112話 二人で楽しむ食事
吉乃に脳を蕩けさせられていたので感覚が狂っていたが、視界に入った腕時計は昼を少し過ぎた頃を示していた。
「昼飯何か食いたいものあるか?」
今回は予定していたデートではないのでノープランであるが、次からはしっかりと吉乃をエスコートしたいものである。などと考えながらちょうど一曲歌い終わった吉乃に尋ねてみると、彼女は「そうですね」と少し真剣な顔を見せた。
今日は可愛らしい顔ばかりを見せてもらっていたので、不意に覗く表情にドキリとさせられ、そんな自分に気付いて苦笑が漏れる。
(ベタ惚れってやつだな)
恐らくではあるが、何を食べたいかではなく響樹と一緒に何を楽しみたいかで考えてくれているのではないだろうか。
勉強中に見せる真剣な顔とは僅かに違う吉乃の表情に愛おしさが募る。
「……また子ども扱いを」
「違うって」
つい吉乃の頭に手を伸ばしてしまった響樹は、口を尖らせた彼女の恨めしげな視線に肩を竦めた。因みに今の表情になる前、僅かの間だけ目を細めて頬を緩ませた吉乃をしっかりと目撃している。
「もう」と諦めたように小さく息を吐いた吉乃は、優しい微笑みを浮かべながら響樹のするがままになっているが、しばらくそうしていた後で「あ」と呟いた。
「響樹君。私、あれがいいです」
「あれ?」
吉乃の視線は目の前のテーブルに注がれていて、つられてそちらを見た響樹の視界に入ったのはカラオケ店のフードメニュー。
「あれでいいのか?」
カラオケ店に限らずだと思うが、こういったフードメニューは専門店である食事処に比べれば質、量において劣る。
「あれがいいです。せっかくですからここで食べてみたいです。それに、まだ退店しなくても済みますからね」
ニコリと笑って首を傾けてみせる吉乃に「わかった」と頷き、響樹は腰を浮かせてフードメニューに手を伸ばした。
「一緒に見ましょう」
開いて渡そうとしたところ、ぴたりと吉乃が体を寄せる。
いつの間にか肩を寄せ合ってしまった以前のファミレスの時とは違い、意識してゼロ距離に来てくれた吉乃。わかりやすい関係性の変化が響樹に温かな気持ちを与えてくれる。
「ああ」
嬉しそうに笑いながら上目遣いを向けてくれる吉乃を真っ直ぐ見据え、響樹はしっかりと頷いてから二人の中間から少し吉乃寄りでメニューを開いた。
「意外にたくさんあるんですね」
「だな」
響樹もカラオケはほとんど来た事が無いので知らなかったが、ポテトや唐揚げなどの軽食を中心にメニューが豊富だ。未成年である響樹たちには関係無いが酒類やそのつまみから、ご飯メニューにデザートまで。
「響樹君はどうしますか?」
「俺は吉乃さんが決めてから決めるよ」
メニューに目を落とす吉乃が悩ましげに眉根を寄せていて、そんな姿がやはり可愛らしいと思っていた響樹は、その姿をもう少し見ていたいと思った。
「あ、ずるいです」
「ずるくないだろ」
もちろんただ自分の欲求に従っただけではなく、吉乃を急かしたくないとも思う。響樹が先に注文をしたら、彼女の事だから嬉しそうにしながら同じ物を頼みそうな気がするのだ。
それはそれで嬉しいのだが、せっかく初めて経験する事なのだし今回は響樹の他に待つ人物はいないので、メニュー選びの悩みも楽しんでほしいと思う。しかし――
「彼氏に、響樹君にリードしてほしいです」
計算された角度で首をこてんと倒し、そこから繰り出される潤みを帯びた上目遣い。完全にわざとのあざとい姿ではあるが、それが大変可愛いのだからずるいのはどちらだという話である。
ただ、わざとらしい仕草ではあるが口にした内容は間違いなく吉乃の本心だろうとわかる。二人一緒に楽しみたいと、それが彼女の望みなのだ。
