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35話 隣の居心地

 吉乃に言葉を届けた翌日の土曜、響樹は学校を休んだ。そろそろ復帰するつもりではあったのだが、吉乃にだいぶ心配をかけてしまっている現状もあり、今週いっぱいは静養に努める事にした。

 前日の段階で吉乃はだいぶ甲斐甲斐しく響樹の世話を焼いた。夕食用にと消化の良い煮込みうどんを作った上に朝食までもを用意してくれていて、更に今日も響樹の代わりに家事をするために来てくれる事になっている。


 まさに至れり尽くせりだと思いながらその朝食をありがたく頂き、片付けを済ませてしまおうかと思ったところで玄関のチャイムが鳴らされた。

 時刻はちょうど午前8時。こんな時間に誰だろうと思いながら玄関を開けると――


「おはようございます、天羽君」

「……何故? いや、おはよう。上がってくれ」

「ありがとうございます。お邪魔します」


 とんでもない美少女が眩しい笑顔で立っており、混乱しながらも彼女を部屋の中に招き入れる。

 何度も見た白いエコバッグを提げた吉乃は、嬉しそうに笑いながら「冷蔵庫をお借りしますね」と口にし、可愛らしく僅かに首を傾けて響樹の返答を待った。


「聞きたい事もあるけど、冷蔵庫は中身も含めて自由にしてくれ。あと上着かけとくから、ハンガー」


 吊られたままの左腕が上手く使えないので吉乃に任せる事にしてハンガーを差し出すと、彼女はやわらかな微笑みを浮かべて「ありがとうございます」と荷物を床に下ろす。

 白い――どちらかと言えば乳白色ぎみだろうか――のコートに手をかけた吉乃の装いは、黒のインナーにグレーのショートパンツ、そして黒タイツ。今まで見たスカート姿や制服のブレザーよりも全体的に体のラインが出る服装は、スラリと整った彼女のスタイルの良さを自然な形で披露していた。そしてやはり、黒を基調とした配色は吉乃によく似合っている。


(いや。何着ても似合うんだろうな)


 特殊な物はともかく、一般的な女性の恰好ならば凡そは吉乃に似合うはずだ。そしてその中でも、彼女が好んで黒系統を選んでいる事は彼女なりのこだわりなのだろうと思えて、それが響樹にとっては喜ばしい。


「どうかしましたか?」


 少し不思議そうに首を傾げた吉乃が「お願いします」と響樹にコートをかけたハンガーを手渡した。


「ん? ああ、今日はスカートじゃないんだなと思って」

「家事をしに来ていますので、流石にスカートでは動きづらいですから」


 響樹の誤魔化しに対して笑いながら答えた吉乃に「それもそうか」と応じてハンガーをかけて戻ってくると、彼女の視線はまだ響樹にあり、「天羽君は」と真面目な顔で口を開いた。それでいて可愛らしく小首を傾げながら。


「スカートの方がお好きですか?」


 何を言われるのだろうと少し身構えていた響樹は「はい?」と少し間抜けな声を出してしまう。


「質問の意図がよくわからないんだけど」

「そのままの意味ですよ。こういった短めの物も含めてですけど、パンツスタイルとスカートならどちらがお好きですか?」

「……どっちもよく似合ってると思うけど」


 一瞬顔を綻ばせはしたが、吉乃の形の良い唇が僅かに尖る。返答にご不満だった事は明白で、響樹は正直に「スカート」と答えざるを得なかった。

 どちらもとてもよく似合っているというのは響樹の偽らざる本心なのだが、淑やかさが滲み出る外見をしている吉乃にはやはりスカートの方が似合う気がするのもまた本心だ。それを本人相手に言わされるのはとんだ羞恥であるのだが。


 視線を逸らしながら気まずげに答えた響樹がおかしかったのか、吉乃はふふっと笑って「わかりました」と声を弾ませ、そのままエコバッグの中身を冷蔵庫へと移し始めた。



「朝飯美味かった、ありがとう」

「お口に合ったのでしたら何よりです」


 一段落した吉乃とテーブルで向かい合って座り、色々と聞きたかった事を尋ねる前にまずは礼を伝えると、彼女はやわらかな笑みを見せた。

 昨日の夕食時の吉乃は、口を付けた響樹が感想を言うまでは不安そうに様子を窺っていた。そこで散々料理の腕を褒めたおかげなのか、今日はそんな様子はなく純粋に嬉しそうである。


「それで、何で来たんだ?」

「来てはいけませんでしたか?」

「いや、来てくれるのは嬉しいんだけど……」


 吉乃が僅かに気落ちした姿を見せるので、響樹は慌ててフォローの言葉を入れる。

 それと同時に、彼女が少しだけとは言え感情を隠さずに寂しさを滲ませた表情を見せてくれた事に対し、申し訳なくはあったが少し嬉しくも思った。もちろんそういう顔をさせてしまった事は反省なのだが。


