第一話 グッドモーニング・ファックユー
二〇七〇年。七月十五日。
真夏の太陽は百二十年前の大日本帝国の時代から変わることなく、白日の青天に輝き続けうだる様な暑さは上空から地上を飲み込んでいく。
そんな夏の日の下に並び立つ街並みは、スタイリッシュかつシステマチックにデザインされたビルディングがコンクリートジャングルを形作っており、アスファルトを敷きつめた地面は、その暑さは留まることを知らず、陽炎めいた空気の揺らぎが時おり車道の上から立ち上らせる。
しかし、そんな近未来的に構成されたオフィス街から少し離れた下町情緒の溢れる街角には、瓦葺の昔懐かしい日本建築が軒を連ね、その軒先には釣忍や風鈴が垂れ下がり、窓際には簾がかけられている。
時おり、下町の大通りには、鎌倉幕府の時代から続く由緒正しいお寺や神社が顔を覗かせて、毎日誰かしらが時に神頼みに、時に座禅修行に訪れ、或いは、祭や年中行事に街中の人間が顔を出す。
表通りの最新式の科学とビジネスの都市とは百八十度変わった、裏通りの歴史と伝統と下町情緒が溢れる街。
まるで、街そのものがトランプのカードの様に、表と裏で姿を変える。
それもこの『科学特区・相模』の一つの味であろう。
そして、そんな夏の日の『科学特区』の街の空に、悲痛な声が鳴り響いた。
「ちくしょおおお。何でやねん!最後の直線距離でいきなりナンデヤネンがさして来るとか、マジでありええねえ!お前は、先週はドンケツから三番目ダッタじゃねえかよおおお!どうしてオレがお前に賭けた時には勝たないのに、オレが守りに走ったら勝つんだよおおおお!!!!」
表通りと下町の境目に位置する競馬場の観覧席の中で、紙コップに入ったもつ煮込みを手にしながら割としょうもない事で泣いていたのは、青海・富士美。
平日の昼間からギャンブルに入り浸っている様は、完全なる適当過ぎるダメ男のそれであるが、この競馬場の中では、富士美以外の人間も大概が似たり寄ったりなクズかバカばかりなので、富士美に対して誰も何も言う事が無かった。
「ヨーっス。今日も負けてるみたいだな、富士美ー。重畳、重畳」
そんな中、観覧席の陽だまりのベンチに寝っ転がる富士美に声を掛けてきたのは、天女と鳳凰と麒麟をあしらった刺繍を入れたスカジャンを着た、金髪に染めた頭がある特徴的なヤンキー系の美女である支倉・友美だ。
中学の頃から美少女ヤンキーとしてその界隈では有名だった友美だが、高校卒業してからはその美貌に拍車がかかり、卒業以前はクールで強固な意志を感じさせた切れ長の瞳には、強かさと苛烈さの混じりあった一種の悪女じみた迫力が滲み、下手に口紅を引くよりも赤い唇には魔性の色香すら匂い立っている。
これで着るものを選べば、どこぞの大企業のやりての美人秘書か、あるいは歓楽街の高級ホステス、或いは裏社会の女ボスにも見えるかもしれない。
しかし、肝心の中身は、夜な夜な酔い潰れるまで飲み屋に入り浸って、給料全額ギャンブルにつぎ込むおっさん系女子で、口より先に手が出る典型的なヤンキー気質だというのに、偶に富士美自身、その美貌に騙されそうになってしまう。
富士美は、そんな騙されそうになる自分自身を振り払う様に、大声を上げて友美に突っかかる。
「うっせええなあ!!何が重畳だ!こちとら、一か月分の家賃をつぎ込んだんだぞ!もうそろそろ家賃の滞納が三年分を越えるから、これ以上負けたら問答無用で部屋を追い出されるんだよ!」
「いやー。アンタが毎度毎度張っているナンデヤネンに今日ばかりはかけないって聞いてて良かったよー。お蔭で私は遠慮なく大金を大穴につぎ込むことができたからなー。いやー、儲けた儲けた。すっごい、儲けた」
