42話 綺麗なのは
「それじゃ、最後に響樹の奢りでデザート頼んで締めにしようか」
「さんせーい」
食後の会話も一段落、そろそろ夕食時の客も増えてきた店内を見回した海の発言に優月がノータイムで賛意を示す。
一方で響樹に対して気遣わしげな視線を送ってきたのは吉乃。彼女の性格からすれば反対したいのだろうが、海と優月の手前水も差せないと言ったところだろう。
「いいよ、気にせず頼んでくれ。俺としても心配かけた分のけじめをつけさせてもらえると気が楽だ。海と花村さんには試験の時も礼もあるし、烏丸さんにもだいぶ世話になってるしな」
それでもまだ迷って、「でも」と口を開いた吉乃に「ほら」とデザートメニューを開いて渡すと、彼女は眉尻を下げて諦めたように笑い、「ありがとうございます」と受け取った。
「今の時期クリスマスっぽいメニューとかもあるし、普段より種類豊富だよ」
「ぽい?」
「そ。あくまで、ぽい。本格的なクリスマスメニューって訳じゃないけど」
「へー」
優月の発言で吉乃が持つメニュー表を覗き込んでみると、確かにデザートメニューのイラストにはサンタクロースなどのクリスマス的なイラストが載っていたが、肝心のメニューは確かに色合いがそれっぽいだけだった。
しかしそんなメニューを、吉乃はどこか眩しそうに眺めていた。
「クリスマスねー。予定入ってなければこのメンバーでパーティーしたかったくらいなんだけど」
優月がドリンクをストローでかき混ぜながら言った言葉に、隣の海がぴくりと反応し、吉乃も本当に小さな声で「パーティー」とだけ口にした。恐らく響樹にしか聞こえなかっただろう。
「午前中はクラスのみんなとで、午後からは海と予定入ってるからねー。残念ながら」
「へえ」
視線を向けると海が顔を背けたので、今までの仕返しとばかりに脛を蹴っておいた。
◇
また明日学校で。そんな挨拶を交わして店の前から二人ずつ反対方向へ歩を進める。海と優月は駅へと、響樹と吉乃は自宅方向へ。
「天羽君。今日はありがとうございました」
「いいって。詫びとお返しって事を考えればまだ全然足りないんだし」
「その事だけではありませんよ」
隣を歩く吉乃が口元を押さえてくすりと笑い、優しく細めた目を僅かに上向かせ響樹へと向ける。
「今日は楽しかったので。だから、そのお礼です」
「それなら誘った花村さんに――」
「花村さんには明日改めてお礼をしますけど、やっぱり一番は天羽君に」
「……どうしてだよ」
少し照れたようにマフラーに口元を沈ませた吉乃とその言葉に上げられた心拍を誤魔化すように尋ねると、彼女はふふっと笑い視線を響樹から前方に向けた。
「天羽君がいなければ来ませんでしたから。花村さんとは最近、以前よりもずっと話す事が多くなりましたけど、それでもやはりお誘いには素直に応じられなかったと思います」
「そう、か」
今まで「完全無欠の美少女」の仮面をつけて人と深く関わる事を避けてきた吉乃の第一歩とでも言えばいいのだろうか。
そしてそれは響樹がいなければ出来なかったと言うのだから、感慨だけではない感情が胸の中で渦を巻く。
「ええ」
感情を処理できないままに向けられた眩しい笑み。直視したらどんな顔を見せてしまうかわからず、響樹は視線を逸らした。
「どうかしましたか?」
「いや……」
不思議そうに尋ねる澄んだ声。見えないが小さく首を傾げて濡羽色の髪を揺らす吉乃がはっきりと頭に浮かぶ。
「もうクリスマスなんだなって」
暦で言えばあと1週間と少し。響樹の通学路ではコンビニがクリスマス商戦をしているくらいなので今まで全く意識をしなかったが、駅前の通りはクリスマス一色と言って過言では無い。
赤と緑を基調とした装飾、街路樹にはクリスマスツリーのような飾り付けが施されており、一部の店先にはサンタクロースの人形なども飾られている。そして特に顕著なのがイルミネーションだろう。
「ええ。綺麗ですね」
テレビで見るような派手な物ではないが、光の色は暖かで優しさを感じる。勝手な印象ではあるが恋人向けというよりもファミリー向けのように思えた。
(どっちがだよ)
足を止めてイルミネーションを見上げる吉乃が、暖かな光を浴びた彼女が本当に綺麗で、歩調を合わせる意味ではなく響樹の足も止まる。
優しい光を浴びた吉乃が浮かべる笑みは優しいものだったのだが、一瞬だけそこに寂しさの色が滲んだ。
「ファミレスでもクリスマス気にしてたみたいだけど、何かあるのか?」
「……いえ。むしろ何も無いので憧れがあると言えばいいんでしょうか」
「憧れ?」
苦笑の吉乃はイルミネーションから響樹へと視線を移し、「ええ」と頷いた。
「クリスマスパーティーをした事が無いので、どんな物なんだろうって。気になるんだと思います」
「無いって、だって……」
吉乃の家庭は彼女が小学校四年生までは円満だったと聞いている。それなのにと、そこまで考えて彼女が眉尻を下げて曖昧な笑みを浮かべている事に気付く。余計な事を思い出させた事にも。
「悪い」
「気にしないでください。当然の疑問だと思いますから」
響樹を気遣ってか優しい微笑みを浮かべた吉乃がほんの少し首を傾け、「帰りましょう」と促した。
「因みに俺もクリスマスパーティーした事無いぞ」
響樹にとってクリスマスは毎年留守番の日。だからずっと意識しないようにしていた日だ。
少し先にある吉乃の背中に声をかけると、彼女が驚いたように振り返り、そして「一緒ですね」とやわらかな笑みを浮かべた。
「ああ」
そうとだけ応じて吉乃の隣に響樹が並ぶと、彼女はどこか嬉しそうにふふっと笑った。
「天羽君」
「ん?」
一緒に歩みを再開してしばらく無言だった吉乃がまた足を止め、響樹を見上げた。
そして一度目を伏せ、口元を白いマフラーに埋めて上目遣いの視線を送ってくる。
「良ければ、一緒にクリスマスパーティーを、しませんか? ご予定が空いていればですけど……」
「予定は空いてるけど……そっちはいいのか? 誘われてたりするんじゃないのか?」
優月がクラスのみんなでと言っていたので、もしもクリスマスパーティーに参加したいのならばそちらにというのが早い。吉乃が誘われていないとも思えなかった。
「お断りしました。なので、予定は空いています」
「そうか」
「どう、でしょうか?」
変わらず響樹を見つめる吉乃の顔はいつの間にか朱に染まっており、その細い指先は所在なさげに小さくすり合わされている。
響樹にとってクリスマスは恋人同士が過ごす日という印象しかなく、だから吉乃の言葉に素直に頷けなかった。だがそれでも――
「俺で良ければ。一緒に」
別に恋人同士でなければ一緒に過ごしてはいけない訳ではないのだ。そう自分に強く言い聞かせ、吉乃に強く頷いてみせた。
「はいっ。楽しみにしています」
「ああ。俺も、楽しみにしてる」
顔を綻ばせて満面の笑みを浮かべた吉乃に、響樹も心からその言葉を伝えた。
クリスマスが楽しみだなどと思ったのは今年が初めてだろう。