専門家
「ごめーん、結城君、イルー?!」
突然学生会室のドアが開いて、つやつやした顔を輝かせながら実に軽快なステップでやってきたのは……学長の羽矢先生だ!近くで見るのは入学式の日以来だぞ、ちょっと身構えてしまう僕がいる!なんというか、この大学で一番偉い先生っていうのが絶妙に、緊張感を呼んで!!
「あれ、珍しいね、どーしたの、なに、また学生会やりたくなった?ぎゅふふ!!!」
「やれるもんならやりたいけどね、やっちゃダメって事務局がうるさいんだよね。」
……昔学生会の担当やってたのかな?
「見た事ない先生だなwwwレアキャラ?」
「学長の羽矢先生だよ。入学式の時に見たでしょう……。」
サンドイッチをもぐもぐしながら、森川さんがニヤニヤしている。どう見ても全然覚えていない様子だ。僕はまあ、入学式の朝に由香と一緒に少し話もしたし、印象に残っているんだけどさ。あの時もずいぶん気さくな感じだったけど、今日はいっそうフレンドリーさがあふれているような、……いったい何があったんだ。まだ温かいご飯を頬張りつつ、状況を見守ることにする。
「こちらね、現学長の羽矢先生。私たちが一年の頃、学生会の担当やってたの。あの頃はハヤッチ先生もフサフサで若くてねえ……。」
「今だってフサフサだけどね!!三上君は相変わらずひどい、うう……マリちゃん慰めて……。」
「マサミチだってば!!!」
……なんだ、この遠慮のない空気は。普通さ、学長っていうのは、もっとこう、威厳にあふれて近寄りがたい雰囲気を醸し出すもんなんじゃないの?
「で、何が届いたって?まさかと思うけど今更学園祭のあまり物のクレープ全部食べたこと怒ってきたりとかじゃないよねえ?もう今更返せないよ、消化して肉になってるし!!」
「違う違う、見てよ、これこれ!!!いやあ、めんどくさいことになっててね、事務局の梅田さん大笑い!」
羽矢先生がパサリと会議机の上に置いたのは……封筒?ちょっと待て、なんか書いてある、…嘆願書?!
「なに、これ?」
結城先生が砂糖まみれの指で文字で埋め尽くされている紙をつまみ上げ、目を走らせている……。眼鏡をずり上げてしかめっ面をしているぞ、老眼始まってるのか、気の毒なおっさんだな……。
「学生会の担当教諭を変えるべきだという、A4用紙五枚にみっちり書き込まれた渾身の文書だね、いやいや、久々にスゴイもん見たわ、ちょうど学生がこれ出しに来たとき、早季君いたものだからね。一緒に見てもらったんだけど…ぷっ、ククク……!!!」
ま さ か ! !
「ちょっと待ってください、それ、もしかして桜井さんの?!」
封筒の裏には……美学学科一年桜井菜摘と書いてある!!!
「おお、石橋君だね、いやあ、入学式ぶりに間近で見たけど、ずいぶん女性らしく……そうでもないか。まだけっこう男子そのものだね。人気があるらしいね、何、会長やるの?この紙に書いてあったけど。」
「やりません!!!」
あの暴走女子は、いったい何を書いたというんだ。
あの暴走女子は、いったい何がしたいんだ。
あの暴走女子は、いったい何に取りつかれているというんだ。
「およそ一万文字の文書を要約するとね、真面目に学生会活動に取り組もうと考える学生に対し個人的感情を振り翳して排除しようとした教師がいるとのことなんだけど。学長としてはだね、確認をだね、く、ククク、あハハハハハ!!!!」
「一枚目こっち回してー!」
「それ何枚目?」
「私まだ二枚目見てない、どれ?」
「ああ、これだwww」
「うググ、目が、目が、目が―――!!!」
ちょ!!!
僕が呆れかえってる間に、みんなが五枚の文書を回し読みしてるじゃないか!!ずるい!!僕だって見たい…いや、見たくはないけど、見ないでおいていかれるのは嫌じゃないか!!!気が乗らないけど、見ておくしかない!!!手を伸ばしてみっちりと書き込まれた紙に目を通す……。
やけに難しい単語が並んでいて、それでいて若者言葉が目立ち、なぜかおかしなところでカギカッコが入り、どういうつもりかはわからないけど例え話のようなものがずいぶん紛れ込んでいて、またそれが非常にあいまいな表現で誤解を招きやすい自己中心的な感情論で、難しい事例を引用はしてはいるけれども、実にすり替えるような使い方をしていて……自分の意見は一般的であると勝手に結論付けている、なんとも自己満足の塊としか言いようのない、訴え。
なんというか……、桜井さんがこの懇願書を書きながら、自己陶酔しているのがまるわかりとでもいうのだろうか。
自分に酔っているとしか思えない、自分の文章が崇高であることを疑わない、他人を寄せ付けない、他人に読ませる気のない文字、文章。
この文字の中に、自分の名前が躍っているのが、地味に、いや、実にダメージが大きい。はっきり言って大ダメージだ。読めば読むほどに、僕の生気が吸い取られていくようだ。
いつ僕が大学を変えたいと願った?いつ僕が学生生活を豊かにしたいと願った?いつ僕が大学生活に華やかさを見出せない生徒に光を与えたいと思った?!僕をなんかのカリスマとかアイドルと間違えてるんじゃないの?!
僕は、僕は、僕は……ただの、ただの言いたいことも言えない、意気地なしで……!!!
