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…窓際には、君が  作者: たかさば


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お仕置き

 ……ずいぶん、暖かく、なった。


 春休みに入ってから、二度ほど大雪になった日があった。テレビで大雪情報が流れるのを見て、大学生の春休みが長くてよかったなあと胸を撫で下ろしたのは二月下旬の事だ。

 今年の春はやってこないのではないか、そんなことを心配していたのだけれど、どうやら杞憂だったらしい。先週は20度越えの日もあって、一気に春が押し寄せてきたかのようだ。今日は雲一つない青空が広がっているから、きっと気温も上がるに違いない。スーツの上に上着を着てくるか迷ったけど、何も着てこなくて正解だった。


 ……まだ、誰もいない大学構内を、一人で、散策する。


 今日は、卒業式。春休み期間は一月最終週から四月第一週までとなっており、学生の姿は、ない。体育館へ続く渡り廊下に、準備を進める学生部の職員がちらほら見える。

 …声をかけると何かやらされそうだな、ちょっと中庭の方に移動するか。


 遠くに見えるゴムグラウンドには、所々カラーコーンで柵が施されていて…、進入できないようになっているようだ。おそらく、卒業式関係者が侵入するのを防ぐためだろう。

 …まずいなあ、いつもの癖で朝早くに来ちゃったけど、もしかして集合時間の8:30まで、時間潰せる場所がないんじゃないの。グラウンドのところのベンチに座ってコーヒーでも飲んでようと思ったんだけどな。


 あたりをきょろきょろと見渡すと、クラブ棟前のベンチは包囲されていないのを発見した。ここは開いていないみたいだ、僕のお気に入りのメーカーの自販機は扉の向こうの学生会室前にあるんだけど…あきらめるしかなさそうだ。ベンチのすぐ横にある、ブリックパックの自動販売機でコーヒー牛乳を一つ買い、腰を下ろして、ふうと一息、ついた。


 この場所からは、広いゴムグラウンドがよく見渡せるみたいだ。いつも学生会室に直行していたから全然気が付かなかったな……。ここは屋根があるから、雨の降る日に使えそうだ、そんなことを考えつつ、甘すぎるコーヒー牛乳に少々驚きながら、目を、前の方に向ける。


 青い空に、赤いゴムグラウンド、みどりのトラックに、白いライン……。


 ……まるまる一ヶ月来ないうちに、ずいぶん風景の印象が変わったな。


 後期最後の日、確かゴムグラウンドの端には雪が残っていて、二年生になったら走れるよと話をしたのを思い出す。

 春休み中に手入れをしたのか、グラウンドとアスファルトを隔てるあたりの生け垣が整えられており、花壇にはパンジーなどが植えられている。卒業式、入学式に備えて植えたんだな。確か去年も花壇にはきれいな花が植えられていたような気がする。……四月になったら、喜んで写真を撮りそうな女子を、よーく知っている僕が、ここに。


 ゴムグラウンドの向こう側の木々がなんとなく、ほのかに…ピンク色のヴェールを纏っているのは、開花が近いから?そういえば、近くの桜の木も少しふんわりとしたピンク色に染まっているような気がする。花も咲いていないのに、ちょっと不思議な感じだ。…よく見ると、枝には小さな蕾がたくさんついている。緑色の蕾の先端がほんの少し色付いているな…、来週には、咲き始めるのかもしれない。


 恐らく、今年もこの場所は…桜が満開になるだろう。きっとここから眺める風景は、とても魅力的に違いない。お花見でもしたいところだ。



 ここは、本当に、桜が綺麗で……。



 去年、初めてこの場所に立った日の事を思い出す。……あの日は風がとても強くて。舞い散る桜の花びらを、ふわふわの髪にたくさんつけていた女子が、いた、いた。…そうか、もう、一年経つんだな。時の流れるのは、早いものだ。



 ……この一年、いろんなことが、あった。



 誰一人知り合いのいないこの場所で、漠然と…、自分のしたいことをするのだと決めた、春。


 次兄のスーツを着て入学式に出ることを決めた僕は、おそらく…、少し、暴走していたのだと、思う。今までのはっきりしない生き方を変えるきっかけを求めて、まず、見た目からどうにかしようと、心の奥底で考えたんだな、多分。


 ―――え?!スーツ、買わないの?!

