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126話 想いを馳せる日々

 ダイニングテーブルからソファーへと場所を移し、互いに隣り合って腰を下ろす。いつものようにぴったりくっつく訳ではなく、少しだけ離れて。

 その理由は吉乃が抱える横長の箱。白いラッピングにピンクのリボンが結われていて、大変可愛らしい見た目をしている。


「受け取ってくれますか?」

「当たり前だろ。そこまで見せてくれないって言われたら奪い取るとこだぞ」

「もう……」


 上目遣いの吉乃にくださいと両手を突き出すと、彼女はふっと笑んで頬を緩めた。


「はい。受け取ってください」

「ああ。ありがとう」


 差し出した両手の上に、優しく微笑んだ吉乃が箱をそっと重ねた。


「開けていいか?」

「ええ」


 逸る気持ちを抑えリボンを解いて折り畳み、ラッピングを丁寧に剥がす。元々こういう時は包装を破きたくない性格であるが、今回に限っては絶対に破きたくない。

 そんな気持ちのまま無事包装紙までを折りたたんでふっと一息をつくと、隣の吉乃が温かな視線を送ってきていて、「大切にしてくれて嬉しいです」と顔を綻ばせていた。


「大切な物だからな」

「ありがとうございます」


 宣言し、ふふっと笑った吉乃に見せるように箱を開くと、ほのかに甘いチョコレートの香りとともに現れたのはココア色をした球形のトリュフチョコが八個。

 響樹がそのまま一つを摘まんで口に放り込むと、ほとんど咀嚼もしていないのにちょうどよい甘さが口の中で溶けていく。気が付いたら二個目を口に放り込んでいた。


 そして三個目に手を伸ばしたところで、箱の中に二又に別れたプラスチックのフォークを見つけて「あ」と声を漏らすと、吉乃が「もう」と眉尻を下げながらくすりと笑う。

 相変わらず、吉乃の作ってくれた食べ物を前にすると歯止めが利かなくなりがちで、響樹としては気恥ずかしい限りだ。しかし吉乃の方は嬉しそうに頬を緩め、そっと響樹の指をウェットティッシュで拭き取ってくれた。


「ちゃんと使ってくださいね」

「ああ、ありがとう。夢中になるくらい美味かったって事で」

「はい。それは十分伝わってきました」


 フォークを手渡してくれた吉乃に照れ隠しで笑うと、彼女は優しい笑みを浮かべる。


「ほら、吉乃さんも一つ」

「私は味見をしていますから。全部響樹君に食べてほしいです」


 フォークで刺して口元へと運ぶと、吉乃は小さく首を振って響樹の手からフォークを奪い、逆にこちらへと差し出す。


「今更恥ずかしいなんて言いませんよね?」

「結構恥ずかしいぞ」

「私にはしようとしたくせに」


 可愛らしく口を尖らせる吉乃がずいっとトリュフを差し出すので、響樹は観念して口を開く。優しくふふっと笑った吉乃がそのままゆっくりと手を進め、響樹の口の中には三度甘さが広がる。心なしか先ほどよりも甘い気がしたが、気持ちの問題だろう。


「美味い」

「ではもう一つどうぞ」


 表情を崩したままの吉乃が四つ目のトリュフにそっとフォークを突き刺そうとする手を止め、「そんなに急いで食ったら勿体無いだろ?」と自分の行為を棚上げするような事を伝えた。

 細い手首を掴まれた吉乃は丸くした目を再び細め、「仕方ありませんね」とフォークから指を離し、そのまま響樹と指を絡める。


 言葉を交わさずただ見つめ合っていると、いつの間にか吉乃の瞳に吸い込まれるように顔が近付いている事に気付く。彼女の方も同様だったらしく、可愛らしいはにかみを見せた後、ゆっくりとまぶたが下ろされた。

 かすかな吐息を感じながら唇を重ね終えると、ふふっと笑った吉乃が「少し甘いです」と囁くように告げる。


「お裾分けって事で。これなら俺が全部食べても吉乃さんも味わえるだろ?」

「名案ですね。あと五個もありますから」


 僅かに口角を上げた吉乃が再びフォークを摘まみ、そっと響樹の口へと運んだ。


 勿体無いなどと言ったくせに、残りの五個はあっという間に響樹の口の中へ溶けていった。



 空になってしまった箱を眺めていると、響樹の肩に頭を預けた吉乃がくすりと笑った。


「また作りますから」

「バレンタインは1年に一度だろ?」


 もちろんまた作ってほしい。本音を言えば今すぐ食べたい。しかし今回のチョコレートが響樹のためだけに作られた物で、普段吉乃が趣味で作る物よりも手間暇だけでなく材料費もかかっている事は間違い無いだろう。流石にねだる訳にはいかない。

