特別
……あんまり、泣いている由香を凝視したらかわいそうだ。さりげなく、目線を青空に、向ける。
青い空に、二本の飛行機雲が流れている。……ここから車で30分ほどの場所に飛行場があるんだ。年に一度、航空ショーが開かれる時にはカラフルな飛行機雲が流れるんだよと、教えてくれたのは。今、僕の横で、そっと目を押さえている、……由香。
「……私、うれしかったんだ、本当は。」
「うれしかった?」
「知らない人たちからうらやましがられて。少しだけ、彼方の事自慢したくなったの。……ちょっと恥ずかしくて、くすぐったくて、優越感、すごかった。」
……僕の事を、自慢したいと思ってくれているという事?
「彼方と過ごす毎日は、とても、とても楽しくて、心地良くて。自分が変わっているって、変われているんだって、彼方が変わるきっかけをくれたんだって。いつも誰かと戦ってばかりいる自分じゃない、平和で穏やかな自分を、初めて知ったの。すぐに反論しない、言い返さない……、言葉尻を捕らえてばかりだった私にも、こんな一面があるんだって……。」
いつも由香は、僕と話すとき、少しつまることが、あったようにも思う。
『ッ……!!!』
『ちょっ……?!』
『うう……。』
あれは、もしかしたら、強気な言葉を一生懸命、飲み込んでいたから……?
「でも、かわい子ぶってるって言われて、はっと、して。猫をかぶって図々しいって言われて、ドキッとして。本性隠して上辺だけの関係なんか、今すぐに壊れるって、壊してやるって言われて、我慢ができなくなって。彼方の隣にいる資格なんてないって言われて、私、私……。」
桜井さんの言いそうなことだ。資格も何も、僕は横に立つ人を誰かに選定されるつもりはないし、従う気なんかない。
「私、自分を偽って彼方と向き合っていることに、気が付いてしまった……。とても、顔を合わせる事なんてできないって思った。だから、彼方のファンのせいにして、理由をつけて、逃げ出したの。……サイテーでしょ?」
じっと、ゴムグラウンドに落としていた目を、こちらに向ける、由香。……ああ、無理やり、笑顔を作っている。ゆがんだ眉が、悲しみを隠しきれていない。大きな目から、ぽろぽろと涙がこぼれている。いつもより彩度の低い…ブラウンリップの乗っている唇が、少し震えている。
「何を言っているんだい。僕から……逃げ出せたって事でしょう?逃げ出せずに戦い続けてきた由香を、逃がしてあげることができた、その事を光栄に思うよ?……捕まえちゃったけど、ね。」
ポンと、由香の頭に手をやると、……あれ、ひときわ派手に泣き出してしまった。……しばらく落ち着くまで、待っていようか。
捕まえることができて良かった。捕まえることができなければ、おそらく由香はずっと……心のうちを吐き出すこともできずに、ただ自分を責め続けていたに違いない。感情の出し方を間違えたまま、僕のように、何も言えない人間に、悪い方向に変わってしまうところだったんじゃないだろうか……。
「……ふーちゃんも、モーリーも、私がいじめられたと思っているの。だから、一緒に、二人で守ってくれて。その姿を見て、私は感情を抑え込むことができた。でも、違うの!私は、本当は、守られていいような、か弱い人間じゃ、ないの!!申し訳なさと、言い訳したい気持ちと、本当の事を話したら嫌われるんじゃないかって言う不安でいっぱいで!!」
……ああ、胸が、少し、痛い。この痛みは、きっと、おそらく。……由香と、シンクロしているに違いない。
方向性は少し違うけれど、僕だって同じような考えにとらわれている。……周りが望む言葉を選んで、自分の心を放り投げ、無難に、無難に人間関係を築き上げてきた僕だからこそ、自分の気持ちをさらけ出すことに躊躇する由香の気持ちが……よくわかるのだ。
「……弱音が、吐きたかった。ただ、泣きたかった。でも、強気な私が、それを許さないの。口を開いたら、ぜんぶ、ぜんぶ、壊してしまいそうで、怖くてたまらないの。今までの人間関係も、全て叩きのめして、私は、一人ぼっちで、ずっと強気なまま、意地を張り続けて、誰かを言い負かして、平気な振りをしてって、どんどん、どんどん、嫌なことばかり、溢れてきて……。」
「今、由香は、弱音をはいてるし、泣いてるじゃないか。」
……良かった、僕は役に立ってるみたいだ。僕は、由香の……言いたいことが言える、心をさらけ出せる人に、なれてるってことだよね?
