あかるいせかいで
小学生だったころ。
捨て猫を拾って帰ったら、元の場所に戻してきなさいと怒られたことがある。
母の叱ったわけに、当時は納得できなかったが、いまなら十二分に理解できる。
面倒みきれないなら、安っぽい感傷で首を突っ込むべきではないのだ。
あれから十数年。
順風満帆な大学生生活をスタートさせた俺は、キャンパスの近くでアパートを借り、充実の独り暮らしライフをエンジョイしていた。
波風の無い平凡な人生だ。
ただ一点の曇りを除いては。
その日も、家に帰ると、ホノカが扇風機の前で「あーあー」と宇宙人ごっこを楽しんでいた。
季節はとっくに秋だか、クローゼットの奥から持ってきたらしい。
「なにしてんの?」
と尋ねると、ピッと真っ直ぐ窓を指差して、
「交信中ー」
と甲高くなった声で返事をしてくれた。クレイジーかよ。
彼女の名前はホノカ。
初めて出会ったのは三日前、台風が日本列島を縦断した大嵐の日である。
彼女と出会ったのは十時過ぎの商店街。軒並みシャッターが降りて、出歩く人なんて誰もいない夜だった。雨は降っていないが、風は強く、夜の雲が早送りのように流れていく、そんな荒天の夜だった。
彼女は黒いローブを羽織り、膝を抱えてうずくまっていた。街灯がスポットライトのように華奢な体を照らし出していた。風がうなり、木の葉が風に舞っていた。
はじめは無視して行こうと思ったのだが、このまま放置では寝覚めが悪い。仕方なしに、
「どうしたの?」と声をかけると、
「仲間とはぐれた」
と潤んだ瞳で答えられた。
見たところ小学高学年にも充たない幼い女の子だ。切り揃えられた前髪におかっぱ頭で端整な顔立ちをしていた。
平常時なら駅前の交番まで送り届けるところだが、なにぶん嵐が迫っていた。
そう考えて、やむなく彼女を自宅に案内した。さすがに親切心が通報に繋がるような世知辛い世の中じゃないだろう、と信じたのが不味かった。
ホノカはアパートに無断で上がり込むと我が物顔で場を支配するようになった。ひさしを貸して母屋をとられたようなものである。交番を案内してもブーメランのように戻ってくるのだ。
「家に帰れ」と注意をしても、「この地にそんなものないから……」と遠い目で寂しそうに応えるだけだった。
彼女に内緒で警察に届けに行ったこともあるが、行方不明者届けは無いらしい。
ひょっとしたらネグレクトかなにかを受けているのかも知れないと思って、甘い顔してきたが、さすがにそろそろ限界だ。二人分の食費もバカにならない。
「ちょっとそこに座れ」
十月の夜。風は冷たく、扇風機を稼働させるほどの暑さではない。
彼女は呼び掛けにめんどくさそうに肩をすくめた。
「もう座っておろう。見てわからぬか?」
「こっちにきて、座り直せ」
不機嫌そうに眉間にシワをよせたホノカは、扇風機のスイッチを切ってから、緩慢な動きで俺の前に正座した。
「なにようか? みての通り多忙でな」
今の発言を満員電車で苦しむサラリーマンが聞いたら、なんと思うのだろうか。
「何処かにいる仲間にテレパシーを送っておったところだ」
「電波受信の間違いだろ?」
「ん?」
「……届くといいな」
「ああ」
「でも手っ取り早いのは会いに行く方だと思うぜ」
見下すように睨み付けると、鼻で大きくため息をつかれた。
「そうしたいのは山々だが、どこにおるのかもわからんし、長い旅になるのは必定でな。かように細い足では無理がある……」
「警察に泣きつけばパトカーで送ってくれるとおもうよ」
彼女はなにか言い淀むようにモゴモゴと口淀んでから、
「うーむ、わかった。森崎には世話になっとるし、教えてしんぜよう」
真っ直ぐに俺を見つめ、「特別よ」とウインクしてから続けた。
「ワレはこの世界の人間ではない」
