悪いんだけど!
二時間目、今日のテーブルマナーの授業はいつも授業を受けている教室ではなく、ディスカッションルームで行われている。ここは主に新入生説明会や集団面接、卒論の発表などに使われる場所で、比較的広くて設備の整った教室だ。壁際には大きな鏡が一面に貼られていて全体が見渡せるようになっているのだけど、その視覚効果も相まってずいぶん広々とした空間に感じるのが特徴。廊下側には大きな窓があり、外から教室内を見ることができるため、通りかかる学生や先生方の視線を感じることも、間々ある。入試の面接の時に、こんなに開放的な場所で行われるのかと面食らってしまった場所だ。
いつもなら広々とした空間に畳まれた会議机と椅子が端の方で幅を利かせているこの教室内だけど、今日はクロスのかかった、食器とカトラリーのセットが並ぶテーブルがバランス良く配置されている。…今から、前期の復習が行われるのだ。後期授業の第一回目は、前期で学んだことの総復習をするのが通例となっているのだそう。
「はい、それでは今から、一人づつ実践に入ります。グループの、番号の若い人から順番に一通りやってみましょう。給仕係は次にテーブルに着く人がやるように。」
千葉先生の大きく通る声が、煌びやかな教室内に響き渡っている。ずいぶん大きな空間だというのに、マイクひとつ使わず端の端まで声が届いてしまう、この先生の声は実にこう…、破壊的というか、耳に痛いというか。私語をしようものならこの声で激しくしかられる事になり…そうとう耳が痛くなることを前期で学んでいる学生たちは、時折小さな声で雑談をしつつも、騒がしくすることは絶対にしない。
「あーん、うち一番とか!まあ、いっか、カナキュンがお給仕してくれるなら!!」
「はは、お嬢様、どうぞお座りくださいませ?」
今日は、出席番号順に六人グループに分かれ一つのテーブルを囲み、セッティングされたカトラリーを使って模擬フルコース体験をすることになっている。僕のグループには秋元さんがいるのだけど、ほかの四人は普段あまり交流の無い人ばかりだ。隣のグループには大崎さんと川村さん、笠寺さんがいる。その隣のグループには桜井さんがいて…ずいぶん離れた位置に、由香と森川さんのいるグループがのどかにテーブルを囲んでいる。これだけ離れていれば、よほどの事がない限り大丈夫…だと、思いたい。
「着席する際は、どちら側からでしたか?皆さん覚えていますか?はい、必ず席の左側から座ります!バッグの置き方、覚えていますね?ナプキンは……。」
ノートを見ながら確認する学生もいれば、何も手に持たずに先生の声に耳を傾ける学生もいる。僕はノートを見ながら実践したいタイプだけど、今は給仕係だからノートを開くことはできないな……クロスのかかったテーブルの上で、僕のノートと筆記用具が寂しそうに佇んでいるのが少し切ない。
「では、給仕係は食事を提供してください!前菜①と書かれたカードです!オードブルですよ!!!」
カードの入ったかごの中から、前菜①と書かれたものを取り出し、秋元さんの前に置く。これは…オープンサンド?いや、小さいから、たぶんカナッペだな。…ああ、カナッペと小さく書かれている。
ステーキやサラダ、パンなどの食材はすべてカードになっており、それを手でちぎったり、ナイフやフォークで切るふりをするシステムらしい。……何だろう、些か、ままごとをしているようで、少々気恥ずかしいというか。食材が写真じゃなくてかわいいイラストというところが、なんともシュールというか。
「今回のフルコースの前菜は、カナッペです。カナッペなどが出た場合は…どうするんでしたか?はい、あなた!!答えて!!!」
学生たちのテーブルの間をするすると移動しながら、先生が質問をしている。指されたのは、・・・桜井さんだ。
「手でつまんで食べても良いというお話でした。」
テーブルについている学生が、きょろきょろと他の席を確認しながら、食べるふりをしている。ナイフとフォークでカードを切っている人もいる。
「はい、正解です!この場合、無理やりフォークの背にのせて食べるようなことはしてはいけません!!では、給仕係は、前菜②を提供してください!これは…生ハムメロンです。どのカトラリーを使うんでしたか?…上のフォークはデザート用で……!!!」
給仕係もずいぶん忙しいな、カードを出したり引っ込めたりで、正直由香の方を見る余裕がない!!!気を配るどころか、先生の言葉を拾うのに必死だ。
「…ナプキンはきれいに畳まず、テーブルの右側へ無造作に置くようにしましょう。はい!!以上で、フルコースは終了です。じゃあ、順番にどんどんやってってください!!回っていくので、わからないことあったら呼んでください!!」
一人目がナプキンを置いた後は、グループごとの実習となった。僕は二人目なので、どぎまぎしながらパンをちぎってみたり、一生懸命魚を切ってみたり、たまたまソルベ用のスプーンに間違えて手を伸ばした瞬間に先生に目ざとく発見されて注意されてみたり…!!!少々恥ずかしい思いはしたものの、何とか無事に、授業を終えることが、出来そうだと安心していた。
「…ねね、カナキュン、今日も桜井と一緒に学生会行く?」
皆、各テーブルで…和気あいあいと騒がしくない程度に、会話を楽しみながら実習をしている。僕もあまり話したことの無い学生さんと、他愛もない話を楽しんでいたのだけど。会話が途切れて、テーブルの上に目を落とした瞬間に、秋元さんが僕に声を、かけた。
