先輩
「おっ!!お姉ちゃん、今日はお友達もいっしょかい!」
「んだんだwww今日はいっぱい買ってくよ、おまけしてwww」
僕と由香、森川さん、楠先輩は、大学からほど近い所にある地元密着型のスーパー「まんもす」に来ている。
このスーパーは創業30年、外壁や建物はずいぶんくすんでいるものの、地元民に愛されているお店らしい。毎日通っている森川さん曰く、毎日開かれている生鮮朝市が人気なんだって。この辺りの農家の人たちが形の悪い物や小ぶりな野菜を格安で販売しており、新鮮かつお買い得ってことで朝一からけっこう混んでいたりするそうだ。なお、営業時間は朝7:00-17:00、最近の大手スーパー営業時間とは微妙にずれていて、そのあたりも集客数に繋がっている模様。
「しょーがねえなあ、このリンゴキズもんだけど、持ってけ!!」
「わーいwwwありがとー!!」
「桜子ちゃーん、カキも持って行く?ちょっと熟してるけど!」
「いいの?ありがとー、今度またはりきって銀杏剥くわwww」
「おぅい!さくちゃん!!こっちに売れ残りのツケモンあるでもってけや!!」
「マジでwwwちょー太っ腹!!イケメンすなwww」
何気に森川さんがこの店のお得意さま?らしくてさ、さっきからやけにこう、おじさんやらおばちゃんやらに声をかけてもらっていてだね。なんでも、朝一の商品カッティング?陳列?をお手伝いすることもあるんだってさ。……いっぱい買うって言っても、そこまで多くはないと思うんだけど、良いのかな。挨拶するたびに何かもらってるぞ……。
「モーリー人気がすごすぎてびっくりだよ!!いいの?こんなにいろいろもらったりして!」
「いつも200円くらいしか買ってないからさwww今日はおよそ4000円は買うから大丈夫www」
ショッピングカートのハンドルにもらった品々を下げつつ、店内を美学学生四人で巡る。
…只今の時刻朝7:30、年配のお客さんがほとんどだ。そうだなあ、そういえばうちの漁港市も朝は元気なお年寄りが溢れている。なんていうか、お年寄りがのんびり買い物をしている姿は、こう、和むよね。僕も将来はこういう穏やかな老人になりたいなあって思うというか。……まあ、まだかなり先の話ではあるけど。
「ええと、強力粉と薄力粉、塩にコーンスターチ、ネギ三本、ニラ二袋、豚ひき肉2キロ、キャベツひと玉に、しょうゆ、しょうが、ごま油…、ラー油に酢……。」
「あ、ゆゆ由香ちゃん、ごま油は六角マークのやつって指定してありますー!!!違うのかってくちょ、地味に河合先生はうるさいのですぅうウウウウ!!!」
楠先輩はしっかりしてるけど、なんでこう……残念な空気が漂うんだ。僕たちは後輩なんだから、もう少しこう、気を遣わずに落ち着いてゆっくりと話してくれたらいいのに。あさイチで由香とはじめましてした時は、ずいぶん穏やかに言葉を交わしていたから大丈夫そうだなって思っていたんだけどな…気のせいだったみたいだ…。
「これいくつ分のレシピなんだろwww作りすぎて余りそうじゃねwww?」
「ええとー!!前期の時はですね、なんか大きな先生がやってきて、残った分全部食べてってくれて―――!!!200個作ったけど全部ぱくーでしてええええ!!!」
僕が知る限り、大きな先生の心当たりは一人しかいない。…というか、200個?!参加人数はゼミ生四人に河合先生、そして乱入してきたと思われる爆食図書館司書の計六人、一人あたり30個を食べた?!いやいや、ゼミ生は15個づつ、先生二人で70個づつ食べたに違いない。
「このレシピ大丈夫なのかねwwwあたしが餃子作る時はオイスターソース入れるし、白菜使うなwwwキャベツ多すぎね?」
