第二話 ハンター・ウィズ・ア・ミッション
ビットバンク。
それは、『科学特区』が発祥となった新型の金融システムである。
数多くの国々が電子通貨を使用するようになってからずいぶん経つが、それによって増大したのが、コンピューター・ハッキングの問題であった。
通常、電子通貨のコンピューター・セキュリティには、世界中のコンピューターと連動することで計算能力を高めてセキュリティ機能を向上させることで電子通貨の価値と安全性を保障する手法を取っている。
この手法によって、一台一台のコンピューターの機能が向上したこの世界では、純粋なコンピューターセキュリティならば、電子通貨の安全性は保障されていた。
だが、魔術や超能力・霊能力の存在するこの世界では、能力を使用してのハッキングへの対抗法は能力の使用以外には存在せず、高精度の能力を併用してのコンピューターセキュリティ・システムの構築は、家庭用コンピューターでは賄いきれない大問題であった。
そこで、今までどの電子端末からでも電子通貨にアクセスすることができた従来の電子通貨から発想を転換させ、今まで現実通貨しか管理してこなかった銀行は、コンピューターセキュリティに特化したコンピューター同士でネットワークを形成し、電子通貨へのアクセス方法をカードチップに限定するという手法で、電子通貨の信用性を高めることに成功したのだった。
この電子通貨の『信用性』を管理するという、新しい発想によって今まで単に通貨を管理するだけであった銀行業務は形態を大きく変え、電子通貨を発行している会社との取引により、通貨の価値を左右する『ビット・バンク』というシステムを成立させたのだった。
しかし、これらの対策も万全ではなく、未だにこの世界では硬貨を初めとする実在通貨による貨幣経済は成立している。
そして、その問題の一つが、銀行の管理するコンピューターへの直接アクセスである。
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その日、ビットバンクを襲撃した銀行の強盗のリーダーであるマサキは、サブマシンガンを手にしたまま、苛立ちを隠そうともせずにロビーに集めた銀行員を相手に銃器を構えながら、苛立ちのあまりに怒鳴り声を上げながら、わざわざ床に座り込んで銀行の奥にあったメイン・コンピューターにアクセスする痩せ細った眼鏡の男を振り向いた。
「おいおい!まだかよ!テメエが凄腕のハッカーだっツーから、高い金を出してテメエを雇ったんだぞ?!この調子でいたら日暮れまでかかっちまうだろうが!早くしねえと、ポリ公が着ちまうだろうガ!」
「そうだそうだ!早いところ俺らの口座に金を振り込めよ!そのためにわざわざ高い金を払っててめーを仲間に引き入れたんだろうが!」
「ヤベエっすよ!兄貴!もう、パトカーがたくさん来てるっす!」
ノートパソコンの前に座り込む眼鏡の男に怒鳴り散らす強盗達は、眼鏡の男に向かって銃器を見せつけながら脅す様に言うが、眼鏡の男は特に動じる様子もなく仲間の強盗達を振り返って、気だるそうに言い返した。
「待てって。分かってるって。落ち着けよ、ハッキングに必要なのは優雅さと冷静さだ。そう騒いだら、出来るものもできなくなるぞ?そもそもの話、そんな口を叩いていいのかよ?」
そう言うと眼鏡の男は、自分に銃口を向けて来る強盗の一人を見上げる様に見返しながら、余裕ささえ感じさせるほどのけだるさで仲間の強盗達に向かって言う。
「僕がハッキングをやらなければ、お前等の口座に金を振り込まれることはねえんだ。そうデカい口を叩いていられるのは、誰のお蔭だか考えてから物を言えよ?」
「う……ウルセエ!お前の方こそとっとと仕事を終われよな!!そうじゃけりゃ取り分もねえんだぞ!」
マシンガンを眉間に突き付けられても尚、態度を変えない眼鏡の男の様子に、銀行強盗は何故だか気圧されるものを感じて口ごもる様に捨て科白を吐くと、そのままマシンガンを手にして眼鏡の男から離れていった。
そんな臆病者の銀行強盗の様子を眺めながら、眼鏡の男は心中で溜息を吐くと、再び胡坐の上に肘を置きながら、未だにハッキング途中のノートパソコンの画面を睨み始める。
(……全く、銀行を襲う。って意味を理解できない男だねー。口座の操作だなんて、そんないつでもできることのために、わざわざハッカーがこんな危ない橋を渡るかよ。此処はまさしくダンジョンだ。危険だが、大金には代えられないデカい宝がゴロゴロ転がっているんだよ)
ビット・バンクを襲撃する銀行強盗の狙いは大きく分けて二つ。
ビット・バンクの管理するネットワーク・システムへのアクセスと、口座の操作である。
ビット・バンクの管理するネットワークシステムは、そのセキュリティ・システムへの堅牢さから、時おり、価値のある情報が預けられていることが多々ある。
