企み
……一緒にゴムグラウンドのベンチまで行く道すがら、由香の話を聞いた。
触れたくないであろう出来事を、するり、するりとかわしながら……芝さんと近辺のおいしい処巡りをした事、司書室の中に入った事、早季先生を遠目に見かけたことなどをぽつりぽつりと話してくれた。水曜は〈いちばん〉、木曜は〈タコテリア〉、金曜は〈猫茶屋〉に行ったんだって。
〈タコテリア〉は、桐ヶ丘駅からほど近い場所にあるたこ焼き専門店で、近隣住民や学生はもちろん遠方からも車を走らせて来店する客が集まる人気の店だ。いつ行っても人が並んでいて、なかなか食べる機会がないままになっていた場所。そのうち一緒に行こうと約束したのはいつのことだったかな。
〈猫茶屋〉はパフェが有名なカフェレストランだ。柳ヶ橋に本店を構えていて、二号店が桐ヶ丘駅から一駅先にある芥川駅にある。おばあちゃんの家のすぐ近くにできたと、大喜びで話していた由香を見たのは……夏前だったはず。
少し遠慮がちに、けれど少しうれしそうに話す様子を見て、一緒に行けなかったことを残念に思う。由香のおいしいものを食べた時の表情は、実に見ごたえがあって、いじりがいがあって、目の保養になって、微笑ましいんだ。……ああ、僕は三回分の由香を見逃してしまった。
「タコテリアはね、水曜日の昼前が、なぜか少し空いてるんだって。オープンが10:00からだから、二時間目の始まる前に行けば並ばずに食べられるかもって教えてもらったの。」
水曜はいつも、二時間目の始まる10:30まで、僕と由香、二人だけで過ごしていた。……先週は、森川さんの家に行ったり、早季先生に怒鳴られたりしていたけれども。
「そっか、じゃあ……来週、運動した後で一緒に食べに行こうよ。十時のおやつにちょうどいいね。」
さりげなく、来週の約束を口にしてみる。……由香の、返事は?
「……おすすめの食べ方は、一味マヨネーズなんだって。……彼方、辛いの苦手だったよね?」
少し、俯き加減で、僕を見上げた後、肩にかけていたトートバッグをベンチの上に下ろし、その横に豪快に腰を下ろした、由香。
なんだ、いつの間にか、目的地に着いていたみたいだ。
「由香が横で励ましてくれたら、食べられると思うけど?」
僕もいつもより少し豪快に、腰を下ろした。愛用の2WAYショルダーバッグを下ろして、青い空を見上げる。……白い筋が、二本。きれいな飛行機雲だ。
「食べられるって!おいしいたこ焼きに失礼でしょ!おいしいものは、美味しく食べないと!」
「それは、失礼いたしました。」
プンプンしている声を聞いて、あわてて視線を、隣に向ける。……はは、ほっぺたが膨らんでる。……今週は、こういう由香、たくさん見られるかな?思わず、まじまじと……、見つめてしまう。地味に先週一週間、由香が足りない日々を過ごした影響が大きい。
今日はブラウン系の落ち着いたアイメイクをしているな。いつもの、かわいいを前面に出したキュートな色合いが鳴りを潜め、少し背伸びをしたような、大人の女性の雰囲気を目指している?……若いんだから、もっとはしゃいだ感じにまとめた方がいいと思うんだけど。いつだって由香は華やかなメイクをばっちりかわいらしくキメていたのに、こんなに落ち着いてしまっては、もったいない。似合ってはいるんだけどね。
……由香は自分でこのメイクにしようと決めてきたんだから、あまり下手なことは言えないな。でももっとかわいくした方が僕の好みというか、みんなかわいいって思うはずなんだけどな。そんなことを考えていたら、何やら由香の顔が……悲しげに、微笑んだ。
「ねえ、彼方……。私の、本性……聞いたでしょ?」
見つめ合っていた目が、遠慮がちに逸らされて……ゴムグラウンドに向けられる。
「僕は由香がかわいいって事しか知らないし、それが本性だって思ってるよ、違うのかい。」
目は合わせてもらってないけど、少しばかり熱を込めた視線と言葉を送ってみる。
……おかしいな、いつもみたいに、由香の顔が赤くならない。いつもみたいに、呆れたような、『…ッ!!もう!』が聞こえてこない。
「……私はかわいくなんてないの。ただの気の強すぎる、他人を思いやれない、……冷たい人間で。」
いつになく、テレやお笑い要素が感じられない真面目な空気が漂っている。……これは、茶化したらだめなやつだ。
「僕の知ってる由香は、照れ屋で博識で困ったときはいつでも助けてくれる、とても暖かい人間だけど?」
ゴムグラウンドをじっと見つめる由香の目は、どこか思いつめたような……、追い込まれているように見える。
……由香の顔が、どんどん悲しげに歪んでいく。僕の言葉で、こんな表情になってしまうのか?もしかして僕は、追い込むようなことを言ってしまっているんだろうか……?
「聞いたんでしょ?桜井さんから。私が、どれくらい人を叩きのめしてきたかって。……私は、ずっと……ここで、猫をかぶっていただけで。」
「僕はね、誰かの言葉で大切な人を判断するような人間じゃないんだ。僕は僕の意志で、僕が大切にしたい人を……由香を、選ぶよ?」
桜井さんが何だかごちゃごちゃ言っていたような気もするけれど、僕の中では聞き入れる必要のない、一個人の持つただの思い込みの一方的な感情という認識だ。
「彼方は、彼方はっ……私の、本当の姿を、知らないのッ!!」
ああ、聞いたことのない、感情が高ぶった声。
「……由香だって、僕の本当の姿、知らないと思うよ?」
視線を青空に向けながら、ぼそっと呟いた僕の声は、由香には届いていない……かな?
