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烏丸吉乃の弱点

「え……マジ?」

「化け物か」


 期末試験の結果が貼り出され、教室の話題は順位表の右端にいる人物一色。

 昼食もとらずに掲示板に走ったらしいクラスメイトが興奮気味で帰って来て彼女の点数を口にして以降数分、ずっと。


 今回の試験では吉乃が一位に返り咲くだろうという見方が大勢であったため、実際に一位の名前に驚きはなかったのだろう。しかしその点数に驚かなかった者は誰一人としていない。

 誰一人としていないのだが、点数が誰の予想よりも高かった、あまりにも。


「580点て実質全教科満点だろ」

「だな。うちの試験でそれは人間じゃねえ」

「と言うか女神」


 そして声は静かな驚愕から賞賛へ変わる。そんなクラスメイト達を尻目に、海は箸を止めて少し軽薄な笑みを浮かべた。


「で、その女神様の彼氏としてはどうなんだ?」

「そうだな……俺としては女神と言うより天女の方が吉乃さんのイメージに近いと思う」

「……何の話だ」


 響樹としては女神と聞くとどうしても西洋の方が思い浮かぶ。髪はキラキラ輝く金の色をしているイメージで、吉乃の艶やかで美しい濡羽色の髪とは印象が異なる。

 だからこその発言だったのだが、呆けたような海の表情で響樹は我に返る。級友達が吉乃を褒める声のおかげか、どうも少し浮かれていたらしい。


「いや、まあ……忘れてくれ」

「聞いてるこっちが恥ずかしいわ。見ろ。隣だって困ってるだろ」


 小声だったためか未だ吉乃への賞賛が収まらないクラスメイトの多くには届かなかったようである。しかし隣で昼食をとっていた女子四人組はしっかりと響樹の発言をキャッチしたらしく、海に言われて目を向けた響樹を見て全員が全員曖昧な笑みを浮かべた。

 そんな状況の中で顔を見合わせた彼女達を代表してか、四人の中では最も響樹と話す事の多い岡崎があははと困ったように笑ってから口を開く。


「天羽君の惚気は破壊力高いよね」

「別に惚気てるつもりは……ないんだけど」

「だからこそ、こう、本心がこぼれたって感じ?」


 響樹が吉乃に対して口にする事はからかいや誤魔化しを除けばその全てが本心だ。自分でもわかっているのだが、先程の発言を聞かれたばかりではそれを肯定する訳にもいかず口を噤むしかない。

 女子達は岡崎の発言に「わかるー」などと同意を示し、それまでの困惑が嘘のように楽しげな会話を始めている。それが余計に気まずい。


「本心なのか?」

「……ノーコメント」

「言ったようなもんだろそれ」

「うるせえ」


 ニヤケ面の海とのこんなやり取りも岡崎達を楽しませる材料になったらしく、以前は目付きと不愛想さで少し怖がらせていたと思うのだが、今あるのは呆れと温かさが半分といった視線。


「あの天羽君がこんなになるなんてねー。誰も想像できなかったと思うよ」


 岡崎の発言に他三人の女子もうんうんと首を縦に振っている。響樹としても完全に同意見ではあるのだが、それでも言葉の帰しようがなく視線を海の方へと逃がす。

 しかし逃げた先にいるのも敵である。


「こいつ多分、みんなが烏丸さんの事褒めるから嬉しくて浮かれてたんだよ」

「お前余計な事言うな」

「余計な事だけど違いはしないんだな」


 墓穴を掘ってこちらでも何も言えなくなった響樹がまたも視線を逃がすと、そちらにはニマニマとした顔が四つ。逃げ場はないらしい。

 相手が男子であれば飛んでくるのは素直な罵倒であるし、響樹も雑な対処で済むのだが、恋バナの匂いを嗅ぎつけた女子というのは厄介である。


「烏丸さんて凄い綺麗だよね。スタイルもいいし、脚めっちゃ長いし」

「それであの成績だしね」

「しかも運動もできる」

「……やめてくれ」


 海の発言を受けてだろう。女子組は吉乃をほめちぎりならが響樹の反応を見ては楽しんでいる。

 響樹としてもそれはわかっているのだが、彼女達が吉乃を褒める内容や口調に嘘が無い事もわかる。故にからかうためだけの発言でない事がわかってしまい、無反応ではいられない。


