ、ははーん、相当マズかったんだな、これはあとで宴会場に乗り込んで兄ちゃんたちを締め上げねばなるまい!!!いやいや、ちょっと待て、その前に由香にきっちりとくぎを刺しておかねば!!!
「ねえ由香、僕と恋をしてよ。期待に応えられるかどうかはわからないけど、誠意をもってキッチリと溺愛させていただくから。君の言質が取れないと、僕は安心して眠る事すらできないよ、はい、言ってごらん?」
「すげえなwww一口でこんなに酔うのかwww顔色一つ変わってないのにwwwよーしいいぞwwもっと飲めwww」
「彼方酔ってるでしょう?!もう、ダメだよ!!モーリーってば!!!」
「ひええ!!酔っ払うと破壊力がー、がー、がー!!!」
友達との飲み会ってのはホントに楽しいな!!!
ふふ、ふふ…はは、あはは……!!!




