望郷と口紅
ああ、また朝が来てしまった。
耳元で喚く規則正しい電子音に舌打ちしながら布団から脱出する。無機質な画面によれば今日は火曜日とのことだ。冴えない頭のままトイレに向かうと、ふと明け方に見ていた夢の残像が現れた。ええと、あれはなんだっけ、取引先の来客者にお茶をひっかけてマトリョーシカ人形になってしまった私は遊佐主任に叱られ、いや違う、最後に怒鳴り散らしていたのは母だったかな……やっぱり思い出せない。もういいや。どうせ母が本当に怒り狂っていたとしても仙台からここまでは遠いのだ。
今日もカーテンは開けなかった。隙間から漏れる光の具合を観察してみた。曇りなんだと思う。
家を出るべき時刻が迫るにつれ、耳の奥で響く鼓動が次第に重くなる。今日何度目になるか分からないため息を垂れ流しながら、重い足をなんとか引きずって洗面台に向かった。
私は化粧が苦手だ。自分の顔を取り繕う浅ましさに途方もない絶望を感じる。毎日この動作のために罪悪感で身が押しつぶされそうになる。下地を手のひらに乗せた瞬間、その冷たさに背筋が凍る心地がするし、粉を乗せるパフの毛先が毛穴ひとつひとつから侵入して肌を抉り尽くさないか不安でたまらない。パレットの上の頬紅はさながら生霊の血海、眉墨を引くのなんて顔に蛭を飼うも同然だ。そして極めつけは口紅、これがもう本当に最悪で、唇に汚物を塗りたくるような感覚が気色悪くて仕方がないし、粘膜にはみ出ないように赤を引くプレッシャーで手足は震え、胃がキリキリと痛む。毎朝の戦いは日々苛烈さを増すばかりだ。
顔面が劇物まみれになり一層醜くなった自分が鏡に映っている。先ほどの行為を弾劾する冷えた目だ。そんな顔で見つめないで、一介の社会人としてしょうがなくやっているのだ、どうか許して。
「おはよっす、沼田さんちょっといいべが? 昨日はごめんな、きつく言い過ぎたと思ってよ」
出社早々、遊佐主任が声をかけてきた。昨日のことを思い出すために少しだけ考える。納期間近の重要案件に取り掛かっていた私に、部長が飛び込み営業の来客対応を指示してきたことだろう。
「いえ、気にしていないので大丈夫です。むしろ断りきれなかった私も私なので……」
私と部長のやりとりを見ていた遊佐主任は、ああいうときは気にせず断っていいのだということ、そして課の人も手伝うから重要な案件のときは進捗状況を早めに相談してほしい、ということを注意してきたのだ。
「そういえば、遊佐主任も恭子さんも今週の土日どさいぎます? 私、友達に会いに横浜行ぐ予定あるんすけど、月曜日に有給とらせてけんねがなあと思って」
自席に座るなり同僚の果菜子さんが声をかけてきたので、朝の話題は週末の過ごし方へ切り替わった。果菜子さんは「毎週三連休にならねえもんだがな」と愚痴ったりもしていた。訛った言葉が飛び交うこの職場は、私にとって人肌のように暖かい。
この日は一時間だけ残業をした。苦戦する中途採用活動の忙しさにかまけて金山課長が会議をひとつすっぽかしたことと、インターンシップに参加予定だった学生からドタキャンを食らったこと以外は特に問題がなかったと思う。
帰宅して何気なくスマートフォンを起動すると一件の通知が入っていた。心臓が嫌な音を立て始めた。指先が冷えている。
差出人『沼田 慎子』
私の母からだった。