「なんて?」
「森崎からみたら他世界の住人、になるかのう」
朗らかに付け加えられる。
薄々そうじゃないかも思っていたけど、こいつ、中二病だ。
「国籍は?」
なんか苛立ったからボロを出させてやろう。
「無い」
「ビザも」
「無い。そういう次元の話ではない」
「不法入国者じゃん」
「いやまあ、それはそうだが……」
ポケットからスマホを取り出したら、腕を捕まれた。
「なにをしようとしている」
「入国管理局に電話しようと思って」
「こっちに来たのは事故のようなものだから仕方ないのだ」
「なら大使館に助け求めろよ」
「大使館などないわ。なぜなら別の世界だからな」
ふう、やれやれ、と息をついて検索窓に子ども電話相談室と入力する。
「ちょっおい!」
憤慨した様子で、ホノカは立ち上がった。
「信じてないようだからはっきり言うてやろう。私の本当の名前はホノカ・レイキャビク。北の魔導院で神童と讃えられた大魔導師よ!」
偉そうにふんぞり返ったが、威厳なぞ皆無だった。
「随分と日本語堪能だけど、別の世界では日本語学校でもあるのか?」
しばし無言になってから、ややあって彼女は答えた。
「簡単な日常会話なら異国言語として事前に学んだが、より詳しくは、この部屋にある書物を勉学に用いた」
「この部屋って……」
漫画しかない。実家を出るときに持ってきたのだ。
「ああ、そう」
めんどくさいから突っ込むのはやめた。
「それはそうとさっきから大魔導師って具体的になにしてる人なんだよ」
「なにしてるって……そりゃあ……」
少し考え込むようにうつ向いた。
「魔法の研究?」
「具体的には?」
「モンスター討伐に効率的な魔法武器の開発とか」
「うちの近くにモンスターはいないぞ」
「べつになにを思われようと結構。ともかく帰るところがなくて困ってるのだ。と、いうわけでしばらくここに住まわせておくれ。勘違いせぬように。これはお願いではなく、脅しだ」
ここで臆したら負けだ、と無言で睨み付けてたら、「やれやれ」と少女は肩をすくめた。
「仕方無い。ワレに逆らうとマズいということを教えてあげよう」
「なにがどう不味いんだ?」
「魔導師は呪術もお手のものでのう。例えば、……そうだのう。視界にある鼻の頭が気になって仕方がなくなる呪いや、まばたきのタイミングが気になる呪いもかけられる」
そんなの呪いでもなんでもない。無意識下で行っている動作を意識付けさせることで違和感を覚えさせているだけだ。
「その程度か」
鼻で笑ったら、不服そうにホノカは唇を尖らせた。
「本気をだしたらこんなもんじゃない」
「へぇ、どうなるんだ?」
「そうだのう……」
彼女はじっと俺の頭を見つめた。
「ハゲさせる」
「は?」
「はげさせる」
呆ける俺に「大事な事だから二回言った」と微笑みかけてきた。イラついた。
「誠に喜ばしいことにうちの家系にハゲはいないんだよ」
「毛根の太さは関係ない」
あまりにも自信満々に言うので一瞬信じそうになった。
「まじで?」
「証拠をおみせしようか?」
さっ、頭頂部に手をやる。それを愉快そうに見てから彼女は続けた。
「ふふ、さすがにかわいそうだから、別の魔法を見せてしんぜよう。なんかないのか? 特別に森崎の願い事を叶えよう。ギブアンドテイク。ワレは住む場所を手に入れ、森崎は少しだけマトモな顔面になる」
「勝手に俺の願い事決めんなよ」
「えっ!?」
地味に傷つくからアホみたいなオーバーリアクションはやめてほしい。
「左様か? 顔を少しはマシにしたいとか。小さな鼻をもう少し高くしたいとか」
「お前に頼むくらいなら美容整形外科行く」
「ワレの好きな言葉は情熱だぞ?」
「聞いてねぇよ」
「おったまげぇー。顔以外の悩みがあるなんて。まあよい。なんでも叶えてあげるから言ってごらんなさい」