「うちはにら餃子作ることが多いかな?おばあちゃんの餃子はねぎ使うし…わりと餃子っておうちのくせ?が出るよね。」
「僕の家は買ってきた餃子を焼くだけだよ……。」
「はわわ、今の市販餃子は、美味しいものが多いのですー!!!河合先生の餃子は、本場の老酒を使った本格派って散々自慢してたのでえええ!!!あと、研究室の棚にも、コショウとか調味料があるです、はひ。」
研究室の棚というのが地味に気になるな。まさかと思うけど、賞味期限切れの調味料とか、虫の湧いた何某が出てきたりはしないだろうね。僕の中に、河合先生に対する信頼感はほとんど存在していない。研究室に入ったら、まずは棚の調味料チェックをせねばなるまい。
「お!!きたな!!全部でいくらだった?…ちょ、何フルーツ買ってんの、余分なもん買ってくんなって言ってあったじゃん!」
買い物を終えて、東洋美術史の研究室に向かうと不機嫌な声が飛んできた。この先生は相変わらず見境なく思ったことを口にするな。もうちょっと状況をよく確認してから判断して、口を慎んだらどうなんだ。学生会追加メンバー選出会議の時はおとなしくしてたじゃないか…って、そうか、あの時は昼ご飯を夢中になって食べていたんだった。今は何も食べていないから口がフリーになっていて好き放題に暴言を吐けるというわけだな。もうこの人ずっと何か食べてたらいいのに。
「カキとリンゴとつけものときゅうりはただで貰ったんだよwwwみんなで食うべwww」
「全部で4200円でしたよ。おつりとレシートはどうします?」
「お、結構安かったな!そこの棚にね、ブタさんの貯金箱あるから!そこに入れといてもらっていい?レシートはもらっとくわ!!」
差し出された手にレシートを渡すと…ムム、無造作にポケットに突っ込んだじゃないか。絶対になくすやつだ、これ!!
「この棚かな?」
「あ、由香ちゃん、左側の扉はあけるとまずいのです!!こっちの右側をずらさないとたた大変なことにええとー!」
みっちりと教材だか本だかが詰まっている棚は、開ける扉を間違えると中身が飛び出してしまう仕様らしい。なんというガサツ且ついいかげんな収納をしているんだ、入りきらないくらい無理やり詰め込むからこんなことになるって…これは敦煌莫高窟の壁画!うわ、めちゃめちゃ山水画の複製?があるじゃないか、ちょっと待て、ものすごく貴重そうな図鑑?の横になんでご当地PUCKYの箱が並んでいるんだ!!よく見ればクッキー缶やらドロップの缶なんかも無造作に放り込まれている!
「もっと棚の整頓したらどうなんです、年代もジャンルもめちゃめちゃだし、お菓子なんかここに入れとく必要ないでしょう。」
「ちげーよ!!それはスライドが入ってんの!!手ごろな箱がなくてさあ。」
ブタにおつりを詰め込んだついでにお菓子の箱を開けてみると…うわ、スライドがぐちゃぐちゃに入ってるぞ。クッキー缶には石彫刻…翡翠じゃないの、これ!!こんな粗末な扱いをしていいものじゃ…ない!!これは僕がゼミに入ったら何が何でも棚掃除をしなければなるまい。
「あ、い、石橋君さん、こっちの棚にね、調味料入ってるですから持って行きましょうええとーお酒とコショウ、あと五香粉の瓶を、おね、おねがひしまふ!!」
「ああ、これですね…賞味期限は、うん、大丈夫みたいだ。」
「すごいね、何これ、甕酒?」
「これはね、紹興酒だよwwwこれでさあ肉まん作ると…うーまーいーぞ―!」
やけに森川さんがウキウキしているぞ。もしかしてお酒好きなのかな。……ちょっと待った、まだ未成年なんだけど!!