「恭子ちゃん、お元気ですか? 私とお父さんは元気です。少し冷えるようになってきたけど風邪はひいてない? 前のメッセージがなかなか既読にならないから少し心配していました。さて、実は前からお父さんと少し話していたのだけど、お父さんが退職したら、私が育った田舎に二人で帰ろうと思っています。十月に定年だから、実際の引っ越しは冬頃になると思うけど、恭子ちゃんは引っ越し手伝ってくれるかな? あと、年末年始のお泊り旅行、箱根温泉を三名で予約しました。家族みんなで過ごせるの、楽しみだね」
画面の文字が眼球を滑り落ちる。言葉の意味が、文章の内容が頭に全く入ってこない。要領得ない思考が瞬く間に脳内を埋め尽くす。不快な耳鳴りがする。夜ご飯のために買った牛肉と里芋が床に転がっている。私は石像のようにしばらく玄関から動けずにいた。口から溢れそうになったものは、結局やり場が見つからなかったので無理やり胃袋に詰め込んだ。
私が仙台に引っ越してきたのは六歳の時だった。真夏のただ中で外は蒸し暑かったはずだが、自動車の中はエアコンが利いていて快適だったし、トンネルを抜けた瞬間目に映った街の輝きと人の賑わいは、当時の私の心を躍らせるのに十分だった。母方の実家で数年暮らした田舎から抜け出した両親は仙台での生活をいたく気に入ったようで、かく言う私も瑞々しく青葉が茂る街をすぐに好きになった。学校の成績はそれなりに良かったし、なによりも友達とケイドロをするのはとても楽しかった。
自分の家庭に違和感を持ち始めるようになったのは中学校に入学してからだった。放課後のおしゃべりで私服の話題が持ち上がったときに、私は胃袋がひっくり返りそうなほど衝撃を受けた。友人はみんな週末におでかけをするときの服を自分で選んでいるようだった。かくいう私の場合、物心つく頃から下着や肌着も含めて毎日着るものは母が全て決めていたし、その習慣は中学生になっても相変わらず続いていた。
「そういえば、今日良いもの持ってきてるんだ。ほら、恭子も見てみて」
おもむろにクラスメイトが鞄からなにかを取り出した。私はその時に、生まれて初めてファッション雑誌にどんなことが書かれているのかを知った。眼球が落っこちても文句のないくらいに瞼を開き、夢中になってページの隅々までを網膜に焼き付けた。薄い紙の上で星が弾けるほど笑顔を振りまくモデルは、その輝きに見合うくらい可憐で美しい服を身に着けていた。対して、母が週末私に着せる服といえば、白とか黒とか茶とか、そんなのばかりだった。あまり見ることのない自分の箪笥を必死に思い浮かべてみたが、何度試してもピンクや水色は出てこなかった。私の引き出しには極端に色が少なかった。
例の会話の翌日、雑誌のモデルや同級生を真似て制服のスカートを短くしようとしたら母に「汚い足を晒すな」と罵倒された。三時間半にも及ぶ説教で目を泣き腫らしたまま登校したら、何故か私は先生や友人から花粉アレルギーで午前中に病院へ行ったことを心配された。昨日雑誌を持ってきていたクラスメイトは放課後にノートを貸してくれた。
母の監視が始まったのはこの頃からだった。毎日学校から帰宅すると鞄やポケットの中身を全てひっくり返され、「色気づいたもの」や「うわついたもの」が入っていないかをチェックされた。毎月手渡されるお小遣いでなにを買ったのかをレシート付きで「報告」しなければいけなかったので、スーパーで薬用のリップクリームを買うのにも一大決心が必要だったし、水玉模様のシュシュひとつが家の中で見つからないようにするのが大変だった。買い物の確証たるレシートを無くしたり、月末の集計で所持している現金が一円でも違えば、母の声が枯れるまで罵られた。私も母も顔が涙と鼻水でぐちょぐちょになったあと、母は必ず私を抱きしめてこう言った。
