出発
ごぅん、ぶるるるる…
観光バスが大学構内の正門から運動場エリアをつなぐ道路に六台みっちり並んでいる。
今日は全学部合同強制参加の親睦旅行の日。晴れてよかった。少し雲が広がっているから、日焼けの心配も少なそう、絶好の行楽日和でなによりだ。
「バスくるの結構早いんだね、集合時間九時でしょう?」
ただいまの時間七時ちょっと過ぎ。僕と由香は毎朝の構内散歩を終えてグラウンドで軽くジョグを楽しんでいた。今日はこの後親睦旅行だから、着替えたりせずに軽く運動を楽しもうって話だったんだ。学生会の集合時間は八時なんだけど、意外とバスって早くから来るんだな。…あれ、バスがグラウンドに入ってきたぞ…ああそうか、Uターンして向きを変えるからか。
「多分、準備があるんじゃないのかな?運行予定確認とか。…バスが入ってくるみたいだ、ちょっと今日のジョグはやめといたほうがいいかも。」
「むむ…そうだね、仕方ないか。遊園地で遊ぶから、体力温存しといたほうがいいって思っておこうかな…。」
バスは次々とグラウンドに入って、向きを変えて道路に並んでいく。ここゴムグラウンドなんだけど、バス入っちゃっていいんだろうか。心配になってくるよ。
「おーい!!はえーな!!さすが!!!」
バスのタイヤが乗っかるゴムグラウンドの表面を見守っていると、グラウンドのクラブ棟から結城先生が出てきた。手には段ボール…全部お菓子が入ってる。ああ、バスレクの景品だな。でも段ボールの大きさがちょっと違うような。
「おはようございます。…由香、この人ね、学生会の先生で、ここの図書館司書やってて…」
「おお!君学生会はいるの!!わーい!人員確保ー!!おっす!おらユーキ先生!趣味は食べ歩き!よろしく!!」
由香が完全にドン引きしている。熊みたいな見た目に子供っぽい言動、普通の女子だったら当然の反応だ。
「いえ、私はちょっとこういうの、向いてないんで…。」
「結城先生!ごり押しはやめてくださいよ。大人でしょう!!」
結城先生は手元の段ボールからクリームパンを取り出して食べ始めた。朝から食欲旺盛だな。…お菓子もつまんでるぞ。いいのか、それ景品なんじゃ。
「先生!それバスレクの景品でしょう?食べちゃっていいんですか?」
「ああ、これ俺のおやつ!食べる?いっぱい持ってきたよ!!君にもあげるよ!だから学生会に入ろうよ!ね?ぐふふ!」
「ちょっと!!僕の由香に下品な笑みを向けないでくださいよ!!!!」
…ほら!!由香が真っ赤な顔して下向いちゃったじゃないか!!!まったくうら若き女性になんて態度をとるんだ。きっとモテないに違いない。
「下品って失敬だな!!朗らかって言ってよ!!プンプン!!」
腰に手を当てて憤慨しているが全くかわいくない。なんだ、らちが明かないじゃないか。こんな会話してるくらいなら、いろいろと準備した方がよさそうだ。
「バス来てるんだったら、もう準備に取り掛かってもいいですよね。僕荷物持ってきます。学生会室の鍵は開いてるんですか?」
「開いてる開いてる!」
まだもぐもぐしている結城先生はほっとこう。僕は由香の目を真正面からじっと見つめて…。
「今から九時まで…僕のお手伝いとか、してみたいと思わない?」
「ふふ!いいよ!手伝う!」
僕は優秀な助手を連れて、学生会室に向かった。
学生会室には、昨日準備したバスレク用品と景品入りの段ボールが号車ごとに並んでいる。僕の乗るバスは美学-B の二号車。美学-Aの一号車が河合先生で、人間-A の三号車が早瀬先輩、人間-Bの四号車が相川先輩、英米-Aの五号車が三上先輩、英米-Bの六号車が結城先生。
大学から大型遊園地まではバスでおよそ一時間半。途中休憩を挟みつつ、面識のない学生同士が仲良くなれるよう、簡単な自己紹介やゲームを楽しんでもらう、それがバスの車内での僕の役目。このバス旅行にはバスガイドさんが同行しないから、車内のことはすべて号車担当者が何とかしなければいけないんだよ。…おかしいな、僕は新入生だったはずなのに。楽しませてもらう立場だったはずなのに。
「由香、段ボール三つ持てそう?そうしたら、一気に終わるんだけど。」
「うん、大丈夫。」
