27話 勉強中の糖分摂取
「天羽君。明日は土曜日ですけど、どうしますか?」
「あー、もう土曜か。まあ予定も無いしまたよろしく頼む」
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って目を細めた吉乃を見て思う、今週はだいぶ過ぎるのが早かったなと。もちろん月曜が祝日だった事も関係しているだろうが、集中して過ごした事が大きな理由なのは明白だった。
そして集中できた理由は間違いなく、目の前にいる優秀で美しい少女のおかげだ。
吉乃と放課後の勉強会を始めて数日ではあるが、響樹は自身の勉強効率の上昇を自覚していた。授業終わりから開始なので一緒に勉強ができる時間は長くても2時間程度なのだが、そこの集中力がまず違う。
それに加えてやはり響樹自身が負けず嫌いな性格をしているためか、負けていられないなという気持ちも強くなり、帰宅後の勉強にも精が出る。
「土曜は昼飯食ってから図書室か?」
「ええ。お弁当を食べてから、少しだけ間を開けて勉強開始ですね。大体平日の昼休みの終わり時間くらいからでしょうか」
「了解。じゃあその頃に行く」
「お待ちしています」
◇
そして約束の昼食後、いつも通り静かに勉強している吉乃の正面に座ると、彼女は顔を上げてやわらかな微笑みを浮かべた。
「今日もよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
交わす挨拶はそれだけ。そしてここからは無言の勉強タイム。
集中している中でもシャープペンを走らせる音やページをめくる音が聞こえる事があり、そのたびに吉乃の集中や真剣さを感じ取れて活力に繋がる。
視線を向けてしまえばきっと多少は目を奪われてしまうと思っているのでやめているが、この時間と音が心地良かった。
そうやって勉強を進めていたのだがやはり集中力が増しているらしく、少しキリのいいところまで進めたところで机に置いた腕時計に目をやると、既に2時間の経過を示していた。
(ほんと時間経つの早いな)
軽く首を倒して伸ばしながら正面の吉乃を見ていると、ちょうど彼女の方もペンを置くところだった。
ふうと小さく息を吐いた吉乃とぴったり目が合うと、彼女は少し恥ずかしそうに目を伏せた後、「見ましたか?」と上目遣いの視線を送ってくる。
「ちょっと休憩しようと思って顔上げたらたまたまだ。ずっと見てた訳じゃない」
そもそもそんな事をしていては響樹の集中力はガタガタになるだろう。
吉乃は「そうですか」と僅かに口を尖らせていて、何をそんなに不満に思っているのかと不思議になる。
「見られて困るような顔してないだろ」
「……気を抜いた姿でしたし、それに、そういう事を言われるのは困ります」
「ん?」
一瞬何かを言おうとした吉乃は開いた口を噤み、そしてふいッと顔を逸らして呟くような声を発した。
不意の気を抜いた姿を見られた本人は恥ずかしがっているが、それでも絵になるなと響樹は思った。もちろん口には出せないが。
「……私も休憩にします」
「なんか悪いな」
「いえ、時間的にもちょうどいいですよ」
邪魔をしてしまったかと思ったが、吉乃が圧の無いニコリとした笑顔を見せるので響樹としても安心して肩の力を抜いた。
「流石に土曜は普段も休憩入れるのか?」
「そうですね。4時間くらいの長丁場ですから」
「まあ授業四つ分だしな」
授業であれば間に10分ずつの休憩が三つ入る計算になる。それを考えると本当に集中している事を改めて自覚し、吉乃との勉強会効果の凄まじさに苦笑が漏れる。
「そう言えば、休憩って言ってもどうするんだ? ここじゃ飲食はできないだろ?」
「そうですね。自販機コーナーまで歩いて何かを買って、というようにしていますね。歩く事でリフレッシュにもなりますし」
「なるほど。いつも何買うんだ?」
「……苺牛乳を」
どこか気まずげに顔を逸らす吉乃に苦笑が漏れてしまい、彼女から恨めしげな視線を向けられる。
「何か言いたい事があるのならはっきりと言ってください」
「なんでそんなに言いにくそうにするのかと思っただけだ。他意がある訳じゃない」
「言っておきますけどね、勉強の途中で糖分を摂取する事は効率に影響するんですよ」
きっと苺牛乳が好きなのだろうし、勉強を頑張る事へのご褒美的な側面もあるのかもしれないと考えてしまう。それを隠したいのか、少しムキになる吉乃が可愛らしいなと思って頬が弛む。
だが吉乃はそんな響樹の表情がご不満のようで、僅かに染めた頬を膨らませていた。
「まあでも、言う通りだな」
響樹はそんな吉乃に肩を竦めてみせ、鞄から財布を取り出して立ち上がる。
「いつもみたいに俺が先に行ってるから、ちょっとしたら来てくれ。自販機付近に人がいたら俺は適当なとこに逃げてるから」
「……わかりました」
不満、というよりは少しバツの悪そうな吉乃にひらひらと手を振り、響樹は彼女に見えないように苦笑して図書室を出た。
◇
響樹たちの高校には飲み物の自販機が二ヶ所設置されている。内一つは運動部の部室付近にある彼ら向けの物で、スポーツ飲料などが多く売られているらしい。
そしてもう一ヶ所が昇降口付近にある物で、一般の学生はこちらをメインに使う。響樹が今飲み物を買ったのもこちらの自販機。
流石に半日授業の土曜、この時間に校内に残っているのは部活動に励む者がほとんどなので校舎内ではほとんど人とすれ違わなかった。図書室もそうだったが、自習室も平日よりは利用者が少ないのだろうと推測できる。
(これならここで待ってても問題無さそうだな)
そんな事を考えながら周囲を見渡してみると、階段の方から人目を引く女子が歩いて来るのが見えた。
頭に本を乗せていても問題無さそうなほどに綺麗な姿勢、僅かに揺れる濡羽色の長髪、そして誰もが見惚れる端正な顔に穏やかな笑みを浮かべて歩いて来るその人物を間違えようなど無い。
吉乃はそのまま自販機の前で歩みを止めると、響樹に向かって笑顔で会釈を見せた。
猫被りだとわかっていても息を飲みそうになる。
「この辺今誰もいないから」
「そうですか」
吉乃はホッとした様子を見せて自販機に向き直り、財布を取り出した。
「買う前に、これ」
「……苺牛乳」
響樹が差し出したピンクの紙パックを見つめた吉乃がぽつりと声を出し、今度は顔を上げて響樹に対して首を傾げる。
「糖分補給しようと思ったら間違ってもう一個買う羽目になった。流石に二つは飲めないから貰ってくれると助かる」
「……もう少し、上手な言い訳を考えた方がいいと思いますよ?」
ほんの少し眉尻を下げた吉乃の笑みは優しいもの。
「その辺は気にしないでくれ。効率的な休憩を教えてくれた礼みたいなもんだ」
「それもどうかと思いますけど。でも、いただきます。ありがとうございます、天羽君」
そう言って腰を折った吉乃は、響樹が片手で差し出した苺牛乳を両手で丁寧に受け取り、近くにある椅子に座るまでずっと両手を離さなかった。