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115話 アンフェア

『烏丸です……天羽君、でいいかな?』


 呼び出し時間の短さもそうだが、少し間を置いて付け加えられた言葉も響樹の電話を待っていた事を示している。

 そんな事も相まって、声の質はもちろん口調も違うのにどこか外行きの吉乃を彷彿とさせる落ち着いた声に、電話の向こうの人物が彼女の父なのだと改めて確信を抱いた。


「はい。天羽響樹と申します。夜分にお電話致しまして申し訳ありません」

『いや。こちらから頼んだ事だから気にしないでほしい。高校生の君に気を遣わせてしまって、こちらこそ申し訳ない』


 ただの定型句のつもりだったのだが、宗介は丁寧口調で言葉を返す。第一声から感じていたが、響樹が宗介に抱いていた印象とはだいぶ違う。

 吉乃が今でも好きでいる彼女の父を信じたいと思っていた。しかしどうやら宗介の事は吉乃を深く傷つけた憎い相手だとも考えていたようだと今更ながらに気付き、響樹は自分の額に軽く拳をぶつけた。


『電話をくれてありがとう。料金もかかるだろうから折り返させてもらうよ』

「別にこのまま……いえ、ありがとうございます」

『ああ、それでは』


 響樹としては早く本題に入りたかったが、自制して宗介の厚意に従っておく事にした。

 先ほど気付いた宗介への敵意もそうだが、どうも今の自分には焦りがあるらしいと自覚し、スマホの着信に目を落としながら響樹は大きく吸い込んだ空気を吐き出した。


「はい、天羽です」

『烏丸です。当然、天羽君もわかっている事だと思うが改めて、吉乃の父、烏丸宗介(からすまそうすけ)です』

「……はい」


 わかってはいた。だから電話をしたのだ。しかし相手の口から直接伝えられた言葉は重く響く。


『まずは先ほども言った事だがありがとう。そして、申し訳ない』


 響樹の情報を調べた事、本来は約束を取り付けた上で自分から出向くべきだった事など、響樹の父と近いであろう年齢の大人から丁寧な詫びの言葉が続く。真摯な態度であると、そう思った。


『さて。今日天羽君と話をさせてもらいたいと思ったのは、すでにお察しの事だろうが娘についてだ』

「はい」

『こちらについても、まずはありがとう。娘が大変お世話になっていると報告を受けているよ』

「吉乃さんとは……年末からお付き合いをさせていただいています。お世話になっているのは僕の方です」


 宗介から見えはしないが、響樹は背筋を伸ばして胸を張った。

 ふっと吐き出された息の後、『そうか』と穏やかな声が返って来る。


『娘は、元気でやっているかな?』

「はい」

『そうか……安心したよ』


 思わず声の出そうになった口を閉じ、響樹は奥歯を噛んだ。

 穏やかなままの宗介の声に含まれた安堵の色。吉乃の事を案じている様子がわかるのだが、それならば何故と握った拳に力が入る。


『学校では、どうかな?』

「仲の良い友人もいますし、充実した学校生活を送っていると思います」


 どうしてと、疑問と怒りが湧く。互いの立場だけを考えるなら、宗介の質問はごく普通のものだ。親が娘の友人に対し自分からは見えない娘の様子を尋ねるという、ありふれた行為。吉乃を大切に思う普通の親ならばだ。

