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無能力者と神聖欠陥  作者: 島流十次
【1】
6/22

4 テト/お前が死んで何になる

 モリの手配したタクシーの中では、もちろん落ち着くわけが無かった。


 テトは、無意識に貧乏ゆすりをしていた。その間、何を考えているわけでもなく、ただただ焦りと不安とが入り混じった感情に襲われるだけだった。


 向かっている施設もとい事務所Aは、有能力者の子供のみが通う学園と、それからテトの所属する芸能事務所の複合施設である。


 事務所Bはというと、その芸能事務所に所属する芸能人やタレント、アイドル専用の寮になっていて、テトの暮らす部屋はBのほうにある。とは言え、最近は外泊が多いのと、時間があればキリのあの部屋のあるAのほうに行っているので、ほぼほぼBには帰っていない。テトの部屋は、ただの仮眠室で、物置のようなものだった。


 Aには、数十分ほどで到着した。


 いつもと違う光景だ。よく、映画で目にするようなテープが張り巡らされ、ここが事件現場となったことを思い知らされる。


 ただし、目の前にとまっているのは警察の車ではなく、恐らく軍用であろう大型車であった。テトは今まで、このような車は見たことがない。車の前に立つ軍服の彼らも、何者なのかがわからない。


 車も、彼らの軍服も、白とグレーが貴重の迷彩柄で、見知った色の迷彩柄ではなかったため、ますます彼らがなんの機関であるのかがわからなかった。


 が、大きなことが起きたのには間違いない。


 テトがテープをくぐると、「ちょっと」と軍服をきた男のうちのひとりがテトに声をかける。


 テトが無気力にだらりと頭を傾け、声をかけてきた男を見る。と、男はその目と顔を見て相手が誰だか気づいたのか、気まずそうに目をそらしてテトをそのまま通した。



 キリは今どこにいるのか。


 それだけが気がかりだった。


 入り口のドア前には救急車がとまっていて、救急隊がブルーシートのかかった担架を車内へ運んでいる。


 救急隊の群れをかいくぐってエントランスへたどり着くと、そこには見慣れない色が広がっていた。


 エントランスのカウンター、赤かったっけ?


 このときのテトは、なぜか冷静だった。が、思考は現実には追いついていなかった。


 受付のカウンターの色は、以前は白だった。この建物は、白を基調にできている。


 今や端から端まで真紅に染まったカウンター。床へはまるで赤いペンキの入っていた大きなバケツを倒したかのようにその赤が溢れている。


 血だ。


 その赤が血だと理解するまでに、だいぶ時間がかかった。


 救急隊が、ちょうどカウンターの脇で、シートに包んだ何かを担架にのせて運び出そうとしている。


 せーの、の掛け声とともに担架が持ち上げられると、シートと担架の間から腕が一本垂れる。


 血に濡れた赤の手に、銀色の何かが瞬いた。

 指輪だ。


 それを見て、シートに包まれたものが何であるのかわかってしまう。


 受付嬢のヨナだ。たまにテトと会話をすることがあった。先日、嬉しそうにあの指輪を見せてテトに婚約をしたと報告をくれた。


 腕が垂れたままの担架の横を通り過ぎ、テトはキリの部屋へと向かう。


 キリの部屋までの一本の長い通路は、レッドカーペットだった。


 腕を失ったままうつ伏せで血の海の中倒れる二人の教師。二人とも、知っている。テトが中学生の頃世話になった教師だった。二人の腕の肘から下は、二人の体からはだいぶ遠いところに落ちていた。


 奥には警備員。防弾チョッキが意味をなしていなかったようで、体もろとも何か銃弾のようなものが貫通したのか、穴があき、蜂の巣のようになっている。その状態の警備員の死体が数十体もあり、ところどころ重なって事切れている。