「おはよーございまーす!!わあ!!ほんとに後輩いる!!って噂のイケメン!!!ぎょーえー!!!」
「おはよーございます、センセー、調理室のカギ借りてきたー!あ、後輩の人?!ねえねえだれか宿曜やりたい人いない?」
「おはようございます、今日はよろしくお願いします……。」
ドタバタしてたら、東洋美術史のゼミ生と思われる先輩たちがやってきた。
まさに東洋って感じのエキゾチック美人の先輩、丸っこくて優しそうな雰囲気丸出しの先輩、あまりイメージに残りにくい、ごく普通の先輩……。この人たちが、東洋美術史で卒論を書く事を決めている先輩たちか。テーマとか聞いてみたいな。僕は東洋美術史には興味があるものの、イマイチ、はっきりとした研究したいテーマを持っていなくてさ。
「おう!おはよう!よーし、全員揃ったな、じゃあ荷物手分けして持ってくか!さっそく調理室に移動しよう。午前中いっぱい8:00-12:00まで借りることになってるからさ、早めに作ってどんどん焼くぞ!!さ、行った行った!!」
今の今までのんびりと差し入れの入った袋の中を吟味していたくせに、急にスピーディーに動き出すのやめてもらえないかな。一言文句を申したいけど、先輩たちの前なのでぐっと怒りを飲み込む…えらいな、僕……。
「ところでさwwwうちら二時間目あるんですけど、まさか作るだけ作って食べられないとかwww」
森川さんが心配するのも無理はない。僕と由香と森川さんは、二時間目にテーブルマナーの授業がある。10:40までに準備・調理・食事ができなければ、まさかの作るだけ作って一口も食べられないという悲劇に見舞われる可能性があるのだ。
「前期は午後13:00から借りたんだけど、15:00には全部食べ終わってたよ。多分第一陣は食べられるはずだから!」
「大食いの先生がこなければ、お昼まで残ってるはず!ちゃんと取っといてあげるから安心して!!」
エキゾチックな先輩と丸っこい先輩がにこにこしている。普通の先輩は、少し戸惑っているみたいだな、…まだきちんと挨拶してないし、名乗った方がいいよね。研究室の鍵をかけるおっさんの横で、ちょうど全員いい感じに向き合っている、自己紹介のチャンスだ…
「えええええとー、こちらは本日買い出しお手伝い兼ゼミ見学の貴重すぎりゅ皆さんでえええ!!こちら背のお高い人から、いち橋かなちゃさん、三浦ゆゆかさん、もりもわさくらこちゃんでしてえええ!!!」
ありがたいことに楠先輩が僕たちの事を紹介してくれたんだけど、…絶妙にわかりにくいな、自己紹介が必要だな、うん。
「初めまして、今日はお世話になります、石橋彼方です。」
「三浦由香です、よろしくお願いします!」
「どもどもwww森川桜子ですwww」
「あたしは荒川潤、遺跡やってるの。」
エキゾチックな先輩がにっこり笑っている。
「私は望月麻衣、28宿調べてるんだ。」
丸い先輩が陽気に笑っている。
「…里見かおりです。テーマはまだ決めてないかな……。」
普通の先輩が普通に笑っている。
「お前らこんなとこで自己紹介かよ!真面目かっ!!餃子作りながらやりゃいいのに。とっとと行くぞ!俺は腹が減ってるんだ!!!レッツラゴー!!」
「名前ぐらい言っとかないとわけわかんなくなるじゃん!作りながらなんて無理じゃん!」
「どうせ作ってる時は黙って包めとか言うくせに!!」
「……。」
「ひゃわわわわ!!!い、急ぎましょーハイハイ!!アアア!!!レシピ表机の上におきっぱ、おきっぱですせんせええええ!!!」
先輩たちの白い目がおっさんに向けられる……いや、一人の目はテンパっていてぐるぐると回っているけど。なるほどねえ、少しばかりこのゼミの実態のようなものが、垣間見えるぞ。やらかし勝ち、いややらかすのみの先生にツッコミ要員が二人、冷静に見つめる人に、大騒ぎの落ち着かない人か。実にこう、ちゃんと研究できているのか不安が残る感じだ。学年一の不人気を誇る理由が、わからないでもない、いや、まるわかりだ!!!
「なんかこう……ゼミってもっと威厳にあふれてるものだと思ってた、すごく、意外。」
「指導教諭というよりも、ただの食い意地の張ったおっさんじゃないか……。」
「自由度たけえwwwここなら多少やらかしても許されそうだwww」
……先行きが不安だ。不安しか感じない。
卒論のテーマ、ゼミ選び……よく考えた方がよさそうだな……。