「全部恭子ちゃんのためなのよ。お母さんだって辛いに決まってるわ。」
そんな母に私はただ謝ることしかできなかった。
母はPTA活動や学校行事に積極的だった。成績優秀で真面目すぎるくらいの一人娘に教育熱心な母、他の親や教師から沼田慎子は概ね「良い母親」と認識されていた。
家庭内でエスカレートしていく母の行動を諫めてくれていた父は、中学の卒業が迫る頃に単身赴任で仙台から離れてしまった。そのうち、毎週末仙台に帰ってくる父は、朝にトーストを齧り、夜にビールを飲むだけの置物になった。母の癇癪には、馬鹿のひとつ覚えみたいに「こういうのは女じゃないと分からないから」と呟くだけになった。
高校受験では一番入りたかった学校に合格した。進学実績をそれなりに積んでいた学校だったし、なによりも制服が可愛いとクラスで評判だったのだ。両親は私の真の思惑を知ることなく、高校入学を手放しで喜んでいたように見えた。
それからしばらくの間は、大きく真っ赤なリボンを胸元に掲げ、紺のブレザーと青のタータンチェックに身を包みながら、存分に青春時代を謳歌した。毎日休むことなく続く部活動と、学校から積み上げられていた課題に明け暮れ、母と私の歪な監視関係は一時和らいだかのように見えた。
決定的な出来事が起こった。
微睡みの狭間でなにかがザクザクと切れる音がする。ゴツゴツと動物の骨を叩き潰すような音でたまらず目が覚めた。布団の中は暖かいはずなのに、悪寒と震えが止まらない。自室を注意深く観察する。昨晩、机の上に置きっぱなしにしていたはずの日記帳がブックエンドに挟まっている。恐る恐るスリッパを踏み出し、リビングへ侵入した私の目に入ったものは、布を無言で切り刻む母の背中だった。あのタータンチェックは、大好きだった私の制服の亡骸だ。その死体に寄り添うのは、粉々に砕けた銀色のプラスチックケースと、無残に引き延ばされた口紅だった。母に内緒で一昨日近所の薬局で買ったものだった。そうか、全て母がやったのか。
いつのまにか単身赴任を終えていた父は、この日の朝も知らん顔をしてテレビを見ながらトーストを齧っていた。
私の自尊心は、徹底的に破壊され、蹂躙された。その日、私は仲の良かった部活の先輩と一緒に映画を見に行く約束をしていたのだ。こんなことになるのなら、日記帳に私の喜びも期待も、何も書かなければ良かった。
母は、一人の女性として人格を形成しつつある私を支配したがっているようだった。母は時間をかけて巧妙に、しかも性急かつ大胆に、私へ呪いをかけた。自分自身を愛し、他人を愛することができなくなる呪いだ。
数ヶ月後に控える引っ越しのために休暇届けを出したら、驚くほど簡単に申請が通った。遊佐主任は
「荷詰め大変だと思うけんど、怪我には気いつげで」
とそれらしいことを言ったあと、このように続けた。
「久々の仙台なんだべ? 買い物でもしてたまには息抜きしてこいな」
一人の女性社員が労働相談を持ち掛けてきた。いつもなら金山課長が一人で面談に対応するが、今日は「ぜってーに他言すねごと」を条件に私も付き添うことになった。中堅社員になりつつある私に経験を積ませたいとのことだった。
応接室に入るなり、女性社員がぽつりぽつりと話し始めた。
「最近体調も悪くて休みがちになってしまってよう……本当はもう少しシフトを入れてっなけんど、家にいる旦那も心配だもんだから……」
どういうことなのだろう? 彼女の配偶者は怪我か病気で働けないのだろうか?