具体的には、大量の個人情報や、新型電子通貨の情報などである。
それらの情報は、時として自分自身の口座を操作すること以上に莫大な利益を上げることがあるために、この世界の銀行強盗はどちらかというと、こちらの情報を強奪することを目的に銀行のコンピューターをメインに銀行を襲撃するのだが、この強盗達はどういう訳かそれらの情報には一切の興味を持たずに銀行襲撃計画を行なったのだ。
(……イヤ、今時田舎者でもここまで物を知らない奴はいない。こいつ等単純に真正のバカだな。『科学特区』で一旗揚げてやるとか言ってたが、この頭のレベルでよくもまあこの街に顔を出せたもんだよ。まあ、肉盾兼捨て駒には丁度いいか)
眼鏡の男は冷徹に仲間の強盗達を切り捨てる思考を張り巡らしながら、メイン・コンピュータを弄り続けていた。
元々、彼はハッカーとしてそれなりに名を上げた男であり、それは同時に、ハッキングという犯罪行為そのものに、彼が多大な誇りと矜持を持っていることの証左である。
そんな男が銀行強盗などという単純な暴力的な犯罪に手を貸すというのは、利益云々以前に、自らの信念と矜持を傷つける、屈辱的な行為であった。
そもそもの話、今時、銀行強盗などと言う目立つばかりで何の利益も無い犯罪など、本気でやろうとする奴なんか居ないのだ。
ネットでこいつらの仲間募集の広告を見た時には、まず最初に頭がいかれたのかと思ったほどである。
それなのに、彼がここまで仲間として銀行強盗を手伝って来たのは、金に換えられない誇りを犠牲にしてでも手に入れたい『もの』が、この銀行に眠っているからだった。
(………………あと少しだ。あと少しで、『アレ』が手に入る。『アレ』が手に入りさえすれば、この後はどうなろうか構うものか!)
眼鏡の男は、その思いだけを胸にメインコンピューターを弄り続けていたが、そんな覚悟とともに繰り出されたメインコンピューターへのハッキングは順調に続いていたが、その犯罪も唐突に終りを遂げた。
「やっはああああああああああああ!!!」
「ぎゃあああああああああああああ!!!」
突如として、騒々しい悲鳴ととともに強化ガラスをブチ破った音が聞こえて来て、何処から現れたのか、二人の人影が銀行の中央に転がり込んできた。
「よっしゃ!作戦成功!これで後は適当に狩り尽くせば俺の勝ちだ!」
「何が作戦だよ!テメエのやったことはビルの屋上にあるカフェから飛び降りただけじゃねえか!あああああ!つーか無理心中に見られたぞ!私のお気に入りの店だったのに、本ッ当に、滅茶苦茶だなテメエは!このバカ野郎!」
「へへ、そんなに褒めんなよ。照れんじゃねえか」
「褒めてねえよ!バカ野郎!耳腐ってんのかアンタは!」
「ほんギャ!あだだだだだががががががが!ギブギブ!卍固めは辞めて!折れちゃう!体幹ごと折れちゃう!」
「じゃあ、ジャーマンスープレックスを掛けてやるよ馬鹿野郎おおおおおおお!!!」
いきなり銀行に突っ込んできて、即興コントじみたやり取りを行うのは、競馬場に居た格好のままで現場に駆けつけて来た富士美と友美の二人であった。
二人は、富士美の咄嗟の思い付きで向かいのビルの屋上から、富士美が用意したワイヤーガンを使用してワイヤーアクションの容量で銀行に目掛けて飛び込んできたのであり、何の準備も無くアクション映画紛いの事をやらされた友美は、怒りのままに富士美にプロレス技をかけていたのだった。
一組の男女の姿に、人質になった銀行員どころか、マシンガンを持っている筈の強盗達までもが動きを止めて茫然としており、余りに唐突に起こった現象に、その場にいた誰もが動きを止めて成り行きを見守っていた。
そうこうするうちに富士美は友美からのプロレス技の威力に、とうとう気を失ってそのまま床に伸びてしまい、そんな富士美の姿を見て満足したように友美は鼻を鳴らした。
「フン!このくらいにしといてやる!アンタの無茶苦茶は今に始まったことでもねえしな。それより、富士美。タグくらいちゃんと首から下げとけよ。別に金属アレルギーって訳でも無いんだろ?」
「あがががあがあ。クッソ、筋繊維が捩じ寄れた感じがする。何でお前はこんなことをしておきながらそんな普通にできんの?」
「いいからタグ出せよ。アレねえと私らただの不法侵入者だからな?一応、私はあんたの部下ってことになってるんだから、富士美がタグ持ってねえと、私もあのバカどもをぶちのめせねえだろ?」
「その言い方だと、どっちが悪モンだかわかんねえな。ほらよ。これでいいんだろう?」
友美に急かされながら身体中のポケットの中身をまさぐっていた富士美は、漸く尻ポケットから取り出したドックタグの鎖を右手に絡めながら取り出し、
「じゃあ、此処は一応俺が名乗らせてもらうぜ?俺の名前は青海・富士美。『番長』ネーム『ゼロ・カウンター』。『科学特区』特別治安維持法第三条に基づき、特殊正当防衛を実行する」
そう名乗った。