手
ググッ、グググゥ、ボス、ボス……。
ギュ、ギュ、ギュッ……。
年明け後の初通学となった1月上旬、僕と由香は積雪の残る道をやや慎重に踏みしめていた。年末、記録的な寒波に襲われたこともあって、至る所に雪が積もっている。穏やかな田舎の風景は白い雪で覆われ、朝の日差しを浴びて輝いており、目に眩しい。
電車の線路わきの太い道路は車が行き交うからかアスファルトがきっちり見えているのだけど、大学に続く少し細い道には地面の面影がほとんど見られない。電車に乗っている時は遠くの風景ばかりに目が行っていて、のんきに雪化粧がきれいだなあと思っていたんだけど、歩いてみると、わりと足の踏み場がないというか、どこを踏むのが正解なのか戸惑う。
……すごいなあ、雪ってこんなに積もるものなんだ。地味にこんな厚みのある雪を踏むのは初めてだったりする。なんというか…テンションが上がるな。雪遊びとか、一度もしたことがないんだよ。ついつい、生け垣の上の奇麗な雪に手を伸ばして…触ってみたりして。……わりとさらさらしてるんだな、ああ、気温が低いからか。
「この辺りは結構降雪量が多かったんだね。僕の家のあたりはうっすらとしか積もらなかったから、山になってる雪や真っ白な道を見ると…、ちょっと異国感があるよ。ここはなんて国だったかな。」
「県は違うけど、同じ国だからね?!」
……はっきり言って、踏み慣れない感覚が、実にこう、スマートじゃない歩行をさせるというか。トレッキングシューズを愛用しているから、並大抵のことでは滑ったりしないとは思うんだけど、いつものような歩幅での移動に、勇気がいるというか、若干腰が引けてしまっているというか。
おぼつかない足取りをごまかすべく、軽口をたたきながら…足元の雪を踏み踏み、慎重に、歩みを進める……。
「ずいぶん、道によって積雪量も違うし、なんというか、見た目で混乱しちゃってね。そっか、ここは日本だったか……。」
「主要道路はあさイチで除雪車が出たんじゃないかな?うちのあたりで走ってるのを見たよ。細い道はそのままだから、確かに歩きにくいよね。彼方、雪慣れてないんでしょう?滑らない様に気をつけてね?」
除雪車なんて、雪国にしかないんだと思っていた。こんな平野部でも稼働するんだなあ。わりとびっくりだ。…ああ、でも言われてみれば、県北部にはスキー場も多いし、雪国といえば、雪国なのかな?
「うん、ありがとう。…あ、ほら、見て、あんなところに大きな雪だるまが。」
民家の軒下に大きな雪だるまが飾ってあるのを見つけ、のどかな風景に目をやる体で、少し歩みのスピードを、緩めてみる。……わりとさ、雪を踏み固めながら歩くのって、力がかかるというか、力まざるを得ないというか、結構、疲れるんだよ。気を抜くと、ツルっといっちゃいそうだし。……由香の前で無様に転がるわけには!
「ほんとだ!かわいいバケツの帽子!わあ、見て!大きいダルマの後ろ…小さい雪ダルマが玄関にいっぱい作ってあるよ!チビッ子が大喜びで作ったのかな?うちの裏に住んでるおチビちゃんもね、3段の雪だるま作ってたんだ。」
内心焦っている僕にはまるで気が付かない様子で、穏やかに微笑みを返してくる、由香。僕、ちゃんと歩けてるんだろうか。心なしか、僕を見つめる目が、優しい気がする。これは僕のへっぴり腰を見て何か思うところがあるに違いない。年明け早々、きまらないなあ……。
「ああ、西洋式が3段なんだっけ?バランスとるのが地味に難しそうだね……。」
「ふふ、彼方もバランスとるのが、難しそうに見えるけど?……もうちょっと、ゆっくり歩いて行こっか。実は私もちょっと筋肉痛でね、雪の中歩くの、きつくって。」
「筋肉痛?なに、家でパワーヨガを極めてたのかい。」
「ううん、私ね、昨日屋根に上って雪を下ろしたんだけど、ちょっと頑張りすぎちゃって。」
「え、こんな雪が積もってる状態で屋根に?危なくないの、よく無事だったね……。」
「ここまでの雪は久々だけど、去年もやってるし!あ、上ったって言っても、はしごで横付けしただけでね?」
なんていうか、たまに由香のパワフルさというか、アグレッシブさには驚かされることがある。見た目はこう、ぽわぽわとしたかわいい女の子なのに、時折なんていうんだろう、すごく頼もしさを感じるというか。…積極的?行動派?どちらかというと保守的な自分にとって、非常にまぶしい存在で……。
そんなことを思いながら、一歩踏み出した、その時!!!
「…っ、うぅわっ!!」
ズズッ、ぐしゃっ、ババ、バササッ……!!!
「きゃあ!か、彼方!!だ、大丈夫?!」
……なんという事だ。ふわふわの雪に足を突っ込んだら、思いがけず水分を含んだ場所だったようで!!〈いちばん〉の駐車場の生け垣にもたれかかるような形で…思いっきり腰のあたりから突っ込んでしま…うわ、顔にまで雪が!!!