「前回の相談から病院には行がれました? 腕と背中の痣、酷がったっけよう?」
「んにゃ、行ぎました。軟膏塗ったらすぐ良くなったは」
「……それはいがった、なによりですわ。……あ、そういえばついでに聞くのもなんなのですが、旦那さんの方はそろそろ通院されました? お話を聞く限りでは離脱症状が随分進んでいるようなので……」
なるほど、彼女は夫婦間DVの被害者で、その加害者たる旦那はさしずめアルコール依存症で就労も不可、ということなのだろう。金山課長が私を面談に付き添わせた意図を推測する。共感、同調、はたまた懐柔といったところだろうか。
「いえ……実はまだ旦那は病院に行げでねえっす」
「そうでしたか。まあ、確かに旦那さんとしっかり話し合える状況にも見えませんしね……先日ご紹介した支援センターには相談されましたか? ここなら個人情報もしっかり守られますし、まずは」
「いんや、確かに辛いには辛いっなけんど、そういうのはまだあたしらには必要ねえ気がしていたもんですから……」
具体的な解決案を提示し続ける金山課長と、その提案からするりぬるり逃れ、ただひたすら愚痴と弁解をたれる彼女のやりとりを聞くうちに、私にはひとつ分かったことがあった。彼女は自分が被害者であると認めたくないのだ。現状の悲惨さや旦那の暴力とその根本に向き合おうとしていない。
金山課長と彼女の会話が途切れたので、私はひとつ聞いてみた。
「あの……離婚とかは考えられていないんですか……?」
それまで淀んだ表情で言葉を零していた彼女から、不意に強い意志と確固たる信念が沸き上がった。
「私が嫌なんです。あの人は私がいないと駄目になってしまう。あの人は、私のことを愛しているから」
ああ、やっぱりそうだったのですね。私もその気持ちを痛いほどよく知っています。
「……あなたは旦那さんのことを本当に愛しているのですね」
その愛に、愛なのだと信じたいなにかに、あなたは縋りたくてたまらないのですね。
「ええ、とても。とっても、よ」
面談が終わったあと、金山課長は「おつかれ、あんがとさん」と声をかけてくれた。こういったケースは本人の意思が非常に大切だから扱いがとても難しいのだそうだ。
金山課長は、応接室に鍵をかける時に小さな声でこう呟いた。
「愛してると言われれば、どんな状況でも人はそれを信じてしまうもんなんだべが……なんだかやりきれねえな……」
私はその一見奇妙で不可解な彼女の気持ちを一瞬で理解できた。彼女の夫が向ける苛烈で暴力的な愛は、まさしく私の母そのものだった。夫の愛を信じて疑わない彼女の姿は、あの頃の私と寸分も狂いなく重なった。
彼女は今、愛し愛されて幸せなのだろうか?
あの頃の私は、少なくとも幸せ、ではなかったと思う。今ではそう思っている。
その日の夜は本当に疲れ切ってしまってもうなにも考えたくなかったのに、布団の中で思い浮かぶのは母が泣きながら私に浴びせ続けた酷い言葉の数々と、胸倉を持ち上げられたときの浮遊感、そして首周りの圧迫感ばかりだった。自分の胸にある小さな箱に無理やり詰め込んで蓋をして何重にも封をしたついでに封印の呪文までかけたつもりだったのに、あの女性社員が放った言葉が突き刺さって穴が開いた途端にこのざまだ。悲しさと怒りがどうしても止められず、溢れる。
当時の母はきっと、母なりに私を愛していた。でも、そのせいで私の心が壊れてしまっていたとしたら? 愛があればそれで救われる? 親なのだから子の心を壊すことくらい許される? そんなことがあってたまるか! 私の自尊心は治りようのないくらいもうめちゃくちゃだ!