段ボールを二つ並べて、その上に段ボールを乗せて。それをまとめて持っていく。景品といっても駄菓子ばかりだからそこまで重くない。テーブルの上に鍵が置きっぱなしになっているので、それをもらって、鍵をかけて、由香とともにバスに向かう。
二号車の前あたりで、今日のバスの運転手の皆さんが集まっている。ああ、結城先生もいる、多分打ち合わせをしているはず。…してるよね?まさか一緒にお菓子食べて雑談してるだけとかないよね。…すごくありそうだ。挨拶ついでに確認しておく必要があるぞ。
「本日はどうぞよろしくお願いします。二号車に乗る石橋です。」
「あれ、男子?」
「違います、女子です。」
はは、安定の性別確認だ。…後ろで由香がウケている。笑いをこらえる感じがかわいいから許す。
「がはは!!やーいやーいイケメンイケメン!!」
「この段ボール結城先生のですよ、あと学生会室の鍵、お返ししておきます。」
ガサツで失礼なおっさんは許さないので、軽くスルーする。
「運行スケジュールって確認してますか?」
「この先生わかんないって言うから困ってたんだよね、わかります?」
なんだ、僕には学生会の実態がだんだん見えてきたぞ。先生は頼りにならないらしい。これはキケンだ。
「スケジュール渡しておきますね。行きで降りた駐車場で帰りも待っててもらえるんですよね。」
「ええ、何かあったら電話ください、私の携帯番号は…。」
こういうのって先生がやるんじゃないんですかね!!!やるはずの人はリングドーナツをバクバク食べてるし!!!あーあー、砂糖がこぼれて地面がー!!!
「やあおはよう!あれ、三浦さん学生会に入るの?」
「いえ、彼方のお手伝いをしてるだけです。」
河合先生がやってきた。そろそろ八時か。
「なんだ完全に彼女だな。」
「優秀なんですよ、由香は。取らないでくださいね。」
あれ、由香の顔が真っ赤だぞ。
「ちょっ…彼方!これっ!!持っていくんじゃなかったのッ?」
ああしまった、バスレクの箱を各号車に積まないといけないんだった。バスの号車番号を確認して乗り込み、一番前の座席に段ボールを置いていく。最後の六号車に段ボールを置いてバスを降りると、先輩たちも全員揃っていた。みんなで仲良く談笑している。
「おはようございます、バスレクの段ボール全部積みましたよ。」
「ありがとう!頼りになるね、さすがです。」
「運行表渡してくれたんだって?電話も聞いてくれたんだよね、ありがとう。」
「ねーねー!この子が彼女?かわいいー!!」
一気に騒がしくなったぞ。
「はいはい、じゃあ、最終確認するよ!去年みたいにバスに乗った人数のチェック忘れて遊園地に置き去りとかしないようにしないといけないんだからさ!!!ええと、まずは出席者名簿と、スケジュールチェック表ね。みんな持ってるね?ちゃんと使ってね?!持って安心しちゃだめだよ!で…」
河合先生が一見テキパキと場をまとめているんだけどさ。どうにも僕はこう、胸騒ぎがしてならない。置き去りってなんだ!!僕はそんな失態は絶対しないぞ…。しないようにしないと!!!
「由香…僕のそばに、ずっといてはくれないだろうか…。僕はくじけそうだよ。」
「か、彼方っ!しっかり?!ついてるから、ねっ?!」
ちゃらんぽらんな朝のミーティングは、無事終了した。…したけれどもっ!!
「美学-Bの方はこちらのバスに乗り込んでくださーい!乗る前にこちらで名前チェックしてくださいね。」
八時半を過ぎたころから、参加者が続々とやってきた。僕が呼び込み、由香が出席者のチェックをしてくれている。事前に、学籍番号順にバスの号車を割り当てているので、当日当該号車に乗れば良いようになっているのだが。
「あのー、友達と号車が分かれちゃったんで、一緒に乗りたいんですけど…。」
「向こうの号車と空きの確認しないといけないんで、ちょっと待っててもらっていいかな?」
「あの、私友達がいなくて、一人で…。」
「バスの前に、一人参加の子が何人かいるので、そこで待っててもらっていいかな?」
「彼方くーん!こっちのバスで一緒にすわろーよ!!」
「彼方くんAって言ってたのになんでBなの?!一緒に座りたかったのに!!!」
川村さんと大崎さんが一号車の方から騒がしくやってきたぞ…。河合先生、受付したなら早くバスにのせてほしいんだけど!!
