募集終了
専門家の介入は、実に穏やかに迅速に、問題を解決してくれることになりそうだ。羽矢先生は、人間関係学科心理学部の要となる教授だったのである!
かつては、結城先生の奥さん……、早季先生と、この大学の心理学教授二大巨塔を誇っていたらしい。僕は全然知らなかったけど、二人ともかなり名の知れた研究者なんだそう。……意外過ぎると言っては失礼だけど、すごい人っていうのは案外身近にのほほんと暮らしているもんなんだなあと、驚いた。なんていうか、ちょっと、変わり者の空気を、漂わせているのも、実に威厳がないというか、フレンドリーというか、一般人っぽいというか。普通名のある研究者って、もっとこう、真面目で融通が利かなくて人の話を聞こうともしないイメージが……、僕って案外思い込みが激しいタイプなのかもしれないぞ……。
「早季君とも話したんだけどね、これはねえ……、この子、特権意識の塊でね、普通の人では太刀打ちできないやつなんだよ。全体的に傲慢で、妄想虚言が顕著、所々に野心が見受けられるし、嫉妬心を堂々と誇っていて……人の話を聞かないで自分の意見を押し通すタイプの……、人間関係のトラブルが多いんじゃない?こういう人はね、注意しても諭しても意味がないんだね。完全にカウンセリングが必要な案件だね。」
「いやー、これは久々に腕が鳴るやーつだ!共著にするか悩むなあ、かといってへっぽこハヤッチに丸投げもヤダし、独り占めすんのもなんかヤダ……ちょっとパパ!!あたしのチョコリング食べないでよ!!!」
「うーん、気のせい気のせい、もぐもぐ!!」
「早季先生、あたしのチョコパイあげるから!!!」
木曜のお昼、早季先生と一緒に学生会室にやってきた羽矢先生は、奥さんお手製の三段重のお弁当を堂々と自慢しつつ、持論を披露したのだ。
曰く、嫁のだし巻き卵はみりんが入っているから一味違う、カジキの照り焼きの照りは世界中で嫁にしか出せない虹色に輝く魅惑の艶、米粒は嫁に握られるうれしさから全員が直立整列し、実に舌触りのいい結束を生み出し、海苔の抱擁も相まって極みたるおにぎりとして堂々君臨し……。なんていうんだろう、僕には理解しがたい、分析能力に長けた人の独自の世界観が!!!……おかしいな、僕は料理の達人の素晴らしさばかり聞いていたような気がするぞ!!!心理学的な見解についての説明があったはずなのに、全然思い出せない!
「わーい!南ちゃんの肉団子、もーらい!!!」
「ちょ!!!とっといたやつ!!!」
時折横から茶々が入って騒がしくなるのはデフォルトらしい。実に、実に騒がしい、落ち着きのない、展開に付いて行けない、開いた口が塞がらないお昼!!!だが、口をあんぐりと開けたままで呆けていては、美味しい照り焼きチキン南蛮定食がさめてしまうわけでっ!!!目を白黒させながら事の成り行きを見守り―――!!!
