かわいいな
ガタン・・・ゴトン・・・
早朝の私鉄沿線は今日もやはり、空いていた。
僕一人しか乗っていない小さな車両。…いや、車掌兼運転手のお兄さんもいるか。まだ二日しか乗っていない私鉄沿線だからか、落ち着いて乗車するというよりも、車窓や車内を楽しみたい気持ちの方が上回る。…つり革、古いな。緊急ボタン、錆びだらけだけど、ちゃんと反応するんだろうか。余計な心配までしてしまう。
『桐ヶ丘、桐ヶ丘です』
僕の降りる駅に到着した。駅といっても、屋根はない。片側二車線の道路に、私鉄沿線駅が併設されているのだが、道路に駅を表す枠線が引いてあるだけ。さすがに、駅名の看板は立っているんだけれども。
定期券をお兄さんに見せ、電車をでる。
…反対車線に、電車が入ってきた。この駅はすれ違いができる駅だから線路が二本並んでいる。小さな、二両編成の電車が、二つ並んだ。
あっちの電車も、誰も乗ってないな。
ん?
電車から、小柄な女性が下りてきた。毛先がふわりとカールした…あれは、由香!
押しボタン式の信号を待っていた僕は、由香のもとへと急いだ。
「由香!おはよう。昨日は、ごめんね?」
「おはよう。ふふ、大丈夫、大変だったね…。」
そう、昨日僕は本当に大変だったのだ。
オリエンテーションはまだ冷静だった。単位の取り方、履修登録の手引き。説明を聞いているうちは椅子に座っていることができたから。構内案内が始まったとたん、僕の横を狙う女子が殺到して本当に、本当に争いが、起きた。こんなことあるとは思いもよらないじゃないか!!
「今まであんなに囲まれたことなくてさ。本当にびっくりした。なんでなんだろう…。」
「彼方がカッコイイからじゃない?昨日は特に、ね。」
男性物のスーツがダメだったのか…。しばらくスーツは封印しよう。
「今日はかっこいいけど、よく見ると、女子に見えるね。…本当に、女子だったんだ。」
今日の僕はチビTにジーパン、お気に入りの茶色いミニトランクと、茶色いトレッキングシューズ。さすがにTシャツを着れば、僕のない胸も少し目立つ。僕はさらしを巻くほどには、男の見た目にこだわらない。僕が僕であることを、ごまかすつもりはないというか。
「女子だよ。昨日胸、触ったでしょ。ああ、僕、由香の胸、さわらせてもらってないな…。」
少しだけ、由香をのぞき込んでみる。
今日の由香は、ふわりとしたボレロの下に、ピンク色のワンピースを合わせている。ゆるふわの、カールした胸まである髪が、今日も風に揺れている。髪飾り、そのうちプレゼントしたいな。
…はは、顔が真っ赤になってきた。
「彼方にさわらせたら、ダメな気がする!!」
「そんないい方したら…そうだな、いずれ、さわってって言わせてみせるから?」
「もう!!」
由香にポカポカ叩かれた。なんだろう、すごく楽しいな。女の子って、こういうところ、本当に…揶揄いたくなるっていうか、そうだな…。
「由香は、本当にかわいいな…。」
「ねえ!!彼方ってなんでこうっ!!天然のタラシみたいな感じなの?!うう…。」
真っ赤になってる由香は、確かにかわいいと思うよ。昨日の恐ろしいハーレムを知る僕にとって、由香はオアシスだ。ゴリゴリに押してくるパワフル肉食女子の怖さと言ったらもう。何を言ってもキャー、どう動いてもかっこいい、帰る時にはもうちょっといいじゃない、本当に、本当に僕はっ…!!!