「どう考えても石橋君を不純な動機で独り占めしようと個人的感情をまき散らして混乱を巻き起こしているとしかwww」
「けっ!!タラシまくってるからこうなるんだよ!!!反省しろ!!!」
「河合先生こそ石橋君のことディスりすぎでしょう、そういうところがモテないってわかった方がいいのに。」
「石橋君、気の毒すぎて笑えないな……。」
「え、どーすんの、これ。ごめんって言えばいいの?でもさあ、この子はいったら現状の学生会無くなっちゃうけど、いーの?多分ね、この子とイケメン、二人でやってく感じになるね!」
「はあ?!僕は絶対やりませんけど!!!桜井さんと一緒に何かするなんて……無理だ!!!」
僕の意見なんて聞くはずがない!
一度だって僕の意見なんか聞いてくれなかった!
思い起こしてみれば、暴走する前だって!!!
―――女の子、好きなの?!
―――女の子は、みんなかわいいと、思うよ?
「彼方くんにかわいいって言ってもらえたー!」
―――ねえねえ!一緒にカラオケ行こ?いいよねえ!
―――そうだね、そのうち、みんなで行こうか。
「私のためにラブソング歌ってね!」
―――ちょっと!彼方くん!!イケメンオーラ放ちすぎ!!!
―――え、何それ、僕は普通に…
「彼方くんは選ばれし人なんだから、もっと堂々としなきゃだめじゃない!」
―――みんな、美味しいご飯が冷めちゃうよ?一緒に美味しく、いただこうよ、ね?
「ご飯なんかマズくていい!目の保養が一番!」
―――私Aだから彼方くんの横に座ろう!!
―――私もAだから駄目だよ!!私が座る!!
「彼方くんは補助席に座るのよ!はい決定!」
―――ごめんね、学生会役員やることになったから同じバスじゃないんだ。
―――ええー!まあでも、しょうがないか!
「彼方くん美学Bに乗るとか聞いてないんだけど!裏切者!一生恨んでやる!!」
―――ねえねえカナキュン、写真一緒に撮ろ!
―――あ、あたしもあたしもー!!!
―――ちょ、じゅ、順番、順番にー!!!
「皆何勝手に写真撮ってるの?!彼方くん嫌がってるでしょ!」
―――ええー、あだ名付け合ったの?いいなー!!!
―――はは、カナキュンになっちゃったんだよ。
―――ねーねーあたしもカナキュンって呼んでいいよね!
「カナキュンって何?!そんなの似合わないし彼方くんに相応しくない!!!」
―――ようやく親睦旅行の写真展示できたから見に行ってね。
―――わーい!楽しみにしてたんだー!
―――下の方見にくいよー!上に上げてもイイ?
「頭の悪い写真の撮り方するんだね、彼方くんの良さが台無し。展示も全然ダメ。」
―――ちょっと、そこ静かにして!!!
―――ごめんね、ワタサン。
「何あれ偉そうに!!腹立つね、彼方くん!」
―――カナキュン、海産物買いに来たよ!
―――おいしそー!
―――自慢の大あさりだよ、おひとついかが?
「うわあ、私こういうの無理!よく食べられるね。」
―――何その言い方!
―――まあまあ、好き嫌いって誰にでもあるから、ね?
……如何に、如何に僕が、桜井さんの言葉を軽くスルーし続けていたかを、思い知る。
なにか違うなと思った時も、気分の悪くなるような言葉を聞いたときも、受け止めることなく、穏便に横に流し続けてきた、自分の愚かさを、思い知る。
桜井さんの言葉は、僕を憤らせることも、傷つけることもなく、ただ、通り過ぎていただけ。……それほどまでに、僕は桜井さんに興味がなかったのだと、気が付いた。
桜井さんと、今までどんな会話をしてきたのか、思い出してみれば。……記憶に残っていないやり取りですら、全て気分の良くない言葉で構成されていたに違いないと確信するほどに、身勝手で自己中心的な会話しか思い浮かばない。
……嫌いな人に気を使い、嫌いな人に好かれて、好きな人に嫌われていく。
……言いたいことも言えない、意気地なし。
僕が今、変わらなければ。
僕は、桜井さんに束縛され、この場所をなくし、仲間をなくし、自分自身をも、失くしてしまうのだ。
今、気付いて、今、変わらなければ。
……僕は、変わると、決めたんだ!!!
「僕はね、事実確認のために来たんだよ。なに、石橋君は、この書面のような意思はないって事でいいんだね?」
「この書面の内容は桜井さんにとっては真実なのかもしれませんが、僕にとっては全くの理解不能な妄想でしかありません。」
僕の周りには、頼っていい人がいる。僕一人で抱え込まなくても、助けを求めれば助けてくれる人は、いる。
……今は、いる。
僕が、もし、今。
自分一人で何とかしようと、自分を押し殺してしまえば。
いずれいなくなってしまう、人。
消えてしまう、場所。
自分一人で受け止める必要は、……ない!
「正直手に負えないです。助けてください。」
「じゃあ、こっちで対処させてもらうね?よーし、専門家の僕に任せなさい!!」
一時はどうなる事かと思ったけど、思わぬところから救いの手が伸びたようだ!
「よろしくお願いします。」
僕は頭を下げ、冷たくなってしまった大盛りのごはんを、口いっぱいに頬張り、最後の生姜焼きを、箸でつまんだ。