「了解。可愛い彼女にそう言われたらしょうがないな」
「ええ。頼りになる彼氏がいて幸せです」
ふふっと笑って目を細めた吉乃が響樹の肩に頭を預け、「どれにしましょうか?」と声を弾ませた。
◇
「美味しいです」
軽食を中心に数品を注文して届いた細長いフライドポテトを一口齧り、吉乃は目を細めた。
冷凍食品である事は明白で、同じく齧った響樹としては吉乃の期待に応える味だとは思えないのだが、それでも彼女の発言に嘘が無い事はわかる。
「ああ、美味いな」
ファミレスすら経験の無かった吉乃である。こういったジャンクな品が珍しい事もあるのだろう。しかし、恐らくそれ以上に響樹と一緒に今日を楽しみたいという思いが、料理の味を引き上げているのだろうと思う。
同じ料理でも食事環境や心持ち一つで感じる味わいは違ってくるのだと、吉乃と食事をともにし始めてから響樹はこれでもかと思い知らされている。だから――
「吉乃さん。はい」
ポテトを摘まんで吉乃の口元へと運ぶ。小粒な豆とは違い細長いポテトには十分な持ち手があるため、彼女の唇に触れる事は無い。そのおかげで感じる羞恥は少なめだが、僅かに残念さも覚える。
「もう。仕方ありませんね」
呆れたように優しく笑い、吉乃は小さく口を開いて響樹の指からポテトを攫った。
シャープな顎が小さく動き、細い首の喉元が嚥下を窺わせる。そんな仕草が艶めかしい。
「次は何食べたい?」
「自分で食べられます」
「まあそう言わずに、はい」
「もう……」
ほんのり色付いた頬を僅かに膨らませる吉乃に、途中で崩れないようにとフォークで刺したたこ焼きを差し出せば何だかんだと言いながら彼女はまた口を開いてくれ、半分ほど齧る。中身のたこは無事口の中におさまったようだ。
「……美味しいです」
よく噛んでから嚥下し、吉乃は眉尻を下げて微笑み、残ったもう半分を口の中に含む。
「じゃあ次は……」
バランスを考えてサラダだろうか、サラダは食べさせづらいだろうか。
そんな事を考えていた響樹の口元に差し出されたのは細長いフライドポテト。根元を辿れば白くしなやかな指、そしてその先にはニコリと圧を感じさせる笑顔の吉乃。色付きを増した温かな頬が彼女の羞恥と喜びの証明だろう。
「私の番、ですよね?」
「……はい」
「どうぞ」
有無を言わさぬ吉乃に摘まんだポテトを加えると、満足そうに笑った彼女がゆっくりと指を離した。
「……美味い」
「それは良かったです。はい、では次です」
先ほど響樹がしたようにフォークで刺したたこ焼きが響樹の前に差し出される。
「一人で食べられるけど?」
「まあそう言わずに、はい」
「……はい」
愉快そうに笑いながら先ほどの言葉を返されてしまい、響樹としては逆らいようがない。
先ほどの吉乃と違い響樹が一口でたこ焼きを全て食べきると、彼女は「男の子ですね」とどこか嬉しそうに笑った。
「次は何が食べたいですか?」
「次は俺が食べさせる番だろ?」
「そんな決まりはありませんでしたよ?」
朱に染まった顔を可愛らしく傾ける吉乃。これ以上の問答はそのあざとい仕草に負けてしまいそうだったので、響樹は目についたポテトを一本摘まんで彼女の口元へと運んだ。
「もう、強引なんですから」
「リードしてくれって言っただろ?」
膨らませた頬からふっと空気を抜き、吉乃は眉尻を下げて優しく笑った。「今日は特別ですよ」と。
その後、結局ほとんどの物を食べさせ合い、だいぶゆっくりとした食事の時間を過ごした。
途中からは冷めてしまい、本来ならだいぶ味の落ちた料理ではあったが、それさえも美味しいと感じられた。
そして吉乃も、響樹が口元に料理を運ぶたびに「おいしいです」と嬉しそうに笑ってくれていた。