 その後も宗介は響樹に吉乃の近況を尋ね、そのたびに安堵や喜色を声に滲ませた。だからこそ響樹の中では、それならばどうしてという思いが更に膨らむ。


「吉乃さんに、連絡をしてあげてください」

『やはり……知っていたか』


 宗介の質問が途切れたところで口にした響樹の言葉には、どこか自嘲気味な声が返って来た。


『ある程度年をとると何となくわかるものでね。天羽君には緊張や警戒というよりも、こちらを窺う様子があったからね』

「はい。失礼ですが、ご家庭の事情は吉乃さんから伺っていました」

『気にしないでほしい。すまないね、巻き込んでしまって』

「巻き込まれたとは思っていません。吉乃さんの事は、僕にとって何より大切です」

『娘は……君に心を許しているんだな』

「そうしてもらえる自分でありたいと思っています」


 今現在そうである自信はある。そしてこれからもずっとそうであり続けたいと思うし、あってみせるのだと響樹はまた胸を張る。


『……やはり、君だったんだな』

「どういう、事でしょう?」

『いやすまない。こちらの事だ』


 呟くような声に尋ね返したが、ふっと吐き出された息の後で返って来た穏やかな声は質問に答えてはくれなかった。ただ、代わりに響樹の一番聞きたかった言葉が届く。


『娘には連絡をしておくと約束するよ』

「ありがとうございます」


 自然と頭が下がった響樹に聞こえたのは深いため息。


『自分の娘の事で、交際相手の君にこんなお願いをさせてしまった上に礼まで言わせてしまうとは……本当に、我ながら情けない限りだ』

「僕がしたくてした事ですので。それからもう一つ、お願いをしてもいいでしょうか?」

『何だろうか?』

「今日の電話の件、吉乃さんには伏せていただきたいです」

『……君の後押しがあったと知る方が娘は喜びそうな気がするんだが、どうだろう?』


 表面上はきっとそうだと思う。吉乃は響樹に感謝の言葉を告げ、可愛らしく笑うだろう。

 だが響樹は吉乃がどんな思いで宗介に連絡をしたか知っている。自分自身すら喪失した吉乃がどんな思いで孤独に耐えてきたかも、多少は知っている。吉乃の涙を知っている。


「吉乃さんはあなたに送るメールの文面を一生懸命考えていました。だから、それに応えてあげてほしいです。きっと吉乃さんはその方が喜びます」


 娘としての吉乃の思いに、宗介には父として応えてやってほしい。これは響樹の独りよがりで欺瞞だと、自分でも思う。だがそれでも、また自然と頭が下がる。


『わかった。君の厚意を、ありがたく頂戴しよう』

「ありがとうございます」

『礼を言うのはこちらの方だろう。君から罵倒の言葉を十や二十貰う事は覚悟していたというのに』


 電話の向こうから聞こえたのは苦笑い、だろか。


「正直なところを言えば、そういう言葉を口にしたいと思いました」


 いくらでも言ってやりたかった。どうして吉乃を遠ざけた。どうして吉乃の思いを無視し続けた。どうして吉乃を傷付けた、傷付け続けている。お前は親失格だと、そんな言葉をぶつけたくて仕方がなかった。


『だが君は言わなかった。どうしてかな? 私の機嫌を損ねたら吉乃と会わないと言い出すと思われたかな』

「それが一番大きな理由ですが、他にはフェアではないと思いました。吉乃さんがそれを言わないのに僕が言ってしまっては」


 吉乃は響樹に対し両親への恨み言は口にしなかった。今でも嫌いになれないと言いはしたが、文句の一つも無いという事はあり得ないだろうに、それでもだ。

 だからもしも吉乃が宗介にぶつけたい言葉があるとしたら響樹が先にそれを言うべきではない。吉乃が響樹に望んだのは背中を押す事であって、代わりに戦う事ではないのだから。


『フェアではない、か』

「はい。僕はそう思いました」

『耳の痛い話だ』


 何に対してなのかはわからないが、そのくらいは甘んじて受けてもらいたい。


『すまなかったね、長々と』

「いえ」


 乾いたような笑いの後、宗介の口調が穏やかなものに戻る。


『約束は二つとも守る。娘の事を、よろしく頼むよ』

「それは言われなくても、絶対に。あなたではなく吉乃さんに誓います」

『ああ。君ならそう言ってくれると思っていた。ありがとう、それでは失礼するよ』

「はい。失礼します」


 通話終了を確認し、少しの間止まっていた事を自覚し呼吸を再開し、大きく息を吐いてからそのまま体を倒した。硬い物にこつんと頭がぶつかる感覚の後、コート越しではあるが冬のフローリングの冷たさが伝わってくる。

 そうして今更ながら自分がマフラーを巻いたままだった事に気付き、慌てて体を起こした。


「温かいな」

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