 死体はすべて踏まずに歩いたが、血、肉片はどうしようもなかった。床にはほぼ本来の色の白は残っていない。


 衣装のひとつだったテトの白のスニーカーのソールは、すっかり赤色に染め上げられていた。


 キリの部屋の前には、見知った警備員がいた。


 あの日、口を開けて立ったまま寝て、カードキーを盗まれることになった警備員だ。


 床に座り、壁にもたれかかっていたが、寝ているわけではない。


 死んでいる。


 首は右に傾き、口はあの時と変わらず開いていた。あのときよりも老け込んでいて、死ぬ直前、彼が恐怖を感じたのがわかるような表情のまま、死んでいた。


 肩から両腕は引きちぎられ、主を失ったその両腕は床に転がっている。


 耐えきれない。


 なるべく現実を受け入れないようにしていたものの、限界だった。


 警備員の死体の前で、テトは嘔吐する。撮影現場で軽く食べたものが胃液とまじり、それら全てが血の上にどぼどぼと落ちる。


 胃から全てのものを吐ききったのと同時に、もう、ここで何が起きて、なぜそれが起きたのかをテトはわかっていた。


 ガクガクと震え始めた手で、口元をを拭う。


 それから、いつも肌身離さず持っているクリアカードをポケットから取り出した。


 眼球が揺れる。

 動悸もする。


 あの日、この目の前のドアの先にある部屋でひとりぼっちの少女に出会ってから、父の許しを得て自分用に作成してもらったカードだ。警備員のカードを使って勝手に部屋に入ってから、セキュリティは一層厳しくなった。この薄く透明なカードの中に自分の生体データが入っていて、更に部屋にも生体登録した。


 カードの生体データ、部屋の登録データ、それから開発小板(チップ)の生体データ全てがリンクされてから、ドアは開く。


 震えたままの手でカードをドアにかざすと、ドアは一切の音を立てずに横にスライドし、開いた。


 部屋には、赤は広がっていない。


 大きなぬいぐるみたち。壁には、電子ポスターが数枚貼られていて、それはどれも笑顔のテトの写真だ。


 奥に設置された、天蓋つきの大きなベッド。


「キリ」


 よろめきながら、ベッドへ向かう。


 こんなにも、彼女がそこにいてほしいと願ったときは他になかった。


 ベッドのカーテンは開いたままになっている。

 そこには、誰もいなかった。


 思わず全身の力が一気に抜け、テトはその場で膝から崩れ落ちる。


 全部、キリがしたことだ。


 そう、自分のせいで。


 こんなことになるなんて、想像もついていなかった。大切な日に一緒に過ごせないのを許してもらって、仲直りをして、別の日にふたりで過ごして、また仕事に行って。そういう、当たり前の未来を送るつもりだった。


 一体何分くらい経ったのか。テトがその場で呆然と座りつくしていると、ケータイからベルの音が鳴る。


 父、ドウォンから着信だ。


 父からの着信は他の着信とは区別がつくようベルの音を高くしているので、すぐにわかる。父からの電話には、どのような状況であっても出なくてはならない。


 テトは、ドアのカードの二倍ほどの大きさのそのケータイをポケットから取り出し、床に起き、スピーカー出力にして通話ボタンを押す。


『テトラか』


 通話が始まるや否や、自分を愛称ではなく本名で呼ぶ父の低い声が聞こえてくる。自分を「テトラ」と呼ぶのは、父くらいだ。


 しばらく何も言えなかったものの、テトは声を絞り出した。


「……はい」


『もういるんだな?』


「……はい」


 なぜ父か自分だけをここに呼び、そしてわざわざこの光景を見せたのかは、深く考えなくてもわかることだった。


『私の部屋に来い』父の声色は、いつもと変わらず平坦で冷たい。『私は無事だ』


 父は無事であるという報告をきき、よかった、とも言えず、テトはただ父の仕事場のある最上階に来いという指示に対して「わかりました」と返事ができただけだった。


 本当は、部屋から出たくない。またあのレッドカーペットを歩くのも嫌だった。こんな状況下でも、父の言うことは絶対なのだということをテトは思い知る。そしてそれを当然として行動をしようとしている自分。


