40話 あり得た未来
朝のHR開始はほぼ全クラス共通だが、帰りに関しては多少ズレが発生する。
今日の響樹たちのクラスに関しては、最終授業担当が担任教師であったためほぼノータイムでHRに入りその分早く終了した。
「じゃあ行くか」
「花村さん待たないのか?」
「向こうで合流すればいいし、響樹もさっさと出たいだろ」
「まあ」
昼休み後も休み時間のたびに見物客が訪れ辟易していた響樹もその提案にありがたく乗らせてもらい早々に教室を出た。
隣のクラスはまだ戸が閉まっており、生憎吉乃の様子を窺う事はできない。信じてはいるつもりなのだが、これだけ心配してしまうと吉乃に怒られてしまうような気がしてふっと息が漏れる。
「で、まあせっかく優月がいないんだし、今の内に言いづらい事全部言っとけよ」
「……花村さんに言えないような事はお前にも言わないぞ」
他愛の無い話を続けながら歩き校門を出て少しした頃、海の言った事に反発してみせた響樹に、当の海はニヤリと笑った。
「言えないような事がある訳だな」
「まあそりゃあな」
海も優月も「期末試験で響樹が吉乃に勝ちたかった」事は察しているらしいが、その理由を話そうとすればある程度吉乃の事情も明かさなければならない。そしてそれは響樹からすれば絶対にあり得ない事。
「色々協力してもらっておいて悪いけど、言えない事はどうあっても言えない」
「わかってる、響樹が言えない事は言わなくていいって」
「と言うかその前にどういう認識をされてるか聞いときたいんだけど」
「期末と、お前と烏丸さんの事でか?」
「ああ」
昼休みの二人の態度からして恐らく正確には把握していないと思っている。何となく、響樹にとって面白くない方向で勘違いがあるような気がしてならない。
「まあ、響樹の事だから一位取って堂々と烏丸さんに告りたいのかなと思ってた。お前そういうめんどく……武士道精神みたいな感じ?」
「そこまで言ったなら素直にめんどくさいって言えよ……」
「まあまあ。で、告ったのか? 烏丸さん機嫌良かったみたいだし、成功したんだろ?」
「そもそも告ってないし。いい事あったのは俺とは別件だろ」
「はあ!?」
海のニヤケ面が一気に間抜け面に変わる。「嘘だろ?」と眉を顰めた海に「マジ」と返すと、彼は呆れたように長く息を吐いた。
「じゃあお前何のために烏丸さんに勝ちたかったんだよ。あんなにズタボロになってまで」
「伝えたい事があったんだよ。お前が言ったみたいに一位取って堂々とな。で、これ以上は言えない事だ」
「……どう聞いても告白としか思えないんだが」
いまだ疑いの眼の海に今度は響樹がため息をつく番だ。
「違うって」
そして今度は海が再びため息をつく番。長く大きなため息を。
◇
「もう着くってさ」
駅前のファミレスの席を取って数分後、スマホに届いたらしいメッセージを見て海が笑みを浮かべ、「席の位置送っとくなと」指を動かした。
それから少しして響樹の肩越しに入り口をじっと見ていた海が少しだけ頬を弛めて手を挙げ、そして固まった。
「ん? どうした?」
振り返って海の視線の先を確認しようと思ったところで、「お待たせー」と元気な声が聞こえたので目をやってみると、響樹も固まるハメになった。
「お待たせしました。突然お邪魔してすみません」
短く明るい髪をした元気そうな少女の横には、対照的に長く綺麗な黒髪の落ち着いた雰囲気の少女が立っていた。
澄んだ声に少しだけ申し訳なさそうな色を滲ませながらほんの僅かに照れたような笑みを浮かべた、響樹の知るなかで最も美しい少女、烏丸吉乃。店に入る時に脱いだのだろう、コートとマフラーを手に提げている。
「じゃあ私こっちー」
「失礼します、天羽君」
恐らくまるで知らなかったのであろう固まったままの海の横に優月が、そんな海のおかげで少し冷静になった響樹の横に吉乃が、それぞれ腰を下ろす。
位置関係としては店の入り口から遠い方に壁側から海と優月、その反対に壁側から響樹と吉乃となる。
「ああ、荷物――」
「大丈夫です。こちら側に置きますので」
壁側に少し詰めようとした響樹を制し、吉乃は自分の荷物を廊下側に置いて響樹との間を少し詰めた。