「…桜井さんは学生会役員じゃないから、行かないと、思う。追加の役員は、決まっていないんだ。……来てもらっては、困ってしまうよ。」
この授業が終われば、昼休みだ。僕は学生会室に向かうのだけど、桜井さんを連れて行く気は、ない。…向こうがどう思っているかは、わからないけれど。
「そっか。じゃあ、いいよね。…うちさ、昨日の事許せないから、一言言おうと思ってるの。」
「…一言?」
「もともと言いたいことは結構あったんだ。昨日の事で、うちの堪忍袋の緒が、キレちゃったみたい。ひょっとしたら、場合によっては、…今のグループ、抜けるかもしれない。」
今の、グループ。
秋元さん、大崎さん、川村さん、笠寺さん、桜井さんの…五人グループの事に違いない。元々、八木沼さんがいて、六人グループだった。だけど、桜井さんの攻撃を受けて、八木沼さんはグループから抜けた。秋元さんは、八木沼さんと仲が良かった。今でも仲良くしているのを時折見かけているから、おそらく個人間では交流が続いているのだ。僕だって、たまに会話を楽しむことがある。けれど、決して八木沼さんはこのグループに近づこうとは、しない。
「あのね、うちいなくなっても、カナキュンの事嫌いになったわけじゃないからね、それだけ言っとこうと思って。」
「大崎さんや、川村さん、笠寺さんには?みんな、びっくり、しない?」
「朝、電車の中で話したよ。笠寺ちゃんには言ってないけど。」
笠寺さんはバス通学だからなあ…。平和主義者の笠寺さん、地味に…ちょっとかわいそうかも…。隣のテーブルで、大崎さんと川村さんと話しているのが見える。ひょっとしたら、秋元さんの事を話しているのかもしれない。
「大丈夫?桜井さんの攻撃力は…相当だよ?僕は……秋元さんが、心配でならない。」
まんまるの、秋元さんの目が、丸くなっている。
「カナキュンだったら、うちの事…止めに来ると思ってた。なんか、イメージ、いつもと…違う。」
「……僕だって、思うところは、あるんだよ。」
まんまるの、秋元さんの目が、いっそう丸くなっている。
キーン、コーン…
「はい!では、本日の実習はここまでです!!来週はいつもの教室ですよ!!はい、解散!!!」
終業のチャイムが鳴り、学生たちが教室から退室し始めた。由香は早々に退室したようだ…窓の向こうに、急ぎ足でどこかに向かう姿が、見える。…良かった、何も問題が起きなくて。無事に授業を終えることができて、ほっとしたのも、つかの間。
「彼方くん!学生会室、一緒に行こ!!」
ニコニコした、桜井さんが僕の元にやってきた。
……この人は、まだ、学生会役員になったつもりでいるのだろうか。昨日、あれほど結城先生に言われたのに、まるで気にしていないようだ。……むしろ、堂々としているように、見える。
「学生会室へは、僕と森川さんで行くよ。桜井さんは、学生会役員じゃないでしょう?わるいんだけど
「私学生会入ったじゃない!一緒に行こうよ、私今日は学食買おうと思ってるの、昨日彼方くんが持ってたすき焼きうどんおいしそうだったし、一緒に食べようと思って!」
……相変わらず、人の話は、聞かないつもりらしい。
「学生会の新メンバーは、選抜で決めることになってるんだ。昨日結城先生が言ったように
「あんな人、学生会顧問じゃ無くなればいいのよ。あんな身勝手な人顧問やる資格ないし、そもそも学生主体の学生会に顧問なんて必要ないとおもわない?大人が出てきてどうするのって話!」
……ああ、この、押し付けられるような、マシンガントーク。
はは、結城先生の奥さんに比べたら、わりと……口をはさむ、隙があるじゃないか。……奥さんの説教は、もっと心にガツンと響いて、もっと派手に威力があって、しっかりと筋が通っていた。……こんな駄々っ子みたいな、幼稚でわがままな、ただの。・・・ただの、聞くに堪えないだけの、言葉の羅列なんて……!!!
「結局先生なんてただのお金貰って仕事してるサラリーマンでしょ、賃金受け取るためにイエスマン
「悪いんだけど!」
桜井さんの言葉が、止まった。僕の、いつもよりも大きな声と、強気な発言?に、驚いているのかもしれないな。……こんな声を出すことは、めったに、ないんだ。昨日秋元さんに向かって弁明した時だって、こんな大きな声は出ていなかった。
桜井さんが黙っているうちに、伝えるべきことを口にする。
「僕の話、聞いてくれないなら、もう行くね?いろいろと忙しいんだ。桜井さんのいう事だけ聞くことはできないよ。…じゃあ。」
少し呆然とした表情の桜井さんの目をしっかりと見てから、僕は荷物を抱えて、一歩踏み出した。
「ちょっと、待ってよ?!私も…
「桜井さあ、話あるから、うちと一緒に来て。」
いつもどこかおっとりしている秋元さんの声が…少しとがっている。横を見ると…秋元さんと、目が、合った。
(・・・うん。)
(・・・うん。)
声を出すことなく、互いに頷き合う。秋元さんは、僕に行けと言っているのだ。僕は、秋元さんに、あとは任せたと言っているのだ。
「私は彼方くんと…
「カナキュン、来るなって言ってるじゃん。」
「桜井、人の話、聞いたらどうなん?」
やけにシャープな声を出す、大崎さんの声が。
ヤンキー色の濃い、川村さんの声が。
助っ人も、参戦してきてくれたみたいだ。
「えっと!!!カナキュン、行って?ここは…私たちで何とかするから!大丈夫、なんとかなるなる!たぶん!」
ずいぶんテンパった様子の笠寺さんの声に、不安を覚えないでもないけれど。
僕は、教室の出口でこちらを伺っている森川さんの元に…急いだのだった。