「ごめんね?僕は学生会運営委員だから、いずれにせよ一緒には座れないな。一番前でレクやったり進行役やらないといけないからね。もうじき出発だから、バスの座席に座っておいた方がいいよ。」
いつもならもうちょっと優しく話せるんだけど、今日の僕は正直やることが多すぎて手いっぱいで…!!!
「もー!まあいっか、向こう着いたら一緒に写真撮ろーね!!」
「何か一つくらい一緒に乗りたいなあー、予約ね!!絶対だよ!!」
「はは、時間あったら必ず。」
僕の笑顔は少々こわばっているに違いない。
「大変そう。」
一人参加の女子が、僕に声をかけた。前髪の長いダブルお団子の女子。ええと、この子は…森川さんか。参加者は、互いの名前を知るために、いい年をして名札を付けていたりするんだな。黄色が美学、赤が人間、緑が英米。実に分かりやすいんだけど、遊園地内は貸し切りってわけじゃないから、ちょっと防犯的にどうなんだという気がしないでもない。
「森川さん?手伝ってくれるなら、ずいぶんありがたいかも?」
「なにするよ。」
森川さんにバスレク用のカードを配ってもらおう。
「このカードを車内のみんなに渡して、記入してもらってほしいんだけど、お願いできる?」
「りょーかい。」
よし、参加者は全員揃った、あとは一号車に行って一人入れないか確認してと。一号車の河合先生の所に駆け寄る。先生もなんかヘロヘロしてるぞ…大丈夫なのか。
「河合先生!席1つ余裕ないですか。そっちに乗りたい子が一人いるんですけど!」
「あーいいよ、乗って乗って。そっちの名簿消しといて、名前は?」
「村中奈々さんです。じゃあ、よろしく。」
よし、あとは一人参加組をまとめたら完了だ。急いで二号車前に戻る。
「村中さん!移動オッケー出たんで、あっちのってね!」
「ありがとう!」
走ってゆく村中さんを横目に、一人参加で不安を抱えている参加者に向き合う。そもそもの懇親旅行の目的は、見ず知らずの人の中にポンと放り込まれて不安を抱える学生のためにコミュニケーションの場を与えるというもの。友達、知人を作れなければ、この旅行の意味がない。しかし、人見知りをしてしまう学生は少なくない。学生会は、そういう人のために尽力しなければいけない、とは河合先生の談。
「ええと、藤沢さんと、山本さんと、布施さんだね。じゃあ、僕一番前に座るんで、その後ろの席に並んで座ってもらっていいかな。ええと、森川さんの席も空けてあげてね。」
藤沢さんはおとなしそうな黒髪のみつあみの女子。
山本さんはばっちりお化粧の巻き髪女子。
布施さんはにこにこしてる、垂れ目のショートカットの女子。
「彼方!そういえば私の席がないよ!!」
「由香は僕の隣に決まってるじゃないか。さ、乗るよ。」
僕は由香の手を取り、バスに乗り込んだ。あれ、なんで由香が赤い顔してるんだ。日が出て無いけど、焼けちゃったのかな。
「配ったよー。」
「ありがとう!じゃあ、森川さんはこの席に座ってね。」
森川さんは口元だけにっこり笑って僕の後ろの席にぽすんと座った。なんだろう、コロポックルっぽいな。どんな目してるんだろう。よし、あとで覗こう。
時計を見ると、9時15分。予定通りだ。バス備え付けのマイクを手に、アナウンスをする。
「皆さん、おはようございます。」
≪≪≪おはよーございまーす!≫≫≫
なんだ、バス全体からいいお返事が返ってきたぞ!ちょっとうれしいな、これ。がぜんテンションが上がってくる。…おかしいな、僕はこういうの喜ばないタイプだったはずだけど。
「本日、この二号車を担当する石橋彼方です。僕も一年生なんだけど、なぜか懇親旅行の運営側になってしまって。何か不手際があったらごめんね?一生懸命ナビゲートするので、今日という日を一緒に楽しみましょう。よろしくお願いします。」
≪≪≪よろしくおねがいしまーす≫≫≫
バスは、ゆっくり動き出した。