「なんでも、ね……」
じろっとねめつけたら、
「ああ。淫靡なことはなし」
と手を振られた。
なんでもじゃないじゃん。
「お前が家から出ていってくれるならそれでいいや」
「居候させてもらおうとしてるのに、願いが家から追い出されるって哲学的問題みたいになってるじゃないか」
「はやく叶えてくれよ」
「べつの! べつの願い事!」
頬を膨らませて、プリプリと文句を言われた。
「そうだな」
エッチな本とか、ギャルのパンティとか、そういう定番を頼んでもネタが通じなそうで、セクハラ扱いされそうだ。
さて。
辺りを見渡し、机の上にコップがあるのに気がつき、それを指差した。
「ほんとうに魔法が使えるなら浮かせてみせろよ」
「やれやれ簡単に言ってくれるな。物体浮遊魔法はなかなか難しいんだぞ。これだからトーシローは」
「逆に聞くけどなんならできるの?」
「で、できないとは言ってない。見ときなさい」
机の上のコップに両手を突き出して、ホノカは、
「ぬぅん!」と叫んだ。
呪文とかはないらしい。雑な魔法使いだ。
当然のことながら、依然物理法則は有効であり、コップが浮き上がることはなかった。
「……」
「……まだ?」
「磁気の把握が複雑だから、発動に時間がかかりそうだ」
「ふぅん。そうか」
「気持ち悪い目をやめよ」
温かい目でみてたら文句いわれた。
「他の願い事にせい」
「それなら、ごちそうを食べさせてください」
「ほう。なかなかよいではないか。そういうの待っておった。造作もなきこと!」
ホノカは自信満々といった顔で立ち上がった。
「少しだけ時間をもらうぞ!」
「どうぞ」
冷蔵庫にでも行くのかな、って思ったら、置いてあった俺のスマホをつかんで、いずこかへ電話をかけ始めた。ずいぶんと手慣れた操作だ。異世界にもiPhoneはあるらしい。
「あ、もしもし。注文お願いします。はい。マルゲリータピザひとつ。エルで!
あ、コーラもお願いします。はい。あっ、ちょっとまってください」
ホノカは通話口を手で押さえて俺の方を向いた。
「耳の部分の生地が厚いタイプと平べったいので選べるらしいけどどっちがいい?」
「厚いの」
指でオーケーマークを作ってから、再び電話を耳にあてる。
「厚いのでお願いします。そうです。そこの住所です。はい。おねがいします」
お辞儀をしてから、スマホをベッドに放り投げる。
「ふぅ」
「おい」
「願いは叶えたぞ。三十分後くらいに来るそうだ。二千五百円、よろしく」
「ご馳走食べたいっていったけどピザかよ」
「ご馳走ではないか」
「まあ……」
「文句があるのか?」
「ご飯に関してはないけど、手段に関してはある。魔法じゃないじゃん」
「魔法使うなんて言うてない」
とんち比べしてんじゃないんだよ。
「だとしても、金払うの俺だし。ピザ高いんだよ」
「クーポン使えるって」
言って彼女は部屋の隅にまとめられていた古紙の束からピザ屋のクーポンチラシを取り出して、「じゃじゃーん」と自慢げに開いた。
「なんとポテト無料ー」
「だとしても節約したいんだよ。ただでさえ消費税あがってんのに」
「食料品は軽減税率対象だから八パーセントよ」
「外食は十パーセントだろ?」
「デリバリーも対象のはずよ。国税庁のホームページで確認したからな」
「へぇ。そうなんだ。別の世界の住人のくせにやけにくわしいな」
「へ、部屋の書物でこっちの世界のことは勉強したから」
漫画に消費税のこと書いてない。
「なんにしても、お金を無駄遣いできないんだ。ピザなんて特別な日でもない限り頼まないのに」
「毎日がスペシャルだってこと、大人になると忘れてしまうみたいだ」
無視して財布の中身を確認する。よかった。なんとか足りそうだ。