母の愛で縛りつけられた過去の自分を助ける術が、今日のうちにどうやっても思いつかなくて、私は眠りに落ちる前に少しだけ泣いた。
夢を見た。記憶の断片、それから母が過去に語ったような気がするだけの言葉を掻き集め、寄せ集めたものだ。こんな田舎もう嫌だと泣き叫ぶ母、抱かれていた祖母の暖かな腕から引きはがされ、私はただ父に縋ることしかできなかった。仙台への引っ越し準備が始まったのはそのすぐあとだった。町長選挙の度に賄賂が横行するし、恭子ちゃんのおじいちゃんもよくそのお金を受け取っていたわ。旅行のために近所へ飼い犬を預けたら、それがいつの間にか食べられてしまっていたの。すごいところでしょう? 信じられないくらい田舎なのよ、私の故郷は。百姓の家に教養なんかいらない。無知は貧しさを招く、貧しい生活は人の心まで貧しくする。いつまでも白黒から進化しないブラウン管テレビ、新品の消しゴムは三人の兄妹と必ず切り分けて使った。貧しい農民達は、冬になると都会へ出稼ぎに行く。今にも雪で埋もれてしまいそうな集落に取り残された家族は、どんな想いで彼らの無事を願ったことだろう。女は慎ましくあるべきだ、子供を産んで家のことをしていればいいと語る老いぼれ爺どもの生きがいは賭博に酒とタバコ、それだけ。背丈が他の子よりも低いのを「治療」するために、寝そべった我が子の腕と足を力いっぱい引っ張る祖父母、痛い痛いと泣き叫ぶ幼い母。この「治療」のせいで母の両肩は今でも脱臼癖が消えない。無学の象徴たる私の祖父母。空腹はさぞ辛いことだろうと美味しいご飯を沢山食べさせてくれるおばあちゃんのことが、私は大好きだった。貧しい頃の空腹が本当に辛かったみたいだから、おばあちゃんは目の前に食べ物があると全部食べてしまうの、だから私は恭子ちゃんになるべくお菓子を食べさせないのよ、恭子ちゃんはおばあちゃんみたいにぶくぶく太ってしまうの、嫌でしょう? 仙台は都会だけど、ここに住む人のようにチャラチャラとしたおしゃれをするのは絶対に駄目よ、ああいうものは麻薬と同じで歯止めが効かなくなるの、あんなものは自分を偽るためだけのもの、本当の恭子ちゃんはただ飾りたてるしか能がない薄っぺらな人間じゃないはずよ。我慢を知ればきっと人は強くなるの、私のように。今の恭子ちゃんは辛いかもしれないけど、この苦労はきっと人生で役に立つはずだから、今は頑張ってちょうだいね。全て恭子ちゃんのためなのよ。私はね、あなたのことを守っているの、愛しているの。
朝、やっぱり目が覚めた。寛容さを失った貧しい心と狭すぎる了見に虐げられ続ける母、いつまでも悲しいままの母を想って、私はまた少し泣いてしまった。かわいそうな母、小さくて弱くておかしな母。それでも私は母を許すことができなかった。ごめんなさい、あなたのことを許せなくて、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。
私は今、生きているのが辛い。
カーテンから光が漏れている。今日は清々しいくらいの快晴なのだと思う。
「そういえば恭子さん、タイヤ冬のに変えました? そろそろ雪も降ってくるしほんてやんだぐなるわー」
出勤して早々果菜子さんが声をかけてきた。彼女のぼやきはいつでも絶好調だ。
「ええ、忘れそうだったので日曜日に変えました。今年は少ないと良いんですけどね……積もって固まった雪の壁をよじ登って上を歩くの、私初めてでしたよ。あれ二メートルくらい高さありましたよね?」
「んだべ! あのスリルはなかなか味わえるもんでねえ! それにしても恭子さん、仙台から来た割には雪国の生活に慣れんの早がった気がするなんすけんど」
「あ、ここほどではないんですけど母方の実家が豪雪地帯なんです。小さい頃に雪だるまやかまくらを作ったこともあったので……」
「はあーそうなんですね、雪も遊んで楽しいだけなら良いなけっどな。私も早くお父さんにタイヤ変えてもらわねえど」
それでも、愚痴を零しながらここの人たちはこの地に住み続けているのだから、少し不思議だ。私はふと問いかけてみる。
「果菜子さん、都会に住みたいと思うことってありません? ここが嫌になることってないですか?」
「んー、冬寒いのと雪が多いのは確かに嫌なけっど、お母さんの作るご飯は美味しいし、家族で一緒に暮らすのはやっぱり安心すっからなあ。まあどこに住んでたって、仕事が嫌なのは変わんねえっすよ」
なるほど、そんなものなのか。