 すると吉乃は「嬉しいんですね」と表情を崩し、そんな自分の頬に触れた。

 咄嗟に本音を言ってしまった事も気まずかったが、それよりも照れたように目を伏せながらもちらちらとこちらを窺う吉乃に平常心を乱される。

 響樹はそんな自身を落ち着けるために吉乃が淹れてくれたお茶を一口飲んでから言葉を続けた。


「……で、話を戻すけど、学校はどうした?」


 元々今日も吉乃は響樹の家に来てくれる約束だった。響樹は家から出るつもりもなかったので、「何時ならばお伺いしても大丈夫ですか?」と尋ねる吉乃に「いつでもいい」と伝えはしたが、半日とは言え授業のある日なので早くても昼過ぎだと考えていた。

 それが何故か、吉乃は朝8時に響樹の家を私服で訪ねてきている。


「休みました」

「そりゃわかる」


 ニコリと笑ってきっぱりと言い切る吉乃だが、そんな事は当然響樹もわかっている。どうも敢えて質問の答えをはぐらかしている節がある。

 案の定吉乃は「ちゃんと答えましたけど?」と頬を膨らませている。だいぶわざとらしく。


「まあ、だいぶ心配かけたからな。悪い、わざわざ休ませて」


 元々海からの情報である程度事情を察していたらしい吉乃だが、昨日冷蔵庫やキッチン周りを見た事で確信を得てしまったらしく、ここ数週間の響樹が勉強以外を捨てていた事が完全にバレた。

 流石にお説教の類を覚悟したが、しばらく顔を伏せていた吉乃は「私が天羽君を元の生活に戻してみせます」と満面の笑みで宣言し、押し問答の末にしばらく響樹の世話をしてくれる事が決まった。


「本当ですよ。どれだけ心配した事か」


 そう言って口を尖らせた吉乃だったが、ふっと息を吐いて「でも」と言葉を続けた彼女は優しい笑みを湛えていた。


「今日私が学校を休んだのは、他の何が理由でもなく私がそうしたかったからです。気持ちの整理にもう少し時間が欲しかったのも事実です。それにもう少し……いえ、少しわがままになってみようと思ったんです」

「そうか」


 しばらくは借りが増え続ける生活が続くなと内心で苦笑した響樹だが、それも悪くないなと思えてしまう。

 以前借りを返そうと吉乃の希望を聞いた時、彼女はそれがわからないと困っていた。だが今後はきっと、吉乃の中でしたい事やしてほしい事が生まれてくるのだろう。それを聞いて応えるのが楽しみだった。


「それでは、まずは勉強から始めましょうか。2週間分の遅れをこの土日で全部取り戻しますよ」

「……スパルタじゃないか?」

「もう1週間で冬休みですよ? 二年次のカリキュラムも始まっている段階ですし、通常授業の遅れを残してはおけません」

「まあ……」


 先の事など一切無視していた響樹だったが、十二月からは授業範囲が次の学年分に進んでいる。そしてそれは響樹が丸々サボった授業である。

 冬休みは一年次の総復習に休み明けから本格化する二年時のカリキュラムの予習とする事は多く、吉乃の言うように今は授業の遅れを残しておいていい時期ではない。しかしそれにしても土日の2日間で全てを終わらせるのは厳しいと思うのだが――


「天羽君ならこのくらいは簡単にできると思っていましたけど、考えを改めないといけませんか?」


 笑顔の吉乃がわざとらしく小首を傾げて響樹に視線を送ってくる。

 響樹(自分)の扱いをよくわかっているなと苦笑が漏れるが、わかってくれているのだなと嬉しくも思った。


「十分に決まってるだろ。2日あれば余裕だ」


 簡単にできる、余裕。流石にそこまでではないと思っているが、少なくとも吉乃は響樹ならできると思ったからこそ口にした言葉だろう。

 ならばそれを裏切る訳にはいかない。


「それでこそ天羽君です」


 胸元で両の手のひらを合わせた吉乃は楽しそうに笑い、クッションを持って立ち上がり響樹の左隣に腰を下ろした。

 少し甘い花の香り、そんな吉乃の香りを昨日誰よりも近くで散々感じた事を思い出し落ち着かない。


「勉強を見るなら隣の方がいいですからね」

「……家庭教師か?」

「そのようなものだと思っていただければ」


 ふふっと笑った吉乃が「それでは英語からですね」と自身の鞄から勉強道具を取り出すので、響樹も机から筆記用具とノートを持ち出し、もう一度彼女の隣に腰を下ろした。


 落ち着かないと思ったはずの吉乃の隣は何故だかとても居心地がよく、時に響樹を子ども扱いするように褒める笑顔の彼女に反発してみせながらも、その時間は何物にも代え難かった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 真面目な吉乃を休ませてしまったのは、本来なら歓迎すべきでない事ではないかもしれないが、これは嬉しい。 何を着ても似合いそうな吉乃に、二択でスカートと答えた響樹。吉乃としては答えてもらえて…
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