ハーレム
この大学は、大まかに言って、三つのエリアに分かれている。
桜の木々が立ち並ぶ、本校舎エリア。
田舎ならではの、広々とした運動場が広がるエリア。
教員、生徒たちが使う駐車場横の、図書館と体育館が立ち並ぶエリア。
ここは、スポーツが盛んで、小さな学校であるわりに、設備がかなり整っている。
ゴム製の運動場、芝生のフィールド、弓道場、武道館、体育館。クラブ棟もあるし、遠くには馬場もある。
「ここ、すごいね、いろいろ揃ってる。」
僕と由香は、桜並木の続く正門横の本校舎エリアを抜け、運動場が広がるエリアに来ていた。
桜がなくなると、ずいぶん空が広い。
いい風が吹いている。風が吹くたび、由香の髪が、揺れる。
「由香は、何かクラブに入るの?」
小柄ではあるけど、由香はスポーツを楽しむタイプに、見える。
足首が、キュッとしまっているから、ずいぶん走り込んだんじゃないのかな。
でも、手は小さめで華奢だったから…球技はしてないかな?
「私は、勉強に集中、したいかな? 運動はウォーキングだけでいいかなって。」
「何か運動、してきたの?」
「うん、陸上を少し。ここのトラック、ちょっと走りたいかも。」
ああ、陸上か、似合いそうだな。ポニーテールを揺らしながら走っていたのかな?
「彼方、は?」
「僕は…クラブに入る時間がないかな、家が遠いんだ。」
ここに来るまで、二時間かかるからね。五時半の始発に乗って、七時半に、ここについた。早起きは得意なんだよ。車窓を楽しむのも好きだから、この通学は僕にとって、とても魅力的だ。
「そっか…でも、朝は、早く来るんでしょ?」
「この時間には、毎日来るよ。由香も、来るんでしょう?」
由香は、少しばかり首をかしげて、僕を見ている。
大きめの二重瞼が、少し伏せられて、長いまつげが、目立つ。今はやりの赤メイク?にしては控えめで、派手過ぎない感じが、キュートにまとまってる。少し厚めの唇は、グラデーションリップが、つやつやしていて、つい、見入ってしまった。…僕は完全に、すっぴんだ。
「僕はここに、七時半につくんだ。…そうだ、由香、僕と毎朝、ここでウォーキング、しない?ここはこんなに広いから、朝散歩をするのに、ちょうどいいと思わない?」
「いいね、それ!今日はパンプスだから無理だけど、ちょっとこのトラック走ってみたい!」
由香が風を切る姿か。うん、見てみたいな。
「じゃあ、約束。はい、ゆびきりげんまん。」
僕が差し出した指に、由香がそっと、小指を絡ませた。約束は、今、結ばれた。
明日からいい運動ができそうだ。
広いエリアを抜けると、体育館が現れた。かなり大きい。
三階建てか。横にはプールがある。屋外だから夏季限定でオープンするのかな?今の時間は八時を少し回ったところ。入学式会場入り口が開いている。
「あ、新入生?」
入口に教授とみられる男性が二人、立っている。一人は面接のときに見た先生だな。覚えているかな?
「おはようございます。」
「あ。君、覚えてるよ!なんだ、男にしか見えないじゃないか!本当にそれで来たのか!!」
覚えていたようだ。
僕はこの先生に面接のときにいろいろと質問をされたんだ。研究したいテーマはあるか、独自の美学を持っているか、勉強は好きか、目標はあるのか、夢は何か。…意外と何を話したか、全部覚えているな。
「ええ、僕言ったじゃないですか。自分のやりたいことをやるって。だから今日は躊躇せず、来ました。…似合っているでしょう?」
「今年の美学は独特の感性があるやつ、きたなあ…。」
「僕っ子かよ!!面接じゃ私って言ってたのに!!」
隣の教授は僕のなりを見て何やら感心している。この人はなんの先生なんだろう。由香は少し笑っている。あ、僕のこと、見上げてきた。
「私って、言ったの?今も言えばいいのに。」
「僕は、僕さ。私は、入試用。合格したら、そんなのはもう必要ないでしょう。」
「そっか、そうだね、ふふ。」
何がおかしいのか、由香はにこにこしている。
「中入っていいけど、まだ一時間あるよ。早くない?」
面接してくれた先生が、中に入る許可をくれた。由香と一緒に中に入って待ちたいところだけど。
「中に入って、見学しながら待たない?」
「そうだね。」
僕と由香は、二人並んで入り口を通る。その様子を見て、教授と思しき先生が、言った。
「君たち、そうしてると恋人同士にしか見えないな!!」
「光栄です。」
スマートに返した僕の言葉を聞いた由香が、真っ赤になった。
ずらりと並ぶ折り畳み椅子の方には向かわず、図書館側に足を運ぶ。まだ、図書館は空いていないようだ。カギのかかったドアの向こうをのぞくと、かなり、広い。勉強するスペースも多そうだ。ここはきっと、僕のお気に入りの場所になるに違いない。
「蔵書も多そうだね、小さい大学なのに、頑張ってるな…。」
「今日開くのかな?ちょっと見てみたいよね。」
由香も興味津々みたいだ。帰り、開いてたら、一緒に行こうかな。そんなことを、考えていると。
「あの。入学生の方です、か。」
由香を一回り大きくしたような、ショートカットの女子が声をかけてきた。僕というより、由香に声をかけているな。付き添いに、見られている可能性、大だ。
「はい。えっと、私たちは、美学で…。」
「私、たち…?」
女子の目が、大きく開く。一重瞼だけど、大きい目だな…。化粧はしてないみたいだ。リップくらい付けた方がかわいくなるのに。もちろん、僕はリップなんか付けないんだけど、ね。
「僕も美学の新入生なんだよ。よろしくね。」
「えっ?えっ!え、ええええ?!」
大騒ぎをし始めた女子は、大崎初音と名乗った。なんでも、女性歌劇団のファンだとかで、さっきからテンションが、高い。…高すぎる!!