「ケガ、してない?!」
「う、うん、大丈夫、ちょっと滑ったみたいだ。」
由香がハンカチを出して、僕の髪や腰、肩…細かい雪がこびり付いてしまったところを優しく叩いてくれ…結構派手に叩き落としてるな、ちょ、ちょっと痛いぞ。僕も自分で、かぶってしまった粉雪?を手早く払う……。
「……見て!生け垣に…彼方の形が!!ふふ、あはは…!!すごい、彼方ってわかる!写真撮っちゃお!!」
生け垣にまんべんなく積もっていた雪は、僕のベロアのコートに実に几帳面に密着したらしい。
僕がバランスを崩して倒れ込んだ、みっともないポーズの形に、雪がはぎとられて!!!真っ白に化粧されている生け垣の中に、深緑色の僕の形が浮かび上がっている!!!ちょっと待って、これ、ものすごく恥ずかしいんだけど!!!
「由香…ひどいよ……。」
悲しそうな表情をわざとらしく作って、由香の顔をのぞき込む。……ああ、シャッター音が!
「ふふ、ごめんね?もう写真撮っちゃった!…お詫びに、ハイ、手繋いであげる!これなら、もう転ばないでしょ?」
温かい、由香の右手が、僕の左手を、握った。
……ああ、つないだ手のひらから、指先から、由香の熱が伝わる。ハンカチを出す余裕もなく、素手で雪を払った僕の手は冷たいはずだ。僕が温かさを感じているぶん、由香は冷たさを感じているはずで……。申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ち、あと…、なんだ、この、ほんのりとくすぐったいような、感じは?
「ねえ、このまま二人で生け垣に突っ込んだら、もっと面白い絵が取れるとは思わないかい。」
「思わない!!もう、遊んでないで、早く行くよ!一限目の英語Ⅰのテストは持ち込み不可なんだから、勉強しないと!」
グイッと力強く手を引かれ、僕は己の失態の痕跡の前から移動することになった。手をつないでいることで若干バランスが良くなったようで、危なっかしい歩みがやや落ち着いた。
由香は顔を赤らめることもなく、昔の積雪エピソードを楽しげに披露している。…完全に、手を繋いでもらっている足元の覚束無い子供扱いだ。
なんだ、もっとこう、いちゃいちゃキャッキャしたかったんだけどな。…まあ、いいか。
大学の入り口に到着すると、本館辺りで学生部の職員の皆さんが雪かきをしていた。うちの大学の西門あたりは上り坂になっているから、雪が積もったままだと危険極まりないのだろう、すごいな、入り口から靴箱までの動線が、全て雪かきされている。かなり長い道のりなのに、何人で作業をしたんだろう、今の時間は七時半だから、相当早くに出勤してきたに違いない。職員は大変だな……。
「これだけ雪かきしてあれば、もう滑ることはないかな?」
ムム、由香がさりげなく手を離そうとしているぞ。僕は離してなるものかと、さりげなく、いや、堂々と手のひらに力をこめ
「ちょ!お前ら朝から仲良くお手手つないで仲良く登校かよ!!見せつけんな!!」
「っ!!お、おはようございますっ!!」
突然、背後から不躾な声が聞こえてきた。びくりと左手の中の温かい手が跳ね、少々慌てた声が耳に届く…、ああ、由香が手を離してしまったじゃないか。熱の逃げてしまった左手をじっと見つめてから、恨めしい目を忌々しい声の持ち主に向ける。
「……おはようございます。めちゃくちゃ早いご出勤ですね、どうしたんですか。」
少々の怒りを乗せて、もこもこと分厚いベンチコートに身を包んで3周りくらいでかくなっている無礼千万のおっさんに声をかける。
「年末のさあ、人気投票あっただろ!あれの結果を踏まえてゼミの部屋が移動になったんだ♪今日は業者が来てさあ、入れ替え作業してくれることになってんだよ!このお礼は4月の懇親会でするから!いやあ、協力ありがとね!」
「ふふ、良かったですね!」
広い部屋に移動になった次の年に狭い部屋に戻されるとかさ、そういうパターンもあるんじゃないの……。
どうせ一時期の天下だ、せいぜい短い時間の贅沢を噛み締めるがいい……って!
ヤバイなあ、どうもこのおっさんに関わると自分の性格の悪いところが出る。……余計なものは見ないに限るな。
……僕は、由香の背に左手をそっと添えて、顔をのぞきこんだ。血色のいい頬、ピンクに染まる涙袋、ほんの少しとがった、つやつやの唇、ちょっぴり泳ぎ気味の、長いまつ毛に守られた大きな瞳。
「さ、早く教室に行って、一緒に復習、しよう?」
「う、うん。」
「けっ!あーあー、朝からイケメンかよっ!どこのタラシだよ!ここのタラシだよ!」
背後が騒がしいのは、まあ、スルーしておこう。
僕は雪のない坂道を、スマートな足取りで、登りはじめたのであった。