 ―――兄ちゃんのスーツ借りるから。お金もったいないよ、へそくりしとけば。


 僕が入学式用のスーツを買わないと言った時、母は少々呆れていたものの…結局反対することも、叱り飛ばすことも、しなかった。


 ―――うわ!!遥…じゃない、彼方だった!!!

 ―――僕はこんなにうさん臭いホストみたいな顔してないけど。

 ―――それ、高いスーツなんだぞ、父さんがプレゼントした一張羅で…。

 ―――うわあ、ねえ、一緒に写真、撮ろう!!記念、記念!


 入学式の朝、はしゃぐ母にせがまれて、家族全員で写真を撮ったんだよね。くたびれたパジャマの父に、上半身裸の長兄、着ぐるみ姿の次兄に、エプロン姿の母……、どう見ても黒歴史的な写真になりそうなんだけど、流れで断り切れなくてさ。


 テンションの高い母に送り出されて、ほとんど人のいない始発電車に乗り、乗客が乗り込んでくるたびに、自分は今男性として見られているんだろうなと、少しワクワクしたんだ。

 …違う自分になれたような錯覚に、心が躍っていた。


 都会を抜けて、田舎町にあるこの学舎にたどり着くまでに、何人もの人とすれ違い、その都度、違う自分を認められているような気になって。

 少し、調子に乗っていた僕は…、ふわふわした女の子と出会って、パワフルな同級生たちに囲まれて、我に返って、もう男性物のスーツを着るまいと、決めてたはずだったんだけども。


 …女性もののスーツってさ、結構値段するんだよ。なんていうか、自分の卒業式でもないのに、出費したくないというか、一日くらいならいいかと妥協したというか。僕はどちらかというと、安い買い物をしたくないタイプであって。無駄遣いも好きじゃないし。

 まあ、今日一日の事だし、なんとかなると思われる。……まさか卒業式の会場で囲まれることもないだろう。


 甘ったるいコーヒー牛乳を飲み干し、空を、仰ぐ。



 ……たくさんの人たちと出会い、自分の弱い部分を知った、一年だった。



 自分ができること、自分ができないこと、自分が求めること、自分が求めないこと…、色々と、気付くことができた。


 この一年で、僕は、ずいぶん…成長したと、思う。


 大学生活は、あと三年。これから僕は、どんなふうに変わってゆくのだろうか。


 もう一年、まだ……一年。


 自分の苦手とするもの、自分が好ましいとするものは…なんとなく、わかるようになったけれども。はっきりとした、こうしたい、ああしたい、これをやりたい、これを手に入れたい、そういう欲求のようなものが、いまだ、見えてこない。


 どこか、さめている自分がいる。どこか、熱くなれない自分がいる。どこか、流されようとしている自分がいる。


 ……けれど、僕は。


 一人の女子との縁が切れることを拒み、なんとしても再び笑い合える日々を取り戻したいと願い、手を伸ばして捕まえたあの日の自分を、覚えている。


 僕を、変えてくれた、たくさんの人がいる。

 僕が、変わるきっかけをくれた、たくさんの人がいる。


 たくさんの人たちと出会い、たくさんの出来事を経験し。


 自分の変化を、振り返りながら目を閉じると。


 ……ああ、脳裏に、ふわりと思い浮かぶのは。


 ふわふわとした、髪が揺れる……、ピンク色の、よく似合う……。



「彼方!ふふ、おはよ!久しぶりに……、カッコいいね!」


 ……一年前に見た、ピンクのセットスーツに身を包んだ、キュートな、女子の、姿が。


「由香…、そんなにかわいい姿で僕の前に現れて、覚悟はできてるんだよね?」

「えっ?!」


 四月まで会えないって思ってたんだけどな。……さては、僕を驚かせようとして…画策したな?これは、お仕置きが必要だ。


 僕は、そっと立ち上がり、スマートに空のコーヒー牛乳のパックをダストボックスに投げ込むと。


 おしゃれなお嬢さんをぎゅっと抱き締め、頭ポンポンの刑を、おみまいしてあげた。

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