 それにやはり、味だけでなくバレンタインという特別な日に貰ったチョコレートだという感慨も大切にしたいと思えた。


「来年の楽しみにしとく」

「毎年ハードルが上がっていきそうですね」


 口では困ったように言いながらも、吉乃は楽しみだというふうに笑ってみせながら体を起こし、「でも」と響樹に優しい視線を向ける。


「その前に響樹君の誕生日がありますから。ケーキを楽しみにしていてください」

「ああ、楽しみにしてる」

「どんなケーキがいいですか?」

「気が早いだろ」

「そんな事はありません」

「じゃあ吉乃さんは次の誕生日、ケーキどんなのがいい?」


 吉乃は響樹の質問を予測していたのか、ふふっと笑って得意げな顔をしてみせた。


「またブッシュ・ド・ノエルがいいですね」

「それはクリスマスケーキだろ?」


 しかし響樹だって吉乃の返答は予測済みだ。同じように得意げな顔で笑いかけると、吉乃は大きな瞳をぱちくりとさせる。


「今年からは二回やるぞ。誕生日とクリスマス、別々で。だからケーキも二つだ」

「……太ってしまいますね」


 吉乃はほんの少し眉尻を下げてくすりと笑い、「楽しみにしています」と顔を綻ばせる。


「その後は、今度こそおせち料理を作りたいですね」

「だから気が早いって」

「楽しみなんですから、仕方ありませんよ」

「そりゃそうだけど、春から秋のイベント全部飛ばしてるだろ?」

「あ」


 すっかり忘れていたようで、吉乃は苦笑を浮かべる。


「そうですね。春はまず、お花見でしょうか?」

「その前にホワイトデーがある」

「それは今から期待をしておかないといけませんね。響樹君の事ですから、きっと素敵な日にしてくれるでしょうし」


 少しいたずらっぽい笑みを浮かべた吉乃に「ハードル上げるなよ」と釘を刺しつつ頭を撫でると、彼女は「無理な相談です」と楽しそうに笑う。


「夏は花火大会やお祭りでしょうか?」

「そうだな。秋は、何がある?」

「ハロウィンなんてどうでしょうか? お菓子を作りますよ」

「ああ、いいな」


 あわよくば何かしらの仮装をしてほしいもので、どんな衣装が似合うだろうかと吉乃のつま先から頭のてっぺんまでを眺めると、彼女が眉根を寄せた。


「今何か、やましい事を考えませんでしたか?」

「よくわかるな。考えてた」

「もうっ」


 ぷいっと顔を逸らした吉乃の髪を梳きながら「ごめんごめん」と謝ると、彼女は「もう少し続けてくれないと許しません」と、わざとらしく作った不機嫌な顔を崩した。


 しばらく髪に触れ続けているといつの間にか不機嫌な演技を忘れたようで、吉乃がふふっと上機嫌な笑みをこぼした。その表情は何かが待ち遠しいといったふうで、とても楽しそうに映る。


「楽しいな」

「ええ」


 具体的な事は何も話していない。ただ今年1年のイベントをつらつらと並べて、予定を立てる訳でもなく一緒に楽しもうと話しただけ。それなのに、既に心が躍っている。もちろん吉乃と一緒に様々な事を楽しむのは間違いないのだが、それが待ち遠しいだけかと言われるときっとそうではない。

 これから過ごす吉乃との日々に思いを馳せると、もうそれだけで響樹は幸せでならないのだ。そしてそれは吉乃も同じだと、見つめ合った彼女の顔がそう言っている。


「響樹君」

「ん?」


 静かな声で名前を呼んだ後、吉乃はそっと右の手のひらを差し出した。


「ああ」


 左の手のひらを差し出して重ね、互いに指を折り、ゆっくりと絡める。

 白く細い、力を入れれば壊れてしまいそうな愛おしい指に、吉乃が少し力を込めた。


「今言ったイベントは、今年だけではありませんよ?」

「ああ。これから毎年。それに、言った以外の事もだ」


 指に少し力を入れ返した響樹に、吉乃が満面の笑みを返す。

 たったそれだけでたまらなく愛おしくて。たったそれだけでもう、吉乃と過ごすこれからに馳せた思いがあっという間に膨らんでいく。


「これからもよろしく。吉乃さん」

「はい、こちらこそ。よろしくお願いします、響樹君」

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