「いや、由香は本当に、僕にとっては、なくてはならない人なんだよ?ずっと僕の横にいてほしい。」
じっと目を見ながら、由香にお願いしてみる。歩きながらだから少し距離が遠いな。真心が伝わりにくいかも。あ、目線外された。地味にちょっと、ショックだな…。
「あの、彼方は、女の子が、好きなの?恋の相手は、女の子、なの?」
足元の、少し雑草が生えるアスファルトを見ながら、由香が僕に問いかける。僕もつられて、足元のアスファルトに、目を落とす。都会の道ではないな。少し剥がれたアスファルトをひょいとよけつつ、歩く。ああ、大学の正門が見えてきた。…開いている。良かった。
「僕は、まだ恋をしたことがないんだよ。だから、恋の相手が女の子かどうかは、わからないな。」
「誰かを好きになったこと、ないの?」
好き、という意味が、少しわからないかもしれない。男子は、大体において、仲間であり、女子は、大体において寄り添うものだった。たまらなく愛おしいという気持ちを持つのが恋であるとするならば。僕は、いまだかつて、そのような気持ちを誰かに持ったことは、ない。
「仲のいい友達はいるよ?けれど、ただそれだけだね。由香は?彼氏とか…。」
いるのかな?いそうな、気もする。聞いていいのかな?しまった、もう少し考えてから口に出せばよかった。
「彼氏は、いない…。好きな子も、多分、いないかな。」
少しだけ、悲しそうな顔をしている。聞くべきことでは、ないかも。この先の話は、もっと由香との距離を縮めてからの方がいいかな。
「おお! おはよう!! 早いな!! おお!! 今日は女子じゃん!!」
正門に入ると、ちょうど先生が出てきた。僕の入試の時に面接してくれた先生。東洋美術史の河合先生だ。この先生、長い付き合いになりそうなんだよね。僕の目下の興味は、東洋美術にある。
「おはようございます。」
「おはようございます、ちょっと失礼なんじゃないですかね。」
少々腹立たしいけど、おそらく僕は、この先生のゼミに入ることになるだろうから波風を立てないようにしなければ。
「ははは! 悪い悪い! 何、なんでこんなに早いの! 部活はいるの?」
「いや、学内散歩しようと思って。ここのどかだし、空気いいし。」
そう、今から僕と由香は、構内ウォーキングをするのさ。昨日指切りしたし。
「じゃ、失礼しますね。」
河合先生の前を立ち去る。
「やっぱりどう見ても恋人同士にしか見えんなあ…。」
ああ、昨日学長先生が言ってたやつか。
「光栄です。」
昨日と同じ返しをしておく。
由香は…やっぱり真っ赤な顔をしていた。かわいいな。
「うーん、やっぱり、気持ちいいね!!」
グラウンドに出ると、広い空が広がり、心地いい空気が吹いてきた。
風に揺れる、由香の髪。桜並木を通って来たものの、昨日に比べて少し風は弱く、桜の花びらはおとなしく散り、由香の髪に絡まったものは一枚もなかった。
グラウンドには、まだ誰もいない。部活が始まるのは、15日からなんだそうだ。今日は、体育館で部活紹介があり、そのあとサークル見学会がある。僕は特にどこにも所属しないつもりだから、図書館で本でも読んでいようかなと思っていたんだけどね。…図書クラブなんてのも、あるのかな?
由香は広いグラウンドで、大きく背伸びをすると、スカートを翻して僕を振り返った。
「靴、持ってくればよかった。ローファーじゃ、ちょっと走れないなあ…。」
「明日は僕みたいな格好で来たらどう?そうしたら一緒に走れそうだけど。」
フェミニンな由香もいいけど、カジュアルなデニムコーデもいけると思うんだよね。
「うーん、私実はあんまりカジュアルなアイテム、持ってなくって…。さすがに、学校ジャージで来るわけにはいかないっていうか。」
「ここで着替えるっていうのも、手かも?…ああ! そうだ、今日帰りに一緒に見に行かない?」
今日は昨日みたいに遅くはならないはずだ。確か午後は履修登録の希望提出と教科書販売だけだったはず。
「え、いいの?でも、家遠いんでしょ。」
「今日は早く終わるから。由香はどこに行きたい?僕はファッションはそんなに詳しくないから由香の行きたいところに同行するよ。僕も少し、女性もの見たいからね。」
基本的に僕はいつも、シンプルなアパレルショップでそろえているんだけど、たまに見たくなるんだよね。女の子のファッションはかわいいから、見ていて飽きないというのも、ある。僕は似合わないけど、由香は何でも似合いそうだから、合わせるのが楽しそうだ。
「じゃあ、私柳ヶ橋行きたいな!新しいショップができたって、聞いたの。」
「いいよ、じゃあ、そこに行こう。はい、指切り。」
僕と由香は、昨日に引き続き、ゆびきりげんまんをした。