「恭子さんは、この町が嫌いになったが?」
「いえ、そんなことありませんよ。私はここが大好きです。みんな、優しいから」
果菜子さんと話すのは、とても心地が良い。果菜子さんは、私になにも強要しない。果菜子さんは、まっすぐ生きている。果菜子さんは、私が持っていない全てを持っている。
定時後、金山課長が「少しだけ」と私を別室へ呼び出した。数週間前に面談をした女性社員が、旦那と二人で本格的に通院とカウンセリングを始めたのだそうだ。旦那の治療が落ち着いたら、二人は離婚の準備を始めていくらしい。
前に進めていないのは私だけだ。
母と父の引っ越しの日がやってきた。仙台まで車を走らせるか悩んだけれど、片道一車線の雪道で事故を起こすのは願い下げたかったので結局都市間バスを利用することにした。整理券を取った直後、職場近くの無料駐車場に車を置いてきたことを少しだけ後悔した。ここで降る雪は重い。引っ越し作業の合間に積もった雪で車が押しつぶされないか心配だ。
バスに揺られながら私は母と故郷のことについて考えていた。母はどんな心境で大嫌いだったはずの田舎へ戻る決意を固めたのだろうか。抑圧と節制を自他に押し付ける強迫観念を持っていた母にとって、新しい風が次々と吹き込む仙台での生活は肌に合わなかったのだろうか? それとも母は、仙台から逃れることで私の苦しみさえ全てなかったことにしようとしているのだろうか?
制服と赤い口紅の殉職をきっかけに、私は明確に母と父から逃げる必要があると自覚した。思春期を迎えてから長いあいだ抑圧され続けていた私の心は、もういつ壊れてもおかしくなかった。高校の卒業が近づき進路を決める時期に差し掛かると、毎晩にわたる家族会議はたいそう紛糾したが、結局私は仙台を離れ地方の国立大学へ進学することになった。最後まで猛反対していた母も、浪人するようなリスクを取りたくない、という(ことにした)私の主張を受け入れるしかなかった。プライドが高く外面が完璧だった母からすれば、自分の娘が浪人するという事実の方がよっぽど受け入れがたいだろうということは簡単に想像できたし、なにより私たちの家計は浪人や私立大学への進学を検討できるほど裕福ではなかったのだ。
家族会議の最後に母は吐き捨てた。
「東北大とか宮教大にでも合格できる頭が恭子ちゃんにもあれば良かったのにね」
自分で言った方便だったはずなのに、母からの言葉は思ったよりも堪えた。
遠くに住んでいるからもう大丈夫だと気づかないふりをした。たまに送られてくる母からのメッセージは適当に受け流した。毎年勝手に企画される家族旅行は、断る理由が見つからなかったので黙ってやりすごした。楽しいと思ったことは、一度もない。
大学に入学してしばらく経ってから、高校卒業後の進路は進学だけでなく就職という道もあったのだということに気がついた。私の思考は思っていた以上に母からのコントロールに忠実だったようだ。なんだか悲しかった。私はいつの間にか、自分の人生を自分の足で歩くことができないほど情けない傀儡になり果てていた。私は、一度だって母に心から立ち向かったことがない。抗ったことがない。自分自身と向き合ったことがない。社会人になった今の今でも、私の心は母に囚われたままだ。
大学卒業後に私が就職先に選んだ場所は、奇しくも母が憎んだ田舎によく似た場所だった。その町のことを、私は結構気に入っている。
「恭子ちゃん、久しぶりね。お仕事忙しいだろうに、来てくれてありがとう。手伝ってくれるの、本当に助かるわ」
久しぶりに帰ってきた仙台の家にあがると、能面のような微笑を張り付けている母が出迎えた。父はキッチンの隅で既に荷造りを開始している。
挨拶もそこそこに、私たちは父にならって荷造りの作業を始めた。ありとあらゆる物を次々と段ボール箱へ放り込み、分類していく。母の故郷へ持っていくもの、捨てるもの、そして私がアパートに持っていくもの、主にこの三つだ。いつもだったらこんな単純作業に苦痛を感じようがないのに、今日は無性に腹が立ってしょうがない。母のワンピースをたたみ、母のスキンケア用品を整理するたび、沸々と怒りや不満が沸き上がる。
ふと床に目をやると、中学から高校まで毎日欠かさず書いていたあの日記帳が落ちていた。
「お母さん、この日記帳捨てないでいてくれたんだね。」
「……そんなに酷いことしないわよ」
日記帳を捨てることはそんなに酷いことで、娘の制服を切り刻み、娘が買った口紅を壊すことはそんなに酷いことじゃないの?