とんとん拍子で、早季先生の全面協力のもと、嘆願書に対する大学側の返答説明と称したカウンセリングの場が設けられることになった。勤務先の小学校との兼ね合いもあるので毎日は通えないけど、今後は週に一度、一時間程度の面談を行っていくそうだ。なんでも早季先生が研究している分野にちょうどドンピシャで、実に良い論文が書けそうだと張り切っている模様。
相川先輩は今回の件を、心理学?の授業のレポートテーマに選ぶことにしたらしい。思わぬところでテーマが見つかって、やけにはりきっているのが、何ともいえない。またそのレポートの提出先が羽矢先生というから、なんかずるさを感じてしまわないでも、ないというか。
四時間目が終わった時、桜井さんは放送で呼び出された。新しい友達に手を振って、にこやかに教室を出ていく姿を、目の端に捕らえた。全てがうまくいきますようにと、願わずにはいられなかったわけだけれども。
金曜日の一時間目、体育の授業。
前期でエアロビクスをやっていたこの時間、後期はパワーヨガなるものをやることになっている。何気にヨガをやるのは初めてで、不安がすごい。いつもなら、優しく励ましてくれる由香が隣にいるはずなのに……。
ヨガマットを取りに行く時、片手に青いマットを持った由香がこちらへと向かって来るのが、見えた。普段ふわふわと風になびいているやわらかい髪が、ポニーテールになって元気よく揺れている。……いつもだったら、髪を指先に絡めて、少し楽しませてもらってから、ポンポンと頭を撫でて……、赤い顔を拝ませてもらっうところなんだけど。
「キャー!すごぉい!なっちんさすがぁ!!」
「あたしが救世主になるのよ!」
体育館の入り口の方で、新しい友達と盛り上がっている桜井さんの声が聞こえる。ずいぶん、遠い距離だ。……いまなら、声くらい、かけても、大丈夫なはず。由香の後ろには、垂れ目を輝かせている布施さんもいることだし。
一歩、二歩。
僕と、由香の距離が、近くなる。じっと、由香の目を見るけど……交わっては、くれない。僕の視線に気づいて、伏し目がちになっているのだろう。
……間もなく、すれ違う。
一歩、二歩。
……足を止め、声を、かけた。
「……もうじき、解決するから。」
「えっ……?」
頭をポンとする代わりに、顔を上げた由香の目をしっかりと見つめて、ウインクを一つ、飛ばした。
「ッ!!!」
一瞬、目を丸くして、ばっと下を向いた由香は、それまで普通に歩いていたのに……駆け出して行った。激しく揺れるポニーテールを見送った僕には、由香の顔色を知ることはできなかった、わけだけれども。
「ふざけた学校を叩き直してくるね!彼方くんは安心していいからね!!!」
二時間目、哲学の授業が終わって学生会室に行こうとした時に、桜井さんに捕まってしまい、一瞬、身構えたのだが。
意外にも、実にサクサクっと状況説明をされて、終了した。
靴箱の中に大学事務局からの謝罪文書が入っていた、丁重な謝罪なので受け入れてあげることにした、学生として伝えたいことをきっちり伝えて、よりよい環境を作るのが私の使命、学生会よりもやることが崇高で尊い、私しかできないことをやってあげるんだ……。実にヤル気に満ちているものの、ぼくは大学側の思惑をすべて知っているので、曖昧な返事しか返すことができなかった。
話が長くなりそうだと逃げ出す準備をしたところで、新しくできた友達?から声がかかり、そちらの方に行ってしまったのである。桜井さんの中で、優先順位?が変わったらしい。願わくば、僕はずっとこの順位をキープしてほしい所だ。
桜井さんは、大げんかの末にグループを抜けたことなど全く気にしていない様子で、新しい友達?と親交を深めている。気が合うのか、いつも二人で何かべらべらと話をしている。このまま縁が切れることを期待したのだけど、そこまではうまくいかないようだ。ケンカをしたのは「僕を含めたグループ」ではなくて、あくまでも大崎さん、川村さん、秋元さん、個人という認識らしい。僕と笠寺さんが一人でいるときには、微妙な空気をものともせず、近づいてきては声をかけ、二、三言、話をして去っていく。
「カナキュン、どうしよう、普通にしてていいのかな?!なんかすごく違和感が!!!」
「桜井さんは違和感なんか全く気にしてないと思うよ……。」
桜井さんに気づかいをしたところで、まったく意味がないことを知っているので、そのあたりをきっちりと笠寺さんに伝えておいた。笠寺さんのコミュニケーション能力の高さと、人脈の広さ、口の軽さはかなりのものだから、今回の一件については近いうちに大学および短大内に伝わっていくはずだ。
「石橋君ね、ユカユカ赤くして喜ぶのね、ちょっと自重しなよwww後ろのフーさんまで巻き込んでさwwwイケメンにもほどがあるだろwww」
「……僕はそんなつもりはなかったんだけど。」
お昼休み、学生会室で森川さんに説教される僕がいた。少々憤慨しつつ、僕はカツカレーをひとすくい。心配事もほぼ解決だし、食欲が実にわいてきてさ!大盛りにすると苦しくなることが分かったので、こってりとしたものをがっつり食べようと思った次第だ。うちの学食のカツはさ、ヒレカツなんだよね。食べ応えもあるのにまさかのワンコイン、しかもサラダ付きとか恐れ入る。野菜多めのルーがまた素晴らしくこってりしていて、しかしあっさりとしていて、控えめに言って最高過ぎるのだ!!パクリと一口、うん、美味しい!!!やばいな、カレーをすくう手が止まらないぞ!!!