距離感としては海と優月よりも少し近く、海からは再び疑いの眼を向けられてしまう。
「島原君とはこうやってお話させていただくのは初めてですね。突然お邪魔してしまってすみません」
「いや、全然。どうせ優月が無理言って誘ったんだろうし。むしろ来てくれてありがとうって感じ。だろ?」
「正解!」
少し申し訳なさそうにしていた吉乃だったが、目の前の二人のやり取りにふふっと笑った後で、「ありがとうございます」と会釈を見せた。
「他には誰か来るのか?」
「来ないよ。烏丸さんしか誘ってないし」
「了解。じゃあとりあえず注文するか」
そう言った海はメニュー表を手に取って響樹に差し出すので、受け取った響樹も開いて吉乃に手渡す。
しかし吉乃は少し迷ったようなそぶりを見せ、メニュー表を少し起こしたと思えばその影で僅かに頬を染め、「一緒に見てくれませんか?」と恥ずかしそうに囁き、響樹との距離をさらに詰めた。
「もしかして、こういうとこ初めてか?」
「はい。思っていたよりもだいぶメニューが多くて驚いています」
向かいの二人に聞こえないように響樹も少し顔を寄せて小声で尋ねると、吉乃が眉尻を下げて小さくこくりと頷く。
カラオケの時はバッチリ予習をしてきた吉乃だったが、流石に今日突然誘われたのではそれもできなかったらしい。
「そうだな。飲み物はドリンクバーにするとして、今日夕食はどうする? 俺はここのを代わりにするつもりだけど、家で別に食べるなら軽い物のほうがいいだろうし」
「そう、ですね。私もここで済ませてしまおうと思います。なので、天羽君と同じ物を選んでもいいでしょうか?」
「悪い訳ないだろ」
「ありがとうございます」
どこかおずおずと、しかも至近距離の上目遣い。そんな吉乃に内心の動揺を隠しつつ応じると、彼女は顔を綻ばせる。
そしてパスタの種類を告げて「これでいいか?」と尋ねてみると、「はい」と嬉しそうに笑って頷いた。
「海、決まったぞ……何だよその顔、花村さんも」
「別になあ?」
「別にねえ?」
メニュー表を返そうとすると海と優月がニヤニヤと響樹たちを眺めていて、それを指摘すると二人は愉快そうに笑いながら顔を見合わせる。
何だよと思いながら隣の吉乃に顔を向けようとすると、そこでようやく彼女と肩が触れ合ったままだという事に気付いた。
吉乃も同じように響樹の方を向いたため、肩を触れ合わせながら至近距離で見つめ合う形になり、二人して慌てながら距離を開けるハメになる。
「青春て感じ?」
「だな?」
口を結んだ響樹も、俯いてしまった吉乃も、息の合った二人に言葉を返せなかった。
◇
「作戦会議があるから」
四人分のドリンクバーを取りに行くと言って海と優月は席を立った。
響樹と吉乃も一緒に行くと主張したのだが、それに対して返ってきたのがこの言葉だ。
「作戦とは、何についてでしょうか?」
「俺をどうやってからかうかじゃないか?」
「それは甘んじて受けないといけませんね。何せだいぶご心配をかけてしまったのですから」
吉乃は口元を押さえてくすりと笑い、ほんの少し眉尻を下げた。
「他人事みたいに言ってるけど、飛び火するかもしれないぞ」
「その時は私も甘んじて受けますよ。だって、あのお二人が天羽君にお力添えくださったんでしょう?」
「ああ」
「でしたらやはり、私にとっても恩人ですから。花村さんと島原君がいなければ、もしかしたら今こうやって天羽君といられなかったのかもしれません」
吉乃は少しだけ遠くを見るような、懐かしむような、そんな視線を誰もいない向かいの席に向け、「そんなのは絶対に嫌ですから」と隣の響樹を見上げて優しい微笑みを浮かべた。
「そう、だな」
試験期間、響樹は自分が吉乃に負ける未来を想像しなかった。いくら試験対策に全力を尽くしたとは言え、元の差を考えれば相当に分の悪い勝負だったはずなのに。
だから今初めて、吉乃に勝てなかった場合の現在を、彼女の隣にいられなくなった自分を思い浮かべた。
「それは、絶対に嫌だな」
そしてもう二度と考えたくないと思い、そんな言葉が自然と漏れる。
響樹の言葉に一瞬目を丸くした吉乃は「ええ」と顔を綻ばせた。