大騒ぎしながらしゃべっているので、どんどん女子が僕の周りに集まってきた。
ちょっと、これ、どういうことなの…。
「ねえねえ!男の人好きなの?」
「いや、ええと…。」
「女の子、好きなの?!」
「女の子は、みんなかわいいと、思うよ?」
「きゃぁああああ!!!」
おかしい、おかしいぞ!こんなにも、女子大というのは、テンションが高いものなのか?何を言っても、歓声?嬌声が返ってくる。共学だった時は、ここまで派手な囲まれ方、したことなかったんだけどな…。そもそも、由香はこんなんじゃなかったじゃないか…。
いつの間にか、僕の周りには人だかりができていた。由香が、遠い。僕は見放されてしまったとか?ちょっと待ってほしいんだけど…!!
「ねえねえ!歌手のGALさんって親戚だったりするの?めっちゃそっくりじゃん!」
GALは、このところ人気の、マニッシュな女性シンガーで、ハスキーボイスが人気を呼んでいる。そう、ちょっと僕と似てるといえば似てるんだよね。GALは身長165という話だから、僕よりは小さいか。僕あそこまで髪短くないんだけどな…。
「似てるかな…?」
「似てるけど、彼方くんの方がカッコイイ!!背も高いし!目も大きいし!鼻も高いし!口も大きい!!ねえねえ!女の子は、お好きですか!!!」
ダメだ!!すごくパワフルな子がいる!!正直、逃げたい!でも、女の子には、やさしくしたい!!
焦る僕の心のうちを一ミリも漏らさぬよう、にこやかに、かわしていかなければ。
「似てる似てる!!ねえねえ!一緒にカラオケ行こ?いいよねえ!」
「そうだね、そのうち、みんなで行こうか。」
「やった!ねーね―行きたい人ー!!!ライン交換しまーす!!」
「はい!!」「はーい!!」「あたしも!!」「ねえねえ交換やり方わかんない」「私もいい?」
…ダメだ!!収拾がつかない!!
『ただいまより、入学式を開始いたします。学生諸君は、席についてください。』
た、助かった!!
僕の周りから女子がはけていく。いつの間にか、由香が僕から遠い位置に移動していた。いつの間に!!僕に由香の落ち着きを返してくれないか…。
僕の隣には、パワフルな子と、大崎さんが座っている。…そういえば、僕、まだ由香の連絡先、聞いてないな。しまった、僕としたことが。
ふと、壇上を見ると、朝会った謎の先生がいる。隣には、面接の先生もいるな。
「学長の羽矢です。皆さん、入学、おめでとう。」
なんと!!学長先生でしたか!!あれ、入試のパンフには載ってなかったと思うんだけどな…。学長って、意外といろんなところうろつくんだな。知らなかった。
「それでは、この後は学部に分かれてオリエンテーションを行います。美学はここに残ってください。人間関係は武道場へ。英文は本校舎会議室に集まるように。15分後に始めます。」
「ねえねえ!彼方くんは第二外国語、何取るの?」
「まだ考えてないかな…ごめん、ちょっと僕はお手洗いに。失礼。」
これ以上囲まれるのは、ちょっと避けたい。
追いかけてこようとする女子達から逃げるように、体育館外に向かった。
図書館横のトイレは、少し離れたところにあるからか、人はいなかった。よかった。ここまでついてこられちゃうと、ちょっと困る。手を洗って出ると、カギの閉まっている図書館の前に、由香がいた。
「由香!良かった、話がしたかったんだ。」
「今日、ここ開かないってさっき掃除のおじさんが言ってたよ。残念だね。」
…少し、言葉にとげが感じられる。
「由香、」
「ごめんね。私、あまり、わいわいするの、好きじゃなくて。…逃げちゃった。」
「由香、連絡先、聞いてない。」
朝あんなに僕に笑顔を向けてくれてた由香なのに。今はこんなにも、悲しそうな顔を僕に向ける。このまま別れてしまっては、ダメだ。縁が、切れる。
「うん、また今度。ほら、もうじき、オリエン、始まるよ?行こ。」
体育館に戻ると、僕の手が引かれた。大崎さんだ。
「もう!遅いよ!!早くこっちこっち!!」
僕の手を引いて、騒がしい集団の中に、引きずり込もうとしている!
意外と、力が強い!でもここで拒否したら、傷ついてしまうかも…。
「由香! 明日朝、待ってるから。」
スッと僕の横から移動していく由香に、声だけかけて、僕は。
由香の返事すら聞くこともかなわず。
この大学に存在した、恐ろしいハーレムの渦に、飲み込まれて行った。