 震えはさっきよりはマシになっていたものの。体は重く、どうしてもふらつく。


 浅い呼吸で部屋を出て、そのへんに転がった死体やその一部はなるべく見ないようにテトはエレベーターへと向かう。


 最上階である八階へと向かうエレベーターの中では、やたらと時の進みが遅く感じた。


 テトが父の部屋の前につくと、ドアは勝手に開く。


 部屋には、父ドウォンと、常駐の看護師が一名いた。


 テトに気づいたドウォンが無表情のままソファから立ち上がる。父は背が高い。185cm近くあり、テトよりも大きい。


 が、この時は特に父の背が高く見えた。


「あの子がここに来てね」


 電話の時と変わらず、冷たい声で彼は言う。


「私に言った。ここから出たいと。私に許可を求めた。許可を得なくても、下をあんなふうにできたのなら、そのまま出られるはずなのに。勿論、私は言った。無理だと」


 そうしたら、これだ。


 と、ドウォンはテトに手首を見せる。


 手首から先にあるはずの右手は消えていて、ただ手首までに血の滲んだ包帯が巻かれているだけだった。


「あの子に手を差し伸べようとした。部屋に戻そうとしたんだ。しかし、私でさえ止められなかった」


 自分の父の失われた手首から先を見つけて、テトは息をのむ。


 テトに構わず、ドウォンは続けた。


「私達の管理も、私達のお前への管理も甘かったようだ」


 父の表情は変わらない。彼は、テトを叱るときも、褒めるときも、諭すときにも、いつだって表情を変えないのだ。


「……キリはどこに……」


 テトの口からでたのは、キリの行方を求める言葉だった。


「あの子の開発小板(チップ)には、生体情報は無い」


 ドウォンがテトに対して返したのは、テトが初めてきく内容のことだった。


 確かに考えてみれば部屋から出て世の中で生活できないキリに生体情報はいらないのでありえる話ではあったが、そこまで父がキリに対して徹底しているとは、信じたくなかったのだ。


 生体情報を登録せず、国に存在しない人間とされた代わりに、キリがどこにいるのか、どこへ逃げ出したのか、生体情報から位置情報を特定して追うことはできない。


「でも、生体情報がないなら、交通機関は使えないはずだから遠くには……」


「普通の人間なら、交通機関を利用することはできない」


 普通の人間ならな。


 ドウォンが釘を刺すように付け加え、テトに背を向ける。


「ここまでのことを予想していなかった私達も悪いが、お前はあの子がどれほどの『有能』なのかわかっていないようだな。恐らくだが、あの子は生体情報が無くとも交通機関は利用できる。パスできるはずだ。お前ほどの有能でも生体認証はかいくぐれないのに。いや、そうされているのに、だ」


 ドウォンはひとつため息をつき、また振り返り、テトを見た。


「キリを探せ」


 重い言葉が上から落ちてくる。


 これは、責任だ。


 テトは、ドウォンの顔を見ることはできずに、ただ自分の足元を見て、


「わかりました」


 と、声を震わせ小さく返事をする。


「ただ……もし、僕がキリを見つけて、一緒に帰ってきたら」


 恐る恐る、父の顔を見上げる。


 恐れと、自分にのしかかった責任とで、テトの目からは自然に涙が溢れていた。


 すぐに床に膝をつき、手をつき、大理石の床に額を押し付ける。歯を食いしばる。父に土下座するのは、初めてだった。


「僕がキリを連れ戻したら、僕は仕事を辞めます」


「お前が望んで始めたことなのにか」


 頭上から父の声が聞こえる。


 そうだ、自分がなりたいと思って選んだ道だ。


 歌ったり、踊ったり、煌びやかな服をきたり、話したり。人々の人気を得て、歓声を浴びて。

 愛していると言われ。


 夢は叶ったが、失っているものもいくつかあった。


 テトの額に、大理石の冷たさが広がる。


「僕はもう、キリの他にはなにもいりません」父の前で泣きじゃくるのも、テトには初めてのことだった。「気づいたんです……キリを失うならもう他のものはいりません。キリ以外を失うかわりに、キリと二人でいることが僕の望みで、この事の責任をとる方法です……」


 ドウォンはしばらくなにも言わなかったが、やがてテトの頭の上から言葉を落とした。


「もし連れ戻さなかったら」


 聞き、テトは顔を上げた。


「本来、こうなった以上は連れ戻せたとしても、殺す他ない。お前の手で戻ってこなかった場合は、あの子を殺す」


「それは嫌です、駄目です」テトが、思わずドウォンの足を掴み、叫ぶ。「あの子を殺すなら僕を殺してください」


「お前が死んで何になる」


 その一言は、あまりにも重いものだった。


「もともと、あの子は生きてはいけない子だ」


 ドウォンの表情が、少し苦いものへと変わった。目を細め、「かわいそうだがな」と、キリのことを哀れむように呟く。


「あの子を失いたくないなら、探せ。連れ戻せ」

 



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