否定
「明光鏡はこれね!清白鏡…どこ行った、星雲鏡は…違うな、草葉文鏡がこれだから…まあ、前漢式鏡ってのはだな!!」
今日の東洋美術史の講義は、やけに手際が悪い。そのせいで…スライドが全く頭の中に入ってこないというか。せっかくの画像が台無しだ。
…おそらく、桜井さんがまとめて段ボールに詰めた時に、混ざってしまったんだな。シールを貼るとかしておけばいいのに、一回一回スライドを確認しながら使っているから非常に間延びするというか、無駄な時間が多いというか。…あとで助言しに行こう。
「なんか今日つまんないね。…早く終わんないかな。」
隣の席で、桜井さんが小声でつぶやく。いつもだったら、僕の隣は大崎さんか川村さんなんだけど、今日は桜井さんが僕の隣を譲らなかったのだ。一緒に一仕事終えてきたから、隣に座るのが当然、なんだって…。
「はは…そう?」
僕としては、つまらなくはない。手際の悪さに、辟易はしているけれども。
河合先生のスライドは実に良い角度で撮られた画像を使用するので、かなり見ごたえがあるのだ。例えば、文様の一部を拡大した写真だったり、模したと思われる動物の姿を映してみたり。時折、ジャンルの違う東洋美術作品を挟んでくるのも僕の楽しみとなっている。今は銅鏡について説明しているけれど、…ほら、漢代美術の肖像画が映った。あれは…君車出行図の一部だな。僕はノートにメモを取る。
「東洋美術ってのっぺりしてて好きじゃないんだよね、西洋美術みたいに奥行きないし、ただの線画って感じで。」
僕は東洋美術の、繊細な線が…好きだ。奥行きのない作品には、作者の描きたいと思ったモチーフに対する強烈な印象を感じる。背景が無いからこそ、主題となるテーマが生きるのだと、思う。自然と調和する、自然に重きを置く写実的な表現は、僕にとっては…かなり魅力的で。
「僕は東洋美術史、好きだよ?」
自分の好きなものをけなされて、少し気分が悪くなった僕は…それとなく、東洋美術史を擁護、してみる。
「東洋なんかつまんないよ、西洋の方が研究しがいあるし、華やかだし。…なんていうのかな、彼方くんに東洋は似合わない、やめた方がいいんじゃないかな、卒論。」
桜井さんは…僕が興味のあるものを、堂々と…否定してきた。
桜井さんは…僕が、興味があって好きだというものを、似合わないから、やめろと、言うんだ…。
「東洋美術史ってなんか汚いでしょ、土に埋まってたりしみだらけの絵だったり。その点西洋は絵画が医学的にも認められてて…。」
…自分の興味のあるものを、否定されると…なんといって言葉を返していいのか、わからなくなる。
唖然とする僕に気が付かないのか、桜井さんは西洋美術について懇々と語り始めた。…三つ前の席のワタサンが、こちらをふり返る。
「…今授業中だから。静かにしよ?」
「…ごめんなさい。」
桜井さんは、スマホを取り出して…何やら作業に没頭し始めた。
しばらく静かにスライドに集中できそうだ。
・・・集中、できそうだと、思ったのだけど。
前を向いているのに、目は映像を捉えているのに、まるで…内容が、頭の中に入ってこない。
プロジェクターに映し出される、地味ながらも繊細な映像を見て…いつもならば感想や覚書を忙しなく書き込むはずの、僕だけれど。
楽しみにしているはずの授業なのに、まったく…手が、動かない。
桜井さんから受けた、ダメージが…大きすぎるのだ。
由香の件、学生会の件、東洋美術史の件。
・・・桜井さんとは、気が合わない、合いそうにないことが、よくわかった。
分かったけれども、僕には…どうしていいのか、見当が、付かない。
・・・見当が付かないのは、おそらく。
僕が、誰かを否定する事に、慣れていない、から。
―――イケメンは八方美人過ぎるのがダメなんだってば。
―――どういう意味だい!!!
・・・八方、美人。
僕は、自分の意見は言う。
――そうだね、じゃあ、間を取って、半分ずつにしようか?
…こうしたらうまくいくんじゃないかなと、思う事を、口にする。
僕は、誰かの意見に乗っかることはない。
――今回は多数決で決めてみない?
…誰かの意見を聞いて、賛同したうえで自分の意見として伝える。
僕は、適当に意見を合わせることはない。
――みんなの意見をまとめると、こうなるね?
…いつだって、物事の筋道を通して、納得したうえで同意する。
僕は、相手の望むことを言うように心がけてるわけじゃない。
――いい返事ができなくてごめんね?
…相手が望む言葉だったらいいなと願うのは、心がけているのとは違う…はず。
僕は、いやなことは嫌だという。
――ちょっと思うところがあるから、様子見してもいい?
…はっきりとした拒絶は、傷つけることもあるだろうから…自重する。
…僕はいつだって、争いを避けるために、一番良さそうな言葉を選んで、伝えて。
…僕は、いつだって、争いごとが起きないような状況を、選んで、望んで、目指して。
会話する相手が、待ち望んでいる言葉を、返すことを目標としていた。
けれど、それはすべて自分が納得したうえで選んだ言葉であって。
誰かの望む言葉を、僕は、いつだって用意したけれども。
誰かの望む言葉を、僕は、自分の意思で選択していたと。
誰かの望む言葉を、自分の意思で伝えると決定したのだから、そこに、自分の意思があると…思っていた。
誰からも悪く思われないように、要領よく人とつきあっていくことを目指したわけでは、ない。
僕自身は、悪く思われたっていいと思っている。
むしろ、僕が悪者になって、周りがまとまるのであれば、それでいいとさえ…思っている。
運がいいのか、悪いのか、僕が悪者になることは一度もなく…今日まで、過ごしてきた。
過ごしてきてしまった為に・・・今、僕は。
「うぃーっす!キリいいんで、ちょっと早いけどここまでにするわ!!来週はレポート出してもらうんでよろしく!!」
考え事をしていたら授業が終わってしまった。…しまった、重要なことを聞き逃してしまったかもしれない。あとで森川さんに聞くか…。
「イケメンと森川嬢はこっち来て!!」
学生会室に行くついでに、この大荷物を運ばせようって魂胆だな。火曜日はいつもなんだかんだで小間使いとして働かされるんだよ。…仕方ない、行くか。
僕が、ため息を一つついて、立ち上がると。
すっ・・・・・・。
僕の、横を。
目も合わさずに。
由香が…通り過ぎた。
声を、かけようと、思ったんだけど。
僕をじっと見つめる、布施さんの目が。
・・・布施さんの、目、が。
―――しばらくユカユカに近づかないであげて。
僕は、何も、言えず…。
立ち尽くして、しまった。