「今後は、僕に全部言えばいいんだよ。ね?うん、そうしよう、それがいいよ。」
にっこり微笑んで、由香の目を見つめる……、あふれ出す涙が止まらないぞ。よし、僕のハンカチで……ここぞとばかりに、地味なアイメイクの上から、そっと、何度も押さえてみる……。
「……ごめんね?由香の気持ちも考えずに、僕は僕の感情のままに、手をのばして……捕まえてしまった。責任は取るよ。だからもう、僕から逃げるのはやめて欲しいかな?僕にだったら、弱音をいっぱいはいてもらっていいし、どんどん強気でいてもらっていいから。……思いっきり、由香の本音、見せてもらいたいな。」
……そして、出来れば、僕も。弱気な自分を隠すことなく、由香にさらけ出していきたいと思う……。
「全部受け止めることは……できないかもしれない。でも、僕は……、精一杯、両手を広げて、由香の心を、気の強さを、抱きしめるから。少しくらいの、取りこぼし?は、大目に見て頂けると、助かるかな。僕が失敗した時は、かわいく突っ込んでくれたら、それで。」
いつもみたいに頬を膨らませてプンプンした由香を、僕は切望しているんだよ。……プンプンを通り越して、激怒したらどうなっちゃうんだろう?ちょっとワクワクしてしまうのは、不謹慎かも?
「私は、かわいくないよ?!言いたいことを言う私は、意地っ張りで、自分勝手で、すごく、みっともなくて!!」
「かわいいかかわいくないかは、僕が見て確かめるから大丈夫だよ。……僕が、由香をかわいくしていくつもりなんだけどな。それじゃ、ダメ?」
気の強い女子って、実はものすごくかわいかったりするじゃないか。最近はやりのツンデレとか、ツンツンとかさ。
「かわいくなれる?変われる?私、自信がないの、いつか私は、彼方を再起不能なくらい、叩きのめしてしまうかもしれない。……それが、とても、怖い。」
「由香は、変わりたいと思うんでしょう?その気持ちがあれば、大丈夫さ。それにね、実は……僕も変わりたいんだよ。」
「え……?彼方も、変わり、たい、の……?」
人は、一人ではなかなか変わっていけない。でも、誰か、共に変わってくれる人がいれば。
「……ねえ、由香。僕は、この一週間、ずいぶん学んだんだ。自分の生きてきた道、自分が避けてきたこと、自分の求めること。僕は、本当はとっても、とっても気が弱くて、周りのみんなが引いちゃうくらい、言いたいことを言えない、空気を読みすぎる人間だったって気が付いた。」
ああ、思いのほか、自分の心をさらけ出すのは、勇気がいるな。言葉を選びながら、口に出してはいるんだけど……伝えたいことをきちんと伝えることができているのか、不安がすごい。僕の言いたいこと、言ってること、ちゃんと由香に理解してもらえるかな……。
「由香と離れていた間に、初めて、自覚したんだけど。……僕はとても気が弱くて。自分の意見を言える人が、僕にはたまらなく眩しく見えるんだ。……僕は、由香がとても羨ましい。」
「こんな……人の傷つく事しか言えない、気の強すぎる、空気の読めない、私が?!」
……そんなこと、ないと思うんだけどな。由香のやさしさは、頼もしさは、とても魅力的だ。
「ねえ、由香、君の気の強さを、少し分けてもらえないだろうか。僕はとても打たれ弱くて、すぐに自分の気持ちを手放してしまう弱虫なんだ。……ずっと、弱気な生き方を、してきた。気を抜くとすぐに……誰かの意見に同調してしまって、自分の気持ちを蔑ろにしてしまうみたいでさ。戦う事も、自分の意見をいう事もできないまま……気が付けば、誰かの選択を受け入れる事しか、できないようになっていたんだ。僕の情けない所を、叱り飛ばしてくれない?実は僕、流されっぱなしの、情けない人間なんだよ。」
僕の、ヘタレ告白に、由香は、どんな返事を返す……?
