プロローグ モビーディック・オア・ザ・クリミナル
『科学特区・相模』
一九七〇年、三月一日。
この二週間後。三月十四日に開催される大阪万博の開会に先駆けて、神奈川県のおよそ半分を占める割合の土地を開発して、この都市は開通した。
第二次世界大戦により、食料・燃料・鉄鋼と言った資源の乏しい日本は、技術力において世界に最先端に立たなければ、有事の際に備えられないという事を強く痛感するに至り、大戦終結直後の一九五〇年代頃から、既に科学技術の研究・開発を主要目的とした完全自給自足型都市の開発が構想されていた。
その後、『混迷の五〇年代』と呼ばれる一〇年間に、超能力と魔術の研究・開発が人類の急務であるとされたために、この構想は急速に注目を集め、比較的早くに『科学特区』の開設が決まり、様々な政治的な配慮を得て、東日本の技術開発都市を神奈川に、西日本の技術開発都市を広島に設置されることが決定される。
そして、一九六〇年に最初の『科学特区』である『科学特区・相模』の開発が開始され、翌六一年に広島の『科学特区』が開発される。その十年後の一九七〇年に『科学特区・相模』が完成。
それから五年後の一九七五年。広島の科学特区である『科学特区・安芸』が完成される。
広島の『科学特区』の完成が遅れたのは、距離的に東京に近い神奈川の方が中央からの支援を受けやすかったこと、大阪万博の開催が決定した時にそちらの方に予算が流れたこと、等が主な理由として挙げられる。
その後、日本政府が国の威信を賭けて開設したこの二つの『科学特区』は、世界に先駆ける最先端技術の開発都市として、百年後にまでその名を轟かすことになる。
こうして、開設された史上最初にして最大規模の科学技術開発都市である『科学特区』は、まるでその期待に応える様に数多くの成果を出した。
そのうちの一つが、異能の存在の解明である。
世界には、旧来より時に魔術や霊能力、超能力や神通力として神秘的な超常現象としか認知されず、常人を遥かに超える異能の力を秘めた人々や、時には人狼や吸血鬼と呼ばれ、常人からかけ離れた異形の姿を持った差別され、迫害された人々がいたが、第二次世界大戦においても活躍したこれらの異能の存在は、『科学特区』の研究により正式にその仕組みが解明されることになった。
解明された魔術は科学と同等の研究対象となり、人工的に開発された超能力を操ることは一種のステータスになり、霊能力者であることは大して珍しい事でもなくなった。
しかしその弊害は、無論あった。
誰もが魔術や超能力を操れる様になったという事は、即ち、悪事も又超常現象を利用した者になった。という事である。
つまり、世界各地の犯罪が凶悪化したのだ。
魔術を操るテロリストに、超能力を駆使する犯罪シンジケート、そして、霊能力者を操る
そしてそれは特に、『科学特区』で顕著に現れた。
そこで『科学特区』は、それらの凶悪な犯罪に対応する為に、五つの治安維持組織を設立せざるを得なかった。
事件や事故が起こった時の捜査を担当し、日常的にパトロールを行う通常の警察組織である『監視員』。
高レベル超能力者や高位魔術師によって組織されたカウンターテロ組織である『風紀委員』。
容疑者への無条件の制裁や処刑も許可された特別捜査官『警備員』。
あらゆる武力を集積された義勇軍としての性質を持つ『自警団』。
そして、半民間武力組織である『番長』。