「ねえお母さん、あのときどうして私の制服を切ったりしたの? 内緒で買った口紅も叩き壊したよね? 勝手に私の日記読んだのもお母さんだったんでしょ?」
言葉を放ちながら、自分の頭に血が上ってきているのが分かる。
「それは恭子ちゃんがお母さんの言うことを聞かなかったからでしょう? 日記を勝手に読んだのは確かにやりすぎだったと思うけど、それでもあなたは悪いことをしたのだから当然よ」
「じゃあ私が毎日会社に行くために小綺麗な服を着て化粧することはいけないことなの?」
黙る母。
「お母さんだって、こんなにフリルが付いたスカート持っているでしょ? 他の人が見苦しくないように化粧水とクリームつけるでしょ? お母さんは私が大人に成長してくことが、そんなに嫌だった? おしゃれだって毎日の生活だって、私は普通にしたかったよ」
母の表情が歪み、見慣れた般若の顔になった。今日はこの顔を眺めていても不思議と怖くなかった。もうあんなに顔を赤くしちゃって、おかしいなあ。怒った母の顔は、本当に不細工だなあ。
「……お母さんが若い頃はそんなこと一度だって許されなかった! あの田舎に住んでいる限り自由も自立も手に入らなかった! あんたばっかり若さを楽しみやがって! あんたばっかり幸せそうになって! 不幸ばっかりだった私の過去は一体なんだったのよ? どうせならあんたも同じくらい苦しみなさいよ! ずるい! 認めない! そんなの私は認めない! 絶対に認めない!」
母の言っていることはめちゃくちゃだ。母は本当に、恭子ちゃんが生まれてから今の今までの人生が全て幸せなものだと信じ切っているのだろうな。自分は良い母親であったのだと信じたいのだろうな。本当に、お母さんは馬鹿だなあ。
「お母さんは故郷でされてきたことが嫌だったから仙台に来たはずなのに、どうして愛する娘に同じことをしようとするの?」
もう一度黙ったあと、一呼吸置いて母が頭を下げた。
「恭子ちゃん、あの時は本当にごめんなさい」
驚いた。母から私へ謝罪の言葉が贈られるのは初めてのはずだ。
「もうこれで満足? 早く引っ越しの準備を進めないと」
心が折れかけた。やっぱり私の抵抗は全くの無駄足だったのだろうか? 積年の想いを込めて発した言葉は母の心に届いていない。響いていない。顔を上げてみると、母の唇が固く結ばれ歪んでいた。そうかそれならお互い様だ。私だってこれ以上は限界だ。
「私の人生はお母さんのものじゃない!」
たまらず目の前にあった段ボール箱を持ち上げ、一番近い壁に投げつけた。アルバムが数冊飛び出し、いくつかは角が潰れてしまった。母の故郷で撮った畑での集合写真も、遊園地やアーケードで撮った家族写真も、ピアノの発表会の写真も入学式の写真も卒業式の写真も、全部ごちゃ混ぜになって床に散らばった。母とのツーショットで無理やり笑顔を作っている中学生の私が目に入る。この頃は、確か髪の毛を伸ばしてポニーテールを作るのに憧れていたはずだ。それなのに母は、数ヶ月に一度のペースで必ず近所の理容室を予約し、私の髪をベリーショートにするよう店員に指示していた。嫌でたまらなかったなあ、一生懸命伸ばした髪がザクザク切られるの、怖かったよね、辛かったよね。大丈夫だよ、今助けてあげるから。
「お母さんが私をひとりの人間として認めない限り、私は絶対にお母さんのことを許せないと思う。私はお母さんの所有物じゃないよ」
