出会い
閑静な住宅街を、二両編成の電車がガタンゴトンと派手な音を立てて、通り抜ける。
住宅と電車の間が、狭い。
開きっぱなしの窓から手を伸ばしたら、ケガをしそうだ。
僕は、まだ誰も乗っていない、この二両編成の古ぼけた電車のドア付近に立ち、のどかな風景を、ただのんびりと見つめていた。
今日から始まる、大学生活。
僕は、ここで、どんな出会いをし、何を思い、何をなすのか。
不安よりも、期待が大きく胸を占める。
僕は、ここで、自分のやりたいことを、やる。
今までの自分を捨て、新しい自分を、手に入れるために。
4月7日。今日は大学の入学式。
混み合う通学電車を避けるため、始発でここに来た僕は、まだ誰もいない学舎を、一人、まわっていた。
文学部しかない、小さな大学。学科数は、3つ。人間関係学科、英文学科、美学学科。
僕はここで、美学を学ぶ。
僕の学科在籍者数はおよそ100人。
全学生を合わせても、1000人行かない、小さな、大学。
山の中腹にあるこの大学は、木々の恵みに長け、桜の淡いピンクがそこら中に溢れている。
花見をしたら、楽しめそうだな、そんなことを考えていると。
ぶぅわっ……!
一際強い、春の風が吹いた。
舞い散る、桜の花びら。
その向こうに。
風にあおられ、長い髪を激しく靡かせている、女性が一人。
ピンク色のセットスーツが風に揺れ、スカートの端が少しはためいている。
おそらく、僕と同じ、新入生。
声を、かけてみようか。
風がやんだ。
女性の髪に、桜の花びらが何枚か、捕らわれている。
「おはよう。」
僕は、女性に近づき、声をかけた。
少し、戸惑っているようだ。
知らない人に声をかけられたら、少しは躊躇、するからね…。
「おはよう、ございます…。」
声を返してくれた。
うれしくなって、僕はにっこり、微笑み返す。
そっと、長い髪に、手を伸ばした。
「ごめんね。髪、ちょっと、さわる。桜の花びらが、絡まっているよ。」
1枚、2枚、3枚…4枚。
「あ、ありがとう…。」
少し赤い顔をしている。かわいい。
「入学式は9時からでしょう?早いね、今まだ7時半だけど、どうしたの?」
僕も早く来たから人のことは言えないんだけれどもね…。
「満員電車が嫌いで…。あの、あなたはっ…?」
ああ、また風が、吹いてきた。
また花びらが付くと、いいな。
「ああ、僕も満員電車が嫌いでね。始発に乗って、ここまで来たのさ。」
「何をするために…?」
少々訝しげな顔をして、女性が僕の顔を見上げる。
身長差は、10センチ、といったところか。
もう少し、あるかも。彼女はヒールの高いパンプスを履いているから。
「入学式だからね。僕は、美学学科なんだけど、君は?」
「わ、わたしも、美学っ…なんだけどっ…!!」
「なんだ。仲良くしてくれるかな。同級生だ。僕の名前は、石橋彼方。よろしくね。」
僕はすっと、手を差し出した。
「わ、私はっ。三浦由香、です、けどっ!!あのっ…!」
僕はそっと、小さな手を握る。
ああ、温かい、手。
僕がこの学校で、初めて触れる、誰かの、手。
ああ、また風が吹いてきた。
激しい風にあおられて、桜吹雪が、舞う。
かわいくカールされている毛先が、風に吹かれて、乱れないように。
僕はそっと、彼女の髪を、抑える。
「髪、乱れちゃうよ?ちょっと、抑えといても、いい?」
もうすでに抑えているのに、ね。
「あのっ!どうして、ここに…?」
「僕も、入学式に、出るためだけど。」
風がやんだので、そっと髪から、手を離す。
花びらは、ついていない。
「え…どうして?だって、だって、あなた…。」
「なに?」
「ここ!女子大なのに!!どう見てもあなた!男じゃない!!!」
石橋彼方という人間は。
昔々から、女であったことがない。
確かに女性の体を持ってはいるものの。
男にまぎれて、男と戯れ。
男の格好をして、自分を僕と呼び。
性別にこだわったつもりは、ない。
ただ、漠然と、短い髪が似合うと思っているし、スカートを選ばない。
私服に関しては、ね。
中学、高校と、制服はちゃんと着用していた。
連れからは、ずいぶんスカート姿をからかわれたものの、心を病むほどではなかった。
むしろ、女子の人気が出てしまって大変だった。
高校を卒業するにあたり。
何をしようか、少し、迷った。
勉強は、嫌いではない。
ただ、漠然と、文系に行き、三年生になってしまった。
連れは皆理系に行き、僕は文系の数学のぬるさに、少々、辟易していた。
…僕は、進路を、間違えたのだ。
文系のくせに、理系の数学の授業に混ざるようになった。
…おかしな話だ。
けれど、中程度の進学校だったため、成績優秀者のクラス移動は、自由に行われていた。
成績は、学年で2番、3番。
受験シーズン、担任から推薦があるが受けないかと言われた。
女子大の、文学部、美学学科。
…あまり聞いたことのない学科だ。
少し躊躇したものの、何も目標のない、夢を見つけられない僕は、この推薦を受けることにし、今、ここに、いる。
女子大の入学式に、男性用スーツに身を包んだ、僕が、出席、する。
…目立つよね。
でも、美学っていうくらいだから、独特の感性の持ち主、何人かいそうなんだけどなあ…。
「僕は、女性だよ。…ほら。胸、あるでしょう?」
僕は、由香の手を胸にやる。
由香の顔が、真っ赤だ。
「ねえ、由香って、呼んでもいい?」
もう、心の中では、呼んじゃってるけどさ。
「い、いいよっ!!」
ふふ、めっちゃあわててる。
「僕のことは、彼方って呼んでね?」
「わ、わかった、わかったからっ!!」
入学式まで、あと一時間。
この場所に、僕の知り合いは、いない。
今日から、自分で広げなくてはいけない、人脈。
この場所で、僕の初めての知り合いとなった、由香。
友人に、なれるだろうか?
親友に、なれるだろうか?
少しだけ、期待をしつつ。
僕たちは連れ立って、入学式会場へと、向かった。
不定期更新します(о´∀`о)ノ