いつだって由香をからかっては喜んでいた、僕の本当の姿は。さて、どうやって、伝えていこうかな?……まずは、由香の話から、聞かせてもらおうか。
「……私は、昔から気が強くて。……強すぎて。いつも、気の弱い幼馴染を守るために、誰かとケンカをしていたような子供だったの。」
由香は、戦う女、だったようだ。
布施さんと言い、どうして見た目にこう、か弱そう?かわいい?平和至上主義っぽい?癒し系?な雰囲気を持つ人ほど、こうも強いのか。見た目なんて本当に人となりを判断するうえで役に立たないな。まあ、布施さんは腹筋もゴリゴリに割れてるし、試合中の積極的な攻め込みと言い、肉体的にはずいぶん強そうなんだけれども。
由香は、気弱な幼馴染を守るために、ずっとがんばっていたんだってさ。いじめっ子を蹴散らすために、毎日誰かとケンカをして、勝利を収める日々……、蹴散らされた方は、ずいぶん恨みを蓄積させているみたいだ。恨みを晴らすために画策して、陥れようと虎視眈々と狙っているようにも思える。僕は全然気が付かなかったけど、学園祭の時に少しもめていたようだった。やっぱり、気にならない人の言葉って言うのは、自分の中には残りにくいものなんだな……。小中学校の同級生が三人、高校の同級生が二人短大に通っているらしく、桜井さんと仲のいい二人がいろいろと難癖をつけてきていたそう。
学園祭が終わった次の日の月曜、一人でサンドイッチを食べていた由香はラブワードショーを見ていた学生に囲まれたらしい。そこで、僕との出会いや関係性を聞かれて、穏やかに往なしていたところに短大に通う同級生が現れ、ずいぶんひどいことを言われて黙り込んでいたら桜井さんが加わり……どうにも収拾がつかなくなったので一蹴したようだ。
……あの桜井さんを一蹴する力が、このホンワカした由香にあるとは、正直意外というか、信じられないぞ……。ただ、八木沼さんとあっかりんの証言もある。厳しい言葉で場を収めた由香は、それは圧巻だったに違いない。
同級生に鉢合わせしてもめ事を起こさないよう通学時間をずらして始発に乗り込み、顔見知りがたくさんいる地元の自動車学校に入らず大学提携校で運転免許を取り、知人を避けるように一人で授業を受け続け……こんなに気を使っていてもなお、ちょっかいをかけられてしまう由香が気の毒でならない。……今後はもっと大切にしよう、気を配るようにしよう、目を光らせつつ守っていこう。
「……私、変わるつもりで、ここに来たの。変われると、変わっていると、変わることができたと思っていた。でも、変わってないことを、知ってしまったの。……それで、私。」
四月、桜吹雪の中で戸惑っていた由香は、変わると決意してあの場に立っていたのか。そういえば、あの時は少し……強気な言葉を話していたような気もする。
「今の由香は、とても魅力的だよ。……どうして変わろうと思ったのかはわからないけれど。」
変わりたいと願って変われずにいるらしい由香が、僕にとっては魅力ある人物であって。
「……思い知ったの。いくら、気の強さを隠しても、過去を知る人が私をつついたら、いくらでも本性が噴出してしまうって。私は、本当は、とっても、とっても気が強くて、いつだって、周りが引いちゃうくらいに、言いたいことを言ってしまう、空気の読めない、人間で。私は、どうせ、気の強い、強すぎる、叩きのめさないと気が済まない、人の、心の分からない、サイテーな、人間で!!!私は、普通の、優しい人に、なりたかったのに……。」
ここに来る前の由香がどんな人だったのか、そんなことを聞いたくらいでは、聞かされたぐらいでは、僕の評価は、変わらない。
「どうせなんて、言わないで。由香には、似合わないよ。」
……膝の上で、小さなこぶしを握る、由香の目がいつもより、キラキラと瞳が輝いているように見えるのは。
「……私、打ちのめされてしまって。彼方から、逃げ出したの……ごめんなさい。私、自分勝手で、ひどいことをした。」
「僕には、由香が謝る意味が解らないよ。僕の方こそ、いつも迷惑をかけっぱなしで、肝心な時に何もできなくて。……ごめん。」
……こちらを向いた由香の目から、ポロリと涙が、一粒。
「ッ…!!彼方……。」
思わず、頭を、ポン、ポンと、なでる。……涙が、頭をなでた衝撃で二粒、三粒と落ちてゆく。僕はハンカチを由香の目元にのばし、そっと涙を拭う。
……このままブラウンアイシャドウをそれとなく落としてしまえば、かわいいピンク色にお化粧直しをしてもらう事ができそうだ。よし、さりげなく涙を押さえるふりをして、瞼の方に……。
「は、ハンカチ、ゴメンっ、お化粧がついちゃうから、いいよ。」
「……遠慮しなくていいのに。」
トートバッグからピンク色のハンカチを取り出し、自分の目元をそっと押さえる、由香。
……僕のたくらみは、どうやら失敗しそうだ。