「か、彼方は!!情けない人間なんかじゃ、ないよ?!」
少し赤くなった目を見開いて、ギュウと僕の手を握ってきた、由香。……ほら、やっぱり、優しいじゃないか。
「僕は、人が喜びそうなことしか言えない、気の弱すぎる、空気を読みすぎる人だよ?」
「く、空気を読んでの、あのタラシ発言?!」
「そこはほら、サービス精神が旺盛と言ってもらえたら。」
……タラシたつもりは、あんまりないんだけどな。いわゆるリップサービスは、まあ、僕のくせみたいなもんであってだね。
「由香にだけは、遠慮、してなかったんだと、思う。僕は、由香に…ずいぶん、いろんなことを、言わせてもらっていたから。……きっと、由香は、僕にとって特別なんだね。」
……そうだなあ、由香には、ずいぶん遠慮なしに、いろいろと言ってきたような気はする。赤くなる由香は、それはそれはかわいくて、ついついこう、からかってみたくなるというか、からかわずにいられないというか。森川さんしかり、布施さんしかり、大体呆れるか軽くスルーするところを由香はしっかり拾って赤くなってくれたからさ、僕もつい、期待に応えたくなったというか。
「特別?!えっと、その、あ、あの、私なんかがっ?!」
……はは、こんな風に、真っ赤になってる由香が、……僕は。
「なんか?違うよ、由香がいいんじゃないか。由香だから、……ものは相談なんだけど、一緒に変わっていかないかい。由香は意地っ張りで強気な自分から、弱音の吐ける人間になる。僕は何も言えない弱気な自分から、言いたいことを言える人間になる。お互い、フォローしあって、寄り添って、少しづつ前を向いて変わっていけるような存在にならない?」
すっかりメイクの落ちてしまった、けれど血色の良い由香の顔をのぞき込んで、お願いなど。
「……変わって、いけると、思う?」
涙の引いた、もじもじした由香。風がふわりと吹いて、髪をなびかせる。
「僕は…変わっていけると信じてる。」
少し腫れぼったくなってしまった目元が、ちょっと色っぽくなってる。ここにピンク系のアイシャドウ乗せたらキュートに決まるだろうなあ、涙袋描かなくてもいいな、そんなことを思いながら、真剣なまなざしをまっすぐと向ける。
「じゃあ、私も……信じて、あげても、いい!」
うん?これは、ツンデレてるのか??上目遣いで、真っ赤なほっぺ、ちょっとへの字の口元……。はは、かわいいじゃないか。思わず、ふわふわと揺れる、由香の頭を、ポンポンと。
「わ、私、お化粧直してくるねっ!!!」
ベンチから立ち上がった由香に向かって、一言、二言。
「アイシャドウはキュンメイクパレットのNo.3、パールピンクベースで目じりは少し下げて、目頭に先月買ったキュートティアのグリッターを乗せてね。秋口に入ってるけど、サマーピンクのティントリップをグラデーションで。」
「もう!!!なんでそんなに細かく指定するのよっ!!!」
プンプンしながら体育館のお手洗いに消えた、由香。
……待つこと、十分。
「お、お望みどおりに、してきたけど?!」
ちょっぴり目線を逸らしながら、こちらを伺う、唇を尖らせた、フェミニンメイクの由香。照れているのか、気恥ずかしいのか、気の強さを隠さなくなったからなのか、ずいぶん、……印象が。
「ふふ……。」
「ちょ、な、何笑ってるの?!彼方の言うとおりに仕上げて来たのに!!」
……気の強い、由香かあ。
……めちゃめちゃ、かわいいな。
「ごめんごめん、ちょっと由香のかわいさにあてられちゃったんだよ。」
「またすぐタラす!!!」
すぐさまツッコミが入ったぞ。そうか、こういうところで、変わってくるんだな、なるほど……。
今後は今まで以上に、由香を赤くさせるスキルを磨かねばなるまい。
僕は恋愛小説を図書館で読み漁ることを、心に、決めた。