ニヤニヤと笑いながら見せつける様に貯金通帳を使って顔を扇ぐ友美に、富士美は怒声を上げてベンチから起き上がる。
「うるせえええ!できれば大金稼いだ友美さんにお願いします!家賃分のお金貸してくださいイイイイい!」
そして、怒声を上げながら土下座をするという奇妙な真似をして、富士美は友美の足元に這いつくばると、友美の足元を頬ずりしながら懇願するばかりだった。
そんな富士美に対して、友美はゴミを見る様な眼つきで地べたに這いつくばる富士美を睨みつけるが、当の富士美はヘラヘラと媚び諂った表情を浮かべて友美の顔を見上げるのだった
流石に中学からの腐れ縁が公共の場で、そんな恥知らずの真似をしている事が見るに耐えなかった友美は、深い溜息を吐くと、富士美の前にしゃがみこんで、その意外に細い首を竦めてみせた。
「いやマジでアンタってさあ、本当に何でそんなにギャンブル弱えええ癖に、競馬とか好きなの?これだけ負けるとか、マジで呪われてるじゃねえの?まあいいや、しゃあねえから貸してやるよ。どれ位必要なんだよ?」
「えーと、十億円位貸してくれると、当分の間は生活に困らないかな。とは」
「そりゃあそうだろうよ。ふざけてんのか、テメエは!」
余りにも滅茶苦茶な金額をせびる富士美に対して、友美は思わず青筋を立てながら足元に這いつくばる富士美の顔面を踏みつける。
しかし富士美はそんな友美の攻撃に対して、まるで毛ほども痛みを感じていないように平然とした態度を取り続けると、顔面に友美のサンダルの痕をつけながら堂々と言い切る。
「バカ野郎!!!ふざけて十億円貸してなんて言える訳ねぇだろ!!!俺は混じり気なしの本気で言っている!!!!」
「尚更悪いわ!!!!頭沸いてんのかテメエは!!!!」
タチの悪い夫婦漫才か、恋人コントのような遣り取りを交わす二人に、すっかりと鳴れた風景とばかりに聞き流しているばかりだったが、そんな中で、カード型のタブレット端末を眺めていた一人の所々歯が抜けた老人が目緒と漫才を繰り広げる二人に近づいて、富士美に話しかけた。
「おい、おい。富士ちゃん富士ちゃん」
「ん?何だいゲンさん?もしかして、当たり馬券でもくれるのか?」
「んなモン、やるわけねえだろうバーきゃろう。それよりも、このテレビに映ってる。こりゃ、お前さんが担当している所の警備区域じゃねえのか?詳しいことは知んねえが、このビットバンクってもんを守るのがお前さんの仕事じゃなかったけ?」
そう言って老人が差し出した画面に映っているのは、富士美が警備を担当しているビットバンクと呼ばれるコンピューター管理所に立てこもるテロリストたちの姿だった。
「え?マジ?ヤバ!でもさっきから俺の携帯には何の連絡も入ってねえんだけどーーーヤッベー、これ昨日解約した奴だわ。中古屋に売るの忘れてたわ」
画面の中の強盗の姿を見て、富士美は驚くよりも先に、怪訝な表情を浮かべて尻ポケットに入れていたスマホを取りだしてその画面を見るが、直後に額に手を当てて分かりやすく困った表情を浮かべると、そのまま力なく天を仰いだ。
「……はは。契約違反金ってどれくらいだったけ?なあ、腎臓買ってくれるところ知らない?」
「現実逃避をすんじゃねええええええええええええ!!!!!早く仕事にいくぞおおおおおおお!!!」
無駄に穏やかな表情を浮かべて全てを諦めた富士美に、友美は怒鳴り声を上げながら往復ビンタを決めると、無気力になった富士美の胸倉をつかみながら引きずり回して急変した現場に向かい始める。
「あ、待って。もつ煮込みまだ残っている」
「んなもん後で奢ってやるよ!とっとと行くぞオラあああああ!!!」
競馬場の人波を掻き分けて、富士美は友美に引きずられていった。