「そういや響樹。烏丸さんて何か苦手な事あるのか?」

「ん? 多分無いと思う」


 流れを作った海だったが、岡崎達が既に響樹を滅多打ちにして楽しみ始めたのを見てか、苦笑を浮かべながら助け舟を出してくれた。


「あったとしても、吉乃さんが苦手なままそれを克服しないはずが無いだろうからな」


 吉乃生来の能力全般が高い事を響樹は誰よりも知っているが、彼女がそれ以上に努力家な事はもっとよく知っている。


「お前さあ……」

「いやほんと、本心がこぼれてるね」

「あ……」


 結局、響樹は昼休みいっぱいからかいを受ける事になった。



「そう言えば、吉乃さん何か苦手な事ってあるか?」

「少なくとも経験のある中で苦手な事はありませんね」


 優月をはじめとした三組の女子に試験のご褒美と称して連れ出された吉乃を迎えに行った帰り道、尋ねた響樹に対して吉乃は少し考えてから何でもないようにそう口にした。

 返答はやはり予想通りで「流石」と絡めた指に少し力を込めると、吉乃は「ありがとうございます」とはにかみを見せる。


「でも、急にどうしたんですか?」

「試験の結果貼り出されただろ? で、その後の昼休みに吉乃さんて何でも出来るよなって話が出てさ。それで弱点とかあるのかなって」


 まだ少し照れた様子を覗かせながら首を傾げた吉乃は可愛らしかったのだが、響樹の言葉を受けて目を丸くした。そうかと思えばふいっと顔を正面に戻して僅かに伏せる。


「弱点……昼休み……」


 どうしたのかと思って顔を向けた響樹の前で、吉乃は一部の単語を反芻し、頬を染めた。かと思えば恨めしげな視線が響樹に戻って来る。


「ええと?」

「……ありましたよ。私の弱点」


 歩みを止めぬまま、吉乃はじいっと響樹に視線を繰り続け、呟くように口にする。

 今の会話で機嫌を損ねた訳ではないと思うのだが、どうも吉乃が思い至った弱点は響樹に関係しているのだなと予想がついた。


「因みに聞いてもいいか?」

「もうずっと、答えは伝えています」


 朱に染まったままの顔で口を尖らせ、ほんの少し眉根を寄せて不満げな顔を作りながら、吉乃はじっと響樹を見つめている。そんな可愛らしい顔を近付けて来るのだから、人目のある屋外でなければ理性のタガを外していた自信がある。


「……俺?」

「正解です」


 外聞のおかげで保った理性で答えを導き出すと、吉乃は不満げな顔を解いてニコリと笑う。のだが、その笑顔からは威圧感が滲み出ている。


「今日の昼休み。響樹君は何を言っていましたか?」

「あー……覚えてないな」

「優月さんにからかわれて私がどれだけ恥ずかしかったか」


 恐らく海から優月を経由したのだろう。あれを知られてしまったのは響樹としても恥ずかしい。

 視線を逸らすと吉乃が握った手に力を入れた。恋人としてのふれ合いではなく、お仕置きの意図を感じる強さである。


「……いやまあ、悪いなとは思うんだけど。本心がこぼれるらしい」

「だからそういうところです。響樹君がそんなふうだから……」


 軽く頭を下げると熱を増した顔の吉乃の手が少し緩み、いじけたような上目遣いの視線が向く。


「そういう本心は、二人だけの時に言ってください」

「努力します」

「本当に……ただでさえも響樹君の事が好きでそれが弱点になっているのに、増やさないでください」


 やはりいじけたように口を尖らせる吉乃が大変に可愛らしく、響樹は素直に「ごめん」と口にしてから、「だけど」ともう一度口を開く。


「今の吉乃さんの発言も大概だと思うぞ」

「本心ですし、二人だけですから」


 そう言って吉乃は目を細め、自慢げに笑った。


「……俺にも特大の弱点があったみたいだな」

「何か聞いてもいいですか?」

「わかってるだろ」

「さあ、どうでしょう?」


 くすりと笑い、吉乃は響樹に腕を絡める。

 何度も何度もしている事なのにこうも心臓が高鳴るのは、やはり特大の弱点だからなのだろう。

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