「無自覚でタラすとかさあ、もう病気なんじゃないの!イケメン病!!」
失敬なおっさんの一言が腹立たしい。だが、それぐらいではカレーを口に運ぶ動作は止まらない……止めてたまるか!!!イケメン病って何なんだ。そんな空想の病気を口にする前に、己の体重過多による別の病気発生を見込むべきだ。スペシャルカレー大盛りにケーキが二個って、正気の沙汰じゃないぞ!!そもそもモテたいという事なら、そのぐっちゃぐちゃにカレーを混ぜて食べる癖をどうにかした方がいいんじゃないのか。女子というのは、食べ方の汚い、見た目にも汚いおっさんには見向きもしないと思うんですけど。
「またそういうこと言う!だから河合先生はダメなんだよ!!根性がブサメンだもん!!!」
「石橋君にイケメン病、うつしてもらった方がいいんじゃない?でもなあ、顔の形は変わんないからなあ……。」
三上先輩の意見に全面的に賛成させていただく。相川先輩の軽口はまあ、スルーする方向で。
「うぃーっす!おつおつ!!」
がっさ!がっさ!!!ばたん!!!
結城先生がコンビニ袋を二つ下げて暑苦しくご登場だ。今日は昨日よりも袋が一つ少ない。早季先生の分がないからだな。
「お疲れさま。箱、回収してきたよ。今日の12時までだったから、募集終了しましたってポスターと張り替えてきた。」
早瀬先輩が募集箱と募集ポスターを抱えてやってきた。両手に荷物を持っているというのに、ドアを開け閉めるときですら物音を立てない、丁寧で落ち着いた様子に感心する。
「このあとかいちょーが靴箱投入行くんだよね?もぐもぐ、結局通過者、何人だったっけ!」
「三年二人、二年三人、一年三人、全部で八人です。」
「役職的には、会長、副会長、書記、会計、会計監査欲しいんだよね、何とかなりそう?できれば、学科ごとに副会長設けたいんだけど、いけるかな。」
「三年の人は役員になれないから、そのあたり説明しないといけないんじゃないの?だってまたさあ……。」
「ああー、就職用の箔つけたい人ね……。」
「え、何、役員やってたら箔なんかつくのwww」
「箔が付くって思ってるやつにはつかないに決まってんだろ!」
……なんとなく、微妙に先生と先輩たちが苦い顔をしているような。僕の知らない事件があったのかも知れないぞ。
……ちょっと待ってよ、また何か問題発生とかないよね。
「ま、とりあえず水曜の面接ではっきり言えばいいんじゃないのべフー!」
「そーそー!まだ起きてない心配する前にさ、良い人来てくれてるって信じよ、ね!!!」
「そうだね、相川いいこと言う!!」
「ゆうちゃんさすがwww」
「じゃあ、面接で何聞くか、決めようか。」
「やりたい役職を聞こう、そうすればたいていの悪だくみは見抜ける!!
「ちょっと待ってください、先ずは学生会の仕事についての説明をするべきですよ。聞いてやっぱりやめようって思う人もいるだろうし。」
「「「「「たしかに」」」」」
ドタバタガヤガヤはしているものの、学生会メンバーは実に息の合っている部分もある。
このちょっとやらかしつつも、絶妙に息のあった空気に馴染んでくれるような、新しいメンバーが増えることを祈りつつ、僕は両手を合わせてご馳走様をしたのであった。