「……だから日記と制服のことはたった今謝ったでしょう? もう本当になんなのよ急に……どうして今日はそんなに聞き分けが悪いの……」
「私がお母さんを許せない理由はそのことだけじゃない」
もうひとつ段ボール箱をつかんで今度は母の方に投げつけた。ガラス細工や陶器が入った箱だったようだ。ガシャンと音がした。箱に入っていたいくつかは落下の衝撃に耐えきれず、新聞紙から破片がはみ出している。ついでのように入っていたインクの瓶が割れて、床に黒い湖が広がった。母の靴下に黒が染み込んでいくのが見えた。
「私の人生はお母さんのものじゃない」
引っ越し準備のために取ったはずの休暇は、結局のところほとんどの時間を実家の自室に引きこもって過ごすことになった。リビングを飛び出した私は、自室の片付けもそこそこにひたすらベットに寝そべっていた。父と母は相変わらず荷造りを進めていたようだったけれど、時折母が癇癪を起したり泣いたりする声が聞こえたりした。自室の前で父が諭したり母が怒ったり謝ったりする声も聞こえた。ついでに、私は生まれて初めてこの部屋に鍵をかけた。すごく安心した。
どれだけ言葉を重ねても、私は私の全てを母に伝えることができなかったし、それは母だって同じことだった。それでも、今までだってこれからだって、本当は伝え続ける必要があったのだと思う。言葉を使って、時として言葉ではないものを使って。伝える努力をしなかった落ち度は、多分私にも、ある。
「お母さん、私たちしばらく会わない方がいいと思う」
休暇の最終日、空っぽになった家の玄関で私はそう伝えた。もう丸三日間泣き続けていた母は、使い古したボロ雑巾みたいになっていた。
「恭子ちゃん、本当にごめんなさい、もう二度としないから、お母さんのこと、捨てないで、一人にしないで」
迷子の子供みたいな母に別れを告げるのは酷だと分かっていたが、それでも私は静かに首を横に振った。
「お母さんのことをちゃんと許せるようになるまで、少し時間が欲しいの。それまでどうか、二人は元気でいてね」
父が頷いた。母は相変わらず震えたままだったけれど、ほんの少しだけ首を縦に振ったように見えた。
幼いままの、かわいそうで情けない母は、故郷に帰ることでなにかを取り戻すことができるのだろうか。私は、小さな母がどうか救われて欲しいと願った。報われてほしいと思った。嘘じゃなく、心の底からそう願った。
母と父の背中を見送ったあと、スマートフォンを起動した。アドレス帳から母と父の名前を削除するためだ。アパートに帰ったら、トークや履歴も全て消してしまおう。
どうかこれが、呪いを解く魔法になりますように。いつか私が、母を、母が育ったあの町を、私が育ったこの街を、私自身を、まるごと愛せるようになる日が来ますように。
山形へ帰るためにバス停へ向かう途中、あのときの口紅を買った薬局に入ってみた。当時と比べると店内の配置がかなり変わっていたけれど、薬局特有の香りと照明の無機質さはそのままだ。とても懐かしい。レジを打っていたパートのおばちゃん、もう辞めちゃったんだろうな。さすがに当時と同じものはもう売っていないのだろう。控えめなハートの刻印が好きだったことを今でも覚えている。金槌でたたき割られたって、あの頃の私は消えないし、消せない。
赤い口紅をひとつ新調した。私はもう、これが汚物だと思わない。明日からこれを唇に乗せる私は、少しだけ綺麗になっているはずだ。