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あまのじゃく

「言い辛いのですけど」


 いつものように吉乃の家を訪ね、一緒に勉強をし、昼食をともにしソファーで食後の休憩をしている最中、やはりいつものように彼女が響樹の肩に頭を預けた。触れてよい、触れてほしいという合図であるので、響樹は遠慮無く濡羽色の髪に手を伸ばした。

 そのまましばらく至上の手触りを堪能させてもらっていると、吉乃が言葉通り言い辛そうに口を開いた。眉尻は大きく下げられ、申し訳なさそうな視線が響樹へと向く。


「何かあったか?」


 響樹にも影響のある何かしらの良くない事があったのだと推察は出来るが、それが何かは分からない。ただ、何があろうと自分は吉乃の支えになるのだという事はとっくに決めている。

 手を離して体ごと吉乃に向けると、彼女は一瞬目を伏せてからもう一度響樹を見据えた。つい今まで響樹が触れていた、彼女自慢の艶めく髪を一房持ち上げながら。


「髪を、切ろうかと思っています」


 吉乃が月に一度の頻度で髪を整えている事は知っている。しかしそれをわざわざ改めて響樹に言わないだろうし、何より「言い辛い」などとは表さないはずだ。

 思っていたのとはだいぶ違う内容だった事もあるが、伝えられた内容は重く響く。何か言わなければと思っても、短い単語を発するのがやっとだった。


「……了解」


 吉乃の髪は彼女のもので、こちらはただ触れさせてもらっているだけ。短くしようがどうしようがそれは吉乃の自由であり、そもそも本来は事前に了解を得るような事ではない。これから先気温も上がってくるし、そうでなくとも長く美しい髪は維持に苦労するはずだ。男の響樹でさえも髪が伸びれば少し面倒になるくらいなのだから。

 そして何より、自身自慢の髪を短くする事は吉乃にしてみても相当な決断であったはずだ。


「切らない方がいいでしょうか?」

「いや……吉乃さんが切りたいなら……切った方が、いいと思う」


 少し不安げに瞳を揺らした吉乃に向けて、言葉を絞り出した。

 もちろん本心である。吉乃の意思が何より大事なのだから。だがしかし、切ってほしくないという気持ちもやはりあるのだ。


「本当に?」

「本当に、だ」


 上目遣いで小首を傾げる仕草が可愛らしい。表情も、どこか小悪魔を思わせる。


(あれ?)


 気付けば吉乃の透き通るように白い頬が少し緩んでいて、不安な様子はまるで見えなくなっていた。


「……顔がそうは言っていませんけど?」


 浮かべられた妖しい笑みに見惚れそうになっていると、吉乃のしなやかな指が響樹の頬を優しく撫でた。


「響樹君は私に髪を切ってほしくない訳ですね」

「……騙したな」

「ええ」


 響樹の頬に触れて少しのくすぐったさを与えたまま、吉乃はふふっと笑ってほんの少し首を倒す。


「響樹君。今日が何月何日か分かりますか?」

「分かるに決まってるだろ。四月……あー」


 四月一日(エイプリルフール)。嘘をついてもいいと言われる日である。季節のイベントを楽しみたがる吉乃からすれば、今日は絶好の日だったという訳だ。


「あー、悔しい」


 まんまと騙された事は悔しいのだが、目の前の吉乃が満足げな笑みを浮かべながら響樹を見つめている。彼女が楽しそうにしていると響樹も同じ気持ちになれてしまうのだから、まるで悪い気はしない。


「してやったりって顔だな」

「そうですね。ここまで上手くいくとは思いませんでした」


 くすりと笑った吉乃が響樹から手を離すので、逆に響樹が吉乃のしたり顔に手を伸ばし、やわらかな頬に触れる。くすぐったそうにほんの少し肩を竦めながら、それでいて嬉しそうに綻んだ頬にそっと指を沈ませると、至福の感触がここにもあった。


「言われた内容が内容だったからな。正直焦った」

「中々新鮮で可愛かったですよ」

「嬉しくないんだが」


 四月一日の小さな嘘だ。もちろん恋人として男として、吉乃の記憶にはカッコいい自分を残してほしい。ただ、可愛い――らしい――響樹も彼女は見たいと言っているのだから、そちらを引き出されるのも悪くないなと今は思う。


「ではカッコいい、で」

「嘘だろそれ」

「嘘ではありませんよ」


 いたずらっぽく笑った吉乃であったが、響樹の指摘に対しては落ち着いた笑みを浮かべて首を横に振った。


「私に髪を切ってほしくないのに、私の意思を尊重して切るべきだと言ってくれた響樹君はカッコよかったですよ。大切にされているなと、とても嬉しかったです」

「……大切だからな」

「はい。嬉しいです」


 そう言ってそのまま響樹に体を寄せ、吉乃が胸に顔を埋める。


「抱き締めないでほしいです」

「吉乃さんが嫌がるなら抱き締めないとな」

「酷い彼氏ですね、響樹君は」

「髪も触らない方がいいか?」

「ええ。絶対に触らないでください」


 甘く囁くような声とほぼ同時に手を伸ばし、そっと触れた。サラサラの髪を梳いて頭を撫でると、腕の中の吉乃が小さく体を震わせてくすりと笑い、顔を起こした。

 響樹の方も頬の弛みを自覚しており、吉乃と顔を見合わせてお互いに表情を崩す。


「響樹君は今何をされると困りますか?」

「そうだな――」


 ()()()を考えて伝えると、「困らせてあげます」と吉乃は楽しそうな笑みを